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38 ふたつの内緒。
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***
しばらくすると、隣のおじさんがご満悦そうに家族を連れて帰ってきた。
パーテーション代わりのカーテンのなかに入っていくおじさんにつづくのは、息子さん夫婦と、この前プリンをあげたおばさんだ。おばさんは俺たちに気づくと、ぺこっと頭を下げてからカーテンのなかに入っていった。
ちなみにこのカーテン、昨夜俺が引きちぎって壊しちゃったんだけど、いつの間にか直されている。
「ほうら、俺の云ったとおり、なんともなかっただろう? それなのに俺の云うことを信じずに検査検査、やかましく云いやがって」
「まぁま、あなた、念のためって先生も云ってたでしょう? 頭打ってるんだから、なにかあったら怖いじゃないの」
「なに云ってる? 俺をそこらへんの人間といっしょにするな! どれだけ日ごろから鍛えていると思っているんだ⁉ お前も知っているだろう!」
どれだけって……。一般的でない滝行なんかして、それで落ちてきた岩で頭をぶつけて運ばれてきたんじゃないか。思わず噴きだしたら美濃に頭を小突かれた。
聞こえてくる会話から察するに、おじさんは午前中の精密検査で異常はなかったみたいだ。けれども、さっきちらっと見えたおじさんの霊魂はあいかわらず本人の身体からブレていて……、おじさん本当に大丈夫なのかな?
それにしてもこのおじさん。おばさんが云っていたように、相当性格に問題があるみたい。
「おい、触るな、自分でするわ」
「あっ、すみません、お義父さん」
「俺を年寄り扱するな、寝るぐらい自分でできる」
「父さん、なに云ってるんだよ。加奈子がやさしくしてくれているのに」
「余計なことをするからだ。そんなことはせんでいい。――あぁ、かぁさん、ちょっと布団をかけてくれ、まったく気がきかんの」
カーテンの向こうからは、やれ、あれをしろ、やれ、これをしろというおじさんの声が聞こえてくる。嫌な感じ。しかも、やってもらったことに文句までつけてるんだよ? 坊主にあるまじき性悪だ。
それでもおじさんはとても機嫌がいい。ガハハ、ガハハとよく笑っている。
朝からの検査のつきそいに一家が総出してきたのが、よっぽどうれしいのだろう。
「俺は幸せもんだ。精進していい人生を生きてきた証拠だな。ありがたいわ。かぁさんも毎日毎日ご苦労だったな、こんな寒いなか何日も通うことになって」
「え、えぇ……」
「感謝してるからな、家に帰ったらさっそく孝行させてもらうわ。わはははは」
おじさんはお礼の言葉もなぜかエラそうだった。それにしても……
『ねぇ、先生。お隣さん、だれも来てなかったよね?』
哲也くんのベットに伏していた俺は――おじさんがうるさいので勉強はとっくに諦めていた――、くるりと視線を美濃に向け、声をひそめて訊いた。
『あぁ、俺は気づかなかったな? どうなんだろ?』
スマホを弄っていた美濃が首を傾げる。
すると隣のカーテンそっと開き、なかからおばさんがこそこそと出てきた。おばさんはこちらにやってくると俺の手をとり、財布から出した一万円札を握らせてくれる。
「? おばさん?」
『しっ。これは口止め料よ。私たちがずっと来ていなかったこと、あのひとには内緒にしててね』
「えっ⁉ いいの?」
『しっ!』
おばさんが人差し指を唇にあてて、うんと頷く。
美濃が「そんなことしてもらっては困ります」って慌てていたけども、知ったことじゃない。俺はおばさんにお礼を云うと、
「哲也くん、おやつ買ってくるねっ」
と、病室を飛びだした。「あっ、こらっ! 藤守~っ!」と叫ぶ美濃を無視して売店へルンタルンタと駆けていく。
「哲也くんはなにが食べたいかなぁ? 美濃にもなにか買ってやろう!」
(へへへ。このお金で二、三日はしのげるな。俺、ツいてる)
そして、憑いている。
「よっ。美濃の生徒。美濃はどうした? まだ病室迷ってんのか?」
「もうっ、さ迷ってるのはアンタでしょっ! はやく成仏しなよ!」
「? なに云ってるんだ? で、お前はどこ行くんだ? 俺の病室はソッチじゃないぞ?」
「俺はおやつを買いに売店に行くんだよっ」
「おやつかぁ。アイツが持って来るのって毎度毎度ビールにスルメなんだよなぁ」
「病人にビール?」
「そうなんだよ~」
美濃、そんなことすんの?
「でも俺が食べたいのはカップケーキなの。あっ、これはアイツには内緒だぞ」
しまった、という顔をして、キノシタセイジはドロンと消えた。
しばらくすると、隣のおじさんがご満悦そうに家族を連れて帰ってきた。
パーテーション代わりのカーテンのなかに入っていくおじさんにつづくのは、息子さん夫婦と、この前プリンをあげたおばさんだ。おばさんは俺たちに気づくと、ぺこっと頭を下げてからカーテンのなかに入っていった。
ちなみにこのカーテン、昨夜俺が引きちぎって壊しちゃったんだけど、いつの間にか直されている。
「ほうら、俺の云ったとおり、なんともなかっただろう? それなのに俺の云うことを信じずに検査検査、やかましく云いやがって」
「まぁま、あなた、念のためって先生も云ってたでしょう? 頭打ってるんだから、なにかあったら怖いじゃないの」
「なに云ってる? 俺をそこらへんの人間といっしょにするな! どれだけ日ごろから鍛えていると思っているんだ⁉ お前も知っているだろう!」
どれだけって……。一般的でない滝行なんかして、それで落ちてきた岩で頭をぶつけて運ばれてきたんじゃないか。思わず噴きだしたら美濃に頭を小突かれた。
聞こえてくる会話から察するに、おじさんは午前中の精密検査で異常はなかったみたいだ。けれども、さっきちらっと見えたおじさんの霊魂はあいかわらず本人の身体からブレていて……、おじさん本当に大丈夫なのかな?
それにしてもこのおじさん。おばさんが云っていたように、相当性格に問題があるみたい。
「おい、触るな、自分でするわ」
「あっ、すみません、お義父さん」
「俺を年寄り扱するな、寝るぐらい自分でできる」
「父さん、なに云ってるんだよ。加奈子がやさしくしてくれているのに」
「余計なことをするからだ。そんなことはせんでいい。――あぁ、かぁさん、ちょっと布団をかけてくれ、まったく気がきかんの」
カーテンの向こうからは、やれ、あれをしろ、やれ、これをしろというおじさんの声が聞こえてくる。嫌な感じ。しかも、やってもらったことに文句までつけてるんだよ? 坊主にあるまじき性悪だ。
それでもおじさんはとても機嫌がいい。ガハハ、ガハハとよく笑っている。
朝からの検査のつきそいに一家が総出してきたのが、よっぽどうれしいのだろう。
「俺は幸せもんだ。精進していい人生を生きてきた証拠だな。ありがたいわ。かぁさんも毎日毎日ご苦労だったな、こんな寒いなか何日も通うことになって」
「え、えぇ……」
「感謝してるからな、家に帰ったらさっそく孝行させてもらうわ。わはははは」
おじさんはお礼の言葉もなぜかエラそうだった。それにしても……
『ねぇ、先生。お隣さん、だれも来てなかったよね?』
哲也くんのベットに伏していた俺は――おじさんがうるさいので勉強はとっくに諦めていた――、くるりと視線を美濃に向け、声をひそめて訊いた。
『あぁ、俺は気づかなかったな? どうなんだろ?』
スマホを弄っていた美濃が首を傾げる。
すると隣のカーテンそっと開き、なかからおばさんがこそこそと出てきた。おばさんはこちらにやってくると俺の手をとり、財布から出した一万円札を握らせてくれる。
「? おばさん?」
『しっ。これは口止め料よ。私たちがずっと来ていなかったこと、あのひとには内緒にしててね』
「えっ⁉ いいの?」
『しっ!』
おばさんが人差し指を唇にあてて、うんと頷く。
美濃が「そんなことしてもらっては困ります」って慌てていたけども、知ったことじゃない。俺はおばさんにお礼を云うと、
「哲也くん、おやつ買ってくるねっ」
と、病室を飛びだした。「あっ、こらっ! 藤守~っ!」と叫ぶ美濃を無視して売店へルンタルンタと駆けていく。
「哲也くんはなにが食べたいかなぁ? 美濃にもなにか買ってやろう!」
(へへへ。このお金で二、三日はしのげるな。俺、ツいてる)
そして、憑いている。
「よっ。美濃の生徒。美濃はどうした? まだ病室迷ってんのか?」
「もうっ、さ迷ってるのはアンタでしょっ! はやく成仏しなよ!」
「? なに云ってるんだ? で、お前はどこ行くんだ? 俺の病室はソッチじゃないぞ?」
「俺はおやつを買いに売店に行くんだよっ」
「おやつかぁ。アイツが持って来るのって毎度毎度ビールにスルメなんだよなぁ」
「病人にビール?」
「そうなんだよ~」
美濃、そんなことすんの?
「でも俺が食べたいのはカップケーキなの。あっ、これはアイツには内緒だぞ」
しまった、という顔をして、キノシタセイジはドロンと消えた。
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