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本編
37.
週末、ノーナは自宅で旅の準備をしていた。
北の地は王都より遥かに寒いというので、暖かい服も買い足した。ノーナは王都を出たことがないから、気候の違いが想像つかなくてちょっと不安だ。
とはいえ、文官を退職すると決めて何者でもなくなったときほどの不安はもうなかった。
ノーナは臨時の事務官として北の砦に行く。
パテルがノーナを事務経験者としてチームにねじ込んでくれたお陰だ。人員を管理するほうも、その日まで経理局にいた元文官が申し込んだとは夢にも思ってないに違いない。
これで移動と滞在費の心配もなくなり、心置きなく北へ向かえる。
もちろんノーナはシルヴァに接触するつもりはない。なにか伝えるにしてもパテルに頼むつもりだし、元々騎士団員と事務官の接点はそこまでないらしい。
ノーナは新しい上着をフードつきのものにした。防寒のためもあるが、万が一にも見つからないよう外に出るときは常にフードを被っていようと思う。
小さな鞄に最低限のものを詰めていく。追加の上着は自由だけど、基本的な制服や日用品は支給されるから持っていかなくていい。
だから意外に荷物は少なくて済んだ。木彫りの置物はさすがに子どもみたいだと思って諦めて、香油は保湿のため……と言い訳して鞄に入れた。
ノーナは数ヶ月くらい自慰をしなくても平気だと思っていたのに、シルヴァの姿を見た自分がどうなるか分からない。
彼のことを思い出すせいで、自慰の頻度は確実に増えているのだ。自分が変態みたいでちょっと恥ずかしい。
今までより確実に騎士の存在は身近になる。浮かれている場合ではないが、仕事中のシルヴァを垣間見ることができるかと思うと嬉しかった。
胸が高鳴るのを、ノーナはひとときだけ許す。
「これ……最後の一個になっちゃったな」
ノーナは瓶にひとつだけ残った惚れ薬を眺めた。魔女にこれを貰ったとき、ノーナの人生はここまで惚れ薬に振り回されることになるとは思いもしなかった。
たった数ヶ月でノーナは新しい好きな人ができ、長年勤めた職場を辞め、その人を追いかけて初めて王都の外へ出ることになったのだ。
これが嫌な変化かというと、逆だ。むしろこれが無かったらずるずるとトゥルヌスさんと付き合って、彼が結婚しても知らないまま愛人として日陰の存在を続けてしまっていたかもしれない。
それが幸せな未来だとは、もう思えなかった。
結局捨てるなと魔女に怒られたおかげで、ノーナは惚れ薬を使って重要な情報を得ることができたのだ。もう一個も有効利用できる可能性を捨てきれないため、瓶ごと布に包んで鞄に入れる。
シルヴァを害そうとしている実行犯は誰なのかわかっていない。もし分かれば、これを使って詳細な計画を聞くことができるかもしれないのだ。
一緒に北の砦へ向かうメンバーのなかに、確実にシルヴァの敵がいる。
北の砦に着くまでは約二週間。自分で乗合馬車を乗り継いでいくより格段に早いのは朗報だが、その間に何かしらの情報を得たい。
パテルも協力すると言ってくれたし、怪しい動きをする人物がいれば全員疑ってかかろう。
そう……思っていたのに…………
「ゔぅ……寒い……」
「ノーナさん、気をしっかり持って!」
「ケホッ。僕はもう、死ぬかもしれない。パテル、あとは頼んだよ……」
「死ぬなぁ~!!!」
弱気になっていたノーナはポカっとパテルに殴られ、優しい痛みと情けなさに涙が滲んだ。
王都から出立してはや十日。ノーナは慣れない長時間の移動と外気の寒さによって、あっという間に体調を崩していた。
二十名弱の集団での宿泊は、街道沿いで野営が基本だ。騎士たちは慣れた手付きで天幕を立て、ノーナたち事務官は馬車の中で休ませてもらう。
天幕よりよっぽど壁は厚いものの、中で火を熾せないためホッとするほど温まることはない。ノーナは自分の家にあった暖炉が死ぬほど恋しかった。
一日中毛布にくるまり、朝晩の食事で温かいスープをいただく瞬間だけを待ち望む日々。
しかし体調を崩してからは満足に食事も取れず、ノーナはパテルに看病されながらドナドナされる病人でしかなかった。
パテルはやはり元騎士だったようで、身体は丈夫だ。日に日に弱っていくノーナに「かよわっ!」と文句を言いながらもかいがいしく世話をし、「怪しい感じの人がいた」と周囲の観察までしてくれる。
ノーナは到着したら必ずパテルの倍は働こうと誓った。
「いや、その前に体調戻してねちゃんと。顔が青くて幽霊みたいになってるし」
「おっしゃる通りで……」
「まぁ急すぎたもんね。ごめん。俺もノーナさんがいてくれたら正直助かるーって思ってたから」
「謝らないで、僕が無理矢理付いてきたからだよ!? ゔっ。ゲホッ」
とにかく寝ててと言われ、ノーナは大人しくベッドに横になった。
今日は念願の宿に泊まっているのだ。パテルは栄養のありそうなものの調達に行ってくる、とひとり出かけて行った。
部屋があたたかい。ベッドが広い。当たり前だと思っていた日常が、こんなにも尊いものだと感じるなんて……ある意味貴重な体験です……
『……で、いつやるんだ?』
『到着して一週間ほどだな。あいつが帰る前にやらないと』
「!? ……ゲホゲホッ」
『…………』
久しぶりの安寧にウトウトしていたときだった。
隣の部屋から聞こえてきた声に、ノーナはビク!と身体を緊張させる。しかし止められない咳が出てしまい、向こうも警戒したのか黙ってしまった。
違うかもしれないが、そうかもしれない。隣の部屋へ行って顔を見たいと思ったが、そうするとノーナに聞こえていたことがバレてしまうだろう。
いまは何も気づかなかったふりをするのが最善だ。
しばらくして戻ってきたパテルに報告すると、隣の部屋は誰も使っていないと教えてくれた。あの瞬間だけ密談に使用していたようだ。
犯人探しは難航している。シルヴァに対する愚痴をこぼしている人もいれば、一見して中立を保っている人もいるらしい。さっきのはぼそぼそ声で特徴まで読み取れなかったし……
「でも、大体の時期はわかったね。あと、敵がひとりじゃないってことも」
「うん……でも全然違う話かも」
「まさかサプライズパーティーとかじゃないでしょ。怪しいものは全部疑ったほうがいい」
誰かの誕生日をサプライズで祝おうって計画だったら、平和なのに。声色は冷たかったから明るい話ではなさそうだ。
やっぱり敵が近くにいると改めて実感して、ノーナは背筋がゾゾゾと寒くなった。布団を被り直す。
兎にも角にも元気にならないといけない。到着してもベッドの住人では、付いてきた意味がなかった。
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