脅されて香水屋αのおもむくままに愛される不良Ωくん

市川

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社交サロンで再会

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 俺は荒れ狂った兄弟たちを見上げていた。
 三年前に疫病が流行ったため、この教会には同世代の子供たちがたくさんいた。
 いつも喧嘩が絶えなかったが、しかし、その日の喧嘩はいくらなんでも度を越していた。
 寝室のベッドは乱れ、枕はやぶれ、中から真っ白な羽毛を巻き散らしている。みんなは歯止めが利かないようだった。なにかがおかしい。なにかが起きている。みんなの様子もだけど、自分の体もおかしかった。全身の肌が火照っていて、体の芯はじくじくとうずいている。
 今や床には、倒れた兄弟たちが呻いていた。そしてとうとう、立っている子供はひとりだけになった。
 俺と同じ年のソイツ。
 ミカエル・ハミルトン。
 蜂蜜のような金髪と、琥珀色の瞳が輝いている。揺らめくランプに照らされ、白い肌も黄金色に染まっている。口の端に滲んでいる血は赤く、それを手の甲で拭いとる無造作な仕草は美しかった。

「怖がってるの、チェス?」

 声をかけられたとき、俺はすっかりその姿に魅了されていた。
 咄嗟に膝を立てて対峙する。しかし立ち上がれない。ただこのままでいるのは恐ろしくて、渾身の力で睨みつけた。
 その目で見るな、見下ろすな、怖がるわけがない――

「こっちです、神父様!」

 そのとき響いたその声はシスターのものだった。
 俺はふと、唐突に我に返った。
 駆けつけてくる足音はどんどん近づいてくる。今にも部屋の中に入ってきそうだ。
 そして無償に、自分がものすごく恥ずかしい存在に思えた。

「落ち着いて、ね? チェス」

 ミカエルがなだめるように言う。
 差し出された手。
 そのあとどうなったのかは覚えていない。気付いたらベッドの中にいて、朝を迎えた。
 その時、十二歳だった。





 今俺は二十歳だから、それは八年前のことになる。
 人垣を挟んで驚愕の顔をしているソイツは、——ミカエルに違いなかった。
 俺と同い年だったから、あいつも二十歳になっているはずだ。面影はそのまま絵画の天使じみている。ただし顔の輪郭はシャープになり、ここにいる面々より頭半分ほど背が高く、洗練された空気を纏っている。そして洒落た紳士服を嫌味なほど完璧に着こなしている。

 俺は浅くなっていた息をゆっくりと整えた。
 まさか、こんな場所で再会するとは思ってもみなかった。
 故郷から遠く離れた子爵の別荘。陽光の射す麗らかなホール、教養と交友のための社交サロン。暇を持て余した貴族たちと、彼らに遊興の談話を提供するゲストたち。

「チェスター様、こちらのケーキはいかが?」

 今しがた歓談していた貴人が話かけてきた。ミカエルは驚愕したままで動きは見られない。
 立ち去るなら今しかない――。

「申し訳ありません、少しワインを飲み過ぎたようで。どこかで休憩しようかと」

 焦りつつも何気なさを装っていうと、婦人は妖艶に目を流した。

「あら、でしたら外の風にあたるとよろしいわ。あちらに薔薇園がありますのよ」

 これは”戯れ”の誘いだった。貴人らは暇を持て余していて、俺のようなツバメとの遊興を求めている。
 またとないタイミングだ。エスコートの手を差し出した、そのときだった。

「チェス?」

 滑らかな声が割り入ってきた。深く柔らかく、どこかハスキーな声音だ。
 成長期を経て声変わりしたのだ。
 俺は内心でこの状況に紛糾した。
 人垣をすり抜けて、ミカエルがやってくる。奴は俺以外を忘れた様子だった。

「チェスだよね、どうしてここに?」
「チェス? おふたりはご友人でして?」

 重ねるように婦人が訊いてくる。
 ミカエルはそこでようやくサロンにいることを思い出した様子だった。
 俺は真っ先に牽制して言った。

「いいえ、ただの古い顔見知りです」

 しかし婦人は首を傾げる。
 チェス、という愛称が親し気に聞こえたせいだろう。
 さらに貴人たちが集まってきて、他愛無く話しかけて来る。

「華々しい組み合わせではありませんか」
「おふたりの子供の頃のお話をうかがいたいわ」

 求めているのは、美談、悲劇、喜劇、ゴシップ――何でもいいのだ。彼らは非日常に飢えている。
 俺は言葉に詰まった。
 代わりにミカエルが「実家が近かったんです」「何度か木剣や川で遊びましたね」などと話していく。
 実家が近かったなんて嘘だ。木剣や川で遊んだ? そんな記憶もない。
 ひととおり質問の雨に答えると、ミカエルは改めて俺にまじまじと向き直った。

「だけど、ああ、本当に久しぶりだ。みなさま、懐かしい友人とふたりで話をさせて頂いても?」

 全方位から視線を注がれる。俺は今日、ここに来たことを猛烈に後悔した。
 そしてミカエルとともに外の薔薇園——さらにその向こうへと向かった。




 
 今はとにかく会場から距離をとる必要があった。誰にも話を聞かれたくない。会場は馬車で乗り付けた場所にあって、小さな林に囲まれている。この革靴は慣れていないが、歩くしかない。落ち葉と腐葉土を踏んでいく。

「チェス、待って、もう充分会場から離れてるって!」

 ミカエルも不慣れな足どりで追ってくる。聞こえてはいるが、さらに歩く。
 モヤモヤが胸の奥から込み上げていた。

「実家が近かったって? 俺はてめえの実家なんて知らねえよ」
「俺だって知らないけど――」
「木剣で遊んだ? 一度っきりで、お前なんざ相手にもならなかっただろうが」
「ハ? あんなの話の流れでしょ? とりあえず待ってって」

 急き立てて言うミカエル。

「俺たち、チェスが急にいなくなって探したんだよ? 誘拐か家出かもわからなくて、あんな事の直後で――」

 俺は勢いよく振り返って遮った。

「あの時の話はすんじゃねぇ」

 するとミカエルは面食らった顔をしたが、一拍のあとに口角を上げて、剣呑に嘲笑した。

「今も自分がオメガってこと認められてないんだ?」

 瞬間、俺の体は強張った。
 ミカエルは俺を見据えながら続ける。

「くすんだ銀髪も、粗暴そうなとこも変わらないね。でも前よりずっと精悍になった。アルファみたい」

 死線を越えて鍛えてきたからだ。

「元気にしてたんだね」

 改めて言われて、俺は顔を反らした。
 喧嘩っ早くて、傍若無人で、みじめなチェス。コイツの記憶に刻まれている俺は、そういう存在のはずだ。

「どうやって今まで? 孤児院は自分で家出したの?」
「……そうだよ」

 あんな事態を引き起こしておいて、屈辱的な姿も見られて、孤児院で過ごすなんてできるわけがなかった。そもそも俺の第二性が知られている時点で平穏な場所なんてない。

「オメガってことは隠してるの? ヒートはどう抑えてるわけ?」

 無神経な発言に顔がゆがむ。

「お前に話す必要があると思うか?」
「なんなら、今からサロンに戻ってチェスがオメガだって言いふらしてもいいけど?」

 俺は衝動的に舌打ちした。
 そうだ、コイツは昔からこうだった。喧嘩の腕は立たないが、代わりに舌で言いくるめてくる。
 息を吐き出してから、俺は口を開いた。

「薬師のじいさんについていって、荷物持ちして、そのあと冒険者ギルドに入った」

 手短く伝えると、ミカエルは記憶を埋めていくように頷いた。

「じゃ、抑制剤の作り方はそのおじいさんに教えてもらって、今は自分でまかなってるってこと?」

 なんだか取り調べを受けているみたいだった。
 ミカエルは俺の無言を肯定だと受け取ったらしく、話を進める。

「各地の薬屋から足どりを調べたりもしたんだよ。自分で薬を作ってるなら見つからないわけだ。ここの社交サロンに呼ばれたのは何? 冒険者ギルドの関係?」

 言うか言うまいかで悩む。ひとつしゃべれば何もかもが暴かれる。

「…………討伐遠征のあと、殊勲者に選ばれた」

 自分の声が不安そうに聞こえた。
 二年に一度の定期討伐遠征。魔物の群生地を巡って行軍する過酷なものだ。騎士や冒険者の選りすぐりを集って行われる。俺の第二性を知ってれば、殊勲者なんてまさかと笑い飛ばすほうが自然だろう。
 ミカエルは目を瞠った。

「は……、相変わらず逞しいね」

 しかしそれは感嘆の息だった。そしてミカエルにとっては、「相変わらず」のことらしい。
 なんだか隠していた部分をくすぐられるようだった。悔しさと気恥ずかしさが揉み合う感覚がする。

「お前は?」

 低く聞き返すと、ミカエルは金色にけぶるまつ毛をふせた。

「俺は――俺も、少ししてから孤児院を出たんだ」

 俺は片眉を上げた。

「へえ」
「それで、まぁお金が欲しいなと思って、稼いでた。今は調香師をしてる」
「調香師?」
「香水や香料のついた製品を作る仕事。俺のフルネームで店も出してる。割と人気なんだけど、知らない?」

 ミカエル・ハミルトン。華やかな香水店が目に浮かぶ。

「知らねえな」

 事実を答えると、ミカエルは眉を下げて苦笑いした。
 なんだか老成したじいさんを思い出させる雰囲気だった。

「そんで、サロンにはパトロン探しのために来てるってわけか」

 続けざまに問うと、ミカエルは少々厄介そうな顔をした。

「販路を拡大したかったんだ。他国にも輸出したくて。援助はいくらあってもいいでしょ?」
「そのお綺麗な面があればいくらでも稼げるだろうよ」

 気づくと嫌味を吐いていた。
 飽きられるまでのツバメとして小遣い稼ぎしている俺と、販路拡大のためにパトロンを探しているミカエル。同じ歓談サロンのゲストだが、意味合いがまるで違う。
 ミカエルは不快そうにする。

「顔だけで稼いできたわけじゃない。それより、ねえ。チェスさ、今さっき婦人と一緒に抜け出そうとしてたの?」
「それがどうした」
「ツバメをしてるってこと?」
「やり口は一緒だろ?」

 抵抗して嘲笑する。
 するとミカエルは純粋な疑問のように口にした。

「チェス、女の人抱けるの?」
「ぶっ殺すぞこの野郎!」

 言いながら胸倉をつかんでいた。だが、奴の体は意外と動かない。鍛えている。天使のように中性的で華奢に見えるが、着やせしているだけだ。
 苦しい体勢のまま、奴は顔を歪めて笑った。

「ああ、コンプレックス踏んじゃった? ごめんね? 無理して女抱いてたんだ?」

 胸倉にかけた手が震えた。
 そうだ、コイツは昔から。俺以外には親切で、みんなの輪の中心にいる人気者。だが俺とは嫌味と喧嘩の応酬ばかりだった。俺が初めてヒートを起こした日、ミカエルの目の奥に見えた愉悦は絶対に嘘なんかじゃない。
 ミカエルは剣呑に嘲笑する。

「チェスター・ベックフォードは八年前に行方不明になって、そのあと死亡扱い。今のチェスは無国籍か偽造国籍ってわけだ。”第二性を隠すために”家出した不憫なチェス。今のフルネームは何ていうの? 第二性は何て偽ってるの?」

 八年前に捨てて来たものが、もっと恐ろしいものになって迫ってきている。

「…………何のつもりだ、ミカエル」

 喉から出た声は掠れていた。
 ミカエルは嗜虐的に微笑んだ。

「今なら我慢してあげる必要ないよね」

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