残影の艦隊~蝦夷共和国の理想と銀の道

谷鋭二

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【第二章】薩英戦争~黒田了介の初陣

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  (一)

 榎本がオランダのハーグ大学に留学しておよそ二か月がすぎた。この間、榎本は化学に強い関心をもつようになった。そしてもう一つ特に関心を示したのは国際法というものだった。西欧における国際法の原点をたどると、カトリックとプロテスタントによる三十年戦争にいきつく。この戦いは一六一八年から一六四八年にかけておこなわれた。
 三十年戦争は特にドイツでは、人口の二十パーセントの八百万人以上の死者を出し、人類史上最も破壊的な紛争の一つとまでいわれる。他の多くの国々もまた悲惨な犠牲を強いられたわけであるが、その講話条約として結ばれたのがウェストファリア条約であった。
 あまりにいたましい犠牲に動揺した西欧諸国が、相互の領土を尊重し、内政への干渉を控えることを約するに至る。新たなヨーロッパの秩序が形成され、この秩序を「ヴェストファーレン体制」ともいう。
 この条約によりもっとも得をしたのはオランダである。国際的に正式にスペインからの独立を勝ち取ったからである。

 一方、西欧最強国にまでのしあがったオランダを衰退させたのが、イギリスによる航海法だった。これはイギリスへのアジア・アフリカ・アメリカからの輸入はすべてイギリス船によること。ヨーロッパからの輸入は、イギリス船かその生産国、あるいは最初の積出国の船によることを定めたものである。
 これは当時西欧においてオランダにとりライバル国だったイギリスが、まさにオランダに打撃をあたえるための法律であったといえる。この結果はやがて英蘭戦争という形に発展し、新大陸や日本を含むアジアにまで影響が及ぶこととなった。そしてオランダ衰退の元凶ともなるのである。
 戦争や国と国との紛争、殺し合いにもルールがあるというのは、榎本には極めて画期的であった。
 
 だがいついかなる紛争においても、必ずしもルールが守られたわけではない。特に相手が有色人種であった時には、むき出しの暴力だけが物をいうこともあった。榎本を深く憂慮させたのは、先年おきた薩摩藩による英国人殺傷事件、生麦事件の報復として、ついに英国が薩摩藩との戦争を開始したというニュースを新聞で知ったときであった。
「いかん! 日本は滅びるかもしれない!」
 西洋文明を知れば知るほど、攘夷などというものは無謀極まりないことを榎本は知っている。到底薩摩に勝ち目はない。当時の情報が伝わる速度からすると、おそらく今頃は薩摩は英国により完全制圧されているかもしれない。しかし遠い国にいる榎本には、どうすることもできなかった……。 

(二) 

 文久三年六月二十二日(一八六三年八月六日)、七隻からなるイギリス極東艦隊は、横浜から遠く鹿児島めざして出航してしまった。
 生麦事件をめぐる薩摩側に対するイギリスの要求は、一つ目に賠償金の支払い、二つ目に犯人の逮捕処刑であった。しかし薩摩藩側はこれを拒否。交渉はいっこうに進展しなかった。イギリスはついに武力による威嚇を決意したのだった。
 大航海時代以降の世界史とは、欧米列強による地球上の他地域への侵略と暴力の歴史であるといってよい。中でもイギリスの蛮行は常軌外れといってよい。
 中国でインド産のアヘンを大量に売りさばき、多くの中国人を薬漬けにするなどといったことも蛮行以外のなにものでもないが、しかしそれだけではない。北米では大量の先住民族・インディアンを殺戮した。
 またオセアニアでは、やはり先住民族であるアボリジニを、まるで狩猟で獲物でも狩るように無意味に射殺したといわれる。タスマニア島ではアボリジニはついに男一人と女一人だけとなり、男は両腕を切断されたうえで海に投げこまれた。最後の女性の名はトリガニーニという名だったという。ただ文化人類学上貴重な資料としてのみその後も生かされた。トリガニーニが死んだ後、その墓までも白人に荒らされ、その骨は大英博物館に展示されるにいたったといわれる。

 その英国の魔手が、ついに日本列島南端の地薩摩にまで及ぼうとしていた。英国艦隊動くの情報は、たちまち電撃的に日本全土に広まった。多くの攘夷派の志士を刺激する一方で、この事態を憂慮する者もいた。すでに薩摩藩がイギリスとの戦いを始める前に、長州藩が攘夷戦を実行にうつしていた。その結果は長州側の大惨敗だったのである。
 まず五月十日、長州藩は下関海峡に投錨中の米国商船ベムブローク号を襲撃した。ベムブローク号はかろうじて豊後水道めざして逃走した。さらに五月二十三にはフランス軍艦キンシャン号をも砲撃する。
 それだけにとどまらなかった。数日の後、長崎から横浜に向かう途中のオランダ軍艦メドゥーサ号をも砲撃した。メドゥーサ号はまったく虚をつかれた。なにしろフランスや英国と異なり、オランダと日本は二百年以上もの間友好国なのである。メドゥーサ号の被害は被弾三十発、死者四人、重傷者五人というさんざんなものだった。
 だが長州の勢いもここまでだった。欧米側の反撃はすぐに開始された。早くも六月一日には米国の軍艦ワイオミング号が下関沖に出現。長州側の軍艦二隻を撃沈し、亀山砲台を攻撃。これを完全無力化させる。
 続いて六月五日、フランスもまた反撃に転じた。軍艦二隻をもって長州側の諸砲台に壊滅的な打撃を与える。陸戦隊二五〇名をもって前田や壇之浦などを占領。対する長州側の砲台は、どうあがいても敵の艦隊まで届かなかった。
 長州藩が受けた衝撃は大きかった。わずか三隻の軍艦の前に長州は完全敗北を察したのであった。



(薩英戦争)

(三) 

 桜島はあいも変わらず異様なうなりをあげていた。ここ薩摩は日本南端の地であると同時に、もっとも生存条件が過酷な地といっても過言ではない。シラス土壌で人口的につくられた断崖絶壁が国境を守り、徳川三百年を通し、幕府の密偵と思われる者は、例え旅人であろうと容赦なく射殺された。
 桜島はまた戦いのシンボルでもある。島津家がこの地の支配者となったのは平安末期。以降八百年に及び、数多の敵との闘いにのぞんできた薩摩隼人は、ここにまた恐るべき敵を迎え撃とうとしていた。
 すでに薩摩藩では斉彬の時代から、この時あるを予期し薩摩・大隅の各地に台場が構築され、砲台が設置されていた。
 英国軍艦来るの報に、薩摩隼人たちはいきり立った。彼らが英国に対して憤ったのは、英国側の薩摩藩に対する要求が、翻訳にあたった福沢諭吉により、薩摩国父・島津久光の首を差し出すことと誤訳されてしまったことも大きかった。

 六月二十七日、英国艦隊はついに鹿児島湾に姿を現した。鹿児島湾は水深がたいへん深いため、艦隊は碇泊の場所を探した末、谷山郷平川の沖合に投錨した。
 六月二十九日、島津久光は自らの嫡男である島津家第十二代国主島津忠義とともに、生麦事件の実行犯である海江田武次、奈良原喜左衛門と会った。久光は四十六歳、忠義は二十三だった。
「エゲレス(イギリス)側は、このたび代理公使ニールという者をもって、改めておはんらの処刑を命じてきた。じゃっどん非はもとより余の行列を乱したかのエゲレスの者たちにある。おいは連中がなんといってきようとも、おまんらを守る。よってその方どもは、家中より勇士を選び、かのエゲレスの七隻の軍艦を奪い、我が薩摩の武威をしめせ」
 そういって久光は二人に酒を賜ったといわれる。この言葉に両者は感涙にむせびながら、久光のもとを退出した。
「恐れながら父上、誠を申し上げてよかごわすか?」
 忠義と久光それに数名の家老だけが残り、忠義はぼそりと本音をもらし始めた。
「エゲレス国はこん地上の数多の土地を支配し、その国力は欧米の諸国の中でも最強と聞いておりもんす。やはりこん薩摩一国で戦うのは無謀では? 英国側の要求どおり、あん者たちの首を差し出し、賠償金を支払い、和平の道を探るが得策ではごわはんか?」
「これ若! なんということを!」 
 家老の一人が驚き忠義をたしなめた。しかし久光は怒らず、しばし沈黙した。
「うんにゃ勝てる」
 と久光は断言した。
「おいはな、幼い頃みつ蜂の巣を飽きずにながめていたことがある。するとやがて一匹の大すずめ蜂が巣に潜入したのじゃ。いかなることになるかと半ば恐れながら見入っておったら、みつ蜂は一斉に羽音を立て、すずめ蜂を威嚇し始めた。
 さしものすずめ蜂も一匹で分が悪いと判断したのか、必死に仲間を呼んでおる様子だった。やがてみつ蜂は一斉にすずめ蜂に襲いかかり、団子状となり、その中でしばしの後すずめ蜂は絶命していた。すずめ蜂というのは、ある一定以上の暑さの中では生きることができんらしいな。
 よいか敵は最強の国なれど、わずか数隻の軍艦にすぎぬ。すずめ蜂もまた一本の針ではみつ蜂にさえ勝てぬ。こん薩摩を犯そうとしたら最後、目にもの見せてくれようぞ!」
 久光は語気を鋭くしていった。

 奈良原、海江田の二人は、ただちに英国艦隊撃退のための策を練る。しかしこれが実に間が抜けたものだった。
 すいか売りに化けた薩摩武士が、敵艦の乗りうつり、合図の号砲とともに決死隊が英国艦隊に切りこみをかけるというものだった。この計画はたちまち英国側に察知されて未遂に終わる。
 ちなみにこの時の決死隊には、かの西郷隆盛の弟西郷信吾、大山巌、伊東四郎、野津七左衛門などそうそうたる顔ぶれが名を連ねている。このような愚劣な計画で命を落とさなかったことは、日本の将来を考えるとき幸運であったといえるだろう。

(四)

 薩摩半島を鹿児島湾に沿って、数珠上に砲台が並んでいる。そのうち最も北方にある祇園州砲台には、かって鹿児島を訪れた榎本の危機を救った、あの黒田了介(清隆)がいた。
 黒田は天保十一年(一八四〇年)に、薩摩国鹿児島城下新屋敷通町(現在の鹿児島県鹿児島市新屋敷町)で薩摩藩士・黒田仲佐衛門清行の長男として生まれた。家禄わずか四石。西郷隆盛なども赤貧の生まれであったといわれるが、それでも四十石ほどはあった。通常であればただ生きること以外に、他の選択肢はありえないほどの境遇であったといっていい。
 しかし黒田は幕臣江川英龍に砲撃をまなび、さらに薩摩の有名な示現流でも若くして免許皆伝の腕前にまでなった。後年には批判されることも多い黒田ではあるが、やはり逆境に屈することない、尋常の人物でなかったことは確かであろう。

 六月三十日、薩摩側ではすでに藩主父子を万が一の時に備えて、安全な場所に避難させていた。この日、昼頃から霧が濃くなりはじめた。海上に浮かんでいた七隻の軍艦も一時薩摩隼人の前から姿を消す。ときおり不気味な空砲だけが霧の彼方から響いてくる。
 霧に乗じての敵に夜襲に警戒するよう、伝令が各台場に素早く上からの命令を伝えていく。やがて夕暮れが来て、いよいよ英国艦隊の動きに異常ありという情報が再び各台場をかけめぐった。
 薩摩隼人達はいきり立った。薩摩には「伍」といわれる独特の軍団編成があった。伍は文字通り五人を一組とする。そのうち一人でも戦場で卑怯なふるまいに及ぶ者あれば、当人はもちろんのこと他の四人も最悪死罪もありうるという、恐るべき運命共同体であった。もちろん若き黒田了介もまた伍に組みこまれていた。
「了介おまえ震えているのか?」
 各部隊に緊張が走る中、黒田が属している伍の頭である鷹野義太郎が不安そうにいった。
「うんにゃ、武者震いでごわす」
 黒田は、心の不安を必死に隠そうとしているかのようだった。
「それにしても深い霧だな。いいか黒田も他の者もよく聞け。今ままでこん薩摩は多くの他国の敵と戦い、そして薩摩をよく守ってきた。じゃっどんこん戦は、今までのいかな戦いより絶望的なものになるかもしれん。恐らくこん五人が、生きて再び会えることもないかもしれん。じゃっど一人でもいいから生き残ればよか。いかほど霧が視界をはばもうと、必ずいつかは晴れる。そん一人が他のもんの分まで生きればよかど」
 鷹野の言葉に、黒田は顔をさらに紅潮させた。
「了介、おまん不安があるなら酒を飲め。少しは落ち着く」
 すすめられる通りに酒を飲むと、確かに心の揺れはおさまった。そしてそこからの記憶は極めて曖昧だった……。
 
 薄霧の中、果たして英国海軍は動いた。艦隊から小舟に分乗して、まず祇園州砲台を無力化させようと夜襲をしかけてきた。黒田が次に気がついた時には、サーベルを構えた世界最強の部隊が眼下に迫っていた。後年、内閣総理大臣まで登りつめるこの男は、その後の人生で幾度も酒で失敗したが一方で救われもした。この時の黒田はほどよく酔い、そして勇敢だった。しかし戦場で突出しすぎた。不覚にも右足を狙撃されてしまったのである。驚くほど大量に血が噴出した。
「黒田しっかりしろ! 早く、早く後方にさがらせろ!」
 鷹野義太郎が大声で叫んで、そして命令した。次の瞬間だった。義太郎もまた左肩に被弾した。さらに数発の銃弾が鷹野の全身にふりそそいだ。
「何のこげいなことでは薩摩隼人は死なぬ!」
 鷹野は眼光をいからせ、敵英国兵の側をにらみすえた。
「チエストーーーーオ!!」
 鷹野は立ちはだかったまま絶命していた。まさに弁慶の立ち往生である。
「クレイジーだ!」
 その異様な死に様に英国兵も驚き、そして動揺した。次の瞬間である。数百の薩摩兵が一斉に抜刀した。
「チエストーーーーオ!!」
「チエストーーーーオ!!」
 薩摩独特の猿叫といわれる狂気にも似た叫びだった。その気迫は英国兵もまた恐れさせる。白刃が一斉に英国兵に襲いかかる。特に薩摩人は薩摩拵といわれる極めて実戦向きの刀を愛用していた。柄を太く長くして立鼓を取らず、厚手の牛革を巻いて漆をかけた。さらにその上に糸か革紐を巻き締めて目貫を装着せず、鉄の縁頭で強固な作りとしていた。
「今回はまだ小手調べにすぎん。戦いはまだ始まったばかりだ」
 ついに英国兵は上陸をあきらめ撤退するに至る。

 

(薩摩拵)

(五)

 しかしこれはもちろん前哨戦にすぎなかった。七月二日未明、英国艦隊は激しい雨が降る中、鹿児島湾の奥深くへと侵入していく。そして重富沖まで進み、ここで薩摩側の蒸気船三隻を発見しこれを拿捕するに至った。
 この一件を薩摩隼人たちは英国側の宣戦布告とし、ついに正午頃、各砲台より砲撃か開始される。英国側の艦隊のうち、まず犠牲を受けたのがパーシュース号だった。ほとんど予測していなかった攻撃であったため、パーシュース号は数発の命中弾を受け多数の死傷者をだした。
 さらにユーリアラス号もまた被害をうけた。ただちに反撃にうつるところを、英国が幕府から受け取った賠償金の金貨箱が弾薬庫の前に積み上げられており機を逸してしまう。

 英国のキューバー提督は戦列を整えるため、拿捕した蒸気船三隻を焼却を命じる。煌々と燃えさかる不気味な炎が、鹿児島の城下からもよく見えた。
 午後二時頃、英国側はユーリアラス号、パール号、コケット号、アーガス号、パーシュース号、レースホース号の順でついに単縦戦列をとった。英国側の猛攻が開始された。英国の最新鋭アームストロング砲は、この時が実戦初使用であったといわれる。その威力は壮絶であった。まず薩摩側の祇園州砲台が致命的な損害をうけた。
 しかし、やがて暴風雨がひどくなり英国側の各艦はうまく戦列を整えることができない。ユーリアラス号のみで新波戸砲台、弁天波砲台を無力化。いったん艦首をめぐらしてさらに攻撃をくわえた。
 英国側の猛攻はなおも続く。パーシュース号からのロケット弾により、鹿児島城下の約一割が火災にみまわれた。さらにハヴォック号は、島津斉彬によってつくられた集成館の大砲製造工場や弾薬庫などを砲撃によって破壊した。
 この時の様子を英国側の水兵は次のように書き記している。
「我々は、安全な場所にいて陸上の恐ろしい大火災を見つめていました。大きな町が炎につつまれているのです」
「台風は、間断なく吹き荒れています。炎のきらめきが強烈なので、その夜は真っ暗闇であるにも関わらず、甲板を行ったり、来たりしている人の姿がたやすくわかります」
「陸上の大火災の壮麗さ、すばらしい壮麗さについて、それにふさわしい感想をお伝えすることは不可能でしょう。我々はただその素晴らしい光景を、甲板でぼうぜんと見守っていました」
 夜になって一旦英国側の攻撃はやんだ。翌日には英国側の最後の猛攻撃が開始されるだろう。さしもの薩摩隼人たちも、その大半は死を覚悟して眠ることができなかった。

 

(左が薩摩側の大砲、右が英国側の大砲。薩摩側の射程距離が1キロほどであるのに対し、英国側は4キロほどとんだ)

 その夜島津忠義は夢を見た。鹿児島湾に停泊している英国艦の上空に、突如として巨大な鎧武者が出現。武者は赤糸威大札大鎧を着ていた。
「我らの海を犯すものどもよ! 天誅をうけるがよい!」
 刀が振り下ろされ、英国艦は真っ二つとなった。
 「おこる! 何かがおこるぞ!」
 夢から覚め忠義はおもわず叫んだ。

 果たしてその夜、台風はいよいよ激しくなった。旗艦ユーリアラスは他の艦隊から引き離され激しく煽られる。そして奇跡はおこった。
 突如として嵐が嘘のようにやんだ。今まで薩摩側の視界をもはばんでいた風雨はピタリとやみ、ユーリアラスはその巨体を薩摩側の砲台から、よく見える場所にさらしていたのである。完全に薩摩側の砲台の射程圏内に入っていた。
「今ぞ放て!」
 薩摩側の砲は鈍い音とともにユーリアラスに命中した。明らかに手ごたえがあった。英国側では艦長及び副館長が死亡。さらに水兵も多数死傷する。まさに大惨事である。
 
 英国側の不幸は、日本周辺の海の荒さを甘くみていたこともあったかもしれない。この時代の船舶技術では、世界の海を制した英国海軍をもってしても、日本近海は危険であったことは間違いない。日本を有史以来、大陸から隔離された絶海の孤島たらしめたものは、まさしくこの海の世界の過酷さであったといっていい。またもし同じ島国でありながら英国周辺の海域が日本同様であったとすれば、二十一世紀にいたるまでの世界の歴史は、まったく違う道を歩んでいただろう。

 翌日は晴天だった。英国人たちを驚かせたのは、砲撃により壊滅したはずの薩摩側の台場が、早くも修復されつつあることだった。しかも英国側の武器・弾薬も残りわずかとなりつつあった。ここで英国側はついに決断する。薩摩を武力で屈服させることの難しさを痛感し、鹿児島湾を去り、横浜へと撤退したのである。薩摩隼人たちは、ついに世界最強の部隊から薩摩を守ったのだった。

(六)
 
 戦いは終わった。黒田了介はまだ痛む足を引きずりながら、英国艦隊が去ったあとの鹿児島湾をあおぎみた。他の者が戦に勝ったと歓喜の声をあげる中、黒田はまだ心の痛みが消えていなかった。結局、「伍」中で生き残ったのは自分だけだった。だれか一人生き残ればいい。あの時の鷹野の言葉が脳裏からはなれなかった。そして鷹野の言葉どおり霧は消え嵐もやんだ。この戦いで黒田は戦争という現実と、生と死の境界を学んだ。そしてやがて榎本武揚の前に立ちふさがるのである。

 一方、江戸にいる勝海舟は、その後の英国側と薩摩との横浜での講話交渉をつぶさに耳にした。
 英国側の要求は生麦事件の首謀者の処罰と、賠償金二万五千ポンドの支払い。これに対し薩摩側は首謀者は逃亡中であるとした。そして賠償金の支払い代わりに英国から軍艦を購入するという奇策に出た。
 しかもそのための金の工面は、大久保一蔵(後の利通)が幕府と交渉した。
「我が藩には、もはやエゲレスと戦う力はござりもうはん。もし談判決裂ということになれば、今度こそ我が藩は滅び、次は幕府が危険にさらされる番でごわす」
 結局幕府はいやいやながらも、薩摩からの借金の申し出に応じたといわれる。
 海舟はおもわずため息をつき、屋敷の庭から天をあおいだ。
「順聖院様(島津斉彬のこと)、薩摩の連中は見事英国から薩摩を守りましたぞ。それにしても薩摩は侮れないな」
 この戦いで英国は薩摩の底力を知り、薩摩は強大な英国そして欧米列強の軍事力を知った。この戦い以後両者は急速に接近し、やがてその矛先は幕府へと向くのであった。

 








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