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【大阪湾争奪編】木津川口の海戦
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(一)
「恐れながら殿、こたびばかりは信長公に事の難しさを説明したうえで、この儀はお断りすべきかと存ずる」
困りはてた様子の嘉隆を見かねた金剛九兵衛が、ついに嘉隆に決断をうながした。
嘉隆は信長から鉄船製造を命じられ、まずは大湊の船大工に相談をもちかけた。しかし彼等は鉄の船と聞くと、鉄が水に浮かぶはずがないと一笑に付した。それから伊勢湾周辺の船大工を手当たりしだいに当たってみたが、まったくもって良い成果はえられなかった。
「殿、こたびばかりは、切腹覚悟で信長公に言上申し上げるよりほかござらん。なに信長公はあれで、相応に分別あるお方でござる。事情を説明すれば、きっとわかってくださるに相違ござらぬ」
結局、嘉隆は九兵衛のいうとおり、切腹覚悟で再び安土城へ出向いた。
安土城は現在は消失して、その姿をとどめていない。五層七階の天守閣であったといわれ、高さ二十四メートルの石蔵の上に、南北四十メートル、東西三十四メートルほどの広さだったと伝えられる。外部は各層が朱、青、白と違った色で塗られ、最上層は金色であった。内部の金具もことごとく金で、嘉隆が案内された部屋は、壁一面に狩野永徳の絵が描かれていた。
「何できぬと申すか?」
はたして信長は、一瞬にして表情を険しくした。
「恐れながら、いかように致しましても、鉄が水に浮くことはござりませぬ」
信長の怒りを恐れてか、嘉隆はやや声を震わせながらいった。
「嘉隆よ、そちがわしに仕えてから何年になる」
信長は語りだした。
「およそ十年ほどかと」
「そうじゃ、実はわずか十年ほどしかたっておらぬ。しかしこの十年ほどの間になにが変わったと思う。尾張一国従えるのやっとであった余が、今や二十数カ国の主だ。そなたがわしと初めて会った時、かようなことを予測できたか」
「まことに、殿に器量には頭が下がる思いでござる」
嘉隆はやや頭を垂れていった。
「人間為そうと思えば何事も為せぬことはない。頭を使え、工夫せよ」
だが嘉隆の表情には相変わらず困惑の色があった。
「いつかわしはそなたに話したことがあったな。南蛮のガマとか申す怪しげなる名をした船乗りが、この世が丸いと証明するまでの話を」
「はあ、覚えており申す」
「南蛮の宣教師が申すには、ガマなる者が世を一周するまでの間は、苦難の連続であったと聞くぞ。何しろ一年以上も、いずこかの海洋をさすらったわけだ。嵐にも遭遇したことだろう。ある時は霧で船団が散りじりになったそうだ。ある時は船内で流行り病がおきて、またある時は見ず知らずの土地で、野蛮人ども襲撃をうけ多くの水兵が死んだそうだ。この世を一周して、己の生まれ育った地に戻った時には、一五〇人いたはずが五十人ほどだったそうな。
南蛮の船乗りはかくも苦難に遭遇してなお、決して屈することなく、何人も為せぬことをやってのけたのじゃ。汝も簡単なことで音をあげるな」
「さりながら、いかに南蛮の船乗りとは申せ、はたして鉄を水に浮かべることができるか否か」
信長の眉間のしわが深くなった。そしてついに刀をぬき、つかつかと嘉隆に歩みよった。嘉隆は死を覚悟した。だが信長は嘉隆の首筋に刀を当てると、
「汝、切腹覚悟でここにきたのであろう。そちはこの刀が、いかようにして作られるか存じておるか」
と謎の問いを発した。
「存じておりまする」
嘉隆は声を震わせながらいった。
「己の目で、ただの鉄くずが、刀に加工されるさまを見たことがあるか?」
「それはありませぬ」
「ならば汝腹切る前に、その光景己の目で確かめるがよい」
結局、嘉隆は安土城を後にし、信長の命で向かった場所は、現在の岐阜県関市だった。ここに刀鍛冶として有名な関鍛冶があった。
ここで嘉隆は、己が常に腰にさしているものが、いかように作られるか、その様子をつぶさに見ることとなる。
作業はまず、質の高い鋼を作ることから始まる。日本独特の製鉄炉をたたらという。玉鋼といわれる日本独特の鉄は、原料に砂鉄を用いて、大量の木炭をたたらに投入して製造される。職人達は千度以上の熱と格闘しながら、三日以上眠ることなく作業に没頭する。なんと二十六トン以上もの砂鉄が使用されるというから驚きである。この際、木炭による炭素の量が多すぎれば柔らかい刀に、少なすぎればもろい刀になるといわれる。
その次の作業が鋼の組合せである。玉鋼、銑鉄、包丁鉄の3種類の下鍛えが済めば小槌で叩いて鉄片にし、それぞれの鋼の配合が適切になるように選んで、積み上げて溶かし固める。この段階で含有炭素量が異なる心金(しんがね)、棟金(むねがね)、刃金(はのかね)、側金(がわがね)の四種類の鋼に作り分けられる。鍛錬(上鍛え)心金で七回、棟金で九回、刃金では十五回、側金では十二回程度の折り返しが行なわれる。叩き延ばした鋼を折り返しながら鍛錬を重ねることで、硫黄などの不純物や余分な炭素、非金属介在物を追い出し、数千層にも及ぶ均質で強靭な鋼へと仕上がっていく。
以後の作業はあまりに長くなるので省略するが、とにかく嘉隆は、そこに日本の治金技術の粋を見た。地球を周航する西欧の船乗りの技術は、実にすぐれているが、日本の職人の技術を生かせば、あれいは西欧にもない鉄の船を建造できるのではないか。その時から嘉隆と関鍛冶の挑戦がはじまった。
計画では、安宅船の矢倉に薄い鉄板をはることとなっていた。均等な薄さで、丈夫な鉄板を大量に製造する。しかし当時の技術では、関鍛冶をもってしても薄さ三ミリが限界である。その三ミリでも、船の重心を安定させるための船底の重りや、武器弾薬そして兵士を乗せた時の重みで、船が沈んでしまう可能性があった。
鉄の重量の増加は面積に比例する。浮力の増加は体積に比例する。鉄の重量の増加を浮力が上回れば、浮力の余裕ができた分、重りを乗せて船を安定化させることができるのである。
現在の学者の計算によると、通常の安宅船の大きさが二十メートルほどなのに対して、およそ三十メートルほどで船は沈まない計算になる。しかし全長三十メートルの船など前代未聞である。もちろん西欧でもそのように巨大な船は建造されたことはない。
しかし嘉隆は決して折れることなく、関鍛冶とともに地道に作業に取り組んだ。ところである。ようやく鉄鋼船の建造という、夢が現実味を帯び始めた頃、またしても村上水軍が動きだしたのである。
(二)
なぜか紫色の雨が降っていた。嘉隆は夢で篠と会った。篠はいつもよりなおも青白い顔をして、やはりいつも通り、海を背にして立っていた。
「どうしたのだ篠、体でも悪いのか?」
嘉隆は、なんといって声をかけていいかわからず、いささかぶっきらぼうに言った。
紫色の雨が、篠の髪を淡く濡らした。
「寒いのです。抱いてください」
篠もまた、ぶっきらぼうにいった。
「これでいいか?」
嘉隆の肩にずっしりと重みがかかった。そして男を陶酔させずにはいられない、妖しい香りがした。
「優しい人、でも今日でまことのお別れです」
「たわむれを申すな」
嘉隆はかすかに動揺しながらいったが、篠の瞳には嘘偽りは書いてなかった。
「わしが仏に弓引いたゆえ、これ以上会うことかなわぬと申すか?」
「いえ、そうではありませぬ。どうしても私は今よりも遠い黄泉の国へ、赴かねばならなくなりました。私は貴方の胸の中に生き続けましょう。貴方が生きて、苦悩し、そして戦い続けるかぎりは……。私は信じています。あの恋が幻ではなかったことを……。例え貴方が私の生まれた国より、はるかに遠い世界へ赴いたとしても、私を思ってください」
篠は背を向けた。嘉隆は焦った。これが永遠の別れであることが、ようやく実感として伝わってきたからである。
「待て! 行くな!」
すると篠が振り向いた。
「最後に、これだけはお伝えしておかねばなりません。貴方の側近くに仕える平八という者のことです。あの者はかっての平八ではもはやありません」
「どういうことだ?」
「まことの平八はすでに死にました。今の平八はかの眼狐、そうあの麻鳥とか申す者が化けた姿」
嘉隆は、しばし呆然として言葉を失った。それが最後の言葉だった。嘉隆は波の彼方にゆっくりと消えていく篠を、もはやどうすることもできなかったのである。
だが嘉隆には、別れを悲しんでいる余裕すらなかった。瀬戸内の海で、村上水軍の動きが慌しくなったという報が嘉隆のもとにはいった。ほどなく平八が嘉隆に呼び出された。
「これからいよいよ大戦じゃ。汝は足労ではあるが、敵の状況視察に僧侶か商人にでも化けて、はるばる芸予諸島の能島まで足を運んでくれんか?」
平八は嘉隆の言葉に疑いを持たず、その日のうちに出立した。しかしこれは罠だった。
その頃、能島村上水軍の主の村上武吉は、戦を前に武器・弾薬等の購入に追われていた。武器商人に化けて現れた平八であったが、武吉は以前、伊勢・大湊で嘉隆の背後に控えている平八を、一度だけ見て知っていた。瞬時にしてその正体を見破られた平八は、そのまま座敷牢へ幽閉されてしまったのである。
やがて武吉自らが平八のもとへやってきた。
「主は嘉隆にとりいかなる存在じゃ?」
まず、武吉は座敷牢の中の平八にたずねた。
「仕えるべき主じゃ。それ以外の何者でもない」
すると武吉は、なにやら怪しい者でも見るような目で平八を見た。
「そなた嘉隆の愛人ではないのか?」
「愛人? 愛人とはどういうことだ?」
「たわけが、わしが知らぬとでも思っておるのか。汝は男ではない」
平八の表情が、かすかに赤みをおびた。
「まず、正直に申せ。いかなる縁あって、そなたは嘉隆に仕えることとなった?」
それから平八は、本当の名が麻鳥であること。嘉隆との今までの経緯。嘉隆に仕えることになるまでを正直に語った。
「なるほどのう。思うに嘉隆は、そなたの正体を見破ったのであろう。されど己の手で成敗するにしのびなく、汝をわしに委ねたわけだ」
恐らくその通りであろう。麻鳥は己の浅はかさや、悔しさ、それに嘉隆への思いなどが胸中で複雑に交差し、思わずうつむいた。
「私を殺すつもりか?」
麻鳥はようやく言葉を発した。
「今、いかにするか考えているところだ。主の命、今日、明日やも知れぬゆえ、申し残すことあらば聞いてやってもよいぞ」
そういって武吉は、麻鳥の前から去っていった。
さて瀬戸内に浮かぶ淡路島は、村上水軍にとっても嘉隆率いる九鬼水軍にとっても、戦略上極めて重要な拠点といってよい。
嘉隆は淡路島に、家臣の一人で今津義太郎という者を派遣して、村上水軍の動きに備えさせていた。この今津義太郎なる者は、かって嘉隆に敵対した、志摩地頭衆の一人三浦新助の臣下だった者である。三浦氏が嘉隆に滅ぼされた後は、やむなく嘉隆に服従していた。
この義太郎から、淡路島に村上水軍が大軍をさしむけてきたという報が入った。嘉隆はただちに小早と関船からなる救援部隊をさしむけることとし、全水軍の指揮を自らがとることとした。
村上水軍が淡路島めざして出航し始めた同じ頃、麻鳥は体を縄できつく縛られたうえで、人気のない場所に連行された。武吉がついに処刑の命をくだしたのである。
「この糞女め! そこに座れ!」
処刑を命じられた村上水軍の兵士は、麻鳥を乱暴に扱った。無理矢理その場に座らせ、そして抜刀した。
「事情はよう知らんが、お前はひょっとして九鬼嘉隆という野郎に、恋でもしていたのか? でも裏切られたわけか。冥土の土産に教えてやる。あの九鬼とかいう男の命運はほどなくつきる」
麻鳥は驚き顔をあげた。
「淡路島の今津義太郎とか申す奴が、我等からの誘いに応じて内応を約束した。なんでも、今まで嫌々嘉隆に従ってきたが、嘉隆には主家を滅ぼされた恨みがあるとか。嘉隆が淡路島に上陸したら最後、その首が飛ぶことになっている」
麻鳥は驚愕した。半ば死を覚悟していたが、ここでは死ねぬと思った。村上水軍の兵士達が、わずかに目をはなしたその瞬間に異変はおこった。縄で厳重に縛られていたはずの麻鳥の姿が、突如として消えたのである。気がついた時には、脱ぎ捨てられた衣服だけが残っていた。
次の瞬間、兵士達は思わず息飲んだ。ほとんど全裸の麻鳥が背後に立っていたのである。その肢体に見とれている余裕もなく、数名の男達はたちまちのうちに、ある者は刃にかかり、ある者は強力な膝蹴りをくらい、その場に昏倒した。縄抜けの術である。麻鳥はそのままいずこかへ姿を消した。
数日の後、麻鳥の姿は淡路島にあった。物陰に隠れて今津義太郎の陣をうかがうと、なるほど確かに、村上水軍の例の丸に上の字の旗がちらほらみうけられた。このままでは嘉隆の首が飛ぶと思い、麻鳥が思案していると、果たして沖合いに嘉隆の船団が姿を見せたのである。
麻鳥は覚悟した。弓矢を天に向かって引き絞り、ふっと息を吐くと、まるで手品のように点火され、火矢が天空に向かって放たれた。それを二度繰り返した。その光景を嘉隆は見逃さなかった。
「もしやあれは?」
「殿、いかがなされた?」
かたわらの金剛九兵衛が疑念をもった。
『火矢を二度天にむかって放つは、平八が我等に寝返り者がおることを知らせる合図。しかし平八は麻鳥……。麻鳥が生きていて、我等に寝返り者がおることを知らしめようとでもしているというか?』
「殿、どうなされた?」
金剛九兵衛が今一度たずねた。
「しかし用心するにこしたことはない。皆、撤退するぞ」
嘉隆は決断し、船団に撤退を命じた。その時である。遠くで銃声がした。それも数発響いた。嘉隆は何事か、不吉な予感におそわれずにはいられなかった。
その夜のことでだった。村上水軍の小船が一艘、ゆっくりと嘉隆の陣にやってきた。
「我等は村上水軍の主、村上武吉の使いの者である。是非とも敵の将九鬼嘉隆殿にお会いして伝えたいことがある」
使者は大声でいった。夜遅くであるが武吉の使者と聞き、嘉隆は寝床から起きて、ただちに使者のもとへ赴いた。そこで目にしたのは、冷たくなった麻鳥の屍だった。
「この者が怪しき素振りをしておるので、我等の手の者が咎めたところ、寝返り者あるを知らせたまでと申し、殺せば殺せと申したので成敗いたした次第。我等が主は、女ながら身を犠牲にして、己が裏切られたこともかえりみずに、貴殿を守ろうとする心意気に深く感じいり、丁重に葬るようにと我等を差し向けた次第でござる。
なお今津義太郎のことでござるが、我等が主は、主君を裏切る不忠者はもはや用がないと申し、すでに成敗いたしたる所存。では我等はこれにて御免」
この言葉に背後に控える嘉隆の家臣達は、皆一様に驚きの色をうかべた。
やがて麻鳥の死体を検分すると、一通の恐らく嘉隆に書いたであろう文が発見された。
『この手紙がお前に届くかどうかはわからない。しかしお前に届くと信じて書く。お前は私を敵に売った。だが私はお前を助ける。私はお前の妻を殺し、兄を殺した。これで貸し借りはなしにしたい。いやそんなことよりも、私はお前には生きてほしかった。なぜだが私自身にもわからないが、お前がこの乱世を行き抜く様を、どこか遠くでみていたい。そんな衝動にかられた。
お前はいつも海を見ている。海ばかり見ている。そしていつか私に、海の彼方の想像を絶する広い世界を語ってくれた。甲賀という狭い世界しか知らない私にとり、それは驚嘆すべきことだった。だが私はついにその広大の世界など知ることもなく、世を去ることになる。哀れまないでくれ。
悔いがないといえば嘘になる。なれどあまり愚痴をいうのもみっともないだろう。もし来世があるならば、お前とは別の形で再会したい。お前の愛人じゃなくてもいい。近くにいて笑っていられればそれでいいと思う。これ以上は何も語るまい。私はお前の妻を殺し、兄を殺した女ではあるが、もし可能ならお前の胸の内で最後を遂げたかった……』
嘉隆はしばし文を手にした手を震わせた。
「愚かな女よ、そして浅はかな女だ、そして哀れな奴よ。いいだろう。わしはお前の分までこの乱世、生き抜いてくれよう。生きて、そして戦いぬいてみせようぞ。それが、おまえという女が生きたせめてもの証ともなろう」
嘉隆は心に誓った。結局この時の戦いは、村上水軍が出鼻を挫かれたこともあり、今一つ戦意にとぼしく、小競り合いが続いた後、その本拠である能島へと帰っていった。しかし村上水軍との決戦の時は、刻々と近づいていた。
(三)
天正六年(一五七八)六月、ついに巨大鉄鋼船は完成した。この船について宣教師オルガンチノはこう記している。
『この船は、信長が伊勢の国で建造せしめたる日本国中最も大きく、また華麗なるものにして、王国(ポルトガル)の船に似たり。予は行きて之を見たるが、日本に於いて、かくのごとき物を造るに驚きたり』
また奈良興福寺の僧、多門院英俊の『多聞院日記』によると、長さ十二間から十三間(二十一.八メートルから二十三.七メートル)、幅七間(十二.七メートル)もあったと記述されている。
嘉隆は、その威容を見上げながら感涙にむせんだが、この鉄船には弱点もあった。その最大のものは、あまりの巨大さのため、干潮時には船を動かせないということだった。嘉隆はこの巨大な船を最大限活用するため、なおも知恵を絞らなければならなかった。
この年十月末、村上水軍が動いた。本願寺からの要請により、兵糧船とともに、再び木津川河口を目指したのである。
むろん嘉隆率いる九鬼水軍も動いた。しかしこの戦いの序盤は、嘉隆の側からは積極的に戦を仕掛けず、待ちの姿勢に終始する。一方の村上水軍の陣営には、木津川河口に化け物のような船が数艘停泊しているとの報が、すでにもたらされていた。さしもの村上武吉も、しばし鉄船を恐れて、決戦を避けるしかなかった。
しかし睨み合いが続き、問題の鉄船が少しも動く素振りがないと聞くと、武吉は考えた。恐らく鉄船は海上を封鎖する以外には、実戦では使えない船であろうと。
「それでは、こちらから決戦を仕掛けますか」
臣下の一人がたずねた。
「なに急ぐ必要はない。数日中に奴等のほうから仕掛けてくるであろう」
武吉は、そういって不敵な笑みをうかべた。
この時の嘉隆率いる九鬼水軍は、小早船四十艘に関船四艘、安宅船が二艘といったところである。一方の村上水軍は、小早船六百艘に関船が二、三艘といったところである。鉄の船をぬきにした考えた場合、織田水軍の劣勢は明らかだった。
十一月十四日、この日、木津川河口周辺には濃い霧が立ちこめていた。九鬼嘉隆の陣営では幾度目かの軍議が開かれ、この霧に乗じて敵水軍への奇襲を決行すべしと意見したのは、九鬼家本家の主の九鬼澄隆だった。
「この霧なれば、敵に奇襲を仕掛けるには絶好の好機かと存じます。それがしにお任せくだされ。必ずや敵陣を陥れて、敵将、村上武吉の首討ち取って御覧にいれましょう」
この時、澄隆はまだ若い。海戦の経験も乏しかった。この嘉隆の甥っ子は、生まれながらにして、お世辞にも聡明な人物ではなかった。ある種の阿呆であると、露骨に陰口をたたく者もいた。結局、九鬼の家の命運は嘉隆一人の双肩にかかり、名ばかりの本家なわけだが、それだからこそ澄隆にも、それなりに意地があった。
「我が主よ」
と嘉隆は、本来の九鬼家の頭に遠慮するかのようにいう。
「敵はもしやしたら、我等がこの霧に乗じて奇襲を仕掛けてくるかもしれぬと、あれいは読んでいるかもしれませぬぞ。敵の将の村上武吉なる者は、並の海の将ではござりませぬ。それよりも今宵、日付が変わる刻限は満月となりましょう。その時には、我等にとり万に匹敵する援軍が出現いたす。その時こそ勝負でござる」
澄隆は、しばし唖然とした。満月と戦となにが関係するというのか? 若い澄隆には、到底理解の及ばないことだった。結局、澄隆は内心忸怩たる思いを引きずりながら軍議の席を後にした。
「わからん、叔父上の申していることはわからん。叔父上は常々申しているではないか。戦というものは一旦戦機を逃してしまえば、これを取り戻すは並たいていなことではないと。今、この時がまさしくその戦機ではないのか? この機をのがしてなんとする。霧が晴れてからでは遅いのだ」
考えてみれば、いつも軍議の席の中心には嘉隆がいるが、本来なら己がそこに座るべきではないか? 己に力が足りないのは重々自覚しているが、なんとかしてこの合戦で手柄を立て、分家の嘉隆等を見返してみたい。まだ若い故、澄隆には気負いがあった。
結局、澄隆は側近の反対を押し切って、自らのわずかな手勢だけで、日が暮れる頃、奇襲を決行するに至ってしまう。果たして村上武吉は、敵の奇襲あるを読んでいた。鶴翼の陣形を敷いて、敵の奇襲部隊が出現するのを今か、今かと待ち構えていたのである。
濃い霧の中、澄隆が敵の備えが万全であることを知るには、すでに双方の弓矢が届く位置まで接近しなければならなかった。やがて敵方の開戦を告げるほら貝の音が、高らかと鳴り響いた。澄隆はその数の多さに仰天した。
むろんこのほら貝の音は、陸地の嘉隆の耳まで達していた。
「あの愚か者!」
嘉隆は思わず叫んだ。そしてがっくりと頭を垂れた。大事な兄、浄隆の忘れ肩身である。死なせるわけにはいかない。しかし今、むやみに兵を動かせば、敵の術中にはまるだけである。
「我が殿、それがし今より若君の救援に赴きまする」
と、申し出たのは金剛九兵衛だった。
「ならぬ、我が甥を死なせるわけにはいかぬが、そなたはなおのこと死んではならぬ男だ」
嘉隆が首を横にふった。
「我殿、実を申せばそれがしは今、眼病にござる。この目は急速に力を失い、薬師が申すには、ゆくゆく失明する運命とか」
「なんと! まことか?」
さしも嘉隆も驚愕して言葉を失った。
「殿……。戦場に立てぬ九兵衛など、もはや死んだも同然でござる。こたびこそは我等にとっても、織田家にとっても天下の行方を左右する大戦。かような戦なれば、金剛九兵衛死でも悔いはありませぬ。よいですか我が殿、今宵、満月が出現する時まで、金剛九兵衛必ずや時を稼ぎまする。その時まで、例えいかなることがあっても、ここを動いてはなりませぬぞ」
二人の間に、しばし沈黙の時が流れた。この時、嘉隆は三十六歳で九兵衛は三十四歳になっていた。まるでこのわずかな時が、二人の三十数年の時であるかのように、両者はしばし沈黙した。やがて嘉隆は背を向けて、
「行け!」
とだけいった。それに対する九兵衛の返事も短いものだった。
「それでは殿、これにて御免」
「待て、九兵衛」
九兵衛は足を止めた。
「いろいろと、そちのおかげで楽しかったぞ」
嘉隆はかすかに微笑んだ。そして九兵衛もまた微笑んだ。結局これが両者の今生の別れとなった。
九兵衛は自らは関船に乗り、小早を主体とするわずかな手勢で、敵、鶴翼の陣の右側面に回りこみ強襲をしかけた。この時には澄隆の部隊は完全包囲され、敵の弓矢、焙烙をいやというほど浴び、ほぼ壊滅状態だった。しかし九兵衛の部隊の出現により、かろうじて澄隆一人だけは虎口を脱することができた。今度は、敵の小早を主体とする部隊は旋回して、九兵衛の部隊を包囲する番だった。
九兵衛は眼病のため、すでに視界が薄ぼやけていた。海は青というより、半ば灰色だった。だがこの時ほど、精神が高揚したことはなかった。潮の香り、敵の陣太鼓の音、敵味方の武者の叫び声。それら全てが、すでに死を覚悟した九兵衛の血を沸騰させた。
「わしに坊主の読経はいらぬ。ただこの合戦場の風景があればそれでよい。わしは朽ちるまで戦う」
しかしこの戦いは、九兵衛にとっても、あまりに過酷なものとなった。丸に上の字の旗が、時間の経過とともに次第、次第に包囲を厚くしていった。さすが瀬戸内一の水軍を自認するだけあり、村上水軍の操船技術は、ずばぬけたものだった。
ところが不思議なものである。時がたつにつれ、己をとりまく状況が絶望的なものと変わりつつあるにも関わらず、九兵衛の精神の高揚は、次第、次第に心の絶対的な平静へと変わっていった。味方の船がことごとく敵に沈められ、やがて敵兵が九兵衛の関船を包囲してもなお、九兵衛は泰然自若としていた。
「己が大将か!」
ついに敵兵が関船に乗り移ってきた。しかし九兵衛はあわてる様子もなく、
「我はかって九鬼配下にあって、一人で百人と相対した金剛九兵衛である。命惜しくない者からかかってくるがいい」
と実に落ち着いて、静かにいった。
やがて村上水軍の猛者達と九兵衛そして、そのわずかな手勢との最後の戦いが始まった。しかしこの状況に至っても、嘉隆は九兵衛を助けるため動こうとはしなかった。
「面白い! 面白いぞ! これぞ戦の真骨頂だ」
村上水軍の猛者達も、最初は侮っていたが、やがて九兵衛のいう一人で百人と相対したという言葉が、偽りではないことを思いしらされることとなった。九兵衛の巨大な槍が空中で旋回する度に、村上水軍の兵士達の首が、断末魔の叫びをあげるまもなく宙に舞った。やがて槍は折れたが、素手の格闘でも九兵衛はひるまない。さらには弓矢が数本鎧を貫通するも、それでもなお九兵衛は戦い続けた。さしも村上水軍も恐れをなし、逃げ出す者さえいた。さながら人ではなく仁王を相手にしているかのようであった。
だが村上水軍は手に負えずと見るや、兵等のことごとくが一旦、関船から脱出し、そのうえで焙烙玉そして火矢を大量に浴びせた。九兵衛はついに炎の中で、その生涯を閉じることになる。最後に九兵衛の薄ぼやけた視界がとらえたものは、闇夜に一際光を放つ満月だった。九兵衛は思わず叫んだ。
「殿、この戦勝ちましたぞ! さらばにござる!」
その叫びと共に、九兵衛は炎を背負い海に身を投じ、そして二度と姿を見せることはなかった。
嘉隆もまた満月を見た。その時、はるか遠くの海で歓声がおこった。
『敵将、滅ぼしたり!』
ほぼ時を同じくし、嘉隆も刀をぬいた。白刃に月の光がきわどく反射した。
「者共! 出陣じゃあ!」
(四)
敵将、村上武吉は炎上する九兵衛の関船に、遠く目をやりながら、
「敵ながら天晴れな奴よ、死ぬには惜しい男だった」
と九兵衛の死を惜しみ、手を合わせてその冥福を祈った。その時、武吉の眼光もまた満月を鮮明にとらえた。
「うぬ満月か……なにやら不吉ではあるな」
武吉がなにやら不気味なものを感じたその時だった。にわかに味方の船から、どっと歓声があがった。
「親方、一大事が!」
手下の一人が血相を変えて、薄霧のかなたを指さした。その時、すでに異変はおきていた。武吉が、決して動くはずがないと思っていた巨大鉄船が、一艘、また一艘と、悠々と大坂湾を移動し始めたのである。
「嘘であろう!」
さしもの武吉も、まったく計算外の事態に、しばし狼狽した。
「そうかわかったぞ! 満月か!」
さすが海を知りぬいた男だけあり、武吉はようやくその謎を解くにいたった。嘉隆の鉄鋼船は、そのあまりの巨大さゆえ、浅瀬では船を動かすことができない。しかし満月の夜には、月・太陽・地球が一直線に並び、月による起潮力(太陰潮)と太陽による起潮力(太陽潮)とが重り合う。そのため高低差が大きくなり大潮(おおしお)となり、海面が一気に上昇するのである。当時の船乗り達は、そのことを熟知していた。
それはまさしく、大坂湾に浮かぶ巨大な城だった。十階建てのビルを横にしたほどの巨船である。さしも村上水軍も、しばしその威容に圧倒されずにはいられなかった。
「怯むな! 船はただでかければいいというものではない。焙烙玉の威力をみせてやれ!」
武吉の命令が、素早く村上水軍の各船に伝達されていく。確かにようやく動きだしたとはいえ、巨大鉄船の動きは緩慢で、たちまち村上水軍の小早に取り囲まれてしまった。
弓矢、鉄砲、そして焙烙玉が雨、嵐のように鉄船に投下された。ところがどうだろう。そのいずれもがカーン! カーン!という鈍い金属音を響かせるだけで、鉄船に、わずかばかりもダメージを与えることができなかった。
「どうだ! この船に敵の攻撃はまったく通じないぞ!」
嘉隆の叫びとともに、九鬼水軍の各船から、まるですでに戦に勝利したかのような鬨の声があがった。
この光景を遠望しながら、武吉は思わず歯軋りした。
「ならば致仕方なし、敵の船の動きは鈍い。取り囲んで船そのものを奪ってしまえ!」
再び武吉の命令が伝達されていく。愚鈍な巨大鉄船を、村上水軍の丸に上の旗が完全包囲するまで、決して時はかからなかった。しかし嘉隆はこの接近戦を待っていた。沿岸からこの光景を見守る九鬼水軍の将兵達、そして村上武吉にも緊張が走ったその次の瞬間だった。
突如として鈍い衝撃音が大阪湾に響き渡り、水柱が次から次へと立ち昇った。同時にもっとも巨大鉄船に肉薄していた村上水軍の小早から、ゆっくりと海中に没してゆく。この光景を遠くから見守っていた武吉には、瞬時、何がおこったのかわからなかった。巨大鉄船五艘から、計十八門の大砲が一斉に火を噴いたのである。その破壊力は、村上水軍の想像を絶していた。船が、そして人が炎上、あれいは海の藻屑と消えていく。そしてこの機を逃すことなく、九鬼水軍の他の軍船もまた、海へと漕ぎ出し戦闘を開始した。
しかしこの時点で、すでに勝敗は決したも同然だった。長く九鬼家の重鎮的存在だった金剛九兵衛の死は、すでに全軍の知るところであり、その怒りは、すでに戦意を失いつつあった村上水軍を圧倒した。
結局、戦闘が終了するのに夜明けを待つ必要すらなかった。村上武吉は戦場から離脱した。いや離脱せざるをえなかった。
「嘉隆め……。我が命あるかぎり屈辱は必ず晴らす」
鉄船が次第に遠ざかってゆく。逃走途上の船の中で、武吉は思わず歯軋りした。
「親方、先程から気になっていたんですが」
かたわらに控える手下の一人が、ぼそりと何事かを伝えようとした。
「なんじゃ? はっきり申せ」
「確か物見の報告では、鉄船は大坂湾に六艘あったとか。でも戦場には五艘しかいませんでしたぜ」
「なんだと? ならばもう一艘はどこにいるというんだ」
武吉が疑念をもったその時だった。
「親方!」
武吉のかたわらに控えていた者が、突如、狂気ともとれる叫びをあげた。次の瞬間である。武吉の眼下に薄霧の中、あの巨大鉄船が再び姿を現した。嘉隆は敵の退却路をあらかじめ予想し、鉄船一艘を迂回させ、待機させていたのである。村上水軍の小早数艘が、間に合わず巨大鉄船と衝突、大破した。そして武吉の乗る関船自体が、大砲の砲撃を受けついに炎上した。
「己! 嘉隆!」
村上武吉は生死不明となった。
ようやく霧が晴れだした大阪湾に、九鬼水軍の勝ち鬨の声がこだました。ほどなく夜明けがやってきた。湾にはおびだたしい数の敵船の残骸、敵兵士の屍、そしてあの丸に上の字の旗が漂っていた。その光景を目のあたりにしながら嘉隆は、
「九兵衛! この戦勝ったぞ!」
と、思わず大音声をあげた。こうして第二次木津川沖海戦は、織田方の九鬼水軍の圧勝で終わった。これにより毛利という最後の頼みの綱を失った石山本願寺は、二年後織田信長に降伏することとなる。その時九鬼嘉隆は三十八歳になっていた。
「恐れながら殿、こたびばかりは信長公に事の難しさを説明したうえで、この儀はお断りすべきかと存ずる」
困りはてた様子の嘉隆を見かねた金剛九兵衛が、ついに嘉隆に決断をうながした。
嘉隆は信長から鉄船製造を命じられ、まずは大湊の船大工に相談をもちかけた。しかし彼等は鉄の船と聞くと、鉄が水に浮かぶはずがないと一笑に付した。それから伊勢湾周辺の船大工を手当たりしだいに当たってみたが、まったくもって良い成果はえられなかった。
「殿、こたびばかりは、切腹覚悟で信長公に言上申し上げるよりほかござらん。なに信長公はあれで、相応に分別あるお方でござる。事情を説明すれば、きっとわかってくださるに相違ござらぬ」
結局、嘉隆は九兵衛のいうとおり、切腹覚悟で再び安土城へ出向いた。
安土城は現在は消失して、その姿をとどめていない。五層七階の天守閣であったといわれ、高さ二十四メートルの石蔵の上に、南北四十メートル、東西三十四メートルほどの広さだったと伝えられる。外部は各層が朱、青、白と違った色で塗られ、最上層は金色であった。内部の金具もことごとく金で、嘉隆が案内された部屋は、壁一面に狩野永徳の絵が描かれていた。
「何できぬと申すか?」
はたして信長は、一瞬にして表情を険しくした。
「恐れながら、いかように致しましても、鉄が水に浮くことはござりませぬ」
信長の怒りを恐れてか、嘉隆はやや声を震わせながらいった。
「嘉隆よ、そちがわしに仕えてから何年になる」
信長は語りだした。
「およそ十年ほどかと」
「そうじゃ、実はわずか十年ほどしかたっておらぬ。しかしこの十年ほどの間になにが変わったと思う。尾張一国従えるのやっとであった余が、今や二十数カ国の主だ。そなたがわしと初めて会った時、かようなことを予測できたか」
「まことに、殿に器量には頭が下がる思いでござる」
嘉隆はやや頭を垂れていった。
「人間為そうと思えば何事も為せぬことはない。頭を使え、工夫せよ」
だが嘉隆の表情には相変わらず困惑の色があった。
「いつかわしはそなたに話したことがあったな。南蛮のガマとか申す怪しげなる名をした船乗りが、この世が丸いと証明するまでの話を」
「はあ、覚えており申す」
「南蛮の宣教師が申すには、ガマなる者が世を一周するまでの間は、苦難の連続であったと聞くぞ。何しろ一年以上も、いずこかの海洋をさすらったわけだ。嵐にも遭遇したことだろう。ある時は霧で船団が散りじりになったそうだ。ある時は船内で流行り病がおきて、またある時は見ず知らずの土地で、野蛮人ども襲撃をうけ多くの水兵が死んだそうだ。この世を一周して、己の生まれ育った地に戻った時には、一五〇人いたはずが五十人ほどだったそうな。
南蛮の船乗りはかくも苦難に遭遇してなお、決して屈することなく、何人も為せぬことをやってのけたのじゃ。汝も簡単なことで音をあげるな」
「さりながら、いかに南蛮の船乗りとは申せ、はたして鉄を水に浮かべることができるか否か」
信長の眉間のしわが深くなった。そしてついに刀をぬき、つかつかと嘉隆に歩みよった。嘉隆は死を覚悟した。だが信長は嘉隆の首筋に刀を当てると、
「汝、切腹覚悟でここにきたのであろう。そちはこの刀が、いかようにして作られるか存じておるか」
と謎の問いを発した。
「存じておりまする」
嘉隆は声を震わせながらいった。
「己の目で、ただの鉄くずが、刀に加工されるさまを見たことがあるか?」
「それはありませぬ」
「ならば汝腹切る前に、その光景己の目で確かめるがよい」
結局、嘉隆は安土城を後にし、信長の命で向かった場所は、現在の岐阜県関市だった。ここに刀鍛冶として有名な関鍛冶があった。
ここで嘉隆は、己が常に腰にさしているものが、いかように作られるか、その様子をつぶさに見ることとなる。
作業はまず、質の高い鋼を作ることから始まる。日本独特の製鉄炉をたたらという。玉鋼といわれる日本独特の鉄は、原料に砂鉄を用いて、大量の木炭をたたらに投入して製造される。職人達は千度以上の熱と格闘しながら、三日以上眠ることなく作業に没頭する。なんと二十六トン以上もの砂鉄が使用されるというから驚きである。この際、木炭による炭素の量が多すぎれば柔らかい刀に、少なすぎればもろい刀になるといわれる。
その次の作業が鋼の組合せである。玉鋼、銑鉄、包丁鉄の3種類の下鍛えが済めば小槌で叩いて鉄片にし、それぞれの鋼の配合が適切になるように選んで、積み上げて溶かし固める。この段階で含有炭素量が異なる心金(しんがね)、棟金(むねがね)、刃金(はのかね)、側金(がわがね)の四種類の鋼に作り分けられる。鍛錬(上鍛え)心金で七回、棟金で九回、刃金では十五回、側金では十二回程度の折り返しが行なわれる。叩き延ばした鋼を折り返しながら鍛錬を重ねることで、硫黄などの不純物や余分な炭素、非金属介在物を追い出し、数千層にも及ぶ均質で強靭な鋼へと仕上がっていく。
以後の作業はあまりに長くなるので省略するが、とにかく嘉隆は、そこに日本の治金技術の粋を見た。地球を周航する西欧の船乗りの技術は、実にすぐれているが、日本の職人の技術を生かせば、あれいは西欧にもない鉄の船を建造できるのではないか。その時から嘉隆と関鍛冶の挑戦がはじまった。
計画では、安宅船の矢倉に薄い鉄板をはることとなっていた。均等な薄さで、丈夫な鉄板を大量に製造する。しかし当時の技術では、関鍛冶をもってしても薄さ三ミリが限界である。その三ミリでも、船の重心を安定させるための船底の重りや、武器弾薬そして兵士を乗せた時の重みで、船が沈んでしまう可能性があった。
鉄の重量の増加は面積に比例する。浮力の増加は体積に比例する。鉄の重量の増加を浮力が上回れば、浮力の余裕ができた分、重りを乗せて船を安定化させることができるのである。
現在の学者の計算によると、通常の安宅船の大きさが二十メートルほどなのに対して、およそ三十メートルほどで船は沈まない計算になる。しかし全長三十メートルの船など前代未聞である。もちろん西欧でもそのように巨大な船は建造されたことはない。
しかし嘉隆は決して折れることなく、関鍛冶とともに地道に作業に取り組んだ。ところである。ようやく鉄鋼船の建造という、夢が現実味を帯び始めた頃、またしても村上水軍が動きだしたのである。
(二)
なぜか紫色の雨が降っていた。嘉隆は夢で篠と会った。篠はいつもよりなおも青白い顔をして、やはりいつも通り、海を背にして立っていた。
「どうしたのだ篠、体でも悪いのか?」
嘉隆は、なんといって声をかけていいかわからず、いささかぶっきらぼうに言った。
紫色の雨が、篠の髪を淡く濡らした。
「寒いのです。抱いてください」
篠もまた、ぶっきらぼうにいった。
「これでいいか?」
嘉隆の肩にずっしりと重みがかかった。そして男を陶酔させずにはいられない、妖しい香りがした。
「優しい人、でも今日でまことのお別れです」
「たわむれを申すな」
嘉隆はかすかに動揺しながらいったが、篠の瞳には嘘偽りは書いてなかった。
「わしが仏に弓引いたゆえ、これ以上会うことかなわぬと申すか?」
「いえ、そうではありませぬ。どうしても私は今よりも遠い黄泉の国へ、赴かねばならなくなりました。私は貴方の胸の中に生き続けましょう。貴方が生きて、苦悩し、そして戦い続けるかぎりは……。私は信じています。あの恋が幻ではなかったことを……。例え貴方が私の生まれた国より、はるかに遠い世界へ赴いたとしても、私を思ってください」
篠は背を向けた。嘉隆は焦った。これが永遠の別れであることが、ようやく実感として伝わってきたからである。
「待て! 行くな!」
すると篠が振り向いた。
「最後に、これだけはお伝えしておかねばなりません。貴方の側近くに仕える平八という者のことです。あの者はかっての平八ではもはやありません」
「どういうことだ?」
「まことの平八はすでに死にました。今の平八はかの眼狐、そうあの麻鳥とか申す者が化けた姿」
嘉隆は、しばし呆然として言葉を失った。それが最後の言葉だった。嘉隆は波の彼方にゆっくりと消えていく篠を、もはやどうすることもできなかったのである。
だが嘉隆には、別れを悲しんでいる余裕すらなかった。瀬戸内の海で、村上水軍の動きが慌しくなったという報が嘉隆のもとにはいった。ほどなく平八が嘉隆に呼び出された。
「これからいよいよ大戦じゃ。汝は足労ではあるが、敵の状況視察に僧侶か商人にでも化けて、はるばる芸予諸島の能島まで足を運んでくれんか?」
平八は嘉隆の言葉に疑いを持たず、その日のうちに出立した。しかしこれは罠だった。
その頃、能島村上水軍の主の村上武吉は、戦を前に武器・弾薬等の購入に追われていた。武器商人に化けて現れた平八であったが、武吉は以前、伊勢・大湊で嘉隆の背後に控えている平八を、一度だけ見て知っていた。瞬時にしてその正体を見破られた平八は、そのまま座敷牢へ幽閉されてしまったのである。
やがて武吉自らが平八のもとへやってきた。
「主は嘉隆にとりいかなる存在じゃ?」
まず、武吉は座敷牢の中の平八にたずねた。
「仕えるべき主じゃ。それ以外の何者でもない」
すると武吉は、なにやら怪しい者でも見るような目で平八を見た。
「そなた嘉隆の愛人ではないのか?」
「愛人? 愛人とはどういうことだ?」
「たわけが、わしが知らぬとでも思っておるのか。汝は男ではない」
平八の表情が、かすかに赤みをおびた。
「まず、正直に申せ。いかなる縁あって、そなたは嘉隆に仕えることとなった?」
それから平八は、本当の名が麻鳥であること。嘉隆との今までの経緯。嘉隆に仕えることになるまでを正直に語った。
「なるほどのう。思うに嘉隆は、そなたの正体を見破ったのであろう。されど己の手で成敗するにしのびなく、汝をわしに委ねたわけだ」
恐らくその通りであろう。麻鳥は己の浅はかさや、悔しさ、それに嘉隆への思いなどが胸中で複雑に交差し、思わずうつむいた。
「私を殺すつもりか?」
麻鳥はようやく言葉を発した。
「今、いかにするか考えているところだ。主の命、今日、明日やも知れぬゆえ、申し残すことあらば聞いてやってもよいぞ」
そういって武吉は、麻鳥の前から去っていった。
さて瀬戸内に浮かぶ淡路島は、村上水軍にとっても嘉隆率いる九鬼水軍にとっても、戦略上極めて重要な拠点といってよい。
嘉隆は淡路島に、家臣の一人で今津義太郎という者を派遣して、村上水軍の動きに備えさせていた。この今津義太郎なる者は、かって嘉隆に敵対した、志摩地頭衆の一人三浦新助の臣下だった者である。三浦氏が嘉隆に滅ぼされた後は、やむなく嘉隆に服従していた。
この義太郎から、淡路島に村上水軍が大軍をさしむけてきたという報が入った。嘉隆はただちに小早と関船からなる救援部隊をさしむけることとし、全水軍の指揮を自らがとることとした。
村上水軍が淡路島めざして出航し始めた同じ頃、麻鳥は体を縄できつく縛られたうえで、人気のない場所に連行された。武吉がついに処刑の命をくだしたのである。
「この糞女め! そこに座れ!」
処刑を命じられた村上水軍の兵士は、麻鳥を乱暴に扱った。無理矢理その場に座らせ、そして抜刀した。
「事情はよう知らんが、お前はひょっとして九鬼嘉隆という野郎に、恋でもしていたのか? でも裏切られたわけか。冥土の土産に教えてやる。あの九鬼とかいう男の命運はほどなくつきる」
麻鳥は驚き顔をあげた。
「淡路島の今津義太郎とか申す奴が、我等からの誘いに応じて内応を約束した。なんでも、今まで嫌々嘉隆に従ってきたが、嘉隆には主家を滅ぼされた恨みがあるとか。嘉隆が淡路島に上陸したら最後、その首が飛ぶことになっている」
麻鳥は驚愕した。半ば死を覚悟していたが、ここでは死ねぬと思った。村上水軍の兵士達が、わずかに目をはなしたその瞬間に異変はおこった。縄で厳重に縛られていたはずの麻鳥の姿が、突如として消えたのである。気がついた時には、脱ぎ捨てられた衣服だけが残っていた。
次の瞬間、兵士達は思わず息飲んだ。ほとんど全裸の麻鳥が背後に立っていたのである。その肢体に見とれている余裕もなく、数名の男達はたちまちのうちに、ある者は刃にかかり、ある者は強力な膝蹴りをくらい、その場に昏倒した。縄抜けの術である。麻鳥はそのままいずこかへ姿を消した。
数日の後、麻鳥の姿は淡路島にあった。物陰に隠れて今津義太郎の陣をうかがうと、なるほど確かに、村上水軍の例の丸に上の字の旗がちらほらみうけられた。このままでは嘉隆の首が飛ぶと思い、麻鳥が思案していると、果たして沖合いに嘉隆の船団が姿を見せたのである。
麻鳥は覚悟した。弓矢を天に向かって引き絞り、ふっと息を吐くと、まるで手品のように点火され、火矢が天空に向かって放たれた。それを二度繰り返した。その光景を嘉隆は見逃さなかった。
「もしやあれは?」
「殿、いかがなされた?」
かたわらの金剛九兵衛が疑念をもった。
『火矢を二度天にむかって放つは、平八が我等に寝返り者がおることを知らせる合図。しかし平八は麻鳥……。麻鳥が生きていて、我等に寝返り者がおることを知らしめようとでもしているというか?』
「殿、どうなされた?」
金剛九兵衛が今一度たずねた。
「しかし用心するにこしたことはない。皆、撤退するぞ」
嘉隆は決断し、船団に撤退を命じた。その時である。遠くで銃声がした。それも数発響いた。嘉隆は何事か、不吉な予感におそわれずにはいられなかった。
その夜のことでだった。村上水軍の小船が一艘、ゆっくりと嘉隆の陣にやってきた。
「我等は村上水軍の主、村上武吉の使いの者である。是非とも敵の将九鬼嘉隆殿にお会いして伝えたいことがある」
使者は大声でいった。夜遅くであるが武吉の使者と聞き、嘉隆は寝床から起きて、ただちに使者のもとへ赴いた。そこで目にしたのは、冷たくなった麻鳥の屍だった。
「この者が怪しき素振りをしておるので、我等の手の者が咎めたところ、寝返り者あるを知らせたまでと申し、殺せば殺せと申したので成敗いたした次第。我等が主は、女ながら身を犠牲にして、己が裏切られたこともかえりみずに、貴殿を守ろうとする心意気に深く感じいり、丁重に葬るようにと我等を差し向けた次第でござる。
なお今津義太郎のことでござるが、我等が主は、主君を裏切る不忠者はもはや用がないと申し、すでに成敗いたしたる所存。では我等はこれにて御免」
この言葉に背後に控える嘉隆の家臣達は、皆一様に驚きの色をうかべた。
やがて麻鳥の死体を検分すると、一通の恐らく嘉隆に書いたであろう文が発見された。
『この手紙がお前に届くかどうかはわからない。しかしお前に届くと信じて書く。お前は私を敵に売った。だが私はお前を助ける。私はお前の妻を殺し、兄を殺した。これで貸し借りはなしにしたい。いやそんなことよりも、私はお前には生きてほしかった。なぜだが私自身にもわからないが、お前がこの乱世を行き抜く様を、どこか遠くでみていたい。そんな衝動にかられた。
お前はいつも海を見ている。海ばかり見ている。そしていつか私に、海の彼方の想像を絶する広い世界を語ってくれた。甲賀という狭い世界しか知らない私にとり、それは驚嘆すべきことだった。だが私はついにその広大の世界など知ることもなく、世を去ることになる。哀れまないでくれ。
悔いがないといえば嘘になる。なれどあまり愚痴をいうのもみっともないだろう。もし来世があるならば、お前とは別の形で再会したい。お前の愛人じゃなくてもいい。近くにいて笑っていられればそれでいいと思う。これ以上は何も語るまい。私はお前の妻を殺し、兄を殺した女ではあるが、もし可能ならお前の胸の内で最後を遂げたかった……』
嘉隆はしばし文を手にした手を震わせた。
「愚かな女よ、そして浅はかな女だ、そして哀れな奴よ。いいだろう。わしはお前の分までこの乱世、生き抜いてくれよう。生きて、そして戦いぬいてみせようぞ。それが、おまえという女が生きたせめてもの証ともなろう」
嘉隆は心に誓った。結局この時の戦いは、村上水軍が出鼻を挫かれたこともあり、今一つ戦意にとぼしく、小競り合いが続いた後、その本拠である能島へと帰っていった。しかし村上水軍との決戦の時は、刻々と近づいていた。
(三)
天正六年(一五七八)六月、ついに巨大鉄鋼船は完成した。この船について宣教師オルガンチノはこう記している。
『この船は、信長が伊勢の国で建造せしめたる日本国中最も大きく、また華麗なるものにして、王国(ポルトガル)の船に似たり。予は行きて之を見たるが、日本に於いて、かくのごとき物を造るに驚きたり』
また奈良興福寺の僧、多門院英俊の『多聞院日記』によると、長さ十二間から十三間(二十一.八メートルから二十三.七メートル)、幅七間(十二.七メートル)もあったと記述されている。
嘉隆は、その威容を見上げながら感涙にむせんだが、この鉄船には弱点もあった。その最大のものは、あまりの巨大さのため、干潮時には船を動かせないということだった。嘉隆はこの巨大な船を最大限活用するため、なおも知恵を絞らなければならなかった。
この年十月末、村上水軍が動いた。本願寺からの要請により、兵糧船とともに、再び木津川河口を目指したのである。
むろん嘉隆率いる九鬼水軍も動いた。しかしこの戦いの序盤は、嘉隆の側からは積極的に戦を仕掛けず、待ちの姿勢に終始する。一方の村上水軍の陣営には、木津川河口に化け物のような船が数艘停泊しているとの報が、すでにもたらされていた。さしもの村上武吉も、しばし鉄船を恐れて、決戦を避けるしかなかった。
しかし睨み合いが続き、問題の鉄船が少しも動く素振りがないと聞くと、武吉は考えた。恐らく鉄船は海上を封鎖する以外には、実戦では使えない船であろうと。
「それでは、こちらから決戦を仕掛けますか」
臣下の一人がたずねた。
「なに急ぐ必要はない。数日中に奴等のほうから仕掛けてくるであろう」
武吉は、そういって不敵な笑みをうかべた。
この時の嘉隆率いる九鬼水軍は、小早船四十艘に関船四艘、安宅船が二艘といったところである。一方の村上水軍は、小早船六百艘に関船が二、三艘といったところである。鉄の船をぬきにした考えた場合、織田水軍の劣勢は明らかだった。
十一月十四日、この日、木津川河口周辺には濃い霧が立ちこめていた。九鬼嘉隆の陣営では幾度目かの軍議が開かれ、この霧に乗じて敵水軍への奇襲を決行すべしと意見したのは、九鬼家本家の主の九鬼澄隆だった。
「この霧なれば、敵に奇襲を仕掛けるには絶好の好機かと存じます。それがしにお任せくだされ。必ずや敵陣を陥れて、敵将、村上武吉の首討ち取って御覧にいれましょう」
この時、澄隆はまだ若い。海戦の経験も乏しかった。この嘉隆の甥っ子は、生まれながらにして、お世辞にも聡明な人物ではなかった。ある種の阿呆であると、露骨に陰口をたたく者もいた。結局、九鬼の家の命運は嘉隆一人の双肩にかかり、名ばかりの本家なわけだが、それだからこそ澄隆にも、それなりに意地があった。
「我が主よ」
と嘉隆は、本来の九鬼家の頭に遠慮するかのようにいう。
「敵はもしやしたら、我等がこの霧に乗じて奇襲を仕掛けてくるかもしれぬと、あれいは読んでいるかもしれませぬぞ。敵の将の村上武吉なる者は、並の海の将ではござりませぬ。それよりも今宵、日付が変わる刻限は満月となりましょう。その時には、我等にとり万に匹敵する援軍が出現いたす。その時こそ勝負でござる」
澄隆は、しばし唖然とした。満月と戦となにが関係するというのか? 若い澄隆には、到底理解の及ばないことだった。結局、澄隆は内心忸怩たる思いを引きずりながら軍議の席を後にした。
「わからん、叔父上の申していることはわからん。叔父上は常々申しているではないか。戦というものは一旦戦機を逃してしまえば、これを取り戻すは並たいていなことではないと。今、この時がまさしくその戦機ではないのか? この機をのがしてなんとする。霧が晴れてからでは遅いのだ」
考えてみれば、いつも軍議の席の中心には嘉隆がいるが、本来なら己がそこに座るべきではないか? 己に力が足りないのは重々自覚しているが、なんとかしてこの合戦で手柄を立て、分家の嘉隆等を見返してみたい。まだ若い故、澄隆には気負いがあった。
結局、澄隆は側近の反対を押し切って、自らのわずかな手勢だけで、日が暮れる頃、奇襲を決行するに至ってしまう。果たして村上武吉は、敵の奇襲あるを読んでいた。鶴翼の陣形を敷いて、敵の奇襲部隊が出現するのを今か、今かと待ち構えていたのである。
濃い霧の中、澄隆が敵の備えが万全であることを知るには、すでに双方の弓矢が届く位置まで接近しなければならなかった。やがて敵方の開戦を告げるほら貝の音が、高らかと鳴り響いた。澄隆はその数の多さに仰天した。
むろんこのほら貝の音は、陸地の嘉隆の耳まで達していた。
「あの愚か者!」
嘉隆は思わず叫んだ。そしてがっくりと頭を垂れた。大事な兄、浄隆の忘れ肩身である。死なせるわけにはいかない。しかし今、むやみに兵を動かせば、敵の術中にはまるだけである。
「我が殿、それがし今より若君の救援に赴きまする」
と、申し出たのは金剛九兵衛だった。
「ならぬ、我が甥を死なせるわけにはいかぬが、そなたはなおのこと死んではならぬ男だ」
嘉隆が首を横にふった。
「我殿、実を申せばそれがしは今、眼病にござる。この目は急速に力を失い、薬師が申すには、ゆくゆく失明する運命とか」
「なんと! まことか?」
さしも嘉隆も驚愕して言葉を失った。
「殿……。戦場に立てぬ九兵衛など、もはや死んだも同然でござる。こたびこそは我等にとっても、織田家にとっても天下の行方を左右する大戦。かような戦なれば、金剛九兵衛死でも悔いはありませぬ。よいですか我が殿、今宵、満月が出現する時まで、金剛九兵衛必ずや時を稼ぎまする。その時まで、例えいかなることがあっても、ここを動いてはなりませぬぞ」
二人の間に、しばし沈黙の時が流れた。この時、嘉隆は三十六歳で九兵衛は三十四歳になっていた。まるでこのわずかな時が、二人の三十数年の時であるかのように、両者はしばし沈黙した。やがて嘉隆は背を向けて、
「行け!」
とだけいった。それに対する九兵衛の返事も短いものだった。
「それでは殿、これにて御免」
「待て、九兵衛」
九兵衛は足を止めた。
「いろいろと、そちのおかげで楽しかったぞ」
嘉隆はかすかに微笑んだ。そして九兵衛もまた微笑んだ。結局これが両者の今生の別れとなった。
九兵衛は自らは関船に乗り、小早を主体とするわずかな手勢で、敵、鶴翼の陣の右側面に回りこみ強襲をしかけた。この時には澄隆の部隊は完全包囲され、敵の弓矢、焙烙をいやというほど浴び、ほぼ壊滅状態だった。しかし九兵衛の部隊の出現により、かろうじて澄隆一人だけは虎口を脱することができた。今度は、敵の小早を主体とする部隊は旋回して、九兵衛の部隊を包囲する番だった。
九兵衛は眼病のため、すでに視界が薄ぼやけていた。海は青というより、半ば灰色だった。だがこの時ほど、精神が高揚したことはなかった。潮の香り、敵の陣太鼓の音、敵味方の武者の叫び声。それら全てが、すでに死を覚悟した九兵衛の血を沸騰させた。
「わしに坊主の読経はいらぬ。ただこの合戦場の風景があればそれでよい。わしは朽ちるまで戦う」
しかしこの戦いは、九兵衛にとっても、あまりに過酷なものとなった。丸に上の字の旗が、時間の経過とともに次第、次第に包囲を厚くしていった。さすが瀬戸内一の水軍を自認するだけあり、村上水軍の操船技術は、ずばぬけたものだった。
ところが不思議なものである。時がたつにつれ、己をとりまく状況が絶望的なものと変わりつつあるにも関わらず、九兵衛の精神の高揚は、次第、次第に心の絶対的な平静へと変わっていった。味方の船がことごとく敵に沈められ、やがて敵兵が九兵衛の関船を包囲してもなお、九兵衛は泰然自若としていた。
「己が大将か!」
ついに敵兵が関船に乗り移ってきた。しかし九兵衛はあわてる様子もなく、
「我はかって九鬼配下にあって、一人で百人と相対した金剛九兵衛である。命惜しくない者からかかってくるがいい」
と実に落ち着いて、静かにいった。
やがて村上水軍の猛者達と九兵衛そして、そのわずかな手勢との最後の戦いが始まった。しかしこの状況に至っても、嘉隆は九兵衛を助けるため動こうとはしなかった。
「面白い! 面白いぞ! これぞ戦の真骨頂だ」
村上水軍の猛者達も、最初は侮っていたが、やがて九兵衛のいう一人で百人と相対したという言葉が、偽りではないことを思いしらされることとなった。九兵衛の巨大な槍が空中で旋回する度に、村上水軍の兵士達の首が、断末魔の叫びをあげるまもなく宙に舞った。やがて槍は折れたが、素手の格闘でも九兵衛はひるまない。さらには弓矢が数本鎧を貫通するも、それでもなお九兵衛は戦い続けた。さしも村上水軍も恐れをなし、逃げ出す者さえいた。さながら人ではなく仁王を相手にしているかのようであった。
だが村上水軍は手に負えずと見るや、兵等のことごとくが一旦、関船から脱出し、そのうえで焙烙玉そして火矢を大量に浴びせた。九兵衛はついに炎の中で、その生涯を閉じることになる。最後に九兵衛の薄ぼやけた視界がとらえたものは、闇夜に一際光を放つ満月だった。九兵衛は思わず叫んだ。
「殿、この戦勝ちましたぞ! さらばにござる!」
その叫びと共に、九兵衛は炎を背負い海に身を投じ、そして二度と姿を見せることはなかった。
嘉隆もまた満月を見た。その時、はるか遠くの海で歓声がおこった。
『敵将、滅ぼしたり!』
ほぼ時を同じくし、嘉隆も刀をぬいた。白刃に月の光がきわどく反射した。
「者共! 出陣じゃあ!」
(四)
敵将、村上武吉は炎上する九兵衛の関船に、遠く目をやりながら、
「敵ながら天晴れな奴よ、死ぬには惜しい男だった」
と九兵衛の死を惜しみ、手を合わせてその冥福を祈った。その時、武吉の眼光もまた満月を鮮明にとらえた。
「うぬ満月か……なにやら不吉ではあるな」
武吉がなにやら不気味なものを感じたその時だった。にわかに味方の船から、どっと歓声があがった。
「親方、一大事が!」
手下の一人が血相を変えて、薄霧のかなたを指さした。その時、すでに異変はおきていた。武吉が、決して動くはずがないと思っていた巨大鉄船が、一艘、また一艘と、悠々と大坂湾を移動し始めたのである。
「嘘であろう!」
さしもの武吉も、まったく計算外の事態に、しばし狼狽した。
「そうかわかったぞ! 満月か!」
さすが海を知りぬいた男だけあり、武吉はようやくその謎を解くにいたった。嘉隆の鉄鋼船は、そのあまりの巨大さゆえ、浅瀬では船を動かすことができない。しかし満月の夜には、月・太陽・地球が一直線に並び、月による起潮力(太陰潮)と太陽による起潮力(太陽潮)とが重り合う。そのため高低差が大きくなり大潮(おおしお)となり、海面が一気に上昇するのである。当時の船乗り達は、そのことを熟知していた。
それはまさしく、大坂湾に浮かぶ巨大な城だった。十階建てのビルを横にしたほどの巨船である。さしも村上水軍も、しばしその威容に圧倒されずにはいられなかった。
「怯むな! 船はただでかければいいというものではない。焙烙玉の威力をみせてやれ!」
武吉の命令が、素早く村上水軍の各船に伝達されていく。確かにようやく動きだしたとはいえ、巨大鉄船の動きは緩慢で、たちまち村上水軍の小早に取り囲まれてしまった。
弓矢、鉄砲、そして焙烙玉が雨、嵐のように鉄船に投下された。ところがどうだろう。そのいずれもがカーン! カーン!という鈍い金属音を響かせるだけで、鉄船に、わずかばかりもダメージを与えることができなかった。
「どうだ! この船に敵の攻撃はまったく通じないぞ!」
嘉隆の叫びとともに、九鬼水軍の各船から、まるですでに戦に勝利したかのような鬨の声があがった。
この光景を遠望しながら、武吉は思わず歯軋りした。
「ならば致仕方なし、敵の船の動きは鈍い。取り囲んで船そのものを奪ってしまえ!」
再び武吉の命令が伝達されていく。愚鈍な巨大鉄船を、村上水軍の丸に上の旗が完全包囲するまで、決して時はかからなかった。しかし嘉隆はこの接近戦を待っていた。沿岸からこの光景を見守る九鬼水軍の将兵達、そして村上武吉にも緊張が走ったその次の瞬間だった。
突如として鈍い衝撃音が大阪湾に響き渡り、水柱が次から次へと立ち昇った。同時にもっとも巨大鉄船に肉薄していた村上水軍の小早から、ゆっくりと海中に没してゆく。この光景を遠くから見守っていた武吉には、瞬時、何がおこったのかわからなかった。巨大鉄船五艘から、計十八門の大砲が一斉に火を噴いたのである。その破壊力は、村上水軍の想像を絶していた。船が、そして人が炎上、あれいは海の藻屑と消えていく。そしてこの機を逃すことなく、九鬼水軍の他の軍船もまた、海へと漕ぎ出し戦闘を開始した。
しかしこの時点で、すでに勝敗は決したも同然だった。長く九鬼家の重鎮的存在だった金剛九兵衛の死は、すでに全軍の知るところであり、その怒りは、すでに戦意を失いつつあった村上水軍を圧倒した。
結局、戦闘が終了するのに夜明けを待つ必要すらなかった。村上武吉は戦場から離脱した。いや離脱せざるをえなかった。
「嘉隆め……。我が命あるかぎり屈辱は必ず晴らす」
鉄船が次第に遠ざかってゆく。逃走途上の船の中で、武吉は思わず歯軋りした。
「親方、先程から気になっていたんですが」
かたわらに控える手下の一人が、ぼそりと何事かを伝えようとした。
「なんじゃ? はっきり申せ」
「確か物見の報告では、鉄船は大坂湾に六艘あったとか。でも戦場には五艘しかいませんでしたぜ」
「なんだと? ならばもう一艘はどこにいるというんだ」
武吉が疑念をもったその時だった。
「親方!」
武吉のかたわらに控えていた者が、突如、狂気ともとれる叫びをあげた。次の瞬間である。武吉の眼下に薄霧の中、あの巨大鉄船が再び姿を現した。嘉隆は敵の退却路をあらかじめ予想し、鉄船一艘を迂回させ、待機させていたのである。村上水軍の小早数艘が、間に合わず巨大鉄船と衝突、大破した。そして武吉の乗る関船自体が、大砲の砲撃を受けついに炎上した。
「己! 嘉隆!」
村上武吉は生死不明となった。
ようやく霧が晴れだした大阪湾に、九鬼水軍の勝ち鬨の声がこだました。ほどなく夜明けがやってきた。湾にはおびだたしい数の敵船の残骸、敵兵士の屍、そしてあの丸に上の字の旗が漂っていた。その光景を目のあたりにしながら嘉隆は、
「九兵衛! この戦勝ったぞ!」
と、思わず大音声をあげた。こうして第二次木津川沖海戦は、織田方の九鬼水軍の圧勝で終わった。これにより毛利という最後の頼みの綱を失った石山本願寺は、二年後織田信長に降伏することとなる。その時九鬼嘉隆は三十八歳になっていた。
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