戦国九州三国志

谷鋭二

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【第二章】秀吉の九州進出・根白坂の戦い

 

   関白秀吉率いる二十万の軍勢に対し、島津義久は圧倒的な兵力差ゆえ、戦線の縮小を図る。戸次川の戦いの後、島津家久が占領していた豊後府内城から、家久は後方の松尾城に撤退し、代わって島津義弘が府内城に入って守備を固める。しかし豊臣秀長率いる豊臣軍により、府内城が攻められるや、圧倒的な兵力・物量の差を悟った義弘は、三月十五日の夜半風雨にまぎれて海路で府内城を脱出し、弟の家久が守る松尾城に退却した。
  

 これにより、先の豊後侵攻で島津軍に屈することがなかった、岡城の志賀親次等が勢いづき、島津軍は大友軍の追撃まで受けて、多くの犠牲を出しながら日向まで撤退した。三月下旬に入ると豊臣秀長が日向に侵攻し、三月二十九日には日向北部の要衝である松尾城が陥落した。そして日向南部の要衝・高城を包囲する。高城を守るのは島津軍きっての猛将山田有信である。高城の命運尽きる時は刻一刻と迫っていた。

  
 島津義久は高城を救援すべく三万の軍勢をもって、かっての大友・島津決戦の地耳川周辺に着陣する。そして思わず息を飲んだ。高城を囲む、おびただしい数の人馬の群れ、それはかっての大友の軍勢の比ではなかった。その中に秀吉の軍旗千成瓢箪をはじめ、毛利家の一文字三星、宇喜多家の紺地に『児』の旗印、黒田家の永楽通宝の旗印等が颯爽とひるがえり、島津家の敵が一人秀吉のみならず、日本国中の大小名であることをものがたっていた。そこに巨大な時の流れ、そして人の意思が結集していた。果たしてこの戦勝ち目はあるのか?義久は狼狽せずにはいられなかった。


 「恐らく正面からぶつかってもあの大軍、踏みつぶされるだけだろう。いかようにしたらよいかの」
  軍議の席上、義久は思わずため息をもらした。
 「確かに正面からぶつかっても勝ち目はなか、じゃっどん高城を守る山田有信を、見殺しにすることはできもうはん。主力決戦が無理なら奇襲という手もござりもうそう。高城に夜襲をかければ敵は大軍であるため、むしろ招集のつかぬ事態となるやもしれもうはん」
  と発言したのは義弘だった。
 「夜襲か……必ず成功するかのう?」
  義久はやや気弱な声でいった。
 「なあに、上方のひょろひょろ侍なぞ、薩摩武士一人で十人は相手にできもうそう。それにこん土地は、おい達が九年前大友の大軍を破った縁起のよか土地でごわす。軍神の加護は必ず我等にありもんそう」
  と義弘は圧倒的な大軍勢を前に、やや湿り気がちな座の空気を盛りあげようとした。

 
「恐れながら兄者、九年前の大友の軍勢と、今回の関白の軍勢とは全く異なるかと。あん時は大友宗麟前線に姿現わさず、家臣団は各々が個別に戦い、全く軍として統制がとれず、我等の罠にはまりもうした。なれどこたびは例え秀吉がおらずとも関白の軍勢には、ゆうに一軍の大将が務まる者が数多おりもうす。もし万一の時は今ここにはおりもうはんが、伊集院忠棟は豊臣方の細川藤孝殿等とも親交があり、あん者を通じて上方と交渉し、我等にできるだけ有利な条件で降伏するが肝要かと」
  この歳久の言葉に、座は一時しらけた。


 「歳久! 今はいかにしたら戦に勝てるか、そいを議論する時じゃ。負け戦の後のことを議論する場じゃなかど!」
  義久は思わず声を荒げた。
 「御免」
  歳久はそのまま軍議の席を後にした。
 「あいはどげんしたか? ここのところ弱気にもほどがある」
  義弘は心配そうに歳久の後姿を見送った。義久は義弘にまだ告げていなかった。歳久が中風を患い、その痛みが激しい時は立つことすらままならず、そのことが歳久を気弱にしていることを。
  この歳久を不安げに見守る者がいた。十九歳の若武者で、男児に恵まれなかった歳久の養子となり、歳久の長女をめとった島津忠隣だった。

  
 義久を驚かせたのは圧倒的な大軍勢だけではなかった。物見の知らせによると、豊臣方の陣所は五十以上にのぼるという。陣城の普請は素早く、九州では見られない堅固さだった。高城周辺には深い大堀を設け虎落を結び、要所には高い井楼が設けられていた。井楼には大筒がすえられ、さかんに城方を威嚇した。
  これらの土木作業は、主に豊臣方の黒田官兵衛孝高、蜂須賀家政等が率先して、短時日の間に仕上げられたものだった。かっての羽柴軍団の土木技術の優秀さに関しては、幾つか逸話がある。

  
 一つ目は、天正元年(一五八五)、羽柴秀吉自らが総大将となり、紀州太田城に太田衆、雑賀衆、根来衆等を攻めた時のことである。秀吉は城周辺の地形を見、得意の水攻めにより活路を開こうとした。
  紀の川の水をせき止め、鉄砲の射的距離にあたる、城から三百メートル離れた周囲に堤防を築く。堤防の高さは三から五メートル、幅三十メートルで、延々六キロにも及び、工事に要した人数は約四十六万人、昼夜突貫工事で六日間で工事を終了したといわれる。こうした上で雨で水かさを増したところを、十三隻の安宅船で攻めよせる。さらに堤防の一部が、百五十間にわたって決壊した際は、六十万個の土俵を使って、数日で堤防を修復したとも伝えられている。

  
 また有名な高松城水攻めの際のエピソードもある。
 秀吉は周囲を沼地で囲まれた高松城を落とすため、全長三キロメートルにも及ぶ堤を、わずか半月足らずで完成させる。ところが問題が持ちあがった。雨季で水かさが増した川の流れは大木を切り落としても、巨石を落としても、せき止めることができなかったのである。
  その際活躍したのが、秀吉の懐刀黒田官兵衛だった。
 官兵衛はまず、三十隻の巨石を積んだ船を用意し、川をせき止める予定の場所で、一斉に穴を開け沈ませた。こうして水の勢いを止めたうえで、三千人の兵をもって土のうを積ませ見事川をせき止め、高松城を水の中に孤立させたといわれる。

  
 こうした秀吉陣営の土木技術の優秀さが、秀吉の天下取りに大きく貢献したことは間違いない。
  特に黒田官兵衛に関しては、秀吉の九州進出に際し、九州の各大小名に、秀吉陣営に鞍替えするよう書状をしたため、その中でもし事が露見して島津家や九州の他の諸豪に攻められぬよう、隠密裏に事を運ぶようと同じ内容で書き送った。これにより九州の各大小名は、いずれが敵で味方であるか定かならず、そのため競って秀吉のもとにはせ参じたといわれる。今その黒田官兵衛が、島津を追いつめようとしていた……。


 「恐れながら島津方と決戦のおりは、先陣は是非ともそれがしに」
  と豊臣方の軍議の席で、大将の羽柴秀長に申し出たのは、弱冠十六歳の宇喜多秀家だった。
 「いやそなたはまだ若い、島津は敵を誘いだし大軍で包囲する作戦を得意とすると聞いた。そなたでは敵の挑発に乗らぬとも限らぬのでなあ」
  と秀長という、この人臣の頂点に近い地位にあっても、決して奢ることのない、いかにも尾張中村の百姓といった、素朴な人柄と風貌を持った慎重な男はいうのである。
 

「それにしても、敵は主力決戦をしかけてきますかな?」
  と疑念をていしたのは、吉川元春の嫡男吉川元長だった。
 「恐らくはな、なにしろ敵は戦場での勇猛さを、なによりも誇りとしておるからのう」
  この秀長の言葉に異をとなえる者がいた。黒田官兵衛だった。
 「待たれよ、いかに戦場での勇猛さを誇りとする島津といえど、なにしろこの大軍、まともに戦すれば勝算がないことぐらい、阿呆でないかぎりわかるはず」
 「では官兵衛、正面から仕かけてこず、敵はいかようにして我等に戦をしかけてくると思われるか?」
  官兵衛という、知恵が回りすぎ、どこか常人に薄気味悪い印象すら与える人物は、この時も島津方の動きを目ざとく読んでいた。

  
 四月十七日深更、島津方はついに動いた。高城への後詰めをまっとうするため、息を殺して根白坂を目指した。
  根白坂の陣城の総大将は宮部継潤だった。これに南条元続、木下重堅等の因幡・伯耆の山陰衆が従う。さらに与力として黒田官兵衛・蜂須賀家政等が控えていた。異変は島津勢が、怒涛のように根白坂の陣城に取りつこうとした時おこった。突如として数千挺はあろうかという鉄砲隊の弾幕が、一斉に火を噴いたのである。その轟音に根城坂の手前に陣を構える島津義久は驚き、床几から立ち上がった。

  
 この合戦には、かっての島津家の宿敵伊東氏の旧臣も参陣していた。黒田官兵衛は夜襲が島津の常套戦法であることを、彼等から聞き知っており、あらかじめ用心していたのである。
  豊臣方の陣城の精巧さと重厚さは、島津方の予想をはるかに超えていた。深い空掘りと高い土塁が、島津勢の前に二重三重に立ちはだかり、さしも薩摩隼人も、その勇猛さを発揮することもできず銃弾の餌食となった。深さ三間(約五メートル)の掘りが、薩摩隼人達の墓場となった。

  
 この味方の劣勢を、義久の陣で歯ぎしりしながら見守る者がいた。歳久の養子島津忠隣だった。忠隣は勇猛であったが、若さ故か猪突猛進するところがあり、肥後口に出征した歳久のたっての望みにより、義久の本陣付けとされたのである。
 「者ども、おいに続け」
  ついに我慢の限界に達した忠隣は、手勢数百を率いて本陣を後にした。むろん軍規に背いての無謀な行動だった。
 「しまった!」
  この報せがもたらされるや否や、義久は血を吐くような声をあげた。
 「なんとしても連れもどせ! 軍法を破るは、例え一門といえど大罪じゃというてな!」

  
 やがて忠隣の部隊は、島津家久率いる一隊の前を通りすぎようとした。忠隣にとり家久はあこがれの象徴だった。一言挨拶しようと、軍勢を止め馬首を返す。
 「叔父御に挨拶にまいりもうした」
  忠隣が大声で呼びかけると、
 「おお忠隣どんか、どぎゃんしたか」
  と家久は軽くほほえみ、言葉を返した。
  この時家久は、大鍬形の前立てをあしらった兜に、色々威の腹巻をし、体高四尺七寸はあろうかという『市来野の月毛の駒』にまたがっていた。この巨大な馬は、家久が沖田畷の戦勝に際し、義久より褒美として特別に賜ったものだった。忠隣がしばし堂々たる体躯をした月毛の駒に見とれていると、
 「こん馬が気にいったがか? 戦の後くれてやってもよかと。どの道おいにはもう必要なか」
  と、家久が意味ありげな言葉を発した。忠隣は瞬時目を輝かせ、
 「ほんのこつ、もらいうけてもよかごわすか? じゃっどん、おいにはまだ不似合いでごわす。こん戦で手柄を立てた後、必ずそん馬をもらいうけ申す」
  いうや否や、忠隣は自分の乗馬に一鞭入れる。むろん家久は、忠隣が軍法に反して部隊を率いてきたことを知らずにいる。

  
 やがて忠隣は、先手衆として押し出していた北郷忠虎の軍勢と合流する。激しい銃火にも怯まず、北郷忠虎と島津忠隣の部隊は、幅三十間(約五十四メートル)にわたって柵を引きやぶる。島津勢は分厚い板を貫く桐のように突撃を開始し、三の丸を破り、たちまち二の丸に攻めよせた。だが攻勢もここまでだった。豊臣方の新手の部隊として藤堂高虎等が攻め寄せてくると、さしもの島津勢も次第に意気消沈し始める。
 「己、こげな陣城ごときに!」
  とその時、忠虎の視界が銃を構える敵方の足軽数名をとらえた。同時に鈍い音がした。銃弾数発が一斉に忠隣に命中したのである。一度は立ち上がった忠隣だったが、そこにどどめの銃弾が降りそそいだ。
 「父上……おいは最後まで薩摩武士として戦いもうした……」
  忠隣が絶息したのは、ほどなくのことだった。

  
 味方の劣勢にいらだっていたのは、忠隣だけではなかった。島津義弘は、敵の銃口の前に次から次へと倒れていく味方に、無念のあまり鬼の形相と化していた。やがて敵の銃口の射程距離まで馬を乗りいれると、突如として獣のような咆哮をあげた。その地を揺るがすかのような大音声は、さしも圧倒的多勢をほこる豊臣方をしても、魂まで凍らせるのに十分だった。
  義弘は自ら軍勢の先頭に立ち突撃を開始する。銃弾が数発貫通したが、義弘はひるむことがなかった。だがその義弘をもってしても、敵の堅固な陣城をぬくことはできなかった。

  
 夜が明けた。島津はついに敗れた。おり重なるようにして倒れる、おびただしい数の戦死者を残して軍を退くに至ったのである。かって九州における陣で、いかな圧倒的大軍を前にしても敗北を知らなかった薩摩隼人は、豊臣軍の物量の前に敗北したのである。
  この敗北からわずか三日後、秀吉自ら率いる本隊は、ついに肥後隈本城へ入城する。今や島津家存亡の時は刻一刻と迫っていた。





  

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