朔の向こう側へ

星のお米のおたんこなす

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旅立ち編

一本目『出会いし者』③

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 セオドシアの文句を聞き流しながら、二人は森の中へと入っていく。
 灯りを使うと獲物に存在を感じ取られる為、森には新月の僅かな明かりも通さなかったが、この世界になってから暗闇は慣れたもので、問題なく進んで行く。森の中は不気味なほどに静謐せいひつであり、ふくろうの鳴き声も、虫が羽根を擦る音すら聞こえなかった。耳に入るのは、袋に入った小麦粉をそのまま踏みしめたようなきゅっ、きゅっ、というような音だけが響いていた。
 しばらくそうやって歩いていると、雪に紛れて見失ってしまいそうな程に白い毛並みを持つ兎が一羽だけぽつんと居たのが見えた。

「これ口に入れといて……アイツらは目がいい……」

 そう小言で囁きながら、セオドシアに雪の塊を渡す。白い息が出てバレないようにする為だ。セオドシアは嫌な顔をしながらも、肉の為に渋々口の中に入れる。デクスターはただでさえ小さい兎よりも、さらに小さくなろうとするみたいに姿勢を低くしながら、弓を構え、狙いを定めて矢を放つ。
 その矢は見事兎の首に命中し、一撃で動かなくなった。

「ペッ……おぉ~……見事なもんだね……」
「当然! お父さんと……お父さんに教えてもらったんだ……狩りの仕方を……」

 影で顔色はうかがえなかったが、声色から今にも泣き出しそうなのがセオドシアにもわかった。

「はぁ~……君ってやつは……そんな風になるならひっきりなしに思い返すなよな」
「しょうがないだろ!? 僕の思い出の中にはいつだってお父さんがいるんだ!! 思い出さないようにする……なんて……あれ? 兎はどこに行ったの?」

「ん?」

 見ると、先程仕留めた筈の兎がそこには無く、代わりに真っ赤な血溜まりが雪に付着していた。

「しまった……狐に横盗りされたかな……」
「は!? おいおい勘弁してくれよ、折角食べられると思ったら目の前でお預けかい? 何してるんだ全く……」
「そっちは何もしてなかったろう!?  ……まだ遠くないはず……足跡を確認しよう」

 血溜まりに近付くと、兎泥棒の足跡を見つけることが出来る……が、

「これ……狐じゃないよ……裸足の……だ……」

 そこには大の男程の大きさをした人間の足跡があった。その足跡から一定の間隔で血痕が伸びていたので、この足跡の持ち主が兎泥棒なのは間違いなさそうだった……問題は、その兎泥棒が『それで足りるか』どうかだった。

「月住人……!?」
「私達でなく兎を狙ったのは幸運だったな。奇襲されていたら、痛い思いをすること間違いなしだ」
「うん……っておいおい!? どこ行くんだよ!?」

 見ると、セオドシアは血痕を辿って歩いていた。月住人は人間が人智を超えた存在に変貌したものであり、女子供が弓で挑んでいいわけもなく、即刻その場から立ち去るのが正解であり、決して跡を追いかけるべきものではなかった。

「どこって、私の兎を横盗りしたんだぞ? 見つけてその魂を抜きとってやるっ!!」
「本当にイカれてるの!? 兎なんてどうでもいいだろう!? 相手は月住人かもしれないんだからさぁ!!」
「……だからこそじゃないか?」

 そう言うセオドシアの頬には挑むような笑みが浮かんでいた。

「え? え? ほんとに……?  ……あぁ~もう!!」

 一人取り残される事を恐れたデクスターも、セオドシアの跡を追いかける。
 寒さか、緊張か、デクスターは自分の唇がプルプルと震えるのがわかった。
 対してセオドシアはと言うと……

「おい兎泥棒! この卑怯者! さっさと出て来い! その皮と肉削いで残った骨で標本作ってやるからさぁ!!」

 こんな風に火に油を注ぐように叫ぶので、隣にいるデクスターは気が気でなかった。

「……ん? 叫ぶの一旦やめて! 何か聞こえる……」
「出て──え?」

 緊張していても──いやむしろ緊張しているからこそ、狩りに慣れたデクスターの耳は、僅かな物音も逃さなかった。ほんの少しの音の違和感でしかなかったそれを集中して拾おうとする──……。聞こえてきたのは肉の咀嚼音や、骨から肉を無理矢理引き剥がしたりする音だった。その音は近づくほど大きくなり、臓物の臭いも酷くなっていく。そして、ついには後ろ姿ではあるが、その姿を認識する。

「う、嘘だろ……ほんとうにいた……」
「……ありゃもう食えそうにないなぁ……」

 そいつは成人男性の人間でありながら、残飯を漁る野良犬のように、兎を骨も、肉も、内臓も、関係なくその口へと運んでいく。
 そんな彼に対し、二人はゆっくりと背後から近づくと──男はピタリと食事をやめ、ゆっくりとこちらを振り返る。青い月明かりに照らされ、その面を拝んだ時、サァーッとデクスターの顔から血の気が引いていく。

「お父──さん──……?」
「で、く……すたぁ……」

 デクスターが父と呼んだそれは、口元を兎の血で真っ赤に濡らし、目もそれに劣らないほど充血し、まともでない事が見て取れる。にも関わらず、デクスターは、自分の名前を呼んだ父の元へふらふらと歩き出す。

「待て! はもう、君の父ではない!!」

 セオドシアはそんな彼の肩を掴み、止める。デクスターは掴む彼女の手を振り解き、絶叫する。

「う、嘘だ……!! だって……だって……クソ……どういう事だよ!?  なんでお父さんが……あんな……あんな……」
「月住人になったんだ……手遅れなんだよ……」

 デクスターの父── は父であった月住人は、狼狽える彼に向かって更に言葉を続ける。

「でく、すたぁ……たりな……イ……モッと……ヨコセェッ!!」

 月住人は、唸り声を上げながら、その肉体を変質させていく。
 肉体が膨張ぼうちょうし、着ていた服は破け、耳が陥没すると、全身を白い毛並みが覆い、頭頂から兎の耳が生え、その額からは一角獣の角が生えていた。

「『蹂躙せし者ホワイプス』か……通常個体より少し大きいか……?」

 ホワイプスと呼ばれたそれは、膝を曲げ、腕を目一杯後ろにやると、勢いをつけて襲い掛かる。セオドシアが回避しようとする中、デクスターは異形の存在となり、自分に襲い掛かってくるそれを呆然と眺め、動けずにいた。

「チィッ……!! ボサッとするなッ!!」

 セオドシアは、持っていたアタッシュケースを飛ばし、ホワイプスの跳躍射線上からデクスターを退かす。すると、狙いの外れたホワイプスは、延長線上にあった木を踏み台にし、動きの取れなくなったセオドシアを、岩を呑み込む波のように飛びかかる。

「ぐぅ……!?」

 セオドシアは、そのままホワイプスに馬乗りにさせることを許してしまい、怪物の腕力で、その細首をキリキリと締め上げられる。

「がッ……はぁ……!?」
「うぅ……!? セオドシア!?」

 セオドシアは、右手で締め上げる手から少しでも余裕を生ませようと引っ張りながら、もう片方の手を思い切り地面に叩きつけ、出血を引き起こす。
 そして、血塗れとなった指で、あるものを指し示す。

「け……ぇす……を……あ……け……」

「ケース……? あっ、これか!!」

 デクスターは、セオドシアの意思を汲み取り、ツギハギだらけのケースを開き、その中身を見る。

「な、なんだこれ……!? 何もない!? いや、それどころか…… ぞッ!? 何もない漆黒の空間がどこまでも続いている!?」

「く……ぐあぁッ!!」

 セオドシアは、開いたケースに向かって腕を振るい、中に向かって血液を投げ入れる。すると次の瞬間、ケースの中から青白い火柱が天高くまで昇り、そこから撃ち出された火の玉がホワイプスに命中し、セオドシアの上から弾き飛ばす。

「グギャアァァッ!?」

「ゲホッ!? ケホッ!?  ……ぐっ……こいつめ…… アザになったらどうするつもりなんだ……嫁入り前の処女オトメの柔肌を……」

 ホワイプスは、燃え移った炎に藻掻もがき苦しみ、雪の上を転がり回って鎮火を図るが、火の手は弱まることも、強まることもなくその場に留まる。

「無駄だよ、その炎は普通の炎のように物を灰に変えたりは出来ないが、一度燃え移ったが最後、死が分かつ時まで、その場所を永遠と苦しめるのさ」

「セオ……ドシア……なんだよ……後ろの……  ……?」

 デクスターは、セオドシアの背後に浮かぶあるものを目にする。
 それは、人間の右腕の骸骨だった。特に目に付くのはその大きさであり、人間一人分なら、文字通り軽くひねり潰せるほどの規格を持っていた。
 それは、先日の骸骨魚のように奇妙な模様が刻まれ、青白い炎を宿していた。その炎はあまりにも大きく。デクスターの目には、自身を喰らおうとする捕食者の眼に見えて、逃げ出そうにも足がすくんで逃げられずにいた。

「月住人……『葬れぬ者ギガゴダ』……その右腕さ……昔の戦利品でね……さて、ホワイプスよ、その肉体はデクスター君にこそ貰う権利がある……君じゃない……よって、中に居る君の魂にはご退場願おう」

 そう言ってセオドシアが右腕を前に突き出すと、同じようにギガゴダの右腕が動き、ホワイプスを握りしめ、更にその身体を炎上させる。

「ギャアアアアアアアアーーッ!!」

 月住人には痛覚が存在しない。
 乗っ取った肉体の血管系と神経系を消失させ、独自の粒子を代用に流し込むからだ。だが、痛覚がないことと、痛みを感じないことはイコールでは決してない。これは痛点の定義が│曖昧《あいまい》な為に起こった誤解だが、活動の為に侵害受容器は存在するし、また大脳皮質は消去されるが、身体の安定を取るため大脳そのものは残さなくてはならず、痛みはここで処理出来てしまい、痛みを感じることが出来るのである。それが、人の言うところの痛みと同じかどうかはさておき、傷つき『危険から逃げろ』という信号が出ているのは間違いない。それは苦痛であり、患苦《かんく》であり、多大な負荷である。つまり痛みとは生存戦略の武器であり、生命に危機を知らせるなくてはならない信号《アラーム》なのである。
 セオドシアの体内には、血液を通して埋葬されずに彷徨う魂が極小の粒子として流れている。彼女はこの粒子に炎という形を与え、独自のネットワークを介する事が出来る。
 これにより、彼女は骸骨を自身の駒として操ったり。炎に触れたものに肉体が傷付く以上のダメージを与えると錯覚させる……拷問兵器とすることが出来た。

「大変だったよ……君達に痛みがある事を確かめる為に、私は新月が空に浮かんでからの五年間……君達を何度も、何度も、何度も……!! 痛めつけてやらないといけなかったからねぇっ!!」

 文字通り、魂まで響くその炎の痛みに耐えられなくなったホワイプスは、デクスターの父親の肉体から、青白い魂となって露出する。それをセオドシアは見逃さず、ギガゴダの右腕で掴み取る。

「さようなら……夜明けになったら、また会おう」

 そう呟き、炎に飲み込むと、あとには、雪の上に仰向けになって倒れ込む、人間の姿に戻ったデクスターの父親だけが残された。

「お父さん!? お父さん!!」

 デクスターは、倒れる父に近付き、その身体を抱き上げる。
 その腕を通して感じた父の身体からは生命の暖かさを感じられず、
 背けていた現実が、容赦なく、父の死を理解させる。

「……ッ!? ……くっ……」

 デクスターは、その場で声を上げて泣き出すのを堪え、ずっと言いたかったあの言葉を、眠る父に囁いた。

「おかえりなさい……お父さん……」
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