10 / 14
10.
年に一度、辺境伯領ジュネルーズに王都から高官がやってくる。国境防衛の視察だというが、今回訪れたボンディ公爵はクラージュとも親しい人物だから緊張感はあまりないという。
ミエルは当初食事の席に同席する予定だったが、発情期が近いためやめておくことになった。大丈夫だとは言ったのだけれど、クラージュは結構心配性だ。
しかし兆候はまだで体も元気だから、ミエルはこっそりと厨房の片隅で座って手伝いをしている。
太っちょの厨房長も仕方がないなといった感じで見逃してくれているし、なんなら晩餐と同じ内容の食事を少量で提供されている。「今日の奥様は厨房でお食事らしい」と目で語っていた。
ミエルもいつしか、使用人がみんな自分の正体を知っているのだと理解している。雇い主が信頼されているからだろう。優しくて、温かい場所だ。
晩餐は中盤まで進み、口直しのソルベが用意されている。氷室のある北の地だからこそ、冷たい食べ物は充実しているらしい。
ミエルも手伝いの手を止めてソルベをいただけば、さっぱりとしたミルクの味が口の中を甘くほどけていった。
クラージュと公爵に提供するソルベも冷やした器に盛られ、今にも運ばれて行こうとしている。給仕が盆を持ち厨房を出ていくと、彼はそこで立ち止まった。
気になったミエルが首を伸ばして様子を確認すると、廊下にいたガレが給仕に話しかけている。そして彼が手元から目を離した隙に、ガレはソルベに手をかざし、何かを振りかけた。
「え……!」
あれはなんだろう? ミエルは思わず立ち上がり、廊下へ向かった。ガレはもういない。給仕はソルベが溶けないようにと足早に階段を上っている。
「ねぇ! それ、変なもの入ってない?」
「そんな訳ないじゃないですか!」
「でも、今、ガレが……」
「なんですか? 今ちょっと急いでいるので、あとで!」
追いかけて話しかけるが、給仕も急いでいる。見た目ではわからない? ミエルが見たものは気のせいだったのだろうか。
結局追いついたのは食堂の目の前だった。ミエルは息を切らしながら盆を見下ろす。片方にはミントが添えられ、もう片方には黒い……細かな粒が見える。これをガレは振りかけた?
「これ、黒いのは何? どっちが誰の?」
「バニラビーンズじゃないですか? ミントが乗っている方がクラージュ様のです。公爵閣下はミントが苦手なようなので。とにかくもう提供しないと!」
扉の傍にいた使用人が、ミエルがいることに驚きながらも食堂の扉を開こうとしている。
本当にこのまま提供して大丈夫なのだろうか? 公爵になにかあったら、疑われるのはクラージュだ。
混乱したミエルは咄嗟に思いついた行動に出た。添えられていた小さなスプーンを取って、公爵の方のソルベを掬って口に入れる。
「っ!? なにしているんですか!?」
「ミエル……?」
扉が開いて、クラージュに見られてしまったらしい。ああどうしよう、お客様の前なのに。
ミエルはどう言い訳しようかと、必死に考えた。だが冷たいソルベをごくんと飲み込んだ瞬間、ミエルは喉奥の熱さと鋭い痛みに蹲った。
「ゔっ!?」
「どうしたんだ!?」
飲み込んだものを反射的にゲホゲホと吐き出す。ソルベと唾液の混じったものに、血が混じった。ああ、やっぱり、毒だったんだ……
激しい痛みと止まらない吐き気に意識が朦朧としてきて、生理的な涙で視界も霞む。ミエルは背中に大きな手が置かれたのを感じ、クラージュの目をなんとか見上げて告げた。
「ど、毒……ガレ、が……ぁ……」
「ミエル!! おい、医者を呼べ!!」
吐瀉物で汚れてしまうのに、クラージュは躊躇いもなくミエルを抱き上げた。騒然としているはずの周囲の音は聞こえず、クラージュの声だけがミエルの耳に届く。
とても苦しいけれど、大好きな番の匂いに包まれて死ねたら少しは幸せかもしれない……。ミエルはそんなことを考えながら、意識を手放した。
あなたにおすすめの小説
最悪の婚姻から始まるただ一つの愛
統子
BL
最悪の婚姻だった。
皇太子の正室として迎えられながら、
与えられたのは祝福ではなく、冷たい部屋と拒絶だけ。
触れられることすら恐ろしく、
ただ静かに時間が過ぎるのを待つしかなかった。
けれど——
差し出された手は、思っていたものとは違っていた。
無理に触れない。
急がない。
ただ、こちらの様子を確かめるように、少しずつ距離を縮めてくる。
気づけば、隣に座ることが当たり前になり、
言葉を交わす時間が、夜の習慣になっていた。
触れられるたびに怖さは消え、
代わりに残るのは、離れがたい温もり。
これは、最悪の婚姻から始まった関係が、
やがて“ただ一人”へと変わっていく物語。
望まれなかったはずのはじまりが、
いつしか、何よりも大切なものになるまでの——
静かで、優しい、溺れるような愛の記録。
おバカでビッチなオメガが、表向きスパダリイケメンだけど本当は腹黒執着ストーカーアルファにつかまって、あっという間にしまわれちゃう話
トオノ ホカゲ
BL
おバカでビッチなオメガ・藤森有は、ある日バイト先のカフェで超ハイスぺイケメンの男を見つける。その男・一ノ瀬海斗は弁護士で年収2000万(推定)、顔は超イケメンで高身長の細マッチョ、しかも紳士で優しいという完璧さ。有は無理を承知でアタックをかけるが、なぜだかするすると物事はうまく運び――?
兄の代わりに嫁いだら、結婚相手ではなく兄の婚約者だった公爵閣下に執着されました
なつめ
BL
名門伯爵家の次男である青年は、家の都合で本来嫁ぐはずだった兄の代わりに、遠方の名家へ“花婿”として送り込まれる。
屈辱的な身代わり婚のはずだった。冷遇され、義務だけ果たして静かに消える未来を覚悟していた。
けれど、彼を待っていたのは結婚相手その人ではなかった。
その男の隣には、かつて兄の婚約者だったという、美しく冷酷な公爵がいた。
弟をひと目見た瞬間、その公爵は気づいてしまう。
これは本来欲しかった相手ではない。なのに、目が離せない。
兄の代わりとして連れてこられたはずの弟へ、じわじわと執着を深めていく。
これは、祝福されるはずのない婚姻から始まる、
ねじれた執着と独占欲のBL。
こわがりオメガは溺愛アルファ様と毎日おいかけっこ♡
なお
BL
政略結婚(?)したアルファの旦那様をこわがってるオメガ。
あまり近付かないようにしようと逃げ回っている。発情期も結婚してから来ないし、番になってない。このままじゃ離婚になるかもしれない…。
♡♡♡
恐いけど、きっと旦那様のことは好いてるのかな?なオメガ受けちゃん。ちゃんとアルファ旦那攻め様に甘々どろどろに溺愛されて、たまに垣間見えるアルファの執着も楽しめるように書きたいところだけ書くみたいになるかもしれないのでストーリーは面白くないかもです!!!ごめんなさい!!!
生徒会長の公爵家嫡男に見初められました!
統子
BL
真面目な新入生が、生徒会長に目をつけられた。
ただそれだけのはずなのに、
気づけば逃げられなくなっていた。
これは、最初から決まっていた“出会い”の話。
お忍び中の王子様、毎日路地裏の花屋に通い詰めては俺を口説くのをやめてください。~公務がお忙しいはずでは?~
メープル
BL
不愛想な店主・ネイトが営む小さな花屋の軒先には、雨音に混じって場違いな男が立ち尽くしていた。
不審者と決めつけたネイトが、迷わず足元の如雨露の冷水を浴びせると――フードの下から現れたのは、整った顔立ちの男、ヴァンスだった。
以来、ヴァンスは毎日のように店に現れるようになる。
作業台の隅に居座り、ネイトが淹れる安い茶を啜りながら、ハサミの鳴る音を黙って眺める日々。
自分を王子とも知らないネイトの不遜な態度に、ヴァンスはただ優しく目を細めていた。
のほほんオメガは、同期アルファの執着に気付いていませんでした
こたま
BL
オメガの品川拓海(しながわ たくみ)は、現在祖母宅で祖母と飼い猫とのほほんと暮らしている社会人のオメガだ。雇用機会均等法以来門戸の開かれたオメガ枠で某企業に就職している。同期のアルファで営業の高輪響矢(たかなわ きょうや)とは彼の営業サポートとして共に働いている。同期社会人同士のオメガバース、ハッピーエンドです。両片想い、後両想い。攻の愛が重めです。番外編をちょこちょこ追加しています。