戦国九州三国志

谷鋭二

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【第三章】文禄の役 清正・行長の漢城入城




(ここからは秀吉の朝鮮戦役を、島津義弘、立花宗茂及び、後に島津義弘の前に立ちふさがった朝鮮の水軍提督李舜臣の動向を中心に書き進めていきたいと思います。時折脱線するかもしれませんが、その際はご容赦ください)

 
 秀吉の大陸進出の足がかりとなるはずの肥前名古屋城は、加藤清正、寺沢広高が普請奉行となり、わずか五ヶ月で完成を見た。五層七重の天守の建つ本丸を中心に二の丸・三の丸のほか、山里丸や遊撃丸等、多数の曲輪を持つ総面積十七万平方メートルに及ぶ本格的な城郭で、当時の大坂城に匹敵する巨城であった。
  

 やがてこの城に、朝鮮に渡海した諸侯の妻子が挨拶のため相次いで参上する。その中に細川忠興の妻お玉(細川ガラシア)や立花宗茂の妻ぎん千代の姿もあった。秀吉といえば、なにしろその好色ぶりは、つとに世によく知られている。秀吉の手からのがれるため、忠興の妻お玉は拝謁の際わざと懐剣を床に落とし、その覚悟のほどを示す。
  立花ぎん千代もまた、秀吉に拝謁するに及び、自らの覚悟示す必要があった。
 

「あの武勇に秀でた立花左近でさえ、手を焼くほどの立花の女房とはいかなる者か?」
  好奇の目をもって、ぎん千代が姿を現わすのを待った秀吉であったが、果たしてその立ち居振る舞いに息を飲んだ。なんとぎん千代は、鎧に身をつつんで秀吉の前に参上したのである。
 「主不在なれば、大名の妻として城を守るも当然のつとめ。かようなむさくるしい体でございますが、平にご容赦のほどを」
  さしも秀吉も、背筋に冷たいものが走った。
 「うむ大儀であった下がってよいぞ」
  ぎん千代はにっこり笑って、秀吉のもとを後にした。
 『これは下手な大名を懐柔するより難儀かもしれん。左近が手をやくわけじゃ』
  秀吉は、ぎん千代の後姿を見送りながら、思わず長嘆息せずにはいられなかった。

  
 すでに渡海軍の第一陣は朝鮮・釜山にある。そこに日本の法は存在しない。風土も違えば、言葉も違う。そして日本の豊臣政権とは全く異なる、李氏朝鮮王朝という支配体制が存在した。
  李氏朝鮮王朝は、モンゴル元の侵攻により弱体化した高麗朝に代り、朝鮮咸鏡道出身の武人李成桂により一三九三年に建国された。李氏朝鮮王朝の成立は、中国における明王朝の出現、日本の室町幕府の成立と、ほぼ並行しており興味深い。
  

 この王朝の最大の特徴は、やはり両班体制であろう。将来の官界の担い手を選抜する科挙の試験を、主に文科と武科に分け、しかも文人が圧倒的優位な地位を占めるという体制のもと、李氏朝鮮は儒教絶対主義国家とでもいうべき、史上類をみない社会システムを構築していく。
 儒教が国教としていたことは、漢の武帝以後の中国の歴代王朝も同様であるが、李氏朝鮮王朝のそれは、少々度が過ぎていたかもしれない。儒教という社会の進歩を最も悪とし、為政者階級にのみ都合のよい、ある種の絵空事を絶対視することにより、李氏朝鮮王朝は約五百年、日本でいうと室町時代初期から明治までという、世界史上でも稀に見る長命王朝として続いていくのである。
  その間、遠く西欧では大航海時代をへて帝国主義の時代を迎え、産業革命がおこり、ついにはアジアのほとんどの国が欧米列強の支配するところとなる。李朝五百年の封建的支配体制が後世に残した負の遺産は、あまりに大きかったといえるだろう。

  
 行長等は初めて見る朝鮮式の城塞に思わず息を飲んだ。朝鮮における城塞とは、日本と異なり都市全体を飲みこむ。釜山城は、佐川洞裏にある標高百二十メートルの甑台山に築かれた平山城で、南北五百メートル・東西二百メートルの主郭と北に二郭・三郭からなる。その東方約一キロにある標高三十六メートルの独立丘に築かれた平山城が釜山支城で、南北百七十メートル・東西五十メートルの主郭、北方にニ郭、腰郭が所々にあり、小山全体が石垣で要塞化されている。道路には鉄刺が一面に敷設され、城塞内部には、千以上の小型砲があった。
  小西行長は城塞周辺をことごとく焼却し、城内に降伏を勧告する使者を送った。釜山城の守備隊長は、国王に事を報告するための猶予を求め、時をかせごうと計った。むろん行長は、そのような小細工には騙されなかった。

  
   行長は、かすかに背後の海を見た。すでに日本国は海の彼方の幻影と化し、十字架を切ると全軍に総攻撃の命を下した。時に日本の年号で天正二十年(一五九二)四月十二日のことである。
  同じ頃朝鮮側の物見は、釜山の浜辺に七百余もの船隊を発見し、ようやく事の重大さを悟る。その時、背後で日本軍のあげる鬨の声と鉄砲の鳴り響く音を耳にする。
  まだ夜明け前の虎の刻(午前四時)、日本軍は背丈ほども水のある堀に板をかけ、城塞に達する道路にも板をかけ、多量の棘で負傷せぬようにし城に殺到する。鉄製の鎧をかぶった朝鮮側の兵士は、果敢に応戦したが、初めて経験する鉄砲の威力に太刀打ちできなかった。辰の刻(午前八時)落城。総司令官は戦死し、ここに日本軍による本格的な朝鮮進出が開始された。

  
 釜山城の北方数キロの地点に、東莱城という城塞があった。東莱城は山城で、北の漢城へ通じる主要道を押さえる位置にある。日本軍はなんとしても東莱城を落とし、橋頭堡を確保する必要があった。小西行長はひとまず『「戦うなら相手になろう。さもなくば、道を通過させよ』と、城内に矢文を打ちこんだ。これに対し城将宋象賢は『死することはたやすいが、道を通すのは難しい』と、矢文を打ち返し、再び日朝両軍の間に戦端が開かれることとなった。
  

 この時、城を守る兵は約二万。対する日本軍は水夫や運搬要員も含めておよそ三万。四月十四日夕刻、日本軍は石でできた要塞を手梯子でよじ登り、攻撃を開始した。城内からは矢が雨のように降りそそぎ、屋根瓦までも投下される。城方の抵抗が激しいため日本軍は一計を案じ、通常腰にさす旗指物を、高い棹に結びつけて、片手で運びながら梯子をつたい、これにより城方の弓矢の狙いを狂わせた。釜山城の戦闘の教訓から、朝鮮側では鉄砲対策として、分厚い防弾盾を大量に製造していたが、ほとんど役に立たなかった。
  

 結局約二時間の戦闘の末、東莱城は陥落。約五千人が戦死した。この戦いで朝鮮側の将宋象賢は日本軍が迫りくる中にあっても、ゆうゆうと椅子に着座し酒を口にし、日本兵が槍を振りかざすと刀をぬきこれに応じ、ついには壮絶に討ち死にしたといわれる。この人物は数ヶ月前、朝鮮国王の姪と挙式をあげたばかりだった。日本側では宋象賢の勇に感嘆し丁重に埋葬して、その墓には「忠臣」と書いた木製の碑が立てられた。さらにこの戦役後には朝鮮王朝により、東莱城のあった丘の下にある忠烈祠に、同じくこの戦役で功のあった鄭撥、尹興信と共に祀られることとなった。

  
 東莱城の陥落により、小西行長の日本軍には北方への道が開けた。この後朝鮮の国都漢城へ至るルートには、梁山、密陽、清道、大邱等の諸要塞があったが、ほとんど抵抗らしき抵抗もないまま陥落した。
  行長は、かって商人だった頃、日本と朝鮮の間を往来した経験もあり、百年の戦乱をへた日本と、長く泰平の世が続いた朝鮮との間に、軍備その他に相当の隔たりがあることは戦前から熟知していた。だがあまりにあっけなさに、やや拍子抜けもした。

  
 日本軍の鉄砲や、すでに倭寇の侵攻時その威力を知られ、明国でも高値で取引された日本刀が威力を発揮したこともあるが、朝鮮側が弱体であった理由の一つは、その国制にもあった。
  日本では、大名に従う兵は大名自身の私兵である。だが朝鮮の軍事体制は徹底した官僚制のもとにある。すべての兵卒は国家のもしくは国王の兵なのである。そして先にも書いたとおり、朝鮮両班体制下にあって、文官は武官に圧倒的優位の地位にある。武官がいかに昇進しようとも、軍政の上位を占めるのは文官なのである。ある意味平和国家の模範ような朝鮮の軍事体制が、日本軍の大挙来襲という非常時に仇となってしまったのであった。

  

 
   釜山に上陸してからわずか二週間ほどで、小西行長率いる日本軍は、朝鮮国都漢城に迫った。早期に国都を陥落せしめ、早期に講和に持ち込むという、行長のもくろみは達成されるかにも思えた。だが事態は予想外の展開を見せる。
  漢城にほど近い忠州に行長率いる第一陣が到達する頃、行長に出し抜かれる形となった加藤清正・鍋島直茂・相良頼房等の第二軍は、ようやくにして追いついてきた。途中多少の抵抗はあったものの、第一陣が制圧した後を通過することもあり、清正等にとり、まさしく無人の野を行くかのような行軍であった。
  第一陣の大将小西行長等と落ち合い、軍議を開くにあたり清正は、ついに胸中の不満を爆発させるにいたるのである。

  
 清正は猛将のイメージがあるが、平素は至って物腰穏やかな人物である。だがこの時ばかりは違った。行長の青白い顔に向かって、赤ら顔の清正が罵倒を繰り返し、ついには、
 「軍令に背き、はなはだ私利をむさぼる、所詮卑しき商家の出なれば、信義に背くこふるまいに及ぶも詮なきことに非ずや」
  と、度が過ぎた暴言を吐くに及んでしまう。
 「今一度申してみよ!」
  事が事だけに言い訳に撤していた行長も、ついにここに及んで我慢の限界に達し、刀の鞘に手をかけた。清正もこれに応じ刀に手をかける。


――ともかくも行長と清正は、全ての点において相反している。清正は旧式の人物で、行長は新式の人物だ。清正は法華宗の凝り固まりで、行長はキリスト教の熱烈な信者だ。清正は模型にはまった日本流の古武士で、行長は当時において融通もあり、機転もきく。世界的知識の所有者でもあった――(近世日本国民史)
  

 なにからなにまで相入れない両者が、ついに斬り合いに及ぶかと思われた時、この意外な成行きに驚いたのは軍議のため集っていた他の諸将だった。
 「これはしたり、ここは敵地でござるぞ。味方同士争えば敵に利するばかり。殿下に対して不忠至極とは思われぬのか。どうしても斬り合いに及ぶと申されるなら、先にそれがしを斬ってからにされよ」
  と最初に制止に入ったのは鍋島直茂だった。鍋島直茂は五十五歳になっていた。さすがに今山の合戦時わずかな手勢で、大軍にいどんだ際の剽悍さは影をひそめたが、いかにも戦国生き残りの古兵ふるつわものといった風格を備えつつあった。すでにこの時、無能な龍造寺隆信の子政家に代わり、肥前の国政を一手に掌握しつつあった。
 

「鍋島殿のおおせられる通りじゃ、殿下が御両人を先鋒となされたは、さだめし深い御思慮があってのことでござろう。その先鋒同士が争えば、味方は士気を失い、敵は勢いを得るだけ。殿下になんと申し訳なさるご所存か!」
  と同じく制止に入ったのは、天正九年、島津家との響野原の合戦で最期を遂げた相良義陽の次男相良頼房だった。
  結局この場はおさまったが、この両者の深い溝は、朝鮮戦役全体の命運をも大きく左右することとなるのである。

  
 両者はひとまず和解し、二手に分かれて漢城を目指すこととなった。清正が選んだ道は竹山、竜仁を通って漢城の南大門へ通じる道である。一方小西行長が選んだ道は、驪州というところで漢江を上流を横切り、楊根を経て、漢城の東大門へ通じるルートである。
  だがこの時すでに、朝鮮側の申リツという名の将軍が、忠州西方四キロメートル地点の弾琴台というところに集結していた。小西勢が一万八千に対し、申リツは、はるかに劣る八千の軍勢で、三日月形に布陣し待ち構えていた。申リツの軍勢の左右は丘陵、背後には南漢江の上流にあたる清風江の流れがあった。
 

「よいか、敵は背水の陣を敷いた。決死の構えじゃ。小勢と思って決して侮るな! すでに我等はここに来るまでに、多くの名誉を得た。弱敵と思い侮りかかれば、全てを失うこととなる。加藤清正に先を行かせてはならぬ。かかれい!」
  行長の采配が一閃した。この時小西軍は、中央に小西軍の本隊七千を配置し、右翼には松浦鎮信の三千、左翼に宗義智の五千を配置し、万全の鶴翼の備えをとった。申リツは、騎馬隊を中心に小西勢の中軍に殺到。小西勢はじりじりと押され始めた。頃合と見た申リツは、全軍を小西勢に向かって突撃させる。だがこれが罠だった。申リツの軍勢が万を持して攻め寄せるや、行長は全ての鉄砲隊を前面に押し出し、火縄銃に点火させた。鈍い轟音が、忠州の山河のこだまする。申リツの前衛部隊はバタバタと倒れた。鉄砲の威力を知らない申リツの部隊は、たちまちのうちに混乱し、阿鼻叫喚の地獄が現出する。
 

「敵はひるんだぞ! 今ぞ全軍突撃!」
  行長の号令とともに、右翼の松浦鎮信、左翼の宗義智も、申リツの軍勢に襲いかかる。朝鮮側の将兵の大半は討ち取られ、もしくは川に飛び込んで溺死、残った者も捕虜となった。申リツ自身もまた、溺死したとも自害したとも伝えられている。小西勢は怒涛のように漢城を目指した。

  
 一方の加藤清正は、忠州を出てから四日目の五月三日の早朝漢江近くまで至った。漢江は幅三町、深さ一丈ほどもある大河で周囲には船がなかった。
 「ええい! 躊躇している余裕はない。ただちに筏を組んで渡れ、薬屋ごときに漢城一番乗りの名誉を奪われてはならん」
  清正は、やや苛立ちながら厳命した。その時不意に、向こう岸で水鳥が羽音を立て飛び立った。
 「恐れながら殿、あれは伏兵が潜んでいるに違いありません」
  と側近の床林隼人が耳打ちすると、清正はかすかに笑みを浮かべ、
 「何案ずることはない。恐らく我等が渡り終えるのを待っているのだろう。こちらにも策がある」
  と意味ありげなことをいった。
  

 やがて筏が組み終わり、清正勢は一斉に川を渡り始める。果たして朝鮮側の一軍は待ち構えていた。まだ清正の部隊が四分の一と渡り終えぬうちに、猛攻をしかけてきたのである。これに動揺したのか清正の軍は、筏で元来た川を引き返し始めた。朝鮮側の部隊は用意周到に船を用意して、逃げる清正の部隊を追撃する。ところが、清正の部隊の大半が元の岸にたどりついた時異変はおこった。突如として川の上流から、地を揺るがすかのような音ともに、鉄砲水が朝鮮側の部隊を襲ったのである。朝鮮側の兵士の大半は濁流の藻屑と消えてしまった。清正の手の者が上流の堰を切ったのである。 清正の部隊は難なく漢江を渡り、一路漢城を目指すこととなる。

  
 相次ぐ敗報に朝鮮王朝政府は大混乱となった。朝鮮の宣祖王は景福宮の勤政殿に大臣達を緊急に招集し、議論に議論を重ねたが、はかばかしい策が出ない。ひとまず右議政・李陽元を漢城主城の大将とし、都元帥に左参賛・金命元が起用された。この時朝鮮王朝の不覚は、長い太平に弛緩し、漢城を防衛するまともな兵士が皆無に等しかったことだった。せん無く金命元は、周辺の乞食やならず者まで集めて七千の軍勢らしきものをつくった。ところが不幸なことにこの七千の軍隊まがいは、日本軍の来襲を知るやたちまち雲散霧消し、武器を片手に王宮周辺を荒らしまわる、暴徒と化してしまったのである。
  宣祖王は覚悟した。側近にうながされ軍服に身を固め、愛馬に身を委ねると、夜陰密かに王宮を落ちのびたのである。王妃始め女官達もまた顔を帷子で覆い王宮を落ちのびた。

  
 五月二日、小西行長は廃墟と化した漢城に無血入城を果たした。むろんそこには、講和交渉の相手となるはずの宣祖王の姿はない。行長のもくろみは、ここに大きく頓挫したのである。
  翌日、加藤清正の軍勢もまた漢城南大門に到達した。行長に先を越された清正が地団駄を踏んだのはせんのないことだった。
  次いで五月四日、黒田長政の第三軍も漢城入城を果たす。第三軍は黒田長政と大友義統の部隊だった。さらにこの遠征軍の総大将宇喜多秀家の姿もあった。

  
 さてその頃、遅れてようやく名護屋を出立する小部隊の姿があった。島津義弘と久保に率いられた一団だった。義弘は朝鮮渡海のため、国元の龍伯に兵員と船舶を始めとする物資の調達を依頼したのだが、またしても龍伯周辺の地頭達がこれを拒んだため、賃船を借りての渡海となった。義弘自身が『日本一の大遅陣』と自嘲したのがこれである。
 「父上、まっこてこげな船で、朝鮮まで渡れるのでごわすか?」
  久保が愚痴るのに対し義弘は、
 「うーん、こいは三途の川でも渡るほうが、よほど楽かもしれんなあ」
  と、おどけた様子でいった。
  島津家では、この出兵に対する不満が領内にくすぶっていた。やがてそれは、最悪の形で暴発することとなるのである。

  


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