戦国九州三国志

谷鋭二

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【第二章】沖田畷の合戦



「島津の援軍はたった三千か、有馬勢とあわせてみてもわずか八千、戦にならんわい」
  五万七千の軍勢を率いる隆信は、すでに勝利を確信していた。
 「敵が寡兵とあなどってはなりませぬ。古今の合戦においても、寡兵が大兵を制した例は数限りなくござりまする」
  重臣鍋島信生は、主の慢心が気がかりでならない。
 「いかがしたのじゃ? そなた昨今とりこし苦労が多くなったのではあるまいか?」
 「お忘れになりましたか今山の合戦を、あの時敵は六万我等はせいぜい五千ほどでありました。なれど我等敵の油断に乗じて奇襲をかけ、敵の大将を討ち取り壊走させました。油断はなりませぬ」
  だが隆信は、信生の諫言がどうにもわずらわしかった。
 「いらぬ心配じゃ、八千の軍勢など即座に蹴散らし、逆に渡海して一気に薩摩まで攻め込んでみせるわい」
  と豪語してみせた。

  
 その頃島津家久は、島原半島周辺の地形を詳細に調べあげていた。地形だけではない。天候のこと、周辺住民の人情、はては生い茂る草木のことまで逐一調べていた。もちろん敵将である隆信の慢心しやすい気質などは、すべて家久の知るところであった。やがて島原半島東岸に、沖田畷とよばれる湿地帯があることを突きとめた。

  
 龍造寺軍は、三月二十日には島原半島北端の神代湊に到着。さらに南下して三月二十三日には、三会城(現島原市)へと至った。欲二十四日払暁、三会城を出た龍造寺軍は、兵を浜手・中央・山手の三手に分け進軍を開始した。
  一方の島津軍は、東は島原湾、西に眉山をのぞむ森岳に軍を集結させていた。森岳の北は一面の湿地で、沖田畷とは中央を走っている細長いあぜ道のことである。家久は防柵をめぐらし、畷は大城戸で遮断する。そうしたうえで城戸の手前に、隆信に愛児二人を磔にされた赤星統家が陣取り、その左翼に新納忠元・伊集院忠棟等が陣を置く。家久自身は右翼に布陣した。そして有馬晴信の本陣は森岳の浜側に置かれた。
 辰の刻(午前八時頃)ついに隆信の采配が一閃、龍造寺軍の先鋒は小川信俊である。すでに戦に勝ったつもりでいる隆信の思いとは裏腹に、人三人が横に並んでやっと動けるほどの狭いあぜ道では、いかに大軍といえど威力を発揮することができない。狙いすました島津軍の鉄砲の一斉射撃により、たちまち龍造寺方の先鋒部隊は、ばたばたと倒れた。
 「我こそは赤星統家なり、我が子等の仇今こそはらしてくれん!」
  赤星統家は敵がひるんだのを見計らって、五十人の決死隊で城戸を開け打ってでる。全身朱一色の赤星隊は、統家の怒気がのりうつり鬼であった。炎のように龍造寺隊に斬りかかり、これにより龍造寺軍の前衛部隊はいっそう混乱した。
「怯むな! 敵は小勢ぞもみ潰せ!」
  龍造寺四天王の一人で、今山合戦で敵将大友親貞の首級をあげた成松信勝は、必死に味方を叱咤した。
その時、不覚にも流れ弾が信勝の左わき腹を貫通した。さらに続いて銃弾が数発信勝に命中する。
 「己! 大友親貞討ち取りの槍受けてみよ!」
  そういうと信勝は島津軍の方角へ槍を投じ、ついで刀をぬき口にくわえ激痛に耐えようとしたが、ついにこらえきれず地に伏した。

  
 そのころ有馬勢の大型軍船二門が、島原湾をゆっくりと移動していた。やがて号令とともに有馬晴信の秘蔵していた大砲が、龍造寺方の隆信次男江上家種、三男後藤家信の部隊の密集する地点に着弾した。その威力は計り知れず、龍造寺軍の兵士は怯え戦慄する。臆病な兵士は地にうずくまり震えあがった。

 
「ええい! どうなっておるのじゃ? 前線の様子がわからんではないか」
  部隊の最後尾に陣取る隆信は、細く伸びきった陣の最前線の様子が把握できずいらだった。やがて吉田清内という者を物見に走らせた。
 「先陣が進まぬ故後陣がつかえておる。諸将とくとく進まれよ。殿は立腹しておるぞ」
  この清内の言葉に、諸将はいずれも激昂した。
 「殿は我等に死ねと仰せじゃ、ならば見事に討ち死にしてみせようぞ!」
  こうして龍造寺方の将達はあぜ道に足をすくわれながらも、まるで敵の銃弾に身をさらすがごとく進み、そして討ち死にした。その有様は、もはや戦闘ではなく一方的な屠殺であった。非人道的であるとさえいえた。

  
 やがて隆信のもとにも前線の惨状とともに、名のある将達の討ち死にの報が、次から次へともたらされた。隆信はその閻魔にも似た形相を、さらに憤怒の色で赤くたぎらせ、軍配を持つ手をわなわなと震わせた。
 「恐れながら殿、ここは我等がひきうけます。お逃げくださりませ!」
  鍋島信生は主君に逃走をすすめた。
 「しかし、この無念をどうしてくれよう!」
 「一軍の将が冷静さを失ってはいけませぬ。それがしが殿の身代わりとなりまする」
  と申しでたのは、龍造寺四天王の一人円城寺信胤だった。
  こうして諸将にうながされ、隆信は戦場を離脱した。信胤は主君と同じ威毛の鎧に身を包み、
 「我こそは龍造寺山城守隆信なり!」
  と敵兵に向かい大音声で呼ばわり、壮絶な討ち死にをとげた。

  

 龍寺寺方の敗北が確実となった頃、丸に十字の島津方の旗を背にした一人の武者が、敵らしき首級を片手に島津家久の陣に近づいていた。戦勝が確実となり気の緩みがある家久の陣では、さして用心もせず武者を陣に入れてしまった。
 「敵の将の首を討ち取りましたる次第、検分をお願いしたく参上しました」
 「ほう、しておはんの名は?」
  表情に余裕たたえた家久が、武者に名をたずねた時だった。不意に武者は首を宙に放り投げ、
 「我こそは龍造寺四天王の一人江里口信常、その首もらった!」
  と槍をふりかざした。槍は家久の肩をかすったが、致命傷には至らなかった。
 「己! 狼藉者!」
  島津兵が一斉に襲いかかり、信常は原型をとどめないほど無残な屍と化した。
 「もうよか!」
  ようやく平常心を取り戻した家久が兵士を止めた。
 「父上大丈夫でごわすか?」
  初陣の又七郎が家久を気遣った。
 「かすり傷じゃ、それより見るがよい。こげんなることはわかっていたはず。にも関わらず恐れも知らず、こん陣にやって来るとは命知らずの剛の者よ。そん者の霊しかと弔うがよい」
  家久は、肉塊と化した信常の骸に合掌するのだった。

  
 隆信は逃走を続けていた。逃走といっても、あまりの巨体故馬に乗れない隆信は、輿に乗っての逃走だった。
 『何故負けるはずのない戦に敗れたのか?』
  輿の中で隆信は自問自答を繰り返していた。
 『数限りない悪行の報いだとでもいうのか? 己は寄るべきものさえない身から、謀略、裏切り、だまし討ちを繰り返し今日まできた。それは自らが生き残るためであるとともに、天に対して復讐するためでもあった。その自分が天によって裁かれようとしているのか?』
  隆信が己が信じて歩んできた道に、わずかに疑問を持った時だった。
「我こそは島津家家臣川上忠堅なり! 敵の御大将とお見受けする。覚悟されよ!」
  という大音声が聞こえたかと思うと、隆信を乗せた輿はゆっくりと地に放りだされた。輿をかついでいた人足が、隆信を捨てて逃げてしまったのである。
  したたがに地に叩きつけられた隆信を、島津方の兵数名が槍を構えて取り囲んでいた。
 「己下郎!」
  髪を総髪に振り乱し唇から血を滴らせた隆信は、肥前の巨熊の異名どおり、群がる島津兵数名を相手に暴れ狂い猛り狂った。やがて川上忠堅が槍を構えると、
 「覚悟!」
  と隆信に真一文字に突撃する。忠堅の槍は、隆信の肥満した腹に深く突きささった。瞬時隆信の巨大な両眼は天をあおいだ。龍造寺隆信享年五十五歳。宣教師ルイス・フロイスをしてカエサルに似たりといわしめ、裏切りと謀略の中に生きた一個の戦国大名の典型は、こうして無残にも地に伏した。

  
 戦闘が終結した沖田畷に、一人の騎馬の女武者の姿があった。龍造寺四天王の一人百武賢兼の妻美代だった。
 「おいこんな場所に女武者とは珍しい。しかもなかなかの美人じゃねえか。みんなで襲ってしまおうぜ」
  鼻をつく死臭の中、落ち武者狩りの百姓達が美代に気付いた。だが美代は荒馬を乗りこなし、大薙刀で戦場を所狭しと暴れ回った剛の者である。百姓達はたちどころに蹴散らされ逃げ出した。
  やがて美代は、戦場のかたすみで血にまみれた夫の姿を発見する。すでに死んだものと思い、冷たくなった死体を自らの手に抱こうとした時だった。かすかに息がある。美代は夫の体を必死にゆすった。
 「美代か……」
 「しっかりなさいませ!」
 「不覚をとった……そなたと今一度……」
  最後は言葉になっていなかった。力を振りしぼって美代の手を強く握り、やがて膝の上で息絶えた。その冷たくなった頬に涙が伝った。

  
 こうして奇跡は三度おこった。島津勢は木崎原で約十倍、耳川で約二倍、そしてこの沖田畷の合戦において約七倍の敵を退けたのである。
 沖田畷の大敗北により、龍造寺家は五州二島を領有する強大な群雄の地位から転落し、九州の三国鼎立の状態は一気に崩れようとしていた。だが島津家の前にまだ立ちふさがる者がいた。同じく斜陽にある大友家を支える立花道雪、高橋紹運、二人の父の薫陶を受けた若き武者立花宗茂であった。

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