残影の艦隊~蝦夷共和国の理想と銀の道

谷鋭二

文字の大きさ
62 / 65
【第五章】駐露全権公使・榎本武揚

新たなる道

しおりを挟む
(一)
 
 榎本が獄にいる間にも、明治政府は新たな改革を次から次へと進めていた。
 明治四年(一八七一)六月には新貨条例が制定され、円が日本の通貨単位として正式に決定した。また同年八月には司法省設置。九月には民部省が廃止され、大蔵省に吸収される。そしてやはり明治四年八月には、廃藩置県が半ば強行された。ある西欧の学者は、もしヨーロッパのいずこかで同じ改革を行うとしたら、百年は戦争が続くだろうとして驚嘆したという。
 明治四年十一月には岩倉具視を全権として、総勢百七名からなる使節団がアメリカ、そしてヨーロッパの国々を歴訪して巡る旅にでる。使節団の名簿の中には大久保利通(大久保一蔵が改名)、木戸孝允、伊藤博文などといった名前がズラリと並んでいる。およそ二年にも及ぶ大旅行であった。特に大久保は、プロイセンでビスマルクに深い感銘をうける。しょせん国際関係は力が解決するという現実政治を聞かされ、後々大久保の人生観や政治哲学にかかわってくる。
 しかし最大の課題だった日本が幕末に結んだ不平等条約の改正は、アメリカに簡単にあしらわれ散々な結果になる。使節団は、日本という国のあらゆる面における未熟さを思いしらされる結果となった。
 世界情勢もまた刻一刻と動いていた。明治二年には、フランスとプロイセンの間に普仏戦争が勃発。最終的にフランスは敗北し、アルザス・ロレーヌ地方を割譲することとなる。またスエズ運河が開通し、アメリカでは米大陸横断鉄道も開通する。
 かろうじて出獄した榎本であったが、やがてこれらの時代の波に、いやおうなく向き合うこととなるのである。

 
 
(頭を丸めた黒田)
 

 明治五年四月頃、榎本は東京上野にある、とある老舗料亭へと赴いた。そこでかっての敵将と面会するためだった。
「おう榎本どん待っておりもうしたぞ!」
 榎本はあの箱館戦争以来、二年数カ月ぶりに黒田清隆と顔をあわせた。まず榎本が驚いたのは、黒田が頭をまるめて坊主になっていたことだった。
「おうこれか、実は政府内にもおまんを殺せとしきりにいう者がおってな……おいはどんなことがあってもおまんを救うため、覚悟を決めて頭を丸めた」
「黒田殿、お主という人間は……」
 榎本は思わず、かっての敵将の顔をまじまじと見た。このような敵と戦っていたのかと思えば、不思議な思いにかられた。
「さあまずは酒を」
 榎本がすすめたが黒田は断った。
「いや、おいはどうしても酒癖が悪かで、西郷どんより大事な話をする時は飲むなときつくいわれておりもうす」
 黒田は思わず苦笑した。
「いずれにせよ、こうまでして命を助けたのだ、これからはおまんには、新たな政府に人間として頑張ってもらわねば」
「あいや待たれよ! さすがにそれは困る。私は新政府の要職になどつくわけにはいかない」
 さっそく榎本は困惑の色をうかべた。
「理由は貴殿も武士ならばおわかりいただけるはず。この榎本武揚二君につかえるわけにはいかんのだ。貴殿の大恩には、いずれ報いるつもりでいる。なれどそれは政府の人間としてではなく、民間人として何らかの職につき、この国に尽くすつもりでおるのだ」
「そこをなんとか頼みたい。実はな、おいは今北海道の開拓次官をやっておる。ただ難題山積みで、おいだけではどうにもなりもうはん。貴殿にはおいの片腕として、北海道の開拓を手伝ってもらいたか思っちょる」
 榎本は黒田の話しに興味をもった。
 
 
 榎本が牢にいる間にも、黒田は開拓次官の肩書で北海道各地を調査してまわり、ついには樺太まで行って、ロシアの圧力を肌で感じてきたという。
 さらに黒田は、はるばるアメリカにも赴いた。もちろんただの観光旅行ではない。アメリカの進んだ文明をその目で見て、同時に北海道開拓のためアメリカの農業技術者をスカウトして、北海道に連れかえるという任務も担っていた。
 しかし遠くアメリカから太平洋をこえて、小国日本などに行きたいという者は、そう簡単に見つかるものではない。ようやくこの仕事を承諾したのは、アメリカ農務長官のホーレス・ケプロンという七十をこした老人だった。一説にはケプロンには、日本の太政大臣も及ばぬほどの給料の約束があったという。
  こうしてケプロンは約五十人のアメリカ人、十二人ほどの中国人と共に来日し、北海道全土を視察して歩く。北海道をいかに開拓すべきか、「ケプロン報文」といわれる分厚いレポートを作成する。
 そして実際に麦、じゃがいも、とうもろこし、かぼちゃ等が試験的に栽培された。その結果、特にとうもろこしの栽培が北海道に適していることがわかってきた。またビールやワインの醸造もすすめられ、さらには札幌の真駒内で馬の飼育も開始される。
 しかしケプロンは、ただ単に日本の明治政府の北海道開拓の力になりたいなどという良心的な理由だけで、アメリカからはるばるやってきたわけではなかった。ケプロンにはケプロンなりの野心があった。それは北海道をリトル・アメリカにするというものだった。
 アメリカもまた、この時からおよそ百年前には一面ほぼ未開の台地だった。アングロサクソンがはるばる英国よりこの地に渡ってきて、開発に開発を進めた結果、欧米列強と肩を並べるほどの大国になったわけである。やりようによっては、北海道をアメリカのようにできるのではないか。
 ケプロンによる北海道開拓のために資金は、ほどんどアメリカがだした。日本側が資金を捻出しようにも、ひどい財政赤字の明治新政府には無理なことだった。また黒田には黒田なりの北海道開拓に対する考えがあったが、それもケプロンには通じなかった。幾度か黒田とケプロンは衝突するも、黒田が反論するにも限度があった。なにしろ資金をだしているのは、ほとんどアメリカである。しかも当時の日本では、農業に対する技術も知識もアメリカに比べればはるかに劣っていた。
 しかしこのままの状態が続くと、いずれ北海道はアメリカの植民地のようになってしまうのではないか? 黒田がもっとも憂慮するのはそのことだった。


「北海道のことだけでんなかど。万事が万事そげいな有様じゃ。新政府ができたのはいいが、まず金が足りん。欧米のような国をつくることが目的じゃったが、知識も技術もなか。薩摩と長州は度々新政府内で衝突をくりかえし、肥前や土佐の連中もそれぞれ派閥をつくって、政府はまとまりちゅうもんがまるでなか。そしてなによりも人材があまりにも不足している。おまんさあのような人間が、どうしてもほしか。そして北海道を守れるのはおまんしかおらん」
 榎本はいよいよ困惑した。
「榎本さぁ、おいは昔薩長の同盟をまとめるため、はるばる長州まで赴いたことがある。そん時に長州の方がいったことがある。おいたち薩摩人は、事あるごとに死に急ぐ。じゃっどん長州の方々が最も恐れるのは、一つの志もとげることない無益な死だと……。
 御一新がなるまで、長州の方々も多くの命を落としもうした。その死を決してただの犬死にせぬため、敵であったおい達とも手を握るのだとそう申しました。あの時の周りにいた長州の方々の無念の表情、おいは今でんよう覚えておりもうす」
 そこで黒田は焼酎を一気に飲みほした。
「榎本どん、おまんはまだ何もしておりもうはんど!」
 と声を大にしていった。
「こんままでは、遠からず新政府は崩壊する。なんのための御一新であったか! おい達薩摩人が流した血も、長州の人間が流した血も、おまはんたち幕臣が流した血も全部無駄になりもうす。そいだけは、どうしても避けねばなりもうはん!」
 事があまりに重大なので、榎本は後日の返答を約束して黒田とわかれた。そしてついに後世のそしりも覚悟のうえで、新政府側の人間として生きる覚悟を固めるのだった。榎本武揚三十七歳にしての新たな出発だった。

(二)
 
 函館はこの日快晴だった。
 ようやく決意を固めた榎本が、再度函館(明治四年頃に箱館から函館に変更)の地に降りったのは、明治五年五月のことだった。この日波もおだやかで、あの戦争が嘘であったかのように、都市全体が一種の静寂に包まれていた。しかし時代は刻一刻と動いていた。もう止まることもないだろう。いやあの戦争の頃より、さらに激しさを増すに違いなかった。
 榎本は函館に到着してまず、あの柳川熊吉が戦死者八百人の遺体を埋葬した碧血碑を訪れた。今日のように立派なものではなく、そまつな石でできた墓標がたてられているだけの代物だった。そこに立つと榎本は、あの戦いの悔しさが、再び胸を奥からこみあげてきた。
 人は死んだら一体どうなるのか? あの戦争の決戦がまだ始まる前、ようやく、というよりいよいよ雪がとけはじめた頃、一度同志たちと酒を飲みながら語りあったことがあった……。 

 
「べらぼうめ! 幽霊なんざいるわけねえだろ。例えば昔隅田川のほとりなんかは明暦の大火があった。人が数万人も死んだ。今頃あのあたりは亡霊だらけじゃねえか」
 榎本は、ビールを飲みながらいった。
「まあ俺たちはたくさん人を斬ったしな。おまけに以前は屯所が本願寺だった。やっぱ隊士の中にも幽霊らしき者を見たっていう奴はいる。けど亡霊なんざ恐れていたら新選組はつとまらねえな」
 平然といったのは土方歳三だった。
「けど、俺の弟は医師をやっている。やっぱ医師として人の死と幾度も向き合っていると、妙な体験をすることもあるらしいな」
 古谷佐久左衛門がいうと、しばし座に沈黙があった。
「松岡君、君は元来目立たない性分だし、生きながらにして幽霊のようではあるな」
 と榎本は同じ海軍伝習所の出身の松岡盤吉に、気心が知れているせいもあって、痛烈な皮肉をいう。
「総裁それはあんまりです!」
 さしもの松岡も不快な表情になった。
「八郎よ、おめえはどうだ。足のない幽霊ってのもなんだが、もしおめえが幽霊になったら腕のない幽霊ってのも恐ろしいもんだな」
 土方の言葉に、伊庭八郎は盃を置いた。
「例え七度生まれ変わっても、薩長の連中なんて片腕だけでぶった斬ってやりますよ!」
 八郎は、思わず鼻息を荒くしていった。
「おう! 楠公の魂なんてものは、楠公が生きて、戦って、後世の俺たちまで語りつがれる何かを残したから存在するんだ。何もやってねえ人間なんてものは、誰からも死んでも認識されねえで、魂なんてものは存在しないのと一緒だ」
 またしばし座に沈黙があった。心なしか寂しい宴だった。その場の誰もが、薄々自らの最後が近いことを予期しているせいもあった。
「はあ……わしらはもう間もなく死ぬのかな?」
 顔を赤くした永井尚志が、ぼそりと禁句を口にして沈黙をやぶった。
「もう仕方ねえだろ! 人は誰だっていつかは死ぬんだ。けどこの中のうち誰か一人くらいは生きて、そいつが俺たちが生きた何事かを伝えれば、もうそれでいいじゃねえか!」
 かなり酔いが回った土方が思わず真剣にいった。しかしこの一言で座はいよいよ重苦しくなったことを、酔っていながらも土方は察した。
「人は死ぬ。そしていつかは星になって天の彼方から、世をみわたすんだよ」
 と今度は半ば冗談ぽくいった。
「土方君、君のような人間を西洋ではロマンチストというんだよ」
「ロマン……? 総裁あんたの西洋かぶれにも困ったもんだ。まるで何いってるかわからねえよ」
 土方は思わず苦笑いを浮かべた。それにつられて他の者も笑った。しばし座は和やかな空気につつまれた。


「一体何を考えていた釜さん?」
 背後で声がして、榎本は我にかえった。そこに同道してきた松平太郎が立っていた。
「何、俺たちはこれからどこへ行こうとしているのか……ふと考えてしまった」
 榎本はため息をつきながら答えた。松平太郎はしばし沈黙する。
「まあ人にはそれぞれ、そいつにしか歩めない道があるからな……」
 皮肉めいた口調である。
「何がいいたい太郎さん?」
「なぜ黒田殿の申し出を受けた?」
 と榎本が最も聞かれたくないことを、はっきりとたずねた。それから一分ほど榎本は沈黙した。
「太郎さん、俺は牢にいる時には本を読んだり、他の囚人と他愛もない雑談をする以外にやることもなく、まるで一日が二日にも三日にも思えるほど長かった」
「確かに、あそこにいると一日が異常に長く感じられたな」
 同じく獄中生活を経験した者として、松平太郎にも榎本の気持ちはよくわかった。
「俺は獄にいる時、はじめて生きてみたいと思った。もし牢をでることができたならやってみたいこと、それを延々と頭に思い描いていた。しかしふと我にかえった時、それらが夢であるという絶望感だけが最後には支配した。俺は差しいれられた書物の片隅にある言葉からだけでも、己が生まれたきた意味を何とか悟ろうとした。だが結局は何も悟ることはできなかった」
「釜さん、あんたは偉いよ。俺なんて獄にいる間、半ば無気力状態になっていたからな」
 松平太郎は苦笑した。
「そして今俺は、奇跡的にここにこうしている。もしかしたら獄中にある間に思い描いてことを一つ、二つでも形にできるかもしれない。だが俺達はどこまで行っても逆臣だ。俺が何事かなせば、俺をこころよく思わない何者かが、俺をつぶしにくるかもしれない。
 俺はあの戦いで薩長に負けたとは思っていない。帝の権威に負けたんだ。俺たち幕臣だって、この国に住むかぎり帝の臣下であることに変わりはない。そして今度は帝の権威を利用して、薩長の連中を見返してやりたいんだ」
「まあ俺は止めねえよ。はからずもあの戦争を生き残ってしまった以上、俺だった釜さんと同罪だしな。新政府側の人間になったほうが大きな仕事ができるというのなら、存分にやってみたらいい」
 それ以上、太郎には榎本にかける言葉が見つからなかった。
 ちなみに松平太郎のその後であるが、明治政府からは開拓使御用係・開拓使五等出仕に任ぜられて函館在勤を命じられたが、一年ほどで辞職した。その後は三潴県権参事を経て、ロシアのウラジオストクに外務省七等出仕して派遣されたが、ほどなく退職。現地で貿易商、中国で織物業などを営むが、商売人としての才能に欠け失敗する。その後は流浪の日々を送ることとなる。不遇の人生であったが、榎本との友情は終生続いた。
 他に大鳥圭介や荒井郁之助といった生き残った者たちにも、それぞれ後日の運命がある。そして榎本自身は、この後も国際社会の激動の中で生きていかなければならなかった。もちろん榎本自身はまだこの時、己の後のことなど知るよしもない。

(三)
 
 箱館戦争以後も新政府による北海道開拓事業は進められていた。
 榎本が新政府に降伏して一月ほど後、明治二年六月四日には、前佐賀藩主鍋島直正が開拓特務に任命された。八月十五日には、幕末最大の蝦夷地探検家・松浦武四郎によって、はじめて「蝦夷地」が「北海道」と改称される。
 そして北海道は十一ケ国に分離される。すなわち渡島、後志、石狩、胆振、日高、天塩、十勝、釧路、根室、北見、千島である。
 しかし鍋島直正は一度も北海道に赴くことなく、わずか一カ月ほどで辞職。実際に北海道の開発に着手したのは、後任の開拓使長官東久世通禧を補佐する半官で、やはり佐賀藩出身の島義勇だった。
 島義勇は、広大な北海道の中で南によりすぎている箱館より、石狩周辺を北海道の中心にと考えていた。石狩周辺は江戸時代にはすでに、水戸藩により実地調査され、かの水戸光圀もこの周辺一帯に強い関心を持っていたことはいつか書いた。そして現在の札幌周辺が選ばれたのである。
  島義勇の最大の功績は、なんといっても札幌の都市計画だった。島は札幌に道幅約百メートルの大通りをつくる。その北側に官公庁、そして南に商店街や住宅街を置くという、およその札幌の都市の絵図面を描いた。札幌という都市は現在まるで、平安京や唐の都長安のように碁盤目状になっているが、その基盤は島がつくった。ちなみに島自身がつくった詩も残されている。

 将に府を開かんとし 地を石狩国札幌中に相す 賦して以って祈る
 河水遠くに流れて  山隅にそばだつ  平原千里地は膏腴
 四通八達宜しく  府を開くべし  他日五州第一の都

 しかし、いつの日か札幌を五大州最大の都たらんという島の計画は、明治新政府の慢性的な財源不足により頓挫する。島は結局北海道を去り、後に非業の死をとげることとなる。
 北海道全土の開発もまた、財源不足により頓挫する。そして希望する藩によって北海道がそれぞれ管理されることとなった。主な藩をあげると佐賀藩、水戸藩、高知藩、薩摩藩、仙台藩などだった。
 さらに島義勇の後継となった土佐藩出身の岩村通俊という者と、黒田清隆の対立が激化。そして黒田とケプロンもまた事あるごとに衝突を繰り返す。そうした中、榎本、黒田、ケプロンによる三者会談が、明治六年の一月におこなわれることとなった。場所は札幌の開拓使本庁である。
 

 ケプロンは最初から榎本をこころよく思っていなかった。ケプロン自身が残した日記には、しばしば日本人や日本の社会に対する不満が書かれている。
「この国では、何か新しいプロジェクトを進めるのは、非常に骨の折れる仕事である。何かを始めて、それがようやく軌道に乗りはじめると、早速、尊大で生意気な役人という者が現れて指図をはじめる。そこで早速トラブルが始まる。しかし、はるかに賢く、うぬぼれの少ない人夫に任せたほうが万事うまくいくことが多い」
「さて釘が一本必要としよう。まず申請書を書いて上役に申し出る。上役は実にもったいぶった様子でこれを調べ、必要な品と思えば、すぐに手許の書記二人に命じ、釘を打つ穴を調べにやる。この二人のエキスパートの復命が最もと思えば、命令がでる。まず鉄と石炭係の役人へ、次は鍛冶場の男たちに鉄やボルトをつくる命令である……」
 ケプロンは最初から榎本を、自分の仕事を邪魔しに来た「役人」だと思っていた。
 黒田がまず榎本が作成した報告書を読みあげる。ケプロンは一通り聞き終えた後、通訳を通じてさっそく詳細なことに至るまで難癖をつけはじめた。
「私はアメリカ大統領の委託を受けてここにきている。また日本国の帝の勅語をも賜っている。それに対してこの男は何者だ? 聞けば、かって帝に反逆した賊臣で牢の中にいたというではないか!」
 とケプロンは権威をちらつかせながらも、不満を並べる。すると榎本が答えた。
「確かに、私には何一つ権威もありません。また反逆者でもあります。しかし若年の頃この地をあますところなく調査して歩き、また函館の地を拠点としての反乱軍のリーダーでもありました。故にこの地の地理、風俗、人情について貴殿より、よくわかっているつもりであります」
 榎本が通訳を介さずに直に英語で返答したので、ケプロンは一瞬、驚きの色をうかべた。
 それから榎本はまずオランダを例にとる。なぜ当時小国だったオランダが、スペインの支配を覆すことができたのか、そこから語りはじめた。最大の原因は、やはり地の利であったと榎本は語る。オランダは海面より低い土地を埋め立て、オランダ人自らが作った国土であり、山も川も知りぬいていた。スペイン人は、オランダ人ほどオランダを知らなかった。そして蝦夷地もまた日本国の一部であり、その開拓は日本人以外の何人にもできるものではないと榎本はいう。
「お言葉なれど、この未開の土地をいかにして開拓したらいいか、それが貴殿の国では見当がつかぬゆえ、私がはるばるアメリカから招かれたのではありませぬか?」
 ケプロンはすかさず反論する。
「いかにもその通りでござる。なれど農業とは土地であり、そして人でありましょう。この土地を耕すのはしょせん日本人でござる。日本人の心は所詮日本人でのうてはわかりませぬ。それは貴殿の国の人間の心が、貴殿の国の者にしかわからぬのと同じこと」
 ケプロンは沈黙した。
「おぬしら米国人の好き勝手にはさせぬ!」
 言葉の端々に榎本のメッセージのような者が伝わってきて、思わず歯ぎしりする。
 黒田は沈黙したまま会談を見守っていた。そして榎本が、箱館戦争の時分よりさらに尋常一様ならざる人物になったと思った。箱館戦争が終わった時に顔を合わせた時には、百戦錬磨の薩摩隼人の出身である黒田からしてみれば、やはり榎本はどこか青白いインテリに見えたものである。やはり生死の境を越え、多くの者の死を越えてきたことが榎本を成長させたのだろう。
 榎本はこの会談の最中、幾度もJapanesepeopleという言葉を連呼した。日本人を代表して今、自分がこの場所にいるのだという強い決意が、ケプロンにもよく伝わった。そして榎本の教養の深さには、ケプロンも驚嘆せずにはいられなかった。
 榎本はこの年老いたアメリカ人と会談しながら、樺太、そしてロシアのことをも思い描いていた。
「蝦夷開拓は俺が仲間たちと約束した、俺の生涯のテーマだ。アメリカはおろかロシア人にもこの地を渡さん!」
 あの辛く苦しかった箱館戦争をこえてきた榎本の胸には、なおこの北の大地に対する強い思いがくすぶり続けていたのであった。
 
 
 







しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

アブナイお殿様-月野家江戸屋敷騒動顛末-(R15版)

三矢由巳
歴史・時代
時は江戸、老中水野忠邦が失脚した頃のこと。 佳穂(かほ)は江戸の望月藩月野家上屋敷の奥方様に仕える中臈。 幼い頃に会った千代という少女に憧れ、奥での一生奉公を望んでいた。 ところが、若殿様が急死し事態は一変、分家から養子に入った慶温(よしはる)こと又四郎に侍ることに。 又四郎はずっと前にも会ったことがあると言うが、佳穂には心当たりがない。 海外の事情や英吉利語を教える又四郎に翻弄されるも、惹かれていく佳穂。 一方、二人の周辺では次々に不可解な事件が起きる。 事件の真相を追うのは又四郎や屋敷の人々、そしてスタンダードプードルのシロ。 果たして、佳穂は又四郎と結ばれるのか。 シロの鼻が真実を追い詰める! 別サイトで発表した作品のR15版です。

札束艦隊

蒼 飛雲
歴史・時代
 生まれついての勝負師。  あるいは、根っからのギャンブラー。  札田場敏太(さつたば・びんた)はそんな自身の本能に引きずられるようにして魑魅魍魎が跋扈する、世界のマーケットにその身を投じる。  時は流れ、世界はその混沌の度を増していく。  そのような中、敏太は将来の日米関係に危惧を抱くようになる。  亡国を回避すべく、彼は金の力で帝国海軍の強化に乗り出す。  戦艦の高速化、ついでに出来の悪い四姉妹は四一センチ砲搭載戦艦に改装。  マル三計画で「翔鶴」型空母三番艦それに四番艦の追加建造。  マル四計画では戦時急造型空母を三隻新造。  高オクタン価ガソリン製造プラントもまるごと買い取り。  科学技術の低さもそれに工業力の貧弱さも、金さえあればどうにか出来る!

偽夫婦お家騒動始末記

紫紺
歴史・時代
【第10回歴史時代大賞、奨励賞受賞しました!】 故郷を捨て、江戸で寺子屋の先生を生業として暮らす篠宮隼(しのみやはやて)は、ある夜、茶屋から足抜けしてきた陰間と出会う。 紫音(しおん)という若い男との奇妙な共同生活が始まるのだが。 隼には胸に秘めた決意があり、紫音との生活はそれを遂げるための策の一つだ。だが、紫音の方にも実は裏があって……。 江戸を舞台に様々な陰謀が駆け巡る。敢えて裏街道を走る隼に、念願を叶える日はくるのだろうか。 そして、拾った陰間、紫音の正体は。 活劇と謎解き、そして恋心の長編エンタメ時代小説です。

改造空母機動艦隊

蒼 飛雲
歴史・時代
 兵棋演習の結果、洋上航空戦における空母の大量損耗は避け得ないと悟った帝国海軍は高価な正規空母の新造をあきらめ、旧式戦艦や特務艦を改造することで数を揃える方向に舵を切る。  そして、昭和一六年一二月。  日本の前途に暗雲が立ち込める中、祖国防衛のために改造空母艦隊は出撃する。  「瑞鳳」「祥鳳」「龍鳳」が、さらに「千歳」「千代田」「瑞穂」がその数を頼みに太平洋艦隊を迎え撃つ。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

四代目 豊臣秀勝

克全
歴史・時代
アルファポリス第5回歴史時代小説大賞参加作です。 読者賞を狙っていますので、アルファポリスで投票とお気に入り登録してくださると助かります。 史実で三木城合戦前後で夭折した木下与一郎が生き延びた。 秀吉の最年長の甥であり、秀長の嫡男・与一郎が生き延びた豊臣家が辿る歴史はどう言うモノになるのか。 小牧長久手で秀吉は勝てるのか? 朝日姫は徳川家康の嫁ぐのか? 朝鮮征伐は行われるのか? 秀頼は生まれるのか。 秀次が後継者に指名され切腹させられるのか?

与兵衛長屋つれあい帖 お江戸ふたり暮らし

かずえ
歴史・時代
旧題:ふたり暮らし 長屋シリーズ一作目。 第八回歴史・時代小説大賞で優秀短編賞を頂きました。応援してくださった皆様、ありがとうございます。 十歳のみつは、十日前に一人親の母を亡くしたばかり。幸い、母の蓄えがあり、自分の裁縫の腕の良さもあって、何とか今まで通り長屋で暮らしていけそうだ。 頼まれた繕い物を届けた帰り、くすんだ着物で座り込んでいる男の子を拾う。 一人で寂しかったみつは、拾った男の子と二人で暮らし始めた。

日本の運命を変えた天才少年-日本が世界一の帝国になる日-

ましゅまろ
歴史・時代
――もしも、日本の運命を変える“少年”が現れたなら。 1941年、戦争の影が世界を覆うなか、日本に突如として現れた一人の少年――蒼月レイ。 わずか13歳の彼は、天才的な頭脳で、戦争そのものを再設計し、歴史を変え、英米独ソをも巻き込みながら、日本を敗戦の未来から救い出す。 だがその歩みは、同時に多くの敵を生み、命を狙われることも――。 これは、一人の少年の手で、世界一の帝国へと昇りつめた日本の物語。 希望と混乱の20世紀を超え、未来に語り継がれる“蒼き伝説”が、いま始まる。 ※アルファポリス限定投稿

処理中です...