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4 王宮の夜会
しおりを挟む夜会当日。
満を持して、私たちは王宮に乗り込んだ。
ドレスはラシャドが用意してくれたエンパイアドレス。
純白の生地に、繊細な刺繍やビジューが装飾されていて、まるで花嫁のような出で立ちのドレッシーなドレスだ。
虎の私には身に余る装いだ。
――いえ、そんなことないわ。
王子妃教育を受けてきた、腐っても公爵令嬢の私。
虎の体でだって、カーテシーくらい出来る、はずよ!
そして、もちろん隣には優雅に私をエスコートしてくれる、ラシャド殿下の姿がある。
謎に包まれた大国の皇子が、虎を伴って夜会に現われたことで、出席している貴族たちはざわついている。
しかし近付いてくる者はいない。
誰もが私たちを遠巻きに伺っていて、なぜか時折悲鳴や、食器が割れたり、人が倒れたりする音が聞こえる。
ラシャド殿下は、周囲の雑音は全く気にもせず、虎の私の背面にそっと手を置いて、夜会を楽しんでいる様子だ。
第一王子の姿はまだ見えない。
私の家の者も見つけられない。
しばらく夜会の様子を観察していると、騎士が近付いてきた。
見たことがある。
陛下付きの護衛騎士だった。
騎士がラシャドに耳打ちする。
ラシャドがそれに頷くと、騎士はその場に静かに控えた。
「少し用事が出来た。本当はずっとシエナの側にいたいのだが……。キースを残す。これでも国では凄腕の剣の使い手だから、問題ないとは思うが。どうか気を付けてくれ」
ラシャドがどこかに消えて、大広間に残された私とキースの二人。
キースと二人きりになることはまずないので、なんとも気まずい空気が漂う。
キースはラシャドの護衛騎士のくせに、虎である私に怯えている様子だし。
本当に、キースと二人で大丈夫なのかしら。
なんとなく、不安な気持ちになる。
まあ、衆目の場で何かされるとも思えないけれど。
「ガウ、ガウガウ(あら、キースの肩のあたりに黒いものがついているわ)」
「黒いものですか?」
肩をぱっぱっと払って、私を見るキース。
まさかね。
「ガウウゥ(キースの臆病者)」
「なんて酷いことを言うんですか!」
私とキースは互いの顔を見る。
「「……」」
黙りこくること数秒。
「ガウッ(通じてる)⁉」
「虎の言葉が解かる⁉」
すると、急激に私たちの周りを黒いもやが覆い始めた。
あっという間に、私とキースは、黒いもやのようなものによってドーム状に囲われ、夜会の絢爛から隔絶されていた。
もやの幕から、黒いローブで身を隠した魔術師らしき者が姿を現す。
「おやおや、あたしの獲物が二人して、のこのことやってきたわねぇ」
キースは私の後ろに隠れて、ガクガク震えながら叫ぶ。
「その声は‼ まさかあんただったとは‼ ……虎殿っ、今こそ猛々しい牙を見せるときですっ‼」
「ガウッ! ガウウッ(後ろに隠れるな! 虎の威を借る狐か)」
とはいえ、私だって、張子の虎なだけの中身令嬢ですもの。
魔術師相手にどう戦ったらいいのかしら。
悩んでいると、どこからかラシャド殿下の声がした。
「ようやく尻尾を出したか」
私とキースを取り巻いていた黒いもやが払われていく。
いつの間にか、私のすぐ側にはラシャド殿下がいた。
「一向に獲物の痕跡を辿れないと思ったら、ラシャドの坊やだったのかい。キースまで連れ歩いて」
魔術師が黒いローブを脱ぐ。
そこには、豊かな黒髪に、紅い瞳の妖艶な美女がいた。
「やはり、あなたか。通りで追跡魔術が一切効かないわけだ」
ラシャド殿下が坊や⁉
固まる私を後ろに隠し、ラシャド殿下が美女を睨み付ける。
もちろんキースも隠れている。
「偉大なる黒い森の魔女ともあろうお方が、無辜の令嬢に、転幻の魔術を施すなど、とても許されないことだ」
美女は、赤いマニキュアの施された長くて美しい指で空中を払うと、不敵な笑みを零す。
「あたしは、この国の第一王子から頼まれただけよ。婚約者が実はあくどい魔女で、自分と恋人を呪い殺そうとしているから、どうしても助けてほしいって」
私は怒りで、ラシャド殿下の脇から顔を出す。
「ガウッッッ(やっぱり第一王子だったのね)!」
ラシャド殿下は大きくため息をついた。
「四大魔女がどこかの国に与すのは、国際条約違反だと知っているだろう」
黒い森の魔女とやらは、どこ吹く風だ。
「魔女問題だったら管轄内だし。それに、どちらに転んでも得だと思って、……調べもせずに依頼を受けたわけじゃないわよ」
納得した。
ああ、黒い森の魔女様は、気まぐれで道理の通らないお方なのですね。
「元凶だったら、ほら、そこにいるわよ」
「ガウッ(なんですって)⁉」
大広間の中央に、招待客に遠巻きにされている第一王子がいた。
学園で恋人だった平民の女性を隣に伴って。
蒼白な顔をして、近くの騎士たちを壁に隠れようとして、逆に押し出されている。
なんとも憐れな恋人たちの姿があった。
ようやく見つけたわ!
ここで会ったが百年目!
公衆の面前で、肉食系悪役令嬢と罵られた私の怒りを思い知りなさい!
「グルルルゥッ(あなたとの婚約は破棄させていただきます)‼」
私は姿勢を低くして、獲物である第一王子に狙いをつけると、跳躍して距離をつめた。
「ひいいいいいいい!!」
ただ近づいただけなのにも関わらず、第一王子は悲鳴を上げて倒れ、じわじわとズボンの股の部分を濡らしていった。
隣にいた平民の恋人は既に気を失っている。
大広間は静まり返っていた。
うわぁ。
公衆の面前で、自国の王子が失禁なさるなんて……。
さすがに申し訳なく感じるわね。
ついね、つい騎虎の勢いでね。
……ご愁傷様です。
パンッ――
――ラシャド殿下が、両手を打ち合わせた。
「さて、国の政に属する者が、私益にて黒い森の魔女に依頼を出すのは国際条約違反だ。ましてや浮気相手と結託し、偽の情報で魔女を騙して、己の婚約者を虎に変身させて放逐するなど、鬼畜にも劣る所業。それも俺の愛する女性に――」
「まあ」
黒い森の魔女が驚いた声をあげる。
私も、断罪からの突然の告白に驚いていた。
会場のざわつきが治まると、国王陛下が指示を出し、ズボンを濡らした第一王子とその恋人は、騎士に引っ立てられて会場を後にした。
国王陛下もその場を辞し、詳しい話し合いは後日なされることになった。
大広間のひと気はまばらになっていた。
隅では、キースが黒い森の魔女によって捕まっていた。
ラシャド殿下が私の元までやってきた。
虎である私の前で、厳かに跪く。
「陛下に話を通して、第一王子とシエナの婚約は最初からなかったことになった」
びっくりした。
婚約について、そんな具体的な話し合いがなされていたとは思わなかった。
「俺には、初めて会ったときから、シエナの愛らしい姿が見えていた。外見だけじゃない。逆境にめげず、ひたむきに前を向く凛々しい姿に、いつしか心を奪われていた。……どうか、この先の未来を我が妃として、共に生きていってはくれないだろうか」
他者に命令しなれているラシャドにとっては、自信なさげな、控えめにこちらを伺うかのような求婚に、胸がきゅんとなる。
私の答えは一つに決まっていた。
視界の端で、黒い森の魔女が、杖を空にかざした。
杖から光の洪水が流れ、私の周囲に集まりだした。
魔法が解ける!
光が、虎である私を中心に、らせんを描くように回る。
粒子がキラキラと舞い、静かに収束すると、私は人間に戻っていた。
ラシャドが贈ってくれたエンパイアドレスを着て。
私の金髪の頭上には黄金のティアラと揃いのネックレス、ハイヒールを履いた公爵令嬢である私がいた。
「装飾品はお詫びの品よ」
妖艶な魔女はうふふと笑うと私にウィンクしてくれた。
私は、改めてラシャドに向き合い、跪く彼の頬を両手で包みこむ。
彼の耳に、自分の口を近づけて、囁くように、熱く想いを告げる。
「ラシャド殿下、私も、あなた様をお慕いしております」
私の返答に、皇子は、即座に立ち上がると抱きしめてくれた。
そうして、ラシャド殿下と共に国を出た私は、盛大なパレードによって皇国に迎え入れられ、現在、ファマール皇国の皇宮で皇子妃として幸せに暮らしている。
皇国の正装である、露出の大胆な踊り子のような衣装を着た私は、今日もラシャド殿下によって虎の子のように大切にされている。
虎の時の名残なのか、つい動く物を見ると体が反応してじゃれそうになるのには困っているけど。
ちなみに黒い森の魔女が、キースを手に入れるために、二匹の蜘蛛の使い魔を引き連れて皇国に移住してくるのだが、それはまた別の話。
私はふっくらとしてきたお腹を撫で、満ち足りて独り言ちる。
「虎になるのも悪くないわね」
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