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2章
予期せぬ見返り
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ウルフの家での暮らしは良く言えば穏やかで、悪く言えば退屈な日々だった。
この感覚をあえて日本の風景になぞらえるなら、夏休みに田舎の祖父母の家を訪れた時のような、あの不思議な感覚に似ていた。
母方の実家はこの世界と同じように緑が多い場所にあった。
遠くを見れば山、近くには田園があり、ビルに遮られる事の無い青空が広がっている。
娯楽は居間のテレビくらいで、買い物をするのにも車が必要だった。
だから幼い日の俺は両親が里帰りを提案する度に、ゆっくりと時間が過ぎていく感覚を、縁側や畳のある部屋に寝そべりながら感じたものだった。
時間が有り余っていた幼い頃ならいざ知らず、流石に高校生ともなるとその穏やかな時間を無駄だと感じた。
そろそろ社会人になるという焦りもあるせいか、何かしていないと落ち着かない気分になるのだ。
日本では可処分時間のほとんどを俺はゲームをしたり、作ったりすることで費やしていた。
しかし、この世界にパソコンなどという<文明>の利器は存在しない。
何故かバッテリーの減らない携帯端末はあるにはあるが、流石に元の世界にまでネットが繋がっていないため、ゲームで遊ぶことはできなかった。
俺が暇を持て余していた頃、他のメンバーが何をしていたのか話をしよう。
日本円にして100万円という当面の生活費が確保できたせいか、勇弥胎芽は翌日から狩りに参加しなくなった。
狩りに行かなくなったことでできた時間を、彼はネルヴァの店で買ったドルイドの本を読むことに費やし、一ノ瀬が少しでも早く治るように治療を試していた。
ドルイドの力をほんの少し扱えるルナは、胎芽に本を読んでもらう代わりにポランの操り方を彼にレクチャーしていた。
ルナの教え方が良いのか、あるいは胎芽に素質があるのか。
しばらくすると、胎芽は本当に樹法を使えるようになってしまった。
二人が仲良くなっていく姿を、ウルフは複雑な表情を浮かべて見守っていた。
妹に友達ができるのは嬉しいが、友達以上になるのは許さんといった具合だろうか。
やっぱり兄では無く父なのでは?と、俺は内心でウルフにツッコミを入れておいた。
一ノ瀬崇は1日でも早く怪我が治るように、筋トレをして、ご飯を食べて、寝るというルーチンを繰り返していた。
筋トレはいらないのではないかと質問をしてみたが、体がなまるからと聞き入れてはくれなかった。
俺達が次に進むためには、一ノ瀬の回復が必要不可欠だった。
だからというわけではないが、暇に飽かして、俺は異世界の料理をみんなに振舞うことにした。
教える人間がいなかったせいか、ルナの料理はレパートリーが少なかった。
買ってきた野菜は全てスープの具材となり、別の料理に使われることもない。
確かに茹でれば野菜は柔らかくなるのだが、この世界には味噌やコンソメがないためどうしても薄味になってしまう。
それが日本人としては、とても物足りなく感じた。
もし俺がスープを作るなら、恐らくシチューを作ったことだろう。
しかし、散々野菜スープを振舞われた後だったので、俺は別の料理を作ることにした。
再度ベトゥリンの村に行った時に購入した食材や調味料を使い、俺はひとまずコロッケを作ってみせた。
ミンチにした肉の他に、潰したジャガイモや細かく刻んだニンジン、玉ねぎが入っている。
こうすれば野菜も食べやすいと思ったのだ。
ちなみに、パン粉はパンを細かく刻んで代用することにした。
日本で市販されているパン粉よりも粗くなってしまったことが気がかりだったが、そんなことを気にするのは料理人の俺だけだった。
ウルフとルナはこんなに美味しいものは食べたことがないと、俺のことをいっぱい褒めてくれた。
舌が肥えているはずの一ノ瀬や胎芽からもお代わりを頼まれたので、今回の料理は本当に成功したのだと内心ほっとした。
その日から食事当番に任命された俺は、少しだけ暇をつぶすことができるようになった。
一見すると雑用を押しつけられているだけにも見えるが、俺も上手い飯を食いたかったので快く引き受けた。
「ダイスケ。」
ウルフから声をかけられた俺は、料理をしていた手を止めて背後を振り返った。
俺が台所を任されてからというもの、一ノ瀬や胎芽は食事どきでは無い時間にたびたび厨房を訪れていた。
ルナの時は流石に言い出せなかったのだろうが、この二人は三食だけでは足らず、おやつも要求しやがるのだ。
流石は才能豊かな100キロ族である。
だから俺は彼らが100キロ以下にならないようにするために、間食用のパンを多めに焼くようにしていた。
ウルフが来るのは珍しいことだったが、彼らと同じように腹が減ってやって来たのだと俺は想像した。
「小腹がすきましたか?そこにあるパンはご自由にお持ちください。」
「いや、その……なんだ……つまみ食いに来たわけじゃないんだ。」
ウルフの雰囲気から真面目な話だと悟った俺は、火にかけていた鍋を避けて、再びウルフに向き直った。
「タカシの奴、歩けるようになったみたいだな。」
竜から受けた呪いを解呪した礼とはいえ、一ノ瀬が治療に専念できたのはウルフのおかげだろう。
だから俺は目の前にいる獣人に感謝の意を伝えることにした。
「お陰様で、もうすっかりよくなったようです。」
「そうか。そいつは良かった。いや……よくもねえのか。」
ウルフが何を話したいのかわからず、俺はじっと彼の言葉を待った。
「あいつの怪我が治ったってことは……お前達は近いうちに……出て行っちまうんだよな?」
なるほどこの話がしたかったのか。
そこでようやく俺にも合点がいった。
「無理にとは言わないが、できればもう少し一緒に居てくれないか。その方が、ルナも喜ぶ。」
ぽりぽりと頬をかきながら、少し照れ臭そうにウルフはそんなことを言った。
その姿にドキドキしないわけではなかったが、それにほだされる程のお人好しにはなれなかった。
彼らが抱えている問題は、俺達がこの家に留まることでは解消されないからだ。
「すみません。今晩お伝えするつもりだったのですが、遅くとも明後日には出発する予定です。」
「……そうか。いや、いいんだ。ここでの暮らしは退屈だもんな。」
先ほどの表情とは一転してウルフは本当に悲しそうな表情を浮かべた。
ゲイである俺は、男のそんな表情をみるだけで心の底から胸が痛んでしまう。
こういった感情はきっと女性が好きな男性では味わえない感情なんだろうなと俺は思った。
「あの……。よろしければ、ウルフさん達も一緒に行きませんか?」
だから俺は逆に提案することにした。
彼らが抱えている問題を解決するには、正直これしか手がないと考えていたからだ。
「それは無理だな。」
「ルナですか?」
「ああ、そうだ。」
「でも、ウルフさん。本当は開拓者になりたいんですよね?」
「そ、そんなことは無いぞ。」
「またまた~。開拓者のことを話すウルフさん。めちゃんこ熱が入っていましたよ?」
「そんなにわかりやすかったか?」
「俺は他人の感情の機微を感じ取れるんで、めちゃんこわかりやすかったです。」
厨二病のように聞こえるかもしれないが、実際俺は空気を読むことに異常に長けていた。
親の顔色をうかがう生活をしてるせいか。
はたまた、ゲイであることを隠して生きているせいか。
この能力が身についた理由はわからない。
一見すると普通に見える人間、親戚が実は前科持ちだと知った時に、俺はこの能力の精度に自信をもった。
「このこと、ルナには?」
「言ってません。自分のせいで兄がやりたいこともできない。なんて、自覚したくないでしょうから。」
自分の発言を振り返り、俺はすぐさま「すみません」とウルフに謝罪をした。
なんだか意地悪な言い方になってしまった気がしたからだ。
「もしかして、ルナに怒ってるのか?」
「いやいや、流石にルナには怒っていませんよ。どちらかというと、ウルフさんの境遇に苛立ちを感じています。」
ルナの父親がウルフであるなら、これほどのもどかしさは感じなかっただろう。
自分がこさえた子供なら、大人になるまで面倒をみる義務があるからだ。
しかし彼はルナの親ではない。
親ではないのだ。
それなのにどうして、自分の夢を諦めてまで妹を養わなければならないのだろう。
こんな理不尽があるだろうか。
俺にも叶えたい夢がある。
決して叶わない夢だ。
だからこそ、夢を追えないウルフの辛さが痛いほど理解できた。
「俺の境遇をどうしてお前が気にするんだ?」
「それは……。」
自分の夢の話をすることはできなかった。
それはカミングアウトをするのと同義だったからだ。
油断をして口を滑らせたら、一ノ瀬に伝わる可能性がある。
それだけは避けなければならなかった。
だから俺は必死で頭を回転させて言い訳を考えた。
「命を救った相手には……やっぱり、幸せになって欲しいじゃないですか。」
少しキザな返答だったが、咄嗟の状況ではこれが精一杯だった。
自分の発言が恥ずかしくなってはにかんでいると、ウルフはがしっと俺の両肩を掴んだ。
「ありがとな。おまえの優しさが目に染みるぜ。」
ウルフは少し涙を浮かべながら、俺の肩をポンポンと叩いた。
やはり一人で妹を養うことに負担があったのだろう。
彼の心の内を聞けて良かったと俺は思った。
「もう少し一緒に考えてみましょう。きっと何かいい手段が見つかるはずです。」
「そうか……ううっ、そうだな。ちょっくら一緒に考えてみるとするか。」
ウルフが笑ってくれたので、俺は少しだけ気分が軽くなった。
チョロすぎるとも思ったが、相手がタイプなのだから仕方がない。
「ベトゥリンの村に実際に行ってみて思ったんですが、住人の態度があの程度のものであれば、ルナが旅に参加すること自体に問題はないですよね?」
「ああ。ドルイドの力を持つ人間なら無視されるだけで済むはずだ。お前達も特殊な力を持っているし、加護無し扱いされないだろう。」
「ちなみに加護無し扱いされるとどうなるんですか?」
「獣人に死ぬまで所有されることになる。俺達のお袋もそうだった。」
あ、この話題はまだ早いなと俺は即座に感じた。
だからこれ以上深堀りはせずに、もとの話に戻すべく直前の話題を辿る。
「……なら、懸念があるのは、迷宮攻略を行っている間、ルナを一人に出来ないという点ですかね?」
ウルフ達がひとけのない場所で暮らしている理由は、ルナを他の獣人から守るためだった。
仮に俺達が開拓者になり、冒険へ出ることになったとしても、ルナをその冒険へ連れて行けるはずがない。
必然的にルナは留守番をしてもらうことになるのだが、その間、ルナが犯罪に巻き込まれる可能性があった。
「そうだ。開拓所に託児所はあるが、あいつはそんな年齢ではないし、金が無くて学校にも行かせられない。」
「学費はいくらかかるんですか?」
「卒業までとなると金貨30枚はかかるだろう。」
「その程度の金額であれば、ドクトリナの消化液を集めればすぐじゃないですか?」
「それが、そういうわけにもいかないんだ。前にも言ったようにあれは教訓を与えるためのものでな。俺達の前にはしばらく姿を現わさないだろう。」
「なるほど、そういう法則があるんですね。他に手っ取り早くお金を稼ぐ手段はありませんか?」
「迷宮の中ならともかく、迷宮の外じゃ一攫千金になるような仕事はない。地道にコツコツ稼ぐしかない。」
「うーん。そしたら、俺が開拓者になってお金を稼げばいいのかな?何年かかるかはわかりませんが……。」
「いやいや、何を言っているんだ。お前にそんな迷惑はかけられない。」
「現状、開拓者になった後のことは決まっていないので、それを次の目標にするのもありかなと。やっぱり、生きる目的が無いとだらけちゃいそうなんで。」
この世界に来てひと月が経とうとしているが、今のところゲームやラノベのような体験は得られていないため、俺はあの教師に騙されたのではないかと思い始めていた。
確かに獣人という種族との出会いはあったが、人間との確執という頭の痛い問題がちらつくだけでここでの生活が面白くなる感じがしない。
それでもこの世界に来ることを選択したのは俺である。
であれば、何か別の生きる目的を設定する必要があるだろう。
ウルフに恩を売るという行為は、俺が堕落しないためにも必要なことのように思えた。
ここに来たばかりの時のようなヒリヒリとした緊張感を自分に課すことで、新しいことにチャレンジをする原動力にしたいからだ。
俺の提案にどう返答するか考える為に、ウルフは目を閉じて真剣に考え始めた。
俺は彼の考えがまとまるまでの間、獣人の、その鍛えられた肉体を思う存分眺めることにした。
獣人は服を着ずとも毛皮をまとっているため、普段から上半身を真っ裸にして生活をしていた。
流石にズボンとパンツは履いていたが、長ズボンを履いている獣人は村にもいなかった。
そういえば、女の獣人はズボンの他にブラジャーに似たトップスを着ていた。
ノンケだったらきっと胎芽のように興奮していたのだろうが、俺は興味が無いので視線誘導にすらならなかった。
「なら、こうしよう。」
俺の思考があらぬ方向へと向かい始めた頃。
ようやくウルフが先ほどの続きを話し始めた。
「俺の夢を叶える手伝いをしてくれるんだ。代わりにお前の夢を叶える手伝いをさせてくれ。対等な友人でいるためにも、頼む。」
友人だと思ってくれていたのかと、俺は柄にもなく嬉しくなってしまった。
そんな相手に嘘をつくのは心苦しかったが、どうしたもんかと返答を考えてみることにした。
しかし、いくら考えてもそれらしい返答が思い浮かばなかった。
ここで嘘をついてしまったら、俺がついた偽りの夢を叶えるために、ウルフは無駄な手伝いをすることになるだろう。
それは、友人と言ってくれた相手に対して誠意が足りていないと思った。
かと言って今は夢が無いと話そうものなら、この話はこれ以上進まなくなってしまうだろう。
お手上げだなと俺は思った。
相手が興味の無い相手であれば無視する話だが、俺はウルフに興味がある。
だから俺は正直に自分の夢を告げてみることにした。
これで気持ち悪いと拒絶されたら、諦めもつくというものだろう。
ウルフと袂を分かつかどうか、ここが分水嶺だと言えた。
「そんなこと言って大丈夫ですかね。俺の夢を聞いたらドン引きすると思いますよ?」
「俺は今の今まで自分の夢を諦めていた。そんな俺にお前は手を差し伸べてくれたんだ。お前の夢が何であろうと、俺も手伝うのが道理だろう。」
(そこまで言うのなら……。)
俺は深呼吸をした後に重い口を開いた。
「……俺の夢は……その……髭面のガチムチマッチョな男性と結婚をして、幸せな家庭を築くことなんですが……これでも手伝いたいと思いますか?」
ウルフが再び言葉を発するまでの間、俺は耳元で鳴り続ける鼓動の音だけを聞いていた。
戦闘をしているわけでもないのに体が強張り、喉も乾いて来る。
こんなに緊張したのはいつ以来だろうか。
少なくとも元の世界では味わったことがなかった。
「……わかった。俺に任せてくれ。」
俺の背中が汗で湿り始めてようやく、ウルフは重い口を開いた。
男の表情や声音から嫌悪感は全く感じられなかった。
あえて言語化するなら、覚悟のようなものが伝わって来た。
互いの夢を叶えるという約束を守るという覚悟だろうか。
もしそうであれば、俺も彼の夢を本気で叶えなければと思った。
「あ、一ノ瀬と胎芽には内緒にしておいてください。彼らは女の子が好きなので。」
俺がそうつけ加えた時、台所に誰かがやって来る足音がした。
「竿留氏~。お腹が減ったでござる~。」
「ござる~。」
足音の正体は胎芽とルナだった。
ウルフの姿があることに気づいたルナは、一瞬だけバツの悪そうな顔をした。
どうやらルナはウルフの微妙な心境の変化に気づいていたようである。
「ルナ、大事な話がある。」
ウルフの真剣な表情に困惑しながらもルナはこくりと頷いた。
胎芽との関係を問いただされると思っているのかもしれない。
「タカシの怪我が治ったから、そろそろダイスケ達はこの家を出て行くそうだ。それでな……」
「嫌!行かないで……。」
ウルフの話を遮ってルナが胎芽に懇願した。
胎芽の服の裾を掴み、涙を浮かべながら上目遣いで少女は男を見つめていた。
胎芽はどうしていいかわからずオロオロと俺に視線を向けた。
俺は胎芽のアイコンタクトを受け取りながらも、ウルフの言葉を待つことにした。
ここまで嫌がるとなると、逆に説得しやすいのではと思ったからだ。
「お前にはずっと黙っていたが、俺には開拓者になりたいっていう夢があるんだ。だから、ルナ。お前さえよければ彼らについて行こうと思う。街での暮らしはお前が思っている以上に大変なものだ。もしかすると、怖い目にも合うかもしれない。それでも、お前がタイガについて行きたいと望むなら、俺も心置きなくダイスケ達について行ける。」
どうする?とウルフは問いかけた。
それに対する答えは明快だった。
「タイガお兄ちゃんと離れたくない。」
一体いつの間にこんなに仲良くなったのか。
ルナの覚悟はなかなかに固いようだった。
まあ俺なんかと友人ができるのだ。
胎芽の人柄の良さに惹かれるのも無理はない。
「なら、決まりだな。ダイスケ、世話になる。タイガも妹をよろしく頼む。」
「ウルフ殿がいれば鬼に金棒でありますな。妹さんのことは任せて欲しいでござる。」
妹をよろしく頼むと言ったウルフの言葉と、任せて欲しいと言った胎芽の言葉。
この2つの言葉が行き違いになっていないか俺は少し気になった。
胎芽は恐らくもう少しケモ度が高い女性が好きなような気がしたからだ。
「大輔~。腹減った~。」
念のため胎芽に確認をとろうとした時、一ノ瀬がギブスを外した足で台所へやってきた。
3人ぐらいまでなら窮屈さを感じない台所も、5人集まると流石に手様に感じた。
「人口密度たっか!早いけど飯にしましょうか。今後の話についてはそちらで相談を。」
「ん?なんかあったのか?」
「俺達も一緒について行くことにしたんだ。」
「おお、そういうことか。心強いっす。」
「竿留氏、手伝いまする。」
「私も手伝います。」
「ありがたい。ちなみに今日はポークハンバーグなのだ。」
「ハンバーグ?」
「挽肉に野菜を混ぜて丸くしたものをこんがりと焼いたものでありまする。」
「わー、すっごく美味しそう。」
「ウルフと一ノ瀬もテーブルを片付けて、ほらほら行動開始。」
「「お、おう。」」
こうしてウルフは俺達と共に開拓者を目指すことになった。
ウルフの夢を叶えることは、恐らくできるだろう。
しかし、俺の夢をウルフどうやって叶えるつもりなのだろうか。
これからの旅よりも、俺はそれが気になってしかたなかった。
「親父、親父!」
軟弱で情けない男の声がやけに近くから聞こえた。
この声には聞き覚えがあった。
ベトゥリンの村を納める村長の息子。
つまりは俺の、息子の声だ。
「エラポス……。」
目覚めたら傷が治っている。
そんな期待を何度したことだろう。
期待を裏切るような痛みに耐えながら、俺は重い瞼を開いた。
普段ならすぐに回復するような傷も、竜につけられたせいか一向に回復の兆しをみせなかった。
そのせいか、傷口に何かよからぬものが入り、ジクジクと醜く化膿し始めている。
自分の体のことは、自分が一番よくわかる。
恐らく俺はもう長くはないだろう。
だから今日は息子に、遺言を伝えなければならなかった。
「我が……息子よ……。この村のことを……頼む……。」
数秒の間、伸ばした手を息子は掴まなかった。
この期に及んで、息子はまだ覚悟を決めていないらしい。
「何でもかんでも自分の価値観を押しつけやがって。俺に村長なんて務まるわけねーだろ!」
俺が喋れないことをいいことに、息子は悪態をつき始めた。
ドルイドの素質があったのにウォーリアーの修練を強制されたこと。
開拓者になりたかったのに村長になることを強いられたこと。
そして、母親の死を自分のせいにされたこと。
溜まってた鬱憤をこれでもかと息子はぶちまけた。
「俺にとってあんたは最低の糞親父だ。けどな、あんたは俺を育ててくれた。だから……その恩には報いてやるよ。」
ネルヴァ、頼む。
そう言って息子が助けを求めたのは、よりにもよってこの村唯一のドルイドだった。
この村の戦士達がドラゴンに敗北した後、この男はドルイドの力ではなく得体のしれない力に頼ろうとしていた。
そんなものに頼るぐらいなら死を選ぶと言ったはずなのに、懲りずに息子をたぶらかしたらしい。
「では、この本に血を垂らしてください。」
間髪入れずに止めろと命じようとした口に、薬の滲みこんだ布があてがわれた。
息はできるが目が明かず、体中の痛みも和らいでいく。
どうやら麻酔か何かを嗅がされたらしい。
「何か呪文は必要なのか?」
「いえ、そろそろ来ます。」
麻酔で感覚が鈍っているせいか、何が召喚されようとしているのかエラフィスにはわからなかった。
ただ、見知らぬ声が一人増えたことで、召喚が成功したことを悟った。
「召喚に応じ参上した。……望みを言うがいい。そのために我を呼んだのだろう?」
「これが悪魔か……。初めて見たぜ。」
「山羊のような角とコウモリのような翼……獣人にゆかりのある者なのでしょうか。」
「……対価を払うなら、その問いに答えてやろう。」
「いえ、結構。それよりも先に取引の詳細を教えてください。そちらは有料では無いのでしょう?」
「もちろん、ルールの説明は無料だ。取引は公平でなくてはな。」
そう言って悪魔は、ベッドに寝ている俺の横で、取引のルールについて二人に説明を始めた。
悪魔は願いの大きさによって、それに釣り合うだけの対価を要求する。
例えばパンは銅貨5枚、服は銀貨1枚といった具合だ。
驚いたことに、悪魔が提示した対価はこの村で販売されている同様の商品とほとんど変わらなかった。
金がなければ私財になりそうなもので賄うことができる。
狩ってきた素材や農作物、装飾品や家まで、適正価格で対価になるようだった。
本当にフェアな取引なのかと二人が淡い希望を持ち始めた時、悪魔はこんなことを話し始めた。
「今までの話はあくまで、この世界に解決方法がある場合だ。」
「というと?」
「例えばそこにいる男は、竜の呪いを受けているな。」
「ああ。できればあんたに、その呪いを解いて欲しい。」
「そいつを解呪できる獣人は現状この世界に存在しない。つまり俺は不可能を可能にしなければならないといことだ。そういった願いは必然的に対価が膨らむ傾向がある。」
「具体的に言うといくらだ?」
「初回だということを考慮しても、白金貨1枚になる。」
「そんな馬鹿な!?金貨1000枚など用意できるわけがない。」
「まぁ待て、ここからが本題だ。対価とはあくまで願いを叶えるための触媒に過ぎない。悪魔が欲しているのは、対価を払ってでも叶えたいと願うお前達の欲望だ。つまり、その欲望が強ければ強い程、対価を値引きすることもできるのだ。しかしどういうわけか……父を助けたいと言う割に……貴様からはあまり欲望が感じられない。こう言ってはなんだが、本当はその男のことなどどうでも良いのではないか?」
「確かに俺は親父のことはあまり好きじゃない。それでも、困っている親を見捨てられる程、薄情な男じゃない。」
「ふむふむ、立派な男だ。できることなら手助けしてやりたいが……ふむ、ではこうしよう。お前の本当の望みを我に差し出せ。そうすれば、呪いを解いてやろう。」
「俺の本当の望み。開拓者になるって夢のことか。」
「そうだ。親のために自分の夢を捨てれるか?」
「無理に決まってる。これは俺の生きがいだ。」
「ああ、言い方がおかしかったな。お前が対価を支払える分だけ、お前の欲を奪うだけだ。本当に開拓者になりたいのなら、その望みを完全に失うことはないだろう。」
「そうか。そういうことなら、問題はない……か?」
「私にはなんとも。貴方の気持ち次第でしょうね。」
「……子供の頃からの夢なんだ。奪われて消えることなんてないだろう。」
「契約成立か?」
「契約成立だ。」
その言葉を最後に、三人は一言も喋らなくなった。
しばらくすると、俺の体から麻酔が消え、体を自由に動かせるようになった。
目を開け、体を起こし、警戒するように周囲を見渡したが既に悪魔の姿は無かった。
「親父、大丈夫か?」
息子の視線を辿り、俺は自分の傷跡を確認した。
あれほど膿んでいた傷が、嘘のように消え去っていた。
どうやら竜の呪いが消えたおかげで、獣の回復力が戻ったらしい。
「こんの、馬鹿もんが!得体の知れないものと取引をしおって!!」
開口一番に俺が怒鳴ると、息子は心底悲しそうな表情を浮かべた。
その表情を見た時、また俺は言葉を間違えたのだと悟った。
「お前に村長など務まらん。さっさと村から出て行ってしまえ。」
これはある意味、息子を自由にするための言葉だった。
息子は子供の頃に植え付けた義務感からずっと逃げられずにいた。
俺の怪我は息子にとって、その義務から逃げるための絶好の機会だっただろう。
しかし、息子は俺を助けようとしてくれた。
その恩に報いないのは、この村の長として恥ずべき行いだった。
「せっかく助けてやったのに、その仕打ちがこれか……。さっさとくたばりやがれ、糞親父!」
思っていた反応と違う返答に俺は心底困惑した。
何故息子が泣いているのか、全くわからなかったからだ。
「ネルヴァ。覚悟はできているな?」
息子が家から立ち去った後、追いかけようとしたらネルヴァの頭を俺は片手で掴んだ。
ネルヴァは俺の怒気に怯え、息子の後を追うことができなかった。
この感覚をあえて日本の風景になぞらえるなら、夏休みに田舎の祖父母の家を訪れた時のような、あの不思議な感覚に似ていた。
母方の実家はこの世界と同じように緑が多い場所にあった。
遠くを見れば山、近くには田園があり、ビルに遮られる事の無い青空が広がっている。
娯楽は居間のテレビくらいで、買い物をするのにも車が必要だった。
だから幼い日の俺は両親が里帰りを提案する度に、ゆっくりと時間が過ぎていく感覚を、縁側や畳のある部屋に寝そべりながら感じたものだった。
時間が有り余っていた幼い頃ならいざ知らず、流石に高校生ともなるとその穏やかな時間を無駄だと感じた。
そろそろ社会人になるという焦りもあるせいか、何かしていないと落ち着かない気分になるのだ。
日本では可処分時間のほとんどを俺はゲームをしたり、作ったりすることで費やしていた。
しかし、この世界にパソコンなどという<文明>の利器は存在しない。
何故かバッテリーの減らない携帯端末はあるにはあるが、流石に元の世界にまでネットが繋がっていないため、ゲームで遊ぶことはできなかった。
俺が暇を持て余していた頃、他のメンバーが何をしていたのか話をしよう。
日本円にして100万円という当面の生活費が確保できたせいか、勇弥胎芽は翌日から狩りに参加しなくなった。
狩りに行かなくなったことでできた時間を、彼はネルヴァの店で買ったドルイドの本を読むことに費やし、一ノ瀬が少しでも早く治るように治療を試していた。
ドルイドの力をほんの少し扱えるルナは、胎芽に本を読んでもらう代わりにポランの操り方を彼にレクチャーしていた。
ルナの教え方が良いのか、あるいは胎芽に素質があるのか。
しばらくすると、胎芽は本当に樹法を使えるようになってしまった。
二人が仲良くなっていく姿を、ウルフは複雑な表情を浮かべて見守っていた。
妹に友達ができるのは嬉しいが、友達以上になるのは許さんといった具合だろうか。
やっぱり兄では無く父なのでは?と、俺は内心でウルフにツッコミを入れておいた。
一ノ瀬崇は1日でも早く怪我が治るように、筋トレをして、ご飯を食べて、寝るというルーチンを繰り返していた。
筋トレはいらないのではないかと質問をしてみたが、体がなまるからと聞き入れてはくれなかった。
俺達が次に進むためには、一ノ瀬の回復が必要不可欠だった。
だからというわけではないが、暇に飽かして、俺は異世界の料理をみんなに振舞うことにした。
教える人間がいなかったせいか、ルナの料理はレパートリーが少なかった。
買ってきた野菜は全てスープの具材となり、別の料理に使われることもない。
確かに茹でれば野菜は柔らかくなるのだが、この世界には味噌やコンソメがないためどうしても薄味になってしまう。
それが日本人としては、とても物足りなく感じた。
もし俺がスープを作るなら、恐らくシチューを作ったことだろう。
しかし、散々野菜スープを振舞われた後だったので、俺は別の料理を作ることにした。
再度ベトゥリンの村に行った時に購入した食材や調味料を使い、俺はひとまずコロッケを作ってみせた。
ミンチにした肉の他に、潰したジャガイモや細かく刻んだニンジン、玉ねぎが入っている。
こうすれば野菜も食べやすいと思ったのだ。
ちなみに、パン粉はパンを細かく刻んで代用することにした。
日本で市販されているパン粉よりも粗くなってしまったことが気がかりだったが、そんなことを気にするのは料理人の俺だけだった。
ウルフとルナはこんなに美味しいものは食べたことがないと、俺のことをいっぱい褒めてくれた。
舌が肥えているはずの一ノ瀬や胎芽からもお代わりを頼まれたので、今回の料理は本当に成功したのだと内心ほっとした。
その日から食事当番に任命された俺は、少しだけ暇をつぶすことができるようになった。
一見すると雑用を押しつけられているだけにも見えるが、俺も上手い飯を食いたかったので快く引き受けた。
「ダイスケ。」
ウルフから声をかけられた俺は、料理をしていた手を止めて背後を振り返った。
俺が台所を任されてからというもの、一ノ瀬や胎芽は食事どきでは無い時間にたびたび厨房を訪れていた。
ルナの時は流石に言い出せなかったのだろうが、この二人は三食だけでは足らず、おやつも要求しやがるのだ。
流石は才能豊かな100キロ族である。
だから俺は彼らが100キロ以下にならないようにするために、間食用のパンを多めに焼くようにしていた。
ウルフが来るのは珍しいことだったが、彼らと同じように腹が減ってやって来たのだと俺は想像した。
「小腹がすきましたか?そこにあるパンはご自由にお持ちください。」
「いや、その……なんだ……つまみ食いに来たわけじゃないんだ。」
ウルフの雰囲気から真面目な話だと悟った俺は、火にかけていた鍋を避けて、再びウルフに向き直った。
「タカシの奴、歩けるようになったみたいだな。」
竜から受けた呪いを解呪した礼とはいえ、一ノ瀬が治療に専念できたのはウルフのおかげだろう。
だから俺は目の前にいる獣人に感謝の意を伝えることにした。
「お陰様で、もうすっかりよくなったようです。」
「そうか。そいつは良かった。いや……よくもねえのか。」
ウルフが何を話したいのかわからず、俺はじっと彼の言葉を待った。
「あいつの怪我が治ったってことは……お前達は近いうちに……出て行っちまうんだよな?」
なるほどこの話がしたかったのか。
そこでようやく俺にも合点がいった。
「無理にとは言わないが、できればもう少し一緒に居てくれないか。その方が、ルナも喜ぶ。」
ぽりぽりと頬をかきながら、少し照れ臭そうにウルフはそんなことを言った。
その姿にドキドキしないわけではなかったが、それにほだされる程のお人好しにはなれなかった。
彼らが抱えている問題は、俺達がこの家に留まることでは解消されないからだ。
「すみません。今晩お伝えするつもりだったのですが、遅くとも明後日には出発する予定です。」
「……そうか。いや、いいんだ。ここでの暮らしは退屈だもんな。」
先ほどの表情とは一転してウルフは本当に悲しそうな表情を浮かべた。
ゲイである俺は、男のそんな表情をみるだけで心の底から胸が痛んでしまう。
こういった感情はきっと女性が好きな男性では味わえない感情なんだろうなと俺は思った。
「あの……。よろしければ、ウルフさん達も一緒に行きませんか?」
だから俺は逆に提案することにした。
彼らが抱えている問題を解決するには、正直これしか手がないと考えていたからだ。
「それは無理だな。」
「ルナですか?」
「ああ、そうだ。」
「でも、ウルフさん。本当は開拓者になりたいんですよね?」
「そ、そんなことは無いぞ。」
「またまた~。開拓者のことを話すウルフさん。めちゃんこ熱が入っていましたよ?」
「そんなにわかりやすかったか?」
「俺は他人の感情の機微を感じ取れるんで、めちゃんこわかりやすかったです。」
厨二病のように聞こえるかもしれないが、実際俺は空気を読むことに異常に長けていた。
親の顔色をうかがう生活をしてるせいか。
はたまた、ゲイであることを隠して生きているせいか。
この能力が身についた理由はわからない。
一見すると普通に見える人間、親戚が実は前科持ちだと知った時に、俺はこの能力の精度に自信をもった。
「このこと、ルナには?」
「言ってません。自分のせいで兄がやりたいこともできない。なんて、自覚したくないでしょうから。」
自分の発言を振り返り、俺はすぐさま「すみません」とウルフに謝罪をした。
なんだか意地悪な言い方になってしまった気がしたからだ。
「もしかして、ルナに怒ってるのか?」
「いやいや、流石にルナには怒っていませんよ。どちらかというと、ウルフさんの境遇に苛立ちを感じています。」
ルナの父親がウルフであるなら、これほどのもどかしさは感じなかっただろう。
自分がこさえた子供なら、大人になるまで面倒をみる義務があるからだ。
しかし彼はルナの親ではない。
親ではないのだ。
それなのにどうして、自分の夢を諦めてまで妹を養わなければならないのだろう。
こんな理不尽があるだろうか。
俺にも叶えたい夢がある。
決して叶わない夢だ。
だからこそ、夢を追えないウルフの辛さが痛いほど理解できた。
「俺の境遇をどうしてお前が気にするんだ?」
「それは……。」
自分の夢の話をすることはできなかった。
それはカミングアウトをするのと同義だったからだ。
油断をして口を滑らせたら、一ノ瀬に伝わる可能性がある。
それだけは避けなければならなかった。
だから俺は必死で頭を回転させて言い訳を考えた。
「命を救った相手には……やっぱり、幸せになって欲しいじゃないですか。」
少しキザな返答だったが、咄嗟の状況ではこれが精一杯だった。
自分の発言が恥ずかしくなってはにかんでいると、ウルフはがしっと俺の両肩を掴んだ。
「ありがとな。おまえの優しさが目に染みるぜ。」
ウルフは少し涙を浮かべながら、俺の肩をポンポンと叩いた。
やはり一人で妹を養うことに負担があったのだろう。
彼の心の内を聞けて良かったと俺は思った。
「もう少し一緒に考えてみましょう。きっと何かいい手段が見つかるはずです。」
「そうか……ううっ、そうだな。ちょっくら一緒に考えてみるとするか。」
ウルフが笑ってくれたので、俺は少しだけ気分が軽くなった。
チョロすぎるとも思ったが、相手がタイプなのだから仕方がない。
「ベトゥリンの村に実際に行ってみて思ったんですが、住人の態度があの程度のものであれば、ルナが旅に参加すること自体に問題はないですよね?」
「ああ。ドルイドの力を持つ人間なら無視されるだけで済むはずだ。お前達も特殊な力を持っているし、加護無し扱いされないだろう。」
「ちなみに加護無し扱いされるとどうなるんですか?」
「獣人に死ぬまで所有されることになる。俺達のお袋もそうだった。」
あ、この話題はまだ早いなと俺は即座に感じた。
だからこれ以上深堀りはせずに、もとの話に戻すべく直前の話題を辿る。
「……なら、懸念があるのは、迷宮攻略を行っている間、ルナを一人に出来ないという点ですかね?」
ウルフ達がひとけのない場所で暮らしている理由は、ルナを他の獣人から守るためだった。
仮に俺達が開拓者になり、冒険へ出ることになったとしても、ルナをその冒険へ連れて行けるはずがない。
必然的にルナは留守番をしてもらうことになるのだが、その間、ルナが犯罪に巻き込まれる可能性があった。
「そうだ。開拓所に託児所はあるが、あいつはそんな年齢ではないし、金が無くて学校にも行かせられない。」
「学費はいくらかかるんですか?」
「卒業までとなると金貨30枚はかかるだろう。」
「その程度の金額であれば、ドクトリナの消化液を集めればすぐじゃないですか?」
「それが、そういうわけにもいかないんだ。前にも言ったようにあれは教訓を与えるためのものでな。俺達の前にはしばらく姿を現わさないだろう。」
「なるほど、そういう法則があるんですね。他に手っ取り早くお金を稼ぐ手段はありませんか?」
「迷宮の中ならともかく、迷宮の外じゃ一攫千金になるような仕事はない。地道にコツコツ稼ぐしかない。」
「うーん。そしたら、俺が開拓者になってお金を稼げばいいのかな?何年かかるかはわかりませんが……。」
「いやいや、何を言っているんだ。お前にそんな迷惑はかけられない。」
「現状、開拓者になった後のことは決まっていないので、それを次の目標にするのもありかなと。やっぱり、生きる目的が無いとだらけちゃいそうなんで。」
この世界に来てひと月が経とうとしているが、今のところゲームやラノベのような体験は得られていないため、俺はあの教師に騙されたのではないかと思い始めていた。
確かに獣人という種族との出会いはあったが、人間との確執という頭の痛い問題がちらつくだけでここでの生活が面白くなる感じがしない。
それでもこの世界に来ることを選択したのは俺である。
であれば、何か別の生きる目的を設定する必要があるだろう。
ウルフに恩を売るという行為は、俺が堕落しないためにも必要なことのように思えた。
ここに来たばかりの時のようなヒリヒリとした緊張感を自分に課すことで、新しいことにチャレンジをする原動力にしたいからだ。
俺の提案にどう返答するか考える為に、ウルフは目を閉じて真剣に考え始めた。
俺は彼の考えがまとまるまでの間、獣人の、その鍛えられた肉体を思う存分眺めることにした。
獣人は服を着ずとも毛皮をまとっているため、普段から上半身を真っ裸にして生活をしていた。
流石にズボンとパンツは履いていたが、長ズボンを履いている獣人は村にもいなかった。
そういえば、女の獣人はズボンの他にブラジャーに似たトップスを着ていた。
ノンケだったらきっと胎芽のように興奮していたのだろうが、俺は興味が無いので視線誘導にすらならなかった。
「なら、こうしよう。」
俺の思考があらぬ方向へと向かい始めた頃。
ようやくウルフが先ほどの続きを話し始めた。
「俺の夢を叶える手伝いをしてくれるんだ。代わりにお前の夢を叶える手伝いをさせてくれ。対等な友人でいるためにも、頼む。」
友人だと思ってくれていたのかと、俺は柄にもなく嬉しくなってしまった。
そんな相手に嘘をつくのは心苦しかったが、どうしたもんかと返答を考えてみることにした。
しかし、いくら考えてもそれらしい返答が思い浮かばなかった。
ここで嘘をついてしまったら、俺がついた偽りの夢を叶えるために、ウルフは無駄な手伝いをすることになるだろう。
それは、友人と言ってくれた相手に対して誠意が足りていないと思った。
かと言って今は夢が無いと話そうものなら、この話はこれ以上進まなくなってしまうだろう。
お手上げだなと俺は思った。
相手が興味の無い相手であれば無視する話だが、俺はウルフに興味がある。
だから俺は正直に自分の夢を告げてみることにした。
これで気持ち悪いと拒絶されたら、諦めもつくというものだろう。
ウルフと袂を分かつかどうか、ここが分水嶺だと言えた。
「そんなこと言って大丈夫ですかね。俺の夢を聞いたらドン引きすると思いますよ?」
「俺は今の今まで自分の夢を諦めていた。そんな俺にお前は手を差し伸べてくれたんだ。お前の夢が何であろうと、俺も手伝うのが道理だろう。」
(そこまで言うのなら……。)
俺は深呼吸をした後に重い口を開いた。
「……俺の夢は……その……髭面のガチムチマッチョな男性と結婚をして、幸せな家庭を築くことなんですが……これでも手伝いたいと思いますか?」
ウルフが再び言葉を発するまでの間、俺は耳元で鳴り続ける鼓動の音だけを聞いていた。
戦闘をしているわけでもないのに体が強張り、喉も乾いて来る。
こんなに緊張したのはいつ以来だろうか。
少なくとも元の世界では味わったことがなかった。
「……わかった。俺に任せてくれ。」
俺の背中が汗で湿り始めてようやく、ウルフは重い口を開いた。
男の表情や声音から嫌悪感は全く感じられなかった。
あえて言語化するなら、覚悟のようなものが伝わって来た。
互いの夢を叶えるという約束を守るという覚悟だろうか。
もしそうであれば、俺も彼の夢を本気で叶えなければと思った。
「あ、一ノ瀬と胎芽には内緒にしておいてください。彼らは女の子が好きなので。」
俺がそうつけ加えた時、台所に誰かがやって来る足音がした。
「竿留氏~。お腹が減ったでござる~。」
「ござる~。」
足音の正体は胎芽とルナだった。
ウルフの姿があることに気づいたルナは、一瞬だけバツの悪そうな顔をした。
どうやらルナはウルフの微妙な心境の変化に気づいていたようである。
「ルナ、大事な話がある。」
ウルフの真剣な表情に困惑しながらもルナはこくりと頷いた。
胎芽との関係を問いただされると思っているのかもしれない。
「タカシの怪我が治ったから、そろそろダイスケ達はこの家を出て行くそうだ。それでな……」
「嫌!行かないで……。」
ウルフの話を遮ってルナが胎芽に懇願した。
胎芽の服の裾を掴み、涙を浮かべながら上目遣いで少女は男を見つめていた。
胎芽はどうしていいかわからずオロオロと俺に視線を向けた。
俺は胎芽のアイコンタクトを受け取りながらも、ウルフの言葉を待つことにした。
ここまで嫌がるとなると、逆に説得しやすいのではと思ったからだ。
「お前にはずっと黙っていたが、俺には開拓者になりたいっていう夢があるんだ。だから、ルナ。お前さえよければ彼らについて行こうと思う。街での暮らしはお前が思っている以上に大変なものだ。もしかすると、怖い目にも合うかもしれない。それでも、お前がタイガについて行きたいと望むなら、俺も心置きなくダイスケ達について行ける。」
どうする?とウルフは問いかけた。
それに対する答えは明快だった。
「タイガお兄ちゃんと離れたくない。」
一体いつの間にこんなに仲良くなったのか。
ルナの覚悟はなかなかに固いようだった。
まあ俺なんかと友人ができるのだ。
胎芽の人柄の良さに惹かれるのも無理はない。
「なら、決まりだな。ダイスケ、世話になる。タイガも妹をよろしく頼む。」
「ウルフ殿がいれば鬼に金棒でありますな。妹さんのことは任せて欲しいでござる。」
妹をよろしく頼むと言ったウルフの言葉と、任せて欲しいと言った胎芽の言葉。
この2つの言葉が行き違いになっていないか俺は少し気になった。
胎芽は恐らくもう少しケモ度が高い女性が好きなような気がしたからだ。
「大輔~。腹減った~。」
念のため胎芽に確認をとろうとした時、一ノ瀬がギブスを外した足で台所へやってきた。
3人ぐらいまでなら窮屈さを感じない台所も、5人集まると流石に手様に感じた。
「人口密度たっか!早いけど飯にしましょうか。今後の話についてはそちらで相談を。」
「ん?なんかあったのか?」
「俺達も一緒について行くことにしたんだ。」
「おお、そういうことか。心強いっす。」
「竿留氏、手伝いまする。」
「私も手伝います。」
「ありがたい。ちなみに今日はポークハンバーグなのだ。」
「ハンバーグ?」
「挽肉に野菜を混ぜて丸くしたものをこんがりと焼いたものでありまする。」
「わー、すっごく美味しそう。」
「ウルフと一ノ瀬もテーブルを片付けて、ほらほら行動開始。」
「「お、おう。」」
こうしてウルフは俺達と共に開拓者を目指すことになった。
ウルフの夢を叶えることは、恐らくできるだろう。
しかし、俺の夢をウルフどうやって叶えるつもりなのだろうか。
これからの旅よりも、俺はそれが気になってしかたなかった。
「親父、親父!」
軟弱で情けない男の声がやけに近くから聞こえた。
この声には聞き覚えがあった。
ベトゥリンの村を納める村長の息子。
つまりは俺の、息子の声だ。
「エラポス……。」
目覚めたら傷が治っている。
そんな期待を何度したことだろう。
期待を裏切るような痛みに耐えながら、俺は重い瞼を開いた。
普段ならすぐに回復するような傷も、竜につけられたせいか一向に回復の兆しをみせなかった。
そのせいか、傷口に何かよからぬものが入り、ジクジクと醜く化膿し始めている。
自分の体のことは、自分が一番よくわかる。
恐らく俺はもう長くはないだろう。
だから今日は息子に、遺言を伝えなければならなかった。
「我が……息子よ……。この村のことを……頼む……。」
数秒の間、伸ばした手を息子は掴まなかった。
この期に及んで、息子はまだ覚悟を決めていないらしい。
「何でもかんでも自分の価値観を押しつけやがって。俺に村長なんて務まるわけねーだろ!」
俺が喋れないことをいいことに、息子は悪態をつき始めた。
ドルイドの素質があったのにウォーリアーの修練を強制されたこと。
開拓者になりたかったのに村長になることを強いられたこと。
そして、母親の死を自分のせいにされたこと。
溜まってた鬱憤をこれでもかと息子はぶちまけた。
「俺にとってあんたは最低の糞親父だ。けどな、あんたは俺を育ててくれた。だから……その恩には報いてやるよ。」
ネルヴァ、頼む。
そう言って息子が助けを求めたのは、よりにもよってこの村唯一のドルイドだった。
この村の戦士達がドラゴンに敗北した後、この男はドルイドの力ではなく得体のしれない力に頼ろうとしていた。
そんなものに頼るぐらいなら死を選ぶと言ったはずなのに、懲りずに息子をたぶらかしたらしい。
「では、この本に血を垂らしてください。」
間髪入れずに止めろと命じようとした口に、薬の滲みこんだ布があてがわれた。
息はできるが目が明かず、体中の痛みも和らいでいく。
どうやら麻酔か何かを嗅がされたらしい。
「何か呪文は必要なのか?」
「いえ、そろそろ来ます。」
麻酔で感覚が鈍っているせいか、何が召喚されようとしているのかエラフィスにはわからなかった。
ただ、見知らぬ声が一人増えたことで、召喚が成功したことを悟った。
「召喚に応じ参上した。……望みを言うがいい。そのために我を呼んだのだろう?」
「これが悪魔か……。初めて見たぜ。」
「山羊のような角とコウモリのような翼……獣人にゆかりのある者なのでしょうか。」
「……対価を払うなら、その問いに答えてやろう。」
「いえ、結構。それよりも先に取引の詳細を教えてください。そちらは有料では無いのでしょう?」
「もちろん、ルールの説明は無料だ。取引は公平でなくてはな。」
そう言って悪魔は、ベッドに寝ている俺の横で、取引のルールについて二人に説明を始めた。
悪魔は願いの大きさによって、それに釣り合うだけの対価を要求する。
例えばパンは銅貨5枚、服は銀貨1枚といった具合だ。
驚いたことに、悪魔が提示した対価はこの村で販売されている同様の商品とほとんど変わらなかった。
金がなければ私財になりそうなもので賄うことができる。
狩ってきた素材や農作物、装飾品や家まで、適正価格で対価になるようだった。
本当にフェアな取引なのかと二人が淡い希望を持ち始めた時、悪魔はこんなことを話し始めた。
「今までの話はあくまで、この世界に解決方法がある場合だ。」
「というと?」
「例えばそこにいる男は、竜の呪いを受けているな。」
「ああ。できればあんたに、その呪いを解いて欲しい。」
「そいつを解呪できる獣人は現状この世界に存在しない。つまり俺は不可能を可能にしなければならないといことだ。そういった願いは必然的に対価が膨らむ傾向がある。」
「具体的に言うといくらだ?」
「初回だということを考慮しても、白金貨1枚になる。」
「そんな馬鹿な!?金貨1000枚など用意できるわけがない。」
「まぁ待て、ここからが本題だ。対価とはあくまで願いを叶えるための触媒に過ぎない。悪魔が欲しているのは、対価を払ってでも叶えたいと願うお前達の欲望だ。つまり、その欲望が強ければ強い程、対価を値引きすることもできるのだ。しかしどういうわけか……父を助けたいと言う割に……貴様からはあまり欲望が感じられない。こう言ってはなんだが、本当はその男のことなどどうでも良いのではないか?」
「確かに俺は親父のことはあまり好きじゃない。それでも、困っている親を見捨てられる程、薄情な男じゃない。」
「ふむふむ、立派な男だ。できることなら手助けしてやりたいが……ふむ、ではこうしよう。お前の本当の望みを我に差し出せ。そうすれば、呪いを解いてやろう。」
「俺の本当の望み。開拓者になるって夢のことか。」
「そうだ。親のために自分の夢を捨てれるか?」
「無理に決まってる。これは俺の生きがいだ。」
「ああ、言い方がおかしかったな。お前が対価を支払える分だけ、お前の欲を奪うだけだ。本当に開拓者になりたいのなら、その望みを完全に失うことはないだろう。」
「そうか。そういうことなら、問題はない……か?」
「私にはなんとも。貴方の気持ち次第でしょうね。」
「……子供の頃からの夢なんだ。奪われて消えることなんてないだろう。」
「契約成立か?」
「契約成立だ。」
その言葉を最後に、三人は一言も喋らなくなった。
しばらくすると、俺の体から麻酔が消え、体を自由に動かせるようになった。
目を開け、体を起こし、警戒するように周囲を見渡したが既に悪魔の姿は無かった。
「親父、大丈夫か?」
息子の視線を辿り、俺は自分の傷跡を確認した。
あれほど膿んでいた傷が、嘘のように消え去っていた。
どうやら竜の呪いが消えたおかげで、獣の回復力が戻ったらしい。
「こんの、馬鹿もんが!得体の知れないものと取引をしおって!!」
開口一番に俺が怒鳴ると、息子は心底悲しそうな表情を浮かべた。
その表情を見た時、また俺は言葉を間違えたのだと悟った。
「お前に村長など務まらん。さっさと村から出て行ってしまえ。」
これはある意味、息子を自由にするための言葉だった。
息子は子供の頃に植え付けた義務感からずっと逃げられずにいた。
俺の怪我は息子にとって、その義務から逃げるための絶好の機会だっただろう。
しかし、息子は俺を助けようとしてくれた。
その恩に報いないのは、この村の長として恥ずべき行いだった。
「せっかく助けてやったのに、その仕打ちがこれか……。さっさとくたばりやがれ、糞親父!」
思っていた反応と違う返答に俺は心底困惑した。
何故息子が泣いているのか、全くわからなかったからだ。
「ネルヴァ。覚悟はできているな?」
息子が家から立ち去った後、追いかけようとしたらネルヴァの頭を俺は片手で掴んだ。
ネルヴァは俺の怒気に怯え、息子の後を追うことができなかった。
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