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39 プリン。

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 どうせこのあとも、またいつものコースで院内を徘徊するのだろう。地縛霊ってそういうもんだ。未練を埋め合わせすべく、因縁ある場所でおなじ行動をしつづける。それはまるで古いフィルムを繰り返し再生するように。

 キノシタセイジが出没するのは、生前彼のいた病室とロビー、そして二階にある見晴らしのいい待合所だ。待合所のガラス越しには田園風景が広がっていて、彼はそこでぼんやり景色を眺めたあとにすぅっと消える。

 キノシタセイジと別れたあとは売店で一番高いプリンを五つ買って、さっさと哲也くんのところへ戻ることにした。そして病室の前まで帰ってきた俺は目を剥いた。
 なんと部屋の入り口に幽霊がわんさか集まっていたのだ。彼らは好奇心満々で部屋の中を覗いていた。

「な、なにごと⁉」
 部屋の中に入るには、この見目みめ恐ろしい幽霊たちを掻きわけて行かなきゃなんないだなんて……、泣く。

 すると、
「そんなこと、俺は認めんっ!」
 中から坊主のおじさんの怒号が聞こえてきて、俺は「ヒェッ」と身を竦ませた。

 どうやらおじさんは、自分が寝てる間に引退させられたことや、寺から立ち退かされたことを知ってしまったらしい。

「帰れっ! お前らもう帰れっ!!」
「それじゃ、あなた、またあとで来るわ」
「あっ、おばさん、ありがとう」
「いいのよ、藤守くん、またね。さようなら」
 中から出てきたおばさんたちは、そそくさと逃げるようにして帰っていった。

 仕切りから見えたおじさんは、頭から湯気を立てている。こういうときはプリンだ、プリン。俺はおじさんのベッドへ寄ると、「はい、おじさん」と、プリンを手渡した。おじさんの袖口からチラリと見えた手首には、昨日まではなかったごつごつとした数珠がついている。

(おぉ~。ホントにお坊さんっぽくなってる)
「俺ね、隣にいるからなにかあったら呼んでね」
「…‥ありがとう」
 おじさんは気まずかったのか、えへんとひとつ咳払いした。

 哲也くんの枕もとにも、プリンとスプーンを添える。「はい、どうぞ。今日のプリンはね、いつもより豪華なんだよ。おいしいよ?」と報告すると、
「お前、それってちょっと……」
 美濃がもごもごと口を濁した。
「? なに? あ、これは先生の分だよ」
「お、おぉ。サンキュー、悪いな」

 いいよ、これくらい。朝も昼も奢ってもらってるからね。ちょっとしたお礼だよ。それに今夜はステーキを食べさせてもらえるかもしれないんだし? ほくそ笑みながら、俺はプリンの封を開けた。
 
「そういえば先生。キノシタセイジのお見舞いに、ビールとスルメを持っていってたの? 病人にそんなもの持ってきてよかったのか?」
「お~ま~え~」
 美濃が蒼くした顔を嫌そうに歪める。

「そんな怖いこと云うなよ~。俺はお前とちがって幽霊そういうのに免疫ないんだぞ?」
「じゃぁ、慣れてよ。俺だって怖い思いしてるんだし? もう、そのあたりウジャウジャよ?」
 
 おじさんが起きてからは、病室の扉は開けっぱなしにされていた。だからこちらを興味津々に覗いている幽霊たちがよく見えている。ただ見えてはいるが、彼らは絶対にこちらに寄ってこない。おじさんがが元気になったことで、ふたたび結界のような力が発動してるんだろう。

 そのあたり、と云って、俺がスプーンを持つ手で出入り口を指したので、美濃がビビッて、心持ち椅子を俺に近づけてきた。
征士せいじもそこにいるのか?」
「ううん。今はいないよ? また二階から外を眺めてるんじゃないかな?」
「外って、田んぼのあたり?」
「うん、そう」

 そのまま黙りこんでしまった美濃を不思議に思って見てみると、彼は物憂げな表情かおをしてプリンカップのなかをスプーンで突いていた。
「……先生、食べないの?」
「プリン嫌いだった?」と訊ねると、顔をあげて「お前はプリン好きだよな? ほぼ毎日食ってるんじゃないか?」と小さく笑う。 

「お母さんがプリンが好きなんだ。元気がなくてもプリンさえ食べたら元気になるし、機嫌が悪くてもプリンで治るから。だからうちにはいつもプリンが常備されてるんだ」
「それで氏家にもプリンなのか?」
「まぁね」
「先生は嫌いだった? こんなにおいしいのに?」
「いや、好きだよ。なんなら自分で作るよ?」

 美濃にお菓子が作れるだなんて、意外だな。
「そういえば、キノシタくんはカップケーキが好きらしい」
 うっかりしゃべってしまった俺は「あっ、でもこれ内緒だった」と、舌を出した。
「先生、聞かなかったことにしといてね。ま、あのひとには口止め料もらってないけどね」
「藤守ぃ、そういう問題じゃないだろ? 一度交わした約束は守れよな?」

 そうたしなめた美濃は、「……そっか。カップケーキか。懐かしいな」と囁くように云った。その時の美濃は、なんだかちょっぴり元気がないように見えたので……。
 だから俺はプリンをもう一個、明日哲也くんのお母さんに食べてもらうつもりだったプリンを――美濃にあげたんだ。
 
 

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