残影の艦隊~蝦夷共和国の理想と銀の道

谷鋭二

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【第一章】長崎海軍伝習所(三)~実習生の薩摩行き

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(一)
 
 幕閣は動揺していた。十三代将軍は十二代将軍徳川家慶の四男で家定。しかしこの人物は心身に著しく安定性を欠き、いわば精神薄弱者であったといわれる。
 すでに老中首座であった阿部正弘は世を去っていた。開国か鎖国か揺れ動く幕府の中枢にあって、激務が祟ってのある意味過労による死であった。
 代わって老中首座となったのは、佐倉藩出身で堀田正睦という人物であった。おりしも米国からタウンゼント・ハリスが、日米修好通商条約の調印を求めて来日。蘭癖といわれるほど西欧の文物に深い関心をしめした堀田は、これ以上諸外国との通商を拒絶し続けることは、日本の国益にかなわないと考えていた。
 しかし強硬な鎖国攘夷派である例の水戸の徳川斉昭などは、堀田の考えに猛然と反発。これにより幕政はまたしても混乱することになる。
 ついに堀田は朝廷の勅許をえるために入京。しかし時の孝明帝は極端な異人嫌いであった。さらに後の太政大臣岩倉具視他八十八人の公家が座りこみを行うなどしたため、結局堀田はなすすべなく京を去るより他なかった。
 堀田は幕府内部での発言権を失い、代わって大老井伊直弼が台頭してくるのである。
 
  
 遠く京で堀田が朝廷工作に奔走している頃、長崎海軍伝習生達は幾度目かの遠洋航海実習を行っていた。九州を反時計周りで、はるか薩摩を目指していたのである。
 薩摩は外様の島津家の領地である。この九州南端の地に位置する西南雄藩は、石高からすると約七十万石。外様では加賀の前田家に次ぐ大藩である。
 しかし実態はそれとは大きくかけ離れていた。火山灰地で土地があまりにも痩せていて、生産力が極めて低かったのである。
 咸臨丸が薩摩半島の山川港に入ったのは、安政五年(一八五八)三月九日の未明のことだった。
 早朝のことで薄い霧に覆われている。その霧が晴れた後、遠方に噴煙を上げる桜島を仰ぎ見ることができた。そして田畑は荒れ果てていた。
「なあ釜さんよ、薩摩は武の国だと聞くが確かにその通りなのかもしれねえな。やっぱ兵士ってものはよ、こういう貧しい土地こそ強いもんだ。もし幕府と合戦になったらどうなるかな? 江戸のひょろひょろ侍じゃまず勝ち目はあるめえ」
 と海舟は、まるで将来を予言するようなことをいったが、榎本は今一つピンと来ない。


「薩摩の捨てがまりって知ってるかい?」
「なんですそれは?」
「何、関ヶ原の合戦の時のことよ。東軍の勝利が決定的になって、西軍の各隊は戦場から離散してしまった。島津隊約三百だけが、十数万の敵の中へ取り残されてしまったんだ。もし、おめえさんが島津の大将だったらどうする?」
「どうするも何も、そうなったら助かる可能性はまったくないから、降伏するか自害するかしか道はあるめえ」
 榎本は不思議そうな顔をした。
「ところが島津の大将島津義弘は、どちらの道も選ばなかった。なんと権現様(家康)の本陣のある方角へと、退却を開始したんだ。東軍の各隊は、すでに戦争に勝利しているのに、わけのわからない連中と戦って兵を損じたくない。皆さーっと脇にどけてくうち、徳川の本陣と衝突してしまった」
「ありうるんですかそんなことが?」
「しかもだ、家康公の本陣の鼻先をかすめ、そのまま街道沿いを逃げようとする島津を、井伊だ、本多だと徳川の最精鋭部隊が追いかけてきた。
 そこで島津は逃げる途中、兵が鉄砲を構えて立ちふさがり、弾がなくなるまで射撃して、徳川の追撃を遅らせたんだ。結局島津義弘は、見事薩摩本国への帰還に成功したってわけだ」
 そういって海舟は銃を構える仕草を真似てみせた。
 しかし榎本は、相変わらず不思議そうな顔をしている。まさかこの荒廃しきった南端の土地が、十数年後に討幕・維新回天の震源地になろうとは、榎本は夢にも思っていなかったのである。
 
 
 さて咸臨丸の入港からほどなくして、薩摩藩の侍達がやってきた。勝海舟が代表して来航の目的を告げる。侍達が去って間もなく、別な侍達の一団がやってきた。
「我が藩の主斉彬公は、ちょうど指宿の温泉に滞在している最中にごわんど。もしおはんらさえよろしければ、明日、我が主自らこん船ば見学したいとのことでごわんと。いかがでごわんしょう?」
 海舟はこの要求を受け入れた。

 翌朝、薩摩藩主島津斉彬は二十一発の礼砲の中、大勢の警護の侍とともに姿を現した。
 島津斉彬は薩摩島津家の第二十八代当主である。この年四十四歳であったが、同行したオランダ人教官カッテンディーケによると、年よりも老けてみえたようである。しかし俗に「薩摩に暗君なし」といわれ、代々名君揃いの島津においても傑物中の傑物といってよい。
 人を見る目にも優れている海舟は、一見して斉彬の尋常でないことを見抜いた。
「勝と申すはそなたか? そなたのことは阿部殿より聞きおよんでおるぞ。余が斉彬である」
「いえ、こちらこそお目通りがかない恐悦至極にござる」
 と海舟は大藩の主に先に声をかけられ、やや緊張した様子で挨拶した。海舟を引き立てたのは、もちろん亡き老中筆頭阿部正弘であり、斉彬はその阿部とも実に親しい間柄だったのである。

 
 斉彬は咸臨丸を一通り見学し、やがて船は海へと出る。斉彬は海舟だけを隣の席に座らせ、オランダ式の朝食をとった。この時幕府の目付二人がすぐ近くにおり、両者の一挙手一投足までも、つぶさに記録していたといわれる。
 しばし海舟と斉彬は他愛もない雑談をしていたが、やがて話題は老中阿部の最後の様子へとうつる。
「それで、阿部様は最後になんと仰せになられました?」
 海舟がやや深刻な表情でたずねると、斉彬はかすかに目付達の方へ目をやった。
「まず、死にたくないと申した」
「ほう、それでその後は?」
「この国の行く末を見届けることができぬのが、悔しくて仕方ないと申してな……」
 海舟はかすかに息を飲んだ。
「己は幕府の重鎮として、この国のために尽くしたいと思ってきたが如何せん、江戸城には三百年の間培われてきたしがらみが多すぎて、己の力では限界がありすぎたと涙ながらに申した」
 かすかに目付達の表情が変わった。
「己は幕府の人間、そしてそなたは外様、九州南端の地の主。それ故にこそ頼みたい。江戸より雲煙万里の彼方にある薩摩の主だからこそ、できることが必ずあるはず。
 薩摩と幕府の間には今まで様々な因縁がある。されどあえてわしに頼みたい、この国を強く大きく、そして異国に侮られぬ国になるよう尽くしてくれとな」
 海舟もまた、目付のほうにかすかに目をやった。


「なれど薩摩が今の国難に対処するには、恐らく多くの者が命捨てねばなるまいて。薩摩武士は、主のためならいつ何時でも命を捨てる。わしが死ねと申せば、誰しもがその場で腹を斬るだろう。なれどわしは薩摩武士を死なせとうはない。武士だけではない。わしが親類の娘を将軍御台所として嫁がせたこと、そなたも存じておろう」
「篤姫様のことでござりますな」
「蝶よ花よで育てられた娘よ。わしと初めて会った時も、まだあどけない、薩摩言葉を話す田舎娘じゃった。江戸城大奥などという場所は、あの娘にとりさぞ辛い場所であるに違いない。なれどわしは薩摩の姫として働いてくれと申して、あの娘を送りだした」
 斉彬の表情が憂いに満ちたものとなった。
「またわしは、長年この薩摩のために尽くしてくれた調所広郷を……」
 そこで斉彬は激しく咳をした。

 
 薩摩藩にはかって調所広郷という、茶坊主上がりの家老がいた。この人物は様々な理由により天文学的な大借金を背負った薩摩の財政再建に辣腕をふるい、後の西郷等による倒幕維新の礎を築いた影の功労者である。
 しかし財政再建のためには、奄美大島を中継拠点にした密貿易や贋金造りなど悪事にも手を染めたようである。そして、ついに事が幕府の知るところとなり詮議が入るや否や、毒薬を飲んで自害した。藩の罪を一身に背負ったわけである。
 もちろんこのようなことは、幕府の目付が見ている前では決して口外できないことであった。
  
 
 その日の七つ頃(午後四時)、咸臨丸は鹿児島湾に入港した。鹿児島では見慣れぬ大船の入港に、湾内は野次馬でごった返した。石が飛んできたり、しまいにはウナギまで投げつけられたといわれる。 
 翌日実習生達は鹿児島の集成館を見学した。島津斉彬の事業として最も特筆されるべきは、集成館事業であろう。現在の鹿児島市磯地区を中心とした日本初の近代洋式工場群の建設であった。
 そこには当時の薩摩の技術が結集していた。なにしろ反射炉そして蒸気船をも、図面だけを頼りに造ってしまったわけである。日本人は優秀であると、オランダ人教官カッテンデーキーも舌を巻いた。 
 特に反射炉の製造に関しては、幾度も失敗を繰り返したが「西欧人も人なれば、薩摩人も人である」
 として責任者をとがめなかったし、落胆しなかった。
 蒸気船に関しては詳細は不明だが全長およそ四十メートルほどの三本マストの船だったといわれる。
 斉彬の集成館事業はそれのみにとどまらず、薩摩切子といわれるガラス工芸品の作成など多くの分野にわたった。
 また斉彬は写真機にも興味を示し、自らの姿を映し後世に生前の姿を伝えたのは、日本人では斉彬が最初であったといわれる。
 製鉄炉、火焔炉、砲身を造る穿孔盤、蒸気機関の模型、さらに電信機の模型さえあった。
 いずれも実習生達を驚かせたが、一方で榎本は、この貧しい薩摩が、これほどの技術を持つだけの財力をいかにして手に入れたか、疑念をもったりもした。
 





(二)

 三月二十日、実習生達は島津斉彬主宰の宴会に招かれた。しかし榎本は、風邪のためあてがわれた宿舎で横になっていた。やがて体調も回復したので、少し周囲を散策してみることにした。
 ところがである。何事にも知的好奇心旺盛な榎本は、薩摩の山河に興味をひかれすぎ、つい山奥へ深入りしすぎてしまった。
「困ったことになったな」
 迷子の榎本が困惑した時だった。
「おまんどこのもんじゃ」
 背後で声がする。ふりむくと赤ちゃけた顔に頬かむりをして、眼光だけが鋭い農夫らしい三十ほどの男が、草わらの陰からこちらを睨んでいた。
「いや、少し道に迷った者だが、もしよろしかったこの辺りの地理について、すこしお教え願いませんか?」
 よく見ると、農夫の背後には数人の男達の姿があった。
「さてはおまん、こん土地の者じゃなかな? こん薩摩ではよそ者は丸裸になるって決まっておるんじゃ!」
 榎本は危険を感じたが時すでに遅かった。農夫達は鍬やスキを持って一斉に榎本に襲いかかり、自由を奪ってしまった。
「ほう、おまん中々の美男じゃなかか。殺すには惜しいが、こいが身の定め思うてあきらめてくれ」
 榎本が叫び声をあげようとした時だった。


「おまんら、ここで何ばしちょる!」
 数名の侍が、草わらをかきわけて姿を現した。
「まずい逃げろ!」
 農夫達は、榎本を放りだして逃げだそうとした。ところが彼等の前に一人の侍が立ちはだかった。
「チェストー!」
 奇怪な叫び声をあげたかとおもうと、次の瞬間には、驚くほどの勢いで鮮血が吹き出した。血しぶきをあびた侍はまだ若かった。恐らく十五歳ほどといったところだろう。
 しかし刀の腕が尋常一様でないことは、榎本にも即座にわかった。鯉口を切った瞬間が、まったく見えなかったのである。
「命ばかりはお助けくだされ!」
 他の農夫達は、侍の集団に囲まれ必至に命乞いしたが、許されず、いずれも一刀のもとに斬りすてられてしまった。


「おいは薩摩藩士川路利良と申すもんでござる。他国も者とお見受けいたすが、ここら辺りは危のうごわんと。あつかましいことでごわすが、屋敷までお守りいたす」
 この川路なる侍もまだ若い。二十かそこいらといったところであろう。
 こうして榎本は薩摩藩士達に守られながら、宿舎へ戻ることとなった。道中榎本が先ほどの若侍に話しかけた。
「貴殿はまだ若いが、先ほどの農夫を斬り捨てた一撃、あれは恐らくかなりの剣の腕であるまいか?」
 若侍はしばし沈黙した。
「遠方の方はご存じないかもしれんが、薩摩には示現流ちゅう一撃必殺の刀術がありもうす。二の太刀はなく、必ず一太刀にて敵を仕留めるちゅう、実戦を想定した剣術が示現流ごわんと」
「なるほど、江戸の剣術道場では形ばかり教えるが、確かに実戦では、形にこだわっている余裕などないのかもしれませぬな」
「なんじゃおまん江戸から来たでごわすか? 江戸の方は軽薄で冷たい人間が多いと聞いておりもうす。じゃっと薩摩の人間はゆっさ(戦)さ勝つためにはえげつないこともするが、それ以外では義は必ず貫く。そいが薩摩武士でごわんと」
 榎本はまことであろうかと、思わず若侍の顔をまじまじと見た。見たところ、いかにも剽悍な野生児といった風貌である。
 やがて別れ際、榎本は若侍に名をたずねた。侍は黒田了介と名乗った。後に敵として相対し、そして最良の友となる両者の宿命の出会いだった。


(三)

 
 一方、榎本以外の実習生達は宴会の席で、薩摩特産の芋焼酎ですっかり酔っていた。
 宴席にはやはり薩摩特産の豚肉の料理が良い香りをはなち、さらにフカヒレ、燕の巣といった中国風の料理も並べられた。
 この宴会の席上、海舟は一人斉彬に呼び出された。今度は幕府の目付はいなかった。
 二人きりになると斉彬は、激しく咳をした。
「大丈夫にござりますか?」
 海舟が心配すると、斉彬はおもわぬことをいいだした。
「そなただから真のことを話す。わしは病だ。残念だがわしはもう長く生きられん」
「薩摩候、お戯れがすぎまするぞ」
「いや、わしは偽りを申しておるのではない。今となっては、この国の行く末を見届けることができぬのが無念と申した阿部殿の思いが、わしにもようわかる。だからこそ余の遺言と思って聞いてほしいのだ」
 遺言といわれ、海舟の表情が真顔になった。
「わしが義理の娘を嫁がせた将軍は病弱じゃ。そのこと汝もよう存じておろう。わしが見たところ幕府は、これからの変化の時代に対応できるだけの人材もなく、制度もまた幕府創業の頃より何も変わっておらぬ」
 それは海舟もつくづく思うところであった。
「これからは、幕府の力だけでこの国を動かすのは危険である。譜代、外様力合わせ、そして幕府と朝廷が力合わせて事に当たらねばならぬ。そして将軍の世継ぎには一橋慶喜殿を……」
 そこまで斉彬が喋ると、海舟はしばし困惑した。
「お待ちくだされ。そのような大事を申されましても、それがしはつい一昔前まで、まるで無役の貧乏御家人だった者でござる。一体、それがしに何ができましょうや?」
「存じておる。だからこそそなたに頼むのだ。幕府のまつりごとにどっぷり浸かった者にはできぬことが、そなたにならできる。わしの目に狂いはない」
 海舟は再び沈黙した。事実、斉彬の目に狂いがなかったことは、後の世の歴史が証明することとなる。いや、この時の斉彬との出会いが、海舟を大きく変えたのかもしれない。


「阿部殿も死の間際に申しておった。死を前にして冷静になって考えれば、もし戦となれば、この国が欧米列強の侵略に打ち勝てる可能性は無きに等しい。いかようにしたらこの国を守ることができるのかとな。
 余もまた同じことを考えておった。なれど今まだ明確な答えは見つかっておらん。我より後の者に託するより他ない。そしてそちになら託せるような気がするのじゃ。今一度いう。わしの遺言じゃ、必ず……この国を守れ」
 海舟はしばし沈黙して言葉を失った。
 事実、斉彬はこの時から数か月後に世を去ることになる。後年海舟は、斉彬の印象について次にように語ったといわれる。
「侯天資温和容貌整秀臨んで親しむべく、其威望凛乎として犯すべからず、度量遠大一世を龍雄するの概あり、方今を顧み往事を追想するに薩藩英才を輩出したるもの此侯の薫陶培養の致すところかな」
 果たして斉彬は死んだが、その志は後の海舟、そして西郷、さらには日露戦争でバルチック艦隊を撃滅した東郷平八郎等に継承されていくのである。

 
 それから数日して、海舟はわずかな実習生達と幕府の密命を受け、琉球視察に赴くこととなった。
 しかしこの件については、斉彬ははっきり難色をしめしていた。なにしろ薩摩の財政は、琉球からの過酷な収奪と、密貿易に支えられるところが大きかった。他にも薩摩にとり、幕府に知られては迷惑なことが多々あった。
 結局、海舟は鹿児島湾を出港した後、天候不順を理由に琉球視察をとりやめている。
 斉彬はそのことを知り、
「幕府にも優れた人がいる」
 と弟子の西郷吉之助(後の隆盛)に語ったといわれる。

 
 やがて実習生達が鹿児島を去る日がきた。その日、榎本釜次郎は薩摩の海を飽きることなく眺めていた。
「何を考えていた?」
 と海舟が語りかけた。
「いや、あんたと初めて会った時に見た隅田川を思いだしていた」
 と、榎本は静かにいった。
「俺はあの時は、隅田川をまるで大海のように思っていた。だが今は違う。俺はこの数年で蝦夷の海を知った。そして今はこうして薩摩の海を目の当たりにしている。天地は俺が想像していたよりはるかに広い」
 海舟はかすかにうなずいた。
「あの頃の江戸は、これから火事になる前の遊郭のようだったからな。一階で火が燃え始めているのに、二階の客はだれも気付かない。皆、己の享楽に溺れるばかりで、この世界のどこかで、何かが変わり始めてるなんて知らずにいた。おめえさんと一緒に、食い逃げなんてしてた頃が懐かしいな」
「世の中は変わる。そして俺はいつかジョン万次郎殿がいっていた新大陸を、俺だけの新大陸を探してみたいんだ」
「遠大な理想だな。まあそれまで後何年かかるか知らんが、そん時が俺も、その新大陸とやらに連れてってくれ」
 そういって海舟はかすかに苦笑した。
 その頃江戸では、井伊直弼が大老に就任。ほどなく粛清の嵐が吹き荒れる。世情はいよいよ混沌を極めるのであった。


(第一部完)
 
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