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07:初出勤。
しおりを挟む朝日が差し込む道を、てくてくと歩く。
わずかに凍った水たまりが、歩きにくい。
横殴りに吹く風は、朝独特の爽やかさがあった。
もちろん……、登校の通学路ではない。
やりたいことをみつけた今、学校などには用など、ないからだ。
空は真っ青で、雲一つもなかった。
みゅー、みゅーっと海猫が飛んでいく。
そういえば一応担任の先生という立場のキョウラクには何も告げていないが、まあ問題はないだろう。
じじいにだって何も言わないで出てきたし。
「とーらこ! おはよう!」
「……ああ、ロウ」
どこから現れたのか、わたしの背後からロウが抱きついた。
氷が張っている道だったので、さすがによろける。
危ないなあ、もう。
「なになに、どーしたのトラコ。元気ないねえ」
ぎゅう、とロウはわたしの顔をのぞき込んできた。
間近でみると、本当に地肌が白いのか、メイクなのか、イマイチ判断がつかない。
「別に、なんでもないですよ」
歩きづらいです、と告げると、ロウは「あ、ごめんごめん」と素直に離れた。
こんな早朝から知り合いに会い、会話するのは本当に久しぶりのことだ。
もし今後も、いやこれから、もっと喋ることになるのなら、学校でもほとんど口を開くことのないわたしにとっては、声が枯れるかもしれない一大事でもある。
「そういえばトラコ、学校は?」
「今日から一週間は、行かないことにしました」
「えええっ、ダメだよそれ!」
驚いた顔をするロウ。
身振り手振りで、大げさだ。
街中ではとてつもなく目立つ。
「何故ですか」
「だってガッコウって楽しいところでしょ? ガクセイはガッコウに行かなきゃダメでしょ!」
悪魔のいうことか、それは。
「いいんですよ別に」
「よくないと思うけどなあ……」
「………」
ぶつぶつと納得がいかないらしいロウ。
なにをそんなに納得がいかないのか、まるでわからない。
しかしそんなロウは気にせず、わたしは地面と氷が見え隠れする足元に気をつけながら歩く。
目的地は昨日のサーカスがあった場所だから、どうがんばっても市電の停留所までは歩かなければならない。
ただ、ロウには必要ないのかもしれないが。……なんでこいつ、迎えにきたんだろう。
……ダメだ。やっぱりまだブツブツ言ってるし、気になる。
好奇心に負けて、わたしは口を開いた。
「ロウは、学校にきちんと通っていたんですか」
「ううん? オレたち、ガッコウってないからさ」
「はい?」
突拍子もない返しだった。
なんだそりゃ。……みたいな。
かにだと思って食べたら、かにかまだったみたいな。
「オレたちが住む魔界って、一応士官学校みたいな、育成所みたいなのはあるんだけど……、必須じゃないし。義務教育はさすがの帝王も定めてないからさ」
ロウは上空をみつめながら、そんなことを呟いた。
「それで、行かなかった、と?」
わたしはロウに視線をうつして、尋ねる。
「いいや、ちゃんと行ってたよ? 仲良いやつもいたし。でもま、授業の一環で身体バラバラになっちゃってねー、中退ってやつ?」
………。
…………。
は?
一瞬、聞き間違えかと思った。
身体が、バラバラ?
授業の一環、で?
そんなばかなことがあるわけが……、そういうのが、魔界なのか?
「詳しく説明してください。いまいち意味がわかりません」
わたしの視線は、嫌でもロウの手にいった。
ツギハギだらけの、手に。
もしかしてそれが、その時の後遺症、なのだろうか。
その時の、いわゆる―――痕、なのだろうか。
「オレ、結構頭良かったし、成績も優秀で、けっこーいいとこの出身だったからさ、特別に研究プロジェクトに参加させてもらってたんだよねー。それが仲良しのヤツのプロジェクトでさ。なんとか協力してあげようって頑張ってたら、失敗して瀕死! みたいな」
口調こそ軽いものだが、内容は違う。
悪魔の行う研究プロジェクトがどんなものなのか……。
だがどう考えても――、人間が想像できるような普通のプロジェクトではなさそうだ。
「ま、結局、魔界一の天才闇医者に一命助けてもらったんだけどさ」
「……すみません。ヘンなことを、きいてしまって」
「いいよ別に? そんなたいしたことじゃないしねー」
ニコニコと、笑顔は、朝日よりまぶしい。
並んで歩くわたしたちを、何人かの学生たちが通り過ぎていった。もしかしたら気づかれるかとも思ったが、そうでもない。
中学校での問題児などやはり、この程度のものなのだ。
……なんて、何故落胆しているのかもわからない。
振り返ってくる生徒もいるが、おそらくはロウの異様な外見に振り返っているのだろう。
札幌市内でしている格好ならまだしも、ゴシック調の服装なので、函館では異様に目立つ。
「それにね、オレだけじゃないんだ。こういうのって」
「?」
「うちのサーカス団、そういう行き場の無くした『失敗作』を集めてるところあるから。例えばルイスもそうだし、あと面識ないだろうけど、ミュウって子も訳ありね。レオンもちょっと違うけど訳ありだし、副団長もそうだし、あとね、シャルルさんもそうだし」
「……サーカスって、何人で運営しているのですか」
あまりに多くの名前が出てきたので、わたしはそういえば、と尋ねてみた。
そもそもこのまま話を続けられると、困惑しそうだ。
「一応、七人かな。臨時でもう一人いたりするけど」
「……じゃあほとんどそうじゃないですか」
バロックさん、ロウ、ルイスさん、レオン……には、昨日、会った。
ルイスさんはともかくとして、レオンにワケがありそうにはみえなかったが……。
人は見かけによらないもの、と同じように、悪魔も見かけによらないものなのだろう。
そもそもレオンは悪魔に見えないし。
自己解決、自己解決。
「ルイスなんか、オレよりひどいよ」
必死に頭のメモリをフル稼働させて理解するわたしに、ロウは全く悪気なく追い打ちをかける。
「元々、あの子は人間なんだ。だけど人体実験で失明して、一時期は耳も聞こえなかったし声も出なかったし、なにより身体の損傷が激しかったし。心臓が二個あったりね。……で、『実験サンプル』として奪い取ったうちの科学者が、さらに実験して、治療して、『悪魔』になったってわけ」
「………」
なんていっていいのか、わたしにはわからなかった。
目の包帯の意味とか。口の縫い糸とか。死人のような、青白い肌とか。
すっと結びついて、頭の中で溜まっていた疑問が、一瞬で解決する。
「――人が悪魔になることも、あるんですね」
ややあって出た言葉は、これが精一杯だった。
「そりゃあるよー。だって天使や神格の存在、妖精も精霊も妖怪も、みーんな悪魔になれるんだから。人間だけなれないなんてそんな差別ないよー」
それは差別というのだろうか。
しかし正直、にわかには信じられない。
もしルイスに会う前だったら、あるいは疑っていたかもしれなかった。
そんな話をすること、十五分程度。
やっと、市電がくる停留所までやってきた。
朝だからか、意外にも混んでいる。
と、そこでようやくわたしの交通手段に気がついたらしいロウが、キョトンとした声を出した。
「トラコ? こんなの乗ってくの?」
「ええ、そうですよ。わたしはロウみたいに飛べませんから」
さらに目を丸くするロウ。
本当にこいつどうやってきたんだろう、と思う。
しばらく黙った後、ロウはハッと何かを思いついたようにわたしの腕を掴んだ。
「いいってこんなの乗らなくても。ほら、こっち!」
「えっちょっ」
どこにいくんですか、と言おうとしたが滑りそうになって押し黙る。
強引に手を引っ張って、ロウはずんずん進んでいく。
引っ張る力はとてつもないが、わたしの腕を握る力は、優しかった。
どうやって使い分けているのか、ちょっとだけ気になるところだ。
「えっと……」
人通りのある道からずいぶんと逸れ、ロウは森の方に進んでいった。
そういえば昨日、どうやって帰宅したのかというと、バロックさんの車だという、かの有名な高級車リムジンに乗せてもらって、である。
もしかしたら魔法で、とか誰かが飛んで送ってくれるのかとも思ったが、そんなことはないのだった。
実に現実的な手段だった。
「よし、あった!」
ロウに引っ張られたまま進むこと、十分程度。
人気の全くない、何十年も使われていないような、子供すらも立ち寄らなさそうな公園にたどり着いた。
遊具たちはさび付いていて、草木も刈られていない。
そんな、公園の中。
トイレとおぼしき建物のとなり。
地下鉄の入り口のようなものが、出現していた。
「………え?」
さすがのわたしも目を丸くする。
なんていったって、ここ函館に地下鉄はない。
新幹線がくるという話はあったが、地下鉄はない。
何度も言うが、地下鉄は、ない。
「さ、いこう! こいつだと直通だから!」
いやいやいや。
直通の前に、何これ。
「ロウ、わたしに詳しく説明してください」
「え? 地下鉄だよ、地下鉄! ほらほら、人間がつくった便利なヤツでしょ! 団長がね、見よう見まねで勝手につくったんだよねー」
おおっと。
そこは盲点だった。
確かにあの人なら、やりかねない。
「でも人間には使えないよー。あ、トラコは別だけど」
そこの区別はどうしているのかまったくわからない。
「それはオレもしらないー。さ、いくぞー!」
疑問は解決しそうになかったので、わたしたちは、地下鉄へと続くらしい階段を、降りた。
正直地下鉄に乗ったことがないので、どういうものかはわからないままなので、不安がじんわり胸に押し寄せる。
が、とくにへんな装飾があるとか、そういうことは一切なかった。
まあだが、あえてオカシイといえば。
「あ、おはよう鴉天狗くーん。今日はどこ警備?」
「俺は今日、函館山上空だな。そっちはなんだ、ネコマタ」
「わたしは集会だよー、どうせだから一緒にいこーよー」
サーカスの時同様。
一般人が、まったくいないことだ。
いまだに少し夢の中にいる感覚が、抜けきれない。
背景は日本なのに、人物だけがファンタジーというのも、違和感が凄まじいものだ。
「結構、使用者がいるんですね」
平日の午前、それも早朝。
普通の電車なら、通勤ラッシュの時間帯。
それはこの地下鉄も、例外ではないようだ。
スーツ姿こそみられないものの、おそらく彼らの正装なのだと思われる格好がいくつかみえた。
「まあねー。普通に飛んでたら目立つし。最近じゃ、オレたちを捕獲して研究しよう、なんていう人間もいたりするからさ。今の二人も、人間のための警備じゃなくて、オレたちのための警備なんだ」
わたしの呟きに、ロウが答える。
無人の切符売り場を通り抜け、駅員らしき影の待つ、改札口へ。
「ほう……、最近はずいぶんとメジャーになりましたしね」
「うん。ゲームに漫画に小説にって……、大忙しだよ。トラコもそうだけど、最近の人間たちったら、オレたちみたって恐がりもしないし、むしろ喜んじゃうんだから」
正直なところ、わたしがさほど驚かなかった本当の理由は、じじいにある。
神社の神主であり、かの有名な『蘆屋道満』の血をひくらしいじじいは、有名な陰陽師だからだ。
家の中をあされば腐るほど資料なんて出てきたし、今まで一度もみたことがないのかといわれれば、実はそうではない。
わたしの唯一無二の親友である、子狐も、そうではないとは、言い切れない。
「FAITH」
「……どうぞ」
ポケットからぴっとカードを取り出して、ロウは駅員らしき影に見せた。
改札口をするりと普通に通り抜け、地下鉄の車両へと乗り込む。
うーん、いわゆる、バスカードとか、そんなものだろうか。
「さっきのカードは、一体なんですか?」
「あー、これ? これね、オレ達にしか配られない、FAITHの団員証明書。トラコも今日もらえると思うよ。これさえあれば、団長が造った『公共物』は乗り放題だから」
ロウは自慢げに、その黒地にカラフルな模様で描かれた団員証明書をみせつける。
それよりもまず、一般人が使えないものを『公共物』と呼んでいいのかわたしには、わからないが。
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