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第1話 騎士と冒険者
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大きな扉を開くと、メイドたちがうやうやしく頭を下げてくる。
「おかえりなさいませ。ご入浴の準備が整っております」
「……ありがとう」
薄汚れた格好でホコリ一つない屋敷にいることに抵抗があって、メイドたちの仕事を増やしているかもしれないけれど、先に体を清めさせてもらう。
公衆浴場かというくらい広々とした浴槽を独占しながら、スナイデルは白く濁った湯面を悶々と眺めた。
ユリウスの本宅は実家の領地にあって、王都のここは別邸である。
住人はユリウスと自分だけで、彼の親族が訪れたのは数回だけだ。挨拶したユリウスの父やその婦人は優しい人たちだったけれど、いつまでも居候の自分がいれば決して良い顔はしないだろう。
ユリウスには「ずっといていい」と言われているものの、今や冒険者として十分な稼ぎを得ているのだから、本来なら自立するべき時期だった。
湯から上がると、用意された衣服に着替えて、少しだけマシな恰好になる。
ユリウスにもらった銀のペンダントは今も入浴中も付けたままだ。魔法を制御するためだけでなく、これがあると彼との繋がりを感じられて、触れると深く呼吸できるような安心感に包まれる。
ユリウスは夜の帳が下りた頃に帰ってきて、いつものように一緒にテーブルにつき、同じものを食べる。彼に倣ってマナーのようなものを守っているけれど、ユリウスは食器の音を一切立てず、そこまではまねしきれない。
壁際にはメイドたちが並んでいて、飲み物を注ぎ、皿を開けると次の料理を運んでくる。
そんな中、ユリウスが温和に話しかけてきた。
「今日はどこに討伐に行っていたんだい?」
彼は自分の行動に興味をもってくれて、ただの報告のような話でも嬉しそうに聞いてくれる。
しかし、今回は渋い顔をされる予感がして、気まずくなりながら答えた。
「……ゲルテルの、森に……」
言いながらそろりと様子をうかがうと、彼の声のトーンが低くなった。
「……獲物は?」
「……ブラッドベアだ……」
「……随分、高ランクの魔物だね。きみはソロで戦っているのだし、何かあったときに対処できないだろう。もっと低ランクの討伐にしてもいいんじゃないかい?」
優しく、しかし厳しい口調で言われ、スナイデルは目を伏せた。
高ランクの討伐に行くと、ユリウスの過保護さは倍増する。けれども倒せる人間は一部に限られているし、誰かが対処しないとクエストはそのままになって、困る人がいるだろう。
ユリウスが自分を救ってくれたように、自分も人の役に立ちたいのだ。
自分でも、滑稽な目標だなと思う。みんなの厄介者がそんなことを考えているなんて、笑い話にもならない。
黙りこんでいると、ユリウスは困った顔になり、今度は気づかわしげな口調で言った。
「……スナイデル、きみのことが心配なんだ。生活に困っているわけでもないし、安全なクエストで十分だろう」
言われて、ぐっと手が止まる。
ユリウスのような人になりたいのに、彼にとって、自分はいつまでも保護の対象なのだ。何から何まで世話をしてくれて、ギルドで得た報酬すら受け取ってくれず、これでは命を救ってもらった4年前から何一つ変わりない。
静かに深呼吸すると、スナイデルは手に持っていたフォークとナイフを一旦皿に置いた。
「……ユリウス。話があるんだ」
もう、彼から離れるべきだ。彼のようにはなれずとも、せめて彼に世話され続ける状態から抜け出したい。
ユリウスはふと瞬くと、騎士の鑑のような優しい目を向けてきた。
「……何だい?」
弦楽器のような声で訊き返してくる。
スナイデルは小さく唾を飲み、覚悟を決めた。そして口を開いた。
「そろそろ、ここを出ようと思っていて――」
そう、告げた途端だった。
ユリウスの手が揺れて、カツン、とフォークが音を立てた。
珍しいこともあるのだなと驚いていると、ユリウスは急に強ばった顔になって問うてくる。
「……どうして? 何か不自由なことがあったかい」
妙に切迫した気配を感じとって、スナイデルは内心でたじろいだ。
「いや。そうじゃない。ただ、いつまでも甘えていられないから……」
「甘えていて良いんだよ。それに、きみはまだ子供じゃないか」
「……もう18歳だ」
スナイデルは思い詰めながら言った。
それにユリウスが自分を救ってくれた4年前、彼は丁度18歳だったのだ。その点でも大きなへだたりを感じる。彼はたったの四つ上でしかないのだ。
少し口をつぐむと、ユリウスは弁解するように言った。
「……その年の頃は、私も未熟だった。それに年齢なんて関係ない。遠慮しなくていいんだよ」
その言葉を聞いて、嬉しさか、情けなさか、体が強ばってくる。
「もう十分、世話になった。遠慮してるわけじゃない……」
非常に硬い声になって、ユリウスはふと眉を寄せてきた。
「もしかして、誰かに何か言われたのかい?」
「え?」
まさかの予想をされて驚く。
ユリウスは見定めるような眼差しをしていて、慌ててしまう。
「いや、そうじゃなく――」
薄く口を開いたまま、何と言えばいいのか考える。
「……俺は……居候の身だろう。だから……自立すべきだと……」
本当は、側にいたら迷惑だろうとか、この屋敷にふさわしくないとか、己が情けないのだとか……それに、いつかお荷物に思われたらそれこそ耐えられないのだとか……色々積み上がった感情が渦巻いていた。けれどもそのどれもネガティブな内容で、口にするのもみじめで、表面的な言葉になってしまう。
すると、ユリウスは傷ついた表情をした。
「きみといると安らぐんだ。寂しいことは言わないでくれ……」
自分のせいで哀しませていると思うと罪悪感に駆られ、スナイデルの胸は苦しくなった。
しんと沈黙が落ちてきて、呼吸するのも、瞳を動かすのも意識する。
彼の言葉にそって甘えていたい気持ちと、自立しなければという意志で板ばさみになっていく。そしてあと一年くらいなら……とだんだん屈しそうになってくる。
「今すぐ決めなくていいだろう? きみがいなくなったら、私は屋敷で独りきりになる。帰る場所にいてほしいんだ」
願うように言い重ねられ、とうとう、スナイデルは屈した。
「……わかっ、た……あと少しだけ……」
少し冷めてしまった料理を見ながら答える。
駄目だとわかっているのに、「まだ一緒にいられるんだ」と安堵せずにはいられなかった。
フォークを持ち直していると、「あと少しか……」と小さな呟きが聞こえ、ユリウスは何か考え込むような顔をしていた。
「おかえりなさいませ。ご入浴の準備が整っております」
「……ありがとう」
薄汚れた格好でホコリ一つない屋敷にいることに抵抗があって、メイドたちの仕事を増やしているかもしれないけれど、先に体を清めさせてもらう。
公衆浴場かというくらい広々とした浴槽を独占しながら、スナイデルは白く濁った湯面を悶々と眺めた。
ユリウスの本宅は実家の領地にあって、王都のここは別邸である。
住人はユリウスと自分だけで、彼の親族が訪れたのは数回だけだ。挨拶したユリウスの父やその婦人は優しい人たちだったけれど、いつまでも居候の自分がいれば決して良い顔はしないだろう。
ユリウスには「ずっといていい」と言われているものの、今や冒険者として十分な稼ぎを得ているのだから、本来なら自立するべき時期だった。
湯から上がると、用意された衣服に着替えて、少しだけマシな恰好になる。
ユリウスにもらった銀のペンダントは今も入浴中も付けたままだ。魔法を制御するためだけでなく、これがあると彼との繋がりを感じられて、触れると深く呼吸できるような安心感に包まれる。
ユリウスは夜の帳が下りた頃に帰ってきて、いつものように一緒にテーブルにつき、同じものを食べる。彼に倣ってマナーのようなものを守っているけれど、ユリウスは食器の音を一切立てず、そこまではまねしきれない。
壁際にはメイドたちが並んでいて、飲み物を注ぎ、皿を開けると次の料理を運んでくる。
そんな中、ユリウスが温和に話しかけてきた。
「今日はどこに討伐に行っていたんだい?」
彼は自分の行動に興味をもってくれて、ただの報告のような話でも嬉しそうに聞いてくれる。
しかし、今回は渋い顔をされる予感がして、気まずくなりながら答えた。
「……ゲルテルの、森に……」
言いながらそろりと様子をうかがうと、彼の声のトーンが低くなった。
「……獲物は?」
「……ブラッドベアだ……」
「……随分、高ランクの魔物だね。きみはソロで戦っているのだし、何かあったときに対処できないだろう。もっと低ランクの討伐にしてもいいんじゃないかい?」
優しく、しかし厳しい口調で言われ、スナイデルは目を伏せた。
高ランクの討伐に行くと、ユリウスの過保護さは倍増する。けれども倒せる人間は一部に限られているし、誰かが対処しないとクエストはそのままになって、困る人がいるだろう。
ユリウスが自分を救ってくれたように、自分も人の役に立ちたいのだ。
自分でも、滑稽な目標だなと思う。みんなの厄介者がそんなことを考えているなんて、笑い話にもならない。
黙りこんでいると、ユリウスは困った顔になり、今度は気づかわしげな口調で言った。
「……スナイデル、きみのことが心配なんだ。生活に困っているわけでもないし、安全なクエストで十分だろう」
言われて、ぐっと手が止まる。
ユリウスのような人になりたいのに、彼にとって、自分はいつまでも保護の対象なのだ。何から何まで世話をしてくれて、ギルドで得た報酬すら受け取ってくれず、これでは命を救ってもらった4年前から何一つ変わりない。
静かに深呼吸すると、スナイデルは手に持っていたフォークとナイフを一旦皿に置いた。
「……ユリウス。話があるんだ」
もう、彼から離れるべきだ。彼のようにはなれずとも、せめて彼に世話され続ける状態から抜け出したい。
ユリウスはふと瞬くと、騎士の鑑のような優しい目を向けてきた。
「……何だい?」
弦楽器のような声で訊き返してくる。
スナイデルは小さく唾を飲み、覚悟を決めた。そして口を開いた。
「そろそろ、ここを出ようと思っていて――」
そう、告げた途端だった。
ユリウスの手が揺れて、カツン、とフォークが音を立てた。
珍しいこともあるのだなと驚いていると、ユリウスは急に強ばった顔になって問うてくる。
「……どうして? 何か不自由なことがあったかい」
妙に切迫した気配を感じとって、スナイデルは内心でたじろいだ。
「いや。そうじゃない。ただ、いつまでも甘えていられないから……」
「甘えていて良いんだよ。それに、きみはまだ子供じゃないか」
「……もう18歳だ」
スナイデルは思い詰めながら言った。
それにユリウスが自分を救ってくれた4年前、彼は丁度18歳だったのだ。その点でも大きなへだたりを感じる。彼はたったの四つ上でしかないのだ。
少し口をつぐむと、ユリウスは弁解するように言った。
「……その年の頃は、私も未熟だった。それに年齢なんて関係ない。遠慮しなくていいんだよ」
その言葉を聞いて、嬉しさか、情けなさか、体が強ばってくる。
「もう十分、世話になった。遠慮してるわけじゃない……」
非常に硬い声になって、ユリウスはふと眉を寄せてきた。
「もしかして、誰かに何か言われたのかい?」
「え?」
まさかの予想をされて驚く。
ユリウスは見定めるような眼差しをしていて、慌ててしまう。
「いや、そうじゃなく――」
薄く口を開いたまま、何と言えばいいのか考える。
「……俺は……居候の身だろう。だから……自立すべきだと……」
本当は、側にいたら迷惑だろうとか、この屋敷にふさわしくないとか、己が情けないのだとか……それに、いつかお荷物に思われたらそれこそ耐えられないのだとか……色々積み上がった感情が渦巻いていた。けれどもそのどれもネガティブな内容で、口にするのもみじめで、表面的な言葉になってしまう。
すると、ユリウスは傷ついた表情をした。
「きみといると安らぐんだ。寂しいことは言わないでくれ……」
自分のせいで哀しませていると思うと罪悪感に駆られ、スナイデルの胸は苦しくなった。
しんと沈黙が落ちてきて、呼吸するのも、瞳を動かすのも意識する。
彼の言葉にそって甘えていたい気持ちと、自立しなければという意志で板ばさみになっていく。そしてあと一年くらいなら……とだんだん屈しそうになってくる。
「今すぐ決めなくていいだろう? きみがいなくなったら、私は屋敷で独りきりになる。帰る場所にいてほしいんだ」
願うように言い重ねられ、とうとう、スナイデルは屈した。
「……わかっ、た……あと少しだけ……」
少し冷めてしまった料理を見ながら答える。
駄目だとわかっているのに、「まだ一緒にいられるんだ」と安堵せずにはいられなかった。
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