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 急に揶揄われて、言葉が見つからず狼狽してしまった。そんな俺を見て、先輩は「ふはっ」と小さく吹き出す。隙のない雰囲気が柔らかく崩れたのを見て、こっちまで気が抜ける。
 つられて笑ってしまった。あ~……本当にデートだったらいいのにな……

 その時、視界の端からアウローラが消えたのを感じて俺はハッと顔を上げた。

「大丈夫ですか!」

 貴族の女性が柱にもたれかかっているところに、アウローラが駆け寄っていた。確か、今夜は王妃主催のささやかな夜会の予定があったはずだ。若い女性はその魅力を最大限活かす、淡い色のドレスを着ていた。
 しかし遠目にも苦しげな表情で赤い顔をしていることに気づいて、先輩と顔を見合わせる。まさか……

 慌てて近寄るあいだに、女性はアウローラに寄りかかって今にも膝をついてしまいそうだった。アウローラがその細い腰に手を回し、支えている。
 そして……近づけば近づくほど漂ってきたのは、特有の甘い香り。間違えようもなくオメガのヒートだ。

「お嬢さん。不安でしょうが、大丈夫ですから。いま、安全な場所へお連れしますからね」
「はぁっ。もうつらくて……。どうか、あなたが……お慈悲をください」

 この場に急な発情を迎えたオメガがいて、その一番そばにいるのがアルファというのはまずい状況だった。彼らがいる場所まで少しの距離が、もどかしいほど遠く感じる。
 だがすぐにアウローラの穏やかな声が耳に入ってきて、俺は過剰に強張っていた身体の力を抜いた。

 よくよく見れば、この前アウローラが声を掛けて救ってやった女だ。いまの彼女は目を潤ませ、劣情を誘うフェロモンを放っている。
 普通の男なら我慢できない状況だったかもしれないが、幸いなことに、ここには訓練された騎士しかいなかった。

「私が運びましょう。安心してくださいね。私はあなたと同じ、オメガですから」
「付き添いがいるはずなので、探してきます」
「頼む」

 先輩が優しく彼女を抱き上げ、通りかかった女官を呼び寄せる。気を遣ったアウローラが自分の上着を脱いで彼女の肌を隠すよう掛けようとしたが、俺はそれを遮って自分の上着を掛けてやった。
 
 即座にアウローラが彼女の家族を呼んでくるからとその場を離れると、彼女の目がアウローラに追い縋る。その瞳の奥に執着が見えた気がして、俺は背筋に冷たいものを感じた。
 おい、まさかわざとじゃないだろうな……

 とにかくここままだと彼女がつらいのは間違いない。俺は先輩を先導してひと気のないルートを探した。



 女性を医務室で休ませて部屋を出ると、ちょうど彼女の父親らしき人を連れたアウローラがやってきた。
 父親だけに医務室へ入るよう促し、アウローラは部屋の前で足を止める。気遣わしげに背中を見送った姿に、胸が締めつけられた。
 
 彼女は抑制剤を処方されていたし、同じ二次性を持つ先輩がついている。もう俺は帰っていいと言われていた。
 とんだトラブルで残業になってしまったものの、アウローラと一緒に帰るチャンスじゃないか?
 
 気持ちを切り替えた俺は急に心が浮き立って、食事くらい誘ってみようかと思う。アウローラとプライベートの時間を一緒に過ごしたことは、実はほとんどなかった。
 
 気づけば周囲は暗くなっていて、廊下を歩く文官もほとんどいない。等間隔で置かれた松明が俺たちを横から照らしている。
 
 久しぶりにちゃんと見るアウローラは、なんというか……艶があった。
 波打つ長いローズブロンドの髪は、いつもと変わらず高い位置でひと括りに結ばれている。ワインレッドの瞳はどことなく潤んでいて、灯りに合わせて揺れているように見えた。
 あぁ、先ほどの女性よりよっぽどそそられる。
 
 しかしアウローラは珍しく気もそぞろで、俺がいることに気づいているはずなのに、声さえ掛けることなくきびすを返した。

「なぁっ、アウローラ。一緒に帰らないか?」
「付いてこないでよ! 僕は急いでるから」
「……詰所まではどうせ一緒だろ」

 ……逃がすかよ。
 俺たちは走りこそしないが風のようなスピードで王宮内を追いかけっこし、詰所へと向かった。
 先にたどり着いたアウローラが扉を閉める前に身体を滑り込ませれば、誰もいない空間に二人きりだ。どうせこの時間になれば誰も来ないから、さり気なく鍵を締める。
 
 すぐに装備を外し着替えはじめたアウローラを部屋の端に追いやり、壁に両手をついて囲ってしまう。それでも俺を無視して着替え続けようとするアウローラは、どこか意固地になっているように感じた。

「どうしてそこまで避けるんだ? 俺がなんかした?」
「ち、違う! とにかく今は駄目だから……帰して……」

 それほど身長差はないから、顔が近い。アウローラ自身からたまに香ってくるジャスミンのような匂いが鼻を掠めて、おもわず首筋に顔を寄せ息を吸いこんだ。
 「ひぇっ」と小さな悲鳴をあげた目の前の男が可愛くて、どうしても俺のものにしたいと願ってしまう。
 
 間近で見下ろすと、アウローラの目は先ほどよりも潤み、いまにも涙がこぼれ落ちそうになっていた。
 その瞳の中に情欲が揺らめいたように見えて、俺はこの男の……一風変わった性癖を思い出した。
 
 股の間に膝を割り入れる。多少強引にしたほうが受け入れてもらえるかもしれないと思って取った行動だが、太ももに感じた熱はもう存在を主張していた。

「ローラ、お前……」

 驚いて顔を見つめると、アウローラは顔を真っ赤にして怒った。

「今日は違うから! ヒートの、フェロモンで……もうっ。テルルの馬鹿! 離してよ!」

 あ~~~! なるほどな。
 近衛として働くアルファの騎士は、フェロモンの耐性訓練を受けていると聞いたことがある。実際アウローラはいつも通りのしっかりした対応で、私的な感情をおくびにも出さなかった。
 
 ただ、あの女はタイミング悪くアウローラの近くで発情し、しばらくのあいだ縋りついていたのだ。これ以上ないくらいフェロモンの影響を受けていたって、おかしくない。

 大声を出した拍子に溢れ、淡く染まる頬を伝った涙。両手はまだ使えないから、キスで掬いとった。ぴく、と震えたまぶたにもキスを落とす。
 別に押さえつけてはいないから、俺を押しのけて逃げることくらいできるはずだ。アウローラは俺に好意を寄せられていることを知っている。
 それなのに決定的なところで逃げないのが嬉しくて……俺はもう一歩踏み出した。


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