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しおりを挟む振り返って、またイーリスを抱き潰そうとしている男の顔を見る。興奮に目尻を赤く染めたクヴェルは、情欲を滾らせた瞳でイーリスを見返す。
彼はいま、噂の中の苛烈な騎士や堅物な貴族とはほど遠い場所にいる。しかしイーリスの知る彼はこちらだ。
何か聞きたいのに言葉が出てこない。思考は霞み、快感に身体が支配されている。
放心していたイーリスは身体を仰向けに返され、きつく正面から抱きしめられた。
「!」
「イーリス……私のものになってくれ」
耳元で囁かれた言葉は、すぐに理解できない。なに……? 私のもの……?
首を動かすと近すぎる距離で目が合った。アイリスブルーがぼやけて海のように揺れる。
「く、ゔぇる? どういう……」
「きみに惚れたんだ。あの夜……私の心を容易く奪っておいて、あっさり消えてしまうなんて」
「は……」
惚れた? 信じられない言葉に耳を疑うも、クヴェルは真剣な声音で打ち明ける。
イーリスの名は北方騎士団の中でも有名だという。誰よりも強いのに弱者を守る姿勢は、騎士よりも騎士らしいと憧れる者も多い。
なにより小部隊での作戦中、危機に陥って死を覚悟した部下たちがイーリスに窮地を救われ、全員生き延びることができた。報告を聞いたクヴェルは、大事な部下を守ってくれたイーリスの高潔な精神に深く感謝していた。
「ただでさえ好印象だったのに、イーリスが閨ではこんなにも可愛らしく色気滴る男だったとは……一瞬できみに落ちたよ」
「……?」
可愛らしいという言葉ほど、イーリスから遠い表現もないと思うのだが。あ然としている目の前で、クヴェルは形の良い眉をひそめた。
「娼館だって? イーリス、私は想い人に対しては狭量らしい。腐れ貴族のように浮気は許せないんだ」
想い人……? クヴェルの口ぶりだと、まるでイーリスに心底惚れているようだ。強い独占欲まで感じ、浮かびかけた心はある記憶に止められる。
「……じゃあ、あの言葉はなんだったんだ! 誘う方がどうかしてるとか、二人きりにもならない方がいいって!」
「聞いてたのか? あれは牽制だ。きみが抱かれる側だと知れれば、別の男たちまで言い寄ってくるだろう。まだ抱く側だと思われていた方が安全だと思った。ずいぶん、世間知らずのようだし」
「そっ……んなこと」
貧しい家の出で、田舎で身を立ててきたイーリスだ。媚薬を飲まされて危うく襲われそうになったり、都会の娼館の前でぽかんと口を開けたり。世間知らずと言われても……否定できない。
「北でゆっくり口説こうと思ったのにいなくなるから、私も遠回りはやめるよ」
「……クヴェル」
「私を、イーリスの恋人にしてくれないか。誰よりも強く、誰よりも愛らしいきみに心から惹かれている」
自分のものになれと、強い言葉を何度も投げかけてきたくせに……
どこか懇願するような、愛の告白に胸を打たれる。地位も実力も持っている男が、イーリスに選んで欲しいと願っている。
こんな、夢みたいなことがあっていいのだろうか? しかし疑うほうが失礼だと感じるほど、クヴェルの表情は真剣だ。
どきどきと胸が高鳴り、触れ合っているクヴェルの胸にもきっと伝わっていることだろう。
あの夜芽生えた気持ちは、ようやく花開こうとしている。
「おれも……クヴェル。貴方に惹かれている。こんなおれでも、相手にしてくれて……」
「自分を卑下するな! きみは自分のことが見えていなさすぎる。――こんな歳まで恋をしたことがない私が惚れたんだ。自信を持ってほしい」
叱責に驚き、続く言葉に胸を掴まれた。道々で聞いたクヴェルの噂は、浮いたものなどなにひとつない。
心の中が光で満たされていくのを感じる。イーリスは、目の前の男を強く抱きしめ返した。
信じたい。クヴェルのことも……自分のことも。
「貴方がおれに価値があるというのなら、貴方に愛されているあいだだけは……信じようと思う。おれには愛される価値があると」
「ああ、嫌ってくらい信じさせてやる」
心を決めて、重ねられる唇を受け入れた。柔らかく食まれ、些細なふれあいにも真紅の睫毛が震える。
しだいに情熱的になっていく口づけに、あっという間に身体にも熱がぶり返す。正面から、きつく抱き合ったままクヴェルを受け入れた。
――ふたりの夜も、ふたりの未来も、これから長そうだ。
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お読みいただきありがとうございました!
本作は短編でしたが、2025/11のBL大賞に合わせて続編を執筆中です。
楽しみにしていてください♡
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