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【第二章】大友宗麟・宿命の十字架
天正十五年(一五八七)六月、秀吉は博多に至り、箱崎に本営を置いていた。
商都博多は十六世紀のこの時代堺と並び、遠く異国との最重要交易拠点として、例えば南蛮の宣教師達等にもよく知られていた。だが堺のように強固な自治組織を持たず、中央政権の威令も届かず、地理的にも湾岸の平地に位置する博多の街は、大内・大友・毛利・龍造寺等の諸豪の勢力争いの影響をまともに受けた。特に永禄二年(一五五九)毛利家が九州進出をはかり、これに加担する秋月・筑紫等の軍勢が、大友家の代官のいる博多の市街地を攻撃すると、街は略奪・放火等により徹底的に荒らされ灰燼に帰した。今秀吉の前には、一面荒涼たる風景のみが広がっていた。
「なんと、南蛮の大船はここには来られぬと申すか? 南蛮よりはるばる参った船であろう?」
秀吉は、ヤソ会副管区長コエリヨ神父に不満を露わにした。
「恐れながら関白殿下、博多湾は浅瀬にござります。ナウ型船では船体が大きすぎ、乗り入れることかないませぬ」
コエリヨ神父は、秀吉の機嫌をそこねることを内心恐れながらも弁明につとめた。
秀吉は来るべき唐入りのため、博多を前線基地にしようともくろんでいた。そのため南蛮船もまた、明国・朝鮮との戦に利用する算段を立てていたのである。
「殿下、あの者どもは虚言を並べること多く、信じてはいけませぬ」
と秀吉に小声で耳うちしたのは、今は大坂城の天守閣がある上町台地の北端淀川の本流が流れる天然の要害の地で、信長と十年の長きに渡る抗戦を繰り広げた、本願寺顕如光佐上人だった。
「フスタ船なら、ここに参ることかないまする」
フスタ船とは、二百トンほどの小型商船である。
「見てみたい気もする。ここに通すがよい」
秀吉は六月十日、姪ノ浜に着岸しているフスタ船に赴き、船内の隅々まで見学して回った。
「嘉隆、そなたの船より小さいではないか、そなたなら戦して勝てるか?」
「さあそれはなんとも?」
秀吉は同道した水軍と将として有名な、九鬼嘉隆にたずねた。
九鬼嘉隆はかって信長に仕え、安宅船十四隻、軍船三百隻、小船三百隻からなる大船団を率い、長嶋の一向一揆鎮圧に最大の功労をなした人物である。その際、九鬼水軍自慢の長銃を使って艦砲射撃を行い、信長軍本隊を海上から援護したといわれる。また天正六年(一五七八)鋼鉄製の大船をもって、毛利の村上水軍を撃破したことでも知られている。
――この船は、信長が伊勢国において建造せしめたる、日本国中で最も大きく、また最も華麗なるものにて、(ポルトガル)国王の船に似たり。余は行きてこれを見たるが、日本においてかくの如きものを造ることに驚きたり……これによりて大坂の市は滅亡すべしと思われる。船には大砲三門を載せたる……――
というのは、イエズス会士オルガンティーノの言葉である。当時の日本の海軍力が、西欧と比較しても決して遜色なかったことが、この記録からもよくわかる。
秀吉の乗り込んだフスタ船は、小型であっても二本のマスト、船後方の人力による櫓でも漕ぐことの出来る実用的な船であり、船首船尾には小型の大砲も備えていた。
「この大砲にて我が国を攻める腹か?」
と秀吉は宣教師達に半ば冗談でいった。だが冗談の中にも本意が隠されていた。秀吉はすでに切支丹を快く思わぬ多くの者から、西欧諸国のアジアへの進出の事実を聞き知っていた。またさらに九州の切支丹大名達が、日本人の特に婦女子を強制連行しインドやアフリカに、いわゆる人身売買をしていることも知っていた。切支丹大名達はポルトガルの教会の師父たちと共謀して、人身売買と引き換え、硝石等を手に入れていたのである。
やがて船は海に出た。秀吉は子供のようにはしゃぎ、南蛮料理とワインを楽しむ。さらには宣教師にポルトガル語を書いてくれとせがみ、その言葉を二三度繰り返し『予はバテレンの弟子だ』と冗談まで言って、周囲を笑わせたといわれる。
だが船尾にある櫓を漕ぐ人々が全て日本人で、鎖につながれ苦役に喘いでいる姿を目撃すると、表情が一転した。
「あれらは全て犯罪人でございまする」
コエリヨはさらりと言ってのけたが、秀吉は不快感を隠し通すのに苦慮した。
秀吉はただちに、戦乱で荒廃した博多の街の復興を、小西行長等に命じた。
世話役は行長を含めた五人、その下に三十人の奉行職が置かれる。すでにおよその見取り図は黒田官兵衛が、博多の豪商島井宗室等の意見により練っていた。博多の街は東西南北十町四方と定め、その縦横に小路を割つけ、縦の道幅をやや広く、横の道幅をやや狭くする。十町四方の博多の街の周囲には、幅二十間余りの防備用の濠を設ける。すなわち博多を堺同様濠で囲まれた、要塞都市にしようというのである。
秀吉は来るべき明国・朝鮮との戦に備え、着々と準備を整えつつあった。
その頃大友宗麟は、豊後・津久見のわびしい住まいで、ついにその生涯を終えようとしていた。
「関白殿下にお断りしてくれ、わしは国などもはやいらぬ。日向は他の者に所領として与えよと」
日を追うごとに衰弱していく宗麟は、そういって関白秀吉の好意を断ったといわれる。
「関白殿下は欲に憑かれておりまする。国の外に向け兵を発しようとしておりまする」
と病床の宗麟の側近くで、切支丹の宣教師が悪しからぬ噂を耳に入れた。
「何と、まだ戦を続けるおつもりか? 戦は戦をうむだけというに……」
宗麟は空ろな眼光で、つぶやくようにいった。
「そなたの申すローマとやらには戦はおこらぬのか、その地は誠に地上の楽園か?」
宗麟が問いただすの対し宣教師は、すでに宗麟の死期が近いことを知り、
「戦はおこりません。ローマは楽園です」
と偽りをいった。むろんローマすなわちイタリアは楽園どころか、古代ローマ帝国の滅亡以後、小国が割拠し、千年近く戦国乱世が続くかのような状態にある。
「そうか……余は戦を好まぬ、なれど時として人は戦せずばならぬ。わしも行ってみたかったのう……戦なき楽園が世にあるなら」
やがて嫡子義統が宗麟を見舞う頃には、宗麟はすでに危篤の病状となっていた。
宗麟は深い闇の中にあった。やがてかすかに薄目を開くと、そこに奇妙な光景を見た。
「もしや貴方は聖母マリア?」
闇の中に婦人の顔が浮かんでいた。宗麟はかすかに手を伸ばしたが、届くことはなかった。聖母マリアは沈黙したままである。
『もし貴方がまこと聖母マリアなら尋ねたい。人に一生は何故一度きりなのですか? 何故己で己の運命を決められぬのです。それがしは武将ではなく、貴方に仕える者として生をうけたかった。かくのごとく荒廃した日の本ではなく、平安の都ローマに生まれたかった。せめて後五年、十年生きてローマを見たい……』
『大友宗麟いやドン・フランシスコよ、汝もまた我が子』
聖母マリアはようやく口を開いた。
『私のため、そしてこの国のデウスを信じる者のため、汝の命が必要だった』
「私を多くの過ちを犯しました。私は地獄の業火で焼かれるのでありましょうや?」
宗麟は絞り出すように声をだした。
『例え汝が地獄の業火で焼かれようと、千の刃がその身を刺しつらぬこうと、私は汝を守る。さあ目を閉じるがよい』
宗麟やゆっくりと目を閉じ、最後に一言
「一命、捧げたてまつる」
とだけいい、ついに目を開くことはなかった。その胸にかかげれらた十字架に、涙が一滴、二滴こぼれ落ちた……。
大友宗麟享年五十八歳。あれいはこの俗に言う『天才と狂人の紙一重』のような人物こそ、九州三国志の真の主人公であったかもしれない。宗麟は若い頃より奇行多く、一方で常に先進的であり続けた。キリスト教や南蛮の文物などに深い関心を持っていた点など、多くの点で、実に織田信長に似ていたかもしれない。中世的権威の代表である、仏教寺院を焼き払ったことなどもそっくりである。そしてあらゆる面において、他の西国大名より優位な条件にいた。
もしこの宗麟という人物が、己に溺れず、また迷うことなく、武将の道のみ邁進していれば、九州はおのずと平定され、西国、いや日本の歴史さえ大きく変えていたかもしれない。だが宗麟は常にぎりぎりの選択を迫られ、その都度迷い、ついには最後まで迷いを断つことができなかった。
宗麟の死をもって、明確に九州の戦国乱世は終わりを告げようとしていた。秀吉によるキリスト教禁教令は、宗麟の死のわずか一月後のことであった。
商都博多は十六世紀のこの時代堺と並び、遠く異国との最重要交易拠点として、例えば南蛮の宣教師達等にもよく知られていた。だが堺のように強固な自治組織を持たず、中央政権の威令も届かず、地理的にも湾岸の平地に位置する博多の街は、大内・大友・毛利・龍造寺等の諸豪の勢力争いの影響をまともに受けた。特に永禄二年(一五五九)毛利家が九州進出をはかり、これに加担する秋月・筑紫等の軍勢が、大友家の代官のいる博多の市街地を攻撃すると、街は略奪・放火等により徹底的に荒らされ灰燼に帰した。今秀吉の前には、一面荒涼たる風景のみが広がっていた。
「なんと、南蛮の大船はここには来られぬと申すか? 南蛮よりはるばる参った船であろう?」
秀吉は、ヤソ会副管区長コエリヨ神父に不満を露わにした。
「恐れながら関白殿下、博多湾は浅瀬にござります。ナウ型船では船体が大きすぎ、乗り入れることかないませぬ」
コエリヨ神父は、秀吉の機嫌をそこねることを内心恐れながらも弁明につとめた。
秀吉は来るべき唐入りのため、博多を前線基地にしようともくろんでいた。そのため南蛮船もまた、明国・朝鮮との戦に利用する算段を立てていたのである。
「殿下、あの者どもは虚言を並べること多く、信じてはいけませぬ」
と秀吉に小声で耳うちしたのは、今は大坂城の天守閣がある上町台地の北端淀川の本流が流れる天然の要害の地で、信長と十年の長きに渡る抗戦を繰り広げた、本願寺顕如光佐上人だった。
「フスタ船なら、ここに参ることかないまする」
フスタ船とは、二百トンほどの小型商船である。
「見てみたい気もする。ここに通すがよい」
秀吉は六月十日、姪ノ浜に着岸しているフスタ船に赴き、船内の隅々まで見学して回った。
「嘉隆、そなたの船より小さいではないか、そなたなら戦して勝てるか?」
「さあそれはなんとも?」
秀吉は同道した水軍と将として有名な、九鬼嘉隆にたずねた。
九鬼嘉隆はかって信長に仕え、安宅船十四隻、軍船三百隻、小船三百隻からなる大船団を率い、長嶋の一向一揆鎮圧に最大の功労をなした人物である。その際、九鬼水軍自慢の長銃を使って艦砲射撃を行い、信長軍本隊を海上から援護したといわれる。また天正六年(一五七八)鋼鉄製の大船をもって、毛利の村上水軍を撃破したことでも知られている。
――この船は、信長が伊勢国において建造せしめたる、日本国中で最も大きく、また最も華麗なるものにて、(ポルトガル)国王の船に似たり。余は行きてこれを見たるが、日本においてかくの如きものを造ることに驚きたり……これによりて大坂の市は滅亡すべしと思われる。船には大砲三門を載せたる……――
というのは、イエズス会士オルガンティーノの言葉である。当時の日本の海軍力が、西欧と比較しても決して遜色なかったことが、この記録からもよくわかる。
秀吉の乗り込んだフスタ船は、小型であっても二本のマスト、船後方の人力による櫓でも漕ぐことの出来る実用的な船であり、船首船尾には小型の大砲も備えていた。
「この大砲にて我が国を攻める腹か?」
と秀吉は宣教師達に半ば冗談でいった。だが冗談の中にも本意が隠されていた。秀吉はすでに切支丹を快く思わぬ多くの者から、西欧諸国のアジアへの進出の事実を聞き知っていた。またさらに九州の切支丹大名達が、日本人の特に婦女子を強制連行しインドやアフリカに、いわゆる人身売買をしていることも知っていた。切支丹大名達はポルトガルの教会の師父たちと共謀して、人身売買と引き換え、硝石等を手に入れていたのである。
やがて船は海に出た。秀吉は子供のようにはしゃぎ、南蛮料理とワインを楽しむ。さらには宣教師にポルトガル語を書いてくれとせがみ、その言葉を二三度繰り返し『予はバテレンの弟子だ』と冗談まで言って、周囲を笑わせたといわれる。
だが船尾にある櫓を漕ぐ人々が全て日本人で、鎖につながれ苦役に喘いでいる姿を目撃すると、表情が一転した。
「あれらは全て犯罪人でございまする」
コエリヨはさらりと言ってのけたが、秀吉は不快感を隠し通すのに苦慮した。
秀吉はただちに、戦乱で荒廃した博多の街の復興を、小西行長等に命じた。
世話役は行長を含めた五人、その下に三十人の奉行職が置かれる。すでにおよその見取り図は黒田官兵衛が、博多の豪商島井宗室等の意見により練っていた。博多の街は東西南北十町四方と定め、その縦横に小路を割つけ、縦の道幅をやや広く、横の道幅をやや狭くする。十町四方の博多の街の周囲には、幅二十間余りの防備用の濠を設ける。すなわち博多を堺同様濠で囲まれた、要塞都市にしようというのである。
秀吉は来るべき明国・朝鮮との戦に備え、着々と準備を整えつつあった。
その頃大友宗麟は、豊後・津久見のわびしい住まいで、ついにその生涯を終えようとしていた。
「関白殿下にお断りしてくれ、わしは国などもはやいらぬ。日向は他の者に所領として与えよと」
日を追うごとに衰弱していく宗麟は、そういって関白秀吉の好意を断ったといわれる。
「関白殿下は欲に憑かれておりまする。国の外に向け兵を発しようとしておりまする」
と病床の宗麟の側近くで、切支丹の宣教師が悪しからぬ噂を耳に入れた。
「何と、まだ戦を続けるおつもりか? 戦は戦をうむだけというに……」
宗麟は空ろな眼光で、つぶやくようにいった。
「そなたの申すローマとやらには戦はおこらぬのか、その地は誠に地上の楽園か?」
宗麟が問いただすの対し宣教師は、すでに宗麟の死期が近いことを知り、
「戦はおこりません。ローマは楽園です」
と偽りをいった。むろんローマすなわちイタリアは楽園どころか、古代ローマ帝国の滅亡以後、小国が割拠し、千年近く戦国乱世が続くかのような状態にある。
「そうか……余は戦を好まぬ、なれど時として人は戦せずばならぬ。わしも行ってみたかったのう……戦なき楽園が世にあるなら」
やがて嫡子義統が宗麟を見舞う頃には、宗麟はすでに危篤の病状となっていた。
宗麟は深い闇の中にあった。やがてかすかに薄目を開くと、そこに奇妙な光景を見た。
「もしや貴方は聖母マリア?」
闇の中に婦人の顔が浮かんでいた。宗麟はかすかに手を伸ばしたが、届くことはなかった。聖母マリアは沈黙したままである。
『もし貴方がまこと聖母マリアなら尋ねたい。人に一生は何故一度きりなのですか? 何故己で己の運命を決められぬのです。それがしは武将ではなく、貴方に仕える者として生をうけたかった。かくのごとく荒廃した日の本ではなく、平安の都ローマに生まれたかった。せめて後五年、十年生きてローマを見たい……』
『大友宗麟いやドン・フランシスコよ、汝もまた我が子』
聖母マリアはようやく口を開いた。
『私のため、そしてこの国のデウスを信じる者のため、汝の命が必要だった』
「私を多くの過ちを犯しました。私は地獄の業火で焼かれるのでありましょうや?」
宗麟は絞り出すように声をだした。
『例え汝が地獄の業火で焼かれようと、千の刃がその身を刺しつらぬこうと、私は汝を守る。さあ目を閉じるがよい』
宗麟やゆっくりと目を閉じ、最後に一言
「一命、捧げたてまつる」
とだけいい、ついに目を開くことはなかった。その胸にかかげれらた十字架に、涙が一滴、二滴こぼれ落ちた……。
大友宗麟享年五十八歳。あれいはこの俗に言う『天才と狂人の紙一重』のような人物こそ、九州三国志の真の主人公であったかもしれない。宗麟は若い頃より奇行多く、一方で常に先進的であり続けた。キリスト教や南蛮の文物などに深い関心を持っていた点など、多くの点で、実に織田信長に似ていたかもしれない。中世的権威の代表である、仏教寺院を焼き払ったことなどもそっくりである。そしてあらゆる面において、他の西国大名より優位な条件にいた。
もしこの宗麟という人物が、己に溺れず、また迷うことなく、武将の道のみ邁進していれば、九州はおのずと平定され、西国、いや日本の歴史さえ大きく変えていたかもしれない。だが宗麟は常にぎりぎりの選択を迫られ、その都度迷い、ついには最後まで迷いを断つことができなかった。
宗麟の死をもって、明確に九州の戦国乱世は終わりを告げようとしていた。秀吉によるキリスト教禁教令は、宗麟の死のわずか一月後のことであった。
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