41 / 57
【第三章】慶長の役・漆川簗海戦
結局、日明の和平交渉は様々な紆余曲折の後に破綻しようとしていた。九州・四国の大名等には再侵攻の命がくだされる。今回の遠征軍はおよそ十四万人。前回と異なることは、遠征の第一目標が、秀吉が『赤国』と呼んだ全羅道の攻略におかれていることだった。
一方、朝鮮水軍提督で散々日本軍を苦しめた李舜臣は、朝鮮水軍内で讒言する者があり、任を解かれてしまった。そればかりか無実の罪で凄惨な拷問にかけられたうえ、なんと驚くべきことに白衣従軍、すなわち一兵卒に格下げとなってしまった。代わって朝鮮水軍を率いることになったのは、あの大食漢にして無能な元均だった。
慶長二年六月十八日、元均に率いられた艦隊およそ百余艘は、ようやく閑山島を出港し北上を開始した。途中安骨浦で日本の水軍の待ち伏せを受け、白兵戦となったが、これを振り切り加徳島へと到達した。だがここに待っていたのは、島津義弘率いる艦隊だった。島津軍は他の日本のいかな部隊と比較しても勇猛だった。大砲を乱打しても中々ひるまない。すでに九州での合戦で大砲の威力を知っており、ようやくその破壊力にも耐性がつき始めたからでもあった。結局この戦いで朝鮮側は、平山浦万戸・金軸と宝城郡主・安弘国を、島津方の鉄砲隊により失うこととなる。
命からがら閑山島に逃げ帰った元均は、以後絶っていた酒を、また日夜浴びるように飲み始める。指揮官のこの惰弱ぶりが、やがて朝鮮水軍全てに弛緩しきった空気をかもしだすのに、時はかからなかった。
七月八日、藤堂高虎・脇坂安治・加藤嘉明等に率いられた約六百の艦隊が、釜山沖に出現したという通報が入った。それでも元均は動こうとしない。業を煮やした朝鮮の都元帥権慄は、元均を昆陽に呼びつけ詰問に及ぶ。元均はいろいろと言い訳を試みたが聞き入れられず、刑具に縛られ、衆人監視のもと棒で百回以上も殴られた。
さしもの元均も、もはや出撃するより他道はない。紆余曲折の末、元均はようやく釜山沖に到達したが、遠路強行軍であったこともあり、水軍の士気は極めて低かった。日本側の歴戦の将藤堂高虎は、さすがにそれを看破していた。
「こたびの指揮官は、恐らくあの李舜臣とか申す者ではあるまい。何者じゃ?」
高虎は側近に尋ねる。
「はっ、李舜臣はなんでも王命に背いた罪とやらで、牢に入れられ、白衣従軍すなわち足軽に格下げになったとか。今朝鮮水軍を率いているのは、元均とか申す者でござる」
「なんと! あれほどの将が足軽に格下げ……?」
高虎は、事態を完全に飲み込むことができず、しばしきょとんした。自身近江浅井氏の足軽から身をおこし、二年前秀吉のもとで伊予宇和島七万石の主にまでなった高虎は、自らが日本国に生を受けたことに少なからず安堵せずにはいられなかった。
「元均と申す者、李舜臣を讒言して罪に陥れたとのことで、なにしろ李舜臣は頑固一徹な軍人で、これまでも己よりも上位にある者と衝突することしばしばだったとか」
「うむ李舜臣と申す者、水の上を渡る術には長じておるが、人の世を渡る術は心得ておらんかったようじゃな」
と高虎は皮肉ともとれる言葉を発し、かすかに笑みを浮かべた。
高虎は単なる処世術の達人ではない。かって秀吉の四国征伐のおり、難攻不落といわれた阿波・一宮城の堀の深さを、夜が深くなる頃自ら測り、敵の銃撃を受けたといわれる高虎は、戦場周辺の地勢を全て頭に入れていた。
亀甲船を先頭とする元均の艦隊は、その機動力により緒戦は有利に戦をすすめた。だが高虎の水軍は、戦うとみせかけては退き、元均の艦隊を疲労させる作戦にでた。元均は深追いしすぎた。敵艦も見失い、気がついた時は、なんと目の前に対馬がおぼろげながら姿をうかべていたのである。
かろうじて玉浦まで帰還したものの、朝鮮水軍において船の漕ぎ手である格軍の体力は、すでに限界に達していた。しかも巨済島北岸の日本軍により、すでに港は封鎖され、蟻のはいでる隙間もないほどの包囲をしかれていた。
元均は覚悟し、全艦に突撃を命じた。ようやく秋原浦までたどりついた時には、朝鮮水軍は、敵の至近弾によりほぼ壊滅。艦隊も数えるほどしか残されていなかった。陸地にかろうじて逃れたものの、そこに伏兵を敷き待ち構えていたのは島津義弘の部隊だった。元均はすでに島津兵の勇猛さを知っている。恐怖に震えながら一人逃げ回ったが、松の木に巨体を横たえているところを、ついに一人の島津兵に発見されてしまった。
「命だけはお助けくだされ!」
むろん島津兵に朝鮮の言葉は理解できない。だが手を合わせている様子から、およそ命乞いしていることは察しがついた。急を聞いてかけつけてきた義弘は、その鎧の派手さから敵の大将と確信した。しばし馬上から冷たく元均を見下ろした後、
「斬れ!」
と一言命じた。本能的に自らが殺されることを悟った元均は悲鳴にも似た声をあげ、しばし錯乱した。その時島津兵の刀が肥満した腹に深々と突き刺さった。さらに二太刀、三太刀、ついに首を斬り落とされてしまった。
義弘の背後に島津豊久が控えていた。豊久は死してまだ恐怖の色をありありと浮かべ、空ろな眼光をした敵将の首に、おもわず目をそむけた。それを察した義弘は、
「殺すもまた情けと知れ」
と短くいった。
この漆川簗海戦で日本軍は閑山島を占領し、朝鮮側の艦隊はわずか十三隻を数えるのみとなってしまった。だがここに日本軍にとって不幸な事態がおこる。予想外の大敗北に動揺した朝鮮王朝が、あの李舜臣を水軍の将に復帰させたのである。日本軍に再び試練の時が迫っていた。
あなたにおすすめの小説
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
そのほかに外伝も綴りました。
母の下着 タンスと洗濯籠の秘密
MisakiNonagase
青春
この物語は、思春期という複雑で繊細な時期を生きる少年の内面と、彼を取り巻く家族の静かなる絆を描いた作品です。
颯真(そうま)という一人の高校生の、ある「秘密」を通して、私たちは成長の過程で誰もが抱くかもしれない戸惑い、罪悪感、そしてそれらを包み込む家族の無言の理解に触れます。
物語は、現在の颯真と恋人・彩花との関係から、中学時代にさかのぼる形で展開されます。そこで明らかになるのは、彼がかつて母親の下着に対して抱いた抑えがたい好奇心と、それに伴う一連の行為です。それは彼自身が「歪んだ」と感じる過去の断片であり、深い恥ずかしさと自己嫌悪を伴う記憶です。
しかし、この物語の核心は、単なる過去の告白にはありません。むしろ、その行為に「気づいていたはず」の母親が、なぜ一言も問い詰めず、誰にも告げず、ただ静かに見守り続けたのか——という問いにこそあります。そこには、親子という関係を超えた、深い人間理解と、言葉にされない優しさが横たわっています。
センシティブな題材を、露骨な描写や扇情的な表現に頼ることなく、あくまで颯真の内省的な視点から丁寧に紡ぎ出しています。読者は、主人公の痛みと恥ずかしさを共有しながら、同時に、彼を破綻から救った「沈黙の救済」の重みと温かさを感じ取ることでしょう。
これは、一つの過ちと、その赦しについての物語です。また、成長とは時に恥ずかしい過去を背負いながら、他者の無償の寛容さによって初めて前を向けるようになる過程であること、そして家族の愛が最も深く現れるのは、時に何も言わない瞬間であることを、静かにしかし確かに伝える物語です。
どうか、登場人物たちの静かなる心の襞に寄り添いながら、ページをめくってください。
日本新世紀ー日本の変革から星間連合の中の地球へー
黄昏人
SF
現在の日本、ある地方大学の大学院生のPCが化けた!
あらゆる質問に出してくるとんでもなくスマートで完璧な答え。この化けたPC“マドンナ”を使って、彼、誠司は核融合発電、超バッテリーとモーターによるあらゆるエンジンの電動化への変換、重力エンジン・レールガンの開発・実用化などを通じて日本の経済・政治状況及び国際的な立場を変革していく。
さらに、こうしたさまざまな変革を通じて、日本が主導する地球防衛軍は、巨大な星間帝国の侵略を跳ね返すことに成功する。その結果、地球人類はその星間帝国の圧政にあえいでいた多数の歴史ある星間国家の指導的立場になっていくことになる。
この中で、自らの進化の必要性を悟った人類は、地球連邦を成立させ、知能の向上、他星系への植民を含む地球人類全体の経済の底上げと格差の是正を進める。
さらには、マドンナと誠司を擁する地球連邦は、銀河全体の生物に迫る危機の解明、撃退法の構築、撃退を主導し、銀河のなかに確固たる地位を築いていくことになる。
世界はあるべき姿へ戻される 第二次世界大戦if戦記
颯野秋乃
歴史・時代
1929年に起きた、世界を巻き込んだ大恐慌。世界の大国たちはそれからの脱却を目指し、躍起になっていた。第一次世界大戦の敗戦国となったドイツ第三帝国は多額の賠償金に加えて襲いかかる恐慌に国の存続の危機に陥っていた。援助の約束をしたアメリカは恐慌を理由に賠償金の支援を破棄。フランスは、自らを救うために支払いの延期は認めない姿勢を貫く。
ドイツ第三帝国は自らの存続のために、世界に隠しながら軍備の拡張に奔走することになる。
また、極東の国大日本帝国。関係の悪化の一途を辿る日米関係によって受ける経済的打撃に苦しんでいた。
その解決法として提案された大東亜共栄圏。東南アジア諸国及び中国を含めた大経済圏、生存圏の構築に力を注ごうとしていた。
この小説は、ドイツ第三帝国と大日本帝国の2視点で進んでいく。現代では有り得なかった様々なイフが含まれる。それを楽しんで貰えたらと思う。
またこの小説はいかなる思想を賛美、賞賛するものでは無い。
この小説は現代とは似て非なるもの。登場人物は史実には沿わないので悪しからず…
大日本帝国視点は都合上休止中です。気分により再開するらもしれません。
【重要】
不定期更新。超絶不定期更新です。
日本の運命を変えた天才少年-日本が世界一の帝国になる日-
ましゅまろ
歴史・時代
――もしも、日本の運命を変える“少年”が現れたなら。
1941年、戦争の影が世界を覆うなか、日本に突如として現れた一人の少年――蒼月レイ。
わずか13歳の彼は、天才的な頭脳で、戦争そのものを再設計し、歴史を変え、英米独ソをも巻き込みながら、日本を敗戦の未来から救い出す。
だがその歩みは、同時に多くの敵を生み、命を狙われることも――。
これは、一人の少年の手で、世界一の帝国へと昇りつめた日本の物語。
希望と混乱の20世紀を超え、未来に語り継がれる“蒼き伝説”が、いま始まる。
※アルファポリス限定投稿
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
本能寺からの決死の脱出 ~尾張の大うつけ 織田信長 天下を統一す~
bekichi
歴史・時代
戦国時代の日本を背景に、織田信長の若き日の物語を語る。荒れ狂う風が尾張の大地を駆け巡る中、夜空の星々はこれから繰り広げられる壮絶な戦いの予兆のように輝いている。この混沌とした時代において、信長はまだ無名であったが、彼の野望はやがて天下を揺るがすことになる。信長は、父・信秀の治世に疑問を持ちながらも、独自の力を蓄え、異なる理想を追求し、反逆者とみなされることもあれば期待の星と讃えられることもあった。彼の目標は、乱世を統一し平和な時代を創ることにあった。物語は信長の足跡を追い、若き日の友情、父との確執、大名との駆け引きを描く。信長の人生は、斎藤道三、明智光秀、羽柴秀吉、徳川家康、伊達政宗といった時代の英傑たちとの交流とともに、一つの大きな物語を形成する。この物語は、信長の未知なる野望の軌跡を描くものである。
久遠の海へ ー最期の戦線ー
koto
歴史・時代
ソ連によるポツダム宣言受託拒否。血の滲む思いで降伏を決断した日本は、なおもソ連と戦争を続ける。
1945年8月11日。大日本帝国はポツダム宣言を受託し、無条件降伏を受け入れることとなる。ここに至り、長きに渡る戦争は日本の敗戦という形で終わる形となった。いや、終わるはずだった。
ソ連は日本国のポツダム宣言受託を拒否するという凶行を選び、満州や朝鮮半島、南樺太、千島列島に対し猛攻を続けている。
なおも戦争は続いている一方で、本土では着々と無条件降伏の準備が始められていた。九州から関東、東北に広がる陸軍部隊は戦争継続を訴える一部を除き武装解除が進められている。しかし海軍についてはなおも対ソ戦のため日本海、東シナ海、黄海にて戦争を継続していた。
すなわち、ソ連陣営を除く連合国はポツダム宣言受託を起因とする日本との停戦に合意し、しかしソ連との戦争に支援などは一切行わないという事だ。
この絶望的な状況下において、彼らは本土の降伏後、戦場で散っていった。
本作品に足を運んでいただき?ありがとうございます。
著者のkotoと申します。
応援や感想、更にはアドバイスなど頂けると幸いです。
特に、私は海軍系はまだ知っているのですが、陸軍はさっぱりです。
多々間違える部分があると思います。
どうぞよろしくお願いいたします。
