惚れ薬の魔法が狼騎士にかかってしまったら

おもちDX

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本編

35.

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 最後の出勤日、ノーナは引き継ぎの資料作りに追われていた。同僚は最後までノーナの言葉に聞く耳を持たず「もうどうにでもなれ」と思っていたが、やはり他の局にまで迷惑を掛けることになってしまったら申し訳ない。
 ノーナがいなくなったあと、困ったときに見てもらえるような資料を夜遅くまで残業して作ったのが……役に立てばいいけど。

 最後だからと思いピークスの局まで会いに行ってみたものの、席を外していて会えなかった。ノーナも待つほどの時間はなく、諦めて局を出た。
 ピークスなら会おうと思えばプライベートで会える。でも、これまでのように偶然会ったりすることはなくなるだろう。

 戻りぎわ、悪あがきだとは思いつつも騎士団本部の近くを通った。訓練場にもわずかな人しかおらず、どこか閑散として見える。
 それもそうだ。新人騎士たちはシルヴァが連れていったのだから。

 どこか塞いだ気分のまま仕事を終えたノーナが局長室へ挨拶にいくと、トゥルヌスさんは立ち上がって手を掴んできた。

「ノーナ、もう諦めはついたかい? あの騎士に、君は釣り合わないよ。君は仕事では有能だしこの局では重要な存在だったけど、所詮貴族と平民では生きる世界が違う。そもそも男同士で恋愛関係なんて無理なんだ。だから……私の愛人として戻っておいで」
「トゥルヌスさん……分かっています。彼のことは最初から諦めていますよ。でも、愛人にもなりません」

 やはりトゥルヌスさんは、ノーナの好きな人がシルヴァであると気付いていたようだ。
 そして現実を見せてノーナを突き落とそうとする。突き落としたところで、救えるのは自分だけだと手を差し伸べてくるのだ。このしたたかさも貴族の彼らしい。
 
 ノーナは握られた手を優しく解いた。釣り合わないことも、いろいろと無理なこともわかっているが、それを決めるのはトゥルヌスさんじゃない。

「僕は……ウィミナリス様ほど素敵な人を他に知りません。たとえ受け入れてもらえなくても、他人になんと言われようとも、僕の心は彼のものです」
「チッ。あんな融通の利かない男の、どこがいいんだか。何にも興味ないかと思いきや、人のものを横取りしやがって」
「え……」
「ノーナもノーナだよ。これまで取り立ててあげてきたのに、簡単に浮気して。噂は君への罰でもあるんだ。もう少し反省してほしかったけど、さすが平民は図太いね」

 トゥルヌスさんはドサッと椅子に座り、人が変わったようにベラベラと悪意のこもった言葉を吐いた。背もたれに背を預け、ふんぞり返ってノーナを罵倒してくる。

 この人は誰? 唐突に穏やかさという仮面を外したトゥルヌスさんが恐ろしい。というか、噂って……

「あの噂、トゥルヌス局長が流したんですか?」
「そうだよ。内容に信憑性があっただろう?」

 しゃあしゃあとした様子で真実を告げたトゥルヌスさんは、見たこともないほど醜い顔をしていた。
 
 確かに、彼が噂を流したのだとノーナが知ったところでどうしようもできない。地位も、身分も持っている人に対してできる対抗手段を、ノーナは持ち合わせていなかった。
 それを分かっているからこそ、最後の日に彼は打ち明けたのだろう。

 でも……せめて、気持ち良く終わらせて欲しかった。トゥルヌスさんに対して抱いていた感謝の感情も、楽しかった思い出も、すべてが黒く塗りつぶされていく。
 これが彼からノーナへの罰なのだ。向けられた悪意に体温が抜け、指先まで冷たくなった。



 ノーナはとぼとぼと廊下を歩いている。いまさっき、王宮で働く人に与えられる通行証を返却してきたのだ。これで本当に終わりだった。
 
 トゥルヌスさんとのやり取りのせいで、どうしても気持ちは鬱屈としていた。
 どうしてあんな人を好きだったんだろうと今や自分でも不思議に思う。ピークスにも再三言われてきたことだが、ノーナはそれほどに男を見る目がないのだろうか。

 もっとも、シルヴァは別だ。偶然が重なったとはいえ、なんていい男を見つけたんだと自分が誇らしいくらいである。
 できることなら、清廉で純粋な彼に会って汚れてしまった心を浄化されたい。シルヴァは悪巧みなんて考えもつかないはずだ。きっと「決闘する」とかいい出しかねないし。

「ふふっ。って……あれ?」

 玄関に向かおうと思っていたのに、気づけばシルヴァの部屋の前まで来ていた。たった数週間だったものの、ノーナが住んでいた部屋だ。
 ここにいれば、彼がたまに会いにきてくれた幸せな思い出が詰まっている。今日は無意識に、幸せの欠片を探しにきてしまったのかもしれない。

 ノーナはずっと持っていた鍵で部屋の中に入った。最後に会ったときはシルヴァに待っててくれと言われてしまったし、誰もいない部屋に鍵を置いていくわけにもいかなかったのだ。鍵は彼が戻ってきてから、人づてに返そうと思っている。
 
 ランプをつけて見渡すと、部屋の中は相変わらず生活感がない。少しくらいシルヴァの私物があれば彼の存在を感じられるのに、と自分勝手なことを心のなかで呟く。

 何とはなしに備え付けの家具の引き出しを開けて、中身を確認していく。
 やっぱり彼の服の替えさえも置いていない。ここに住んでいるのなら、ノーナがここにいた間はどこに行っていたんだろう?
 
 シルヴァから家族の話さえ聞いたことのないノーナは、彼のことをほとんど知らなかったことに気付く。彼と過ごした時間は、この三ヶ月間のなかでほんの一瞬の煌めきのようなものだ。

 この思い出を抱えてこれからひとりでやっていけるだろうか……また不安になっていたノーナは、ソファの傍にあるキャビネットのなかに何か入っていることに気づいた。

「ん? お酒……かな? こんなのあったっけ」

 取り出してみると、見覚えのないワインのボトルだった。コルクも抜かれていないし未開封だ。
 シルヴァは甘党で、自ら酒を嗜むタイプではない。とはいっても、彼でも飲みたくなるときがあるかも……ノーナはしょっちゅう飲みたくなるし。

 そう自分を納得させてボトルを片付けようとしたとき、カサ、と音がしてキャビネットの底に小さなカードが落ちているのを見つけた。
 手を伸ばして拾うと、お手本のように几帳面な字でなにかが書いてある。

 それを読んだ瞬間、ノーナは立っていられなくなりその場でうずくまった。
 ずっと我慢していた涙が、頬を伝ってぼたぼたと零れ落ちる。

 シルヴァに関してだけ、ノーナは涙腺が弱くなるのだ。
 こんなの……こんなのずるい。

「諦められるわけ、ないよぉっ……」

 ノーナが握りしめたメッセージカードにはこう書いてあった。

 ――ノーナ、白ワインはこれでいいか?
   また一緒に酒を飲もう。
   愛を込めて……
   シルヴァ
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