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第三章「終幕」
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魔女の思ったとおり、城の警備は手薄なものだった。
魔法を使うまでもなく警備兵の目を盗んで、魔女はルシーダとローブをかぶったまま、中へ侵入した。
城の内部もまた、人気がない、静かなものだった。
まるで自由に探索してくださいといわんばかりだ。
そんなあからさまな光景をみて、魔女は小さくため息をついた。
(まあ、なんでもいいか)
思ったとおり、城の地下にはごろごろとモンスターの気配がある。
彼女にとっては、そのことのほうがよほど重要なことだった。
それに、彼女には、奥の手があった。
彼女に与えられた観測という職務。
いわば長らくサボっていたそれだが、辞職したわけではない。
魔女の手には、その力がまだ、残っている。
「さて、どうやって地下に降りようか」
魔女があたりを見わたしていると、ルシーダがくいと腕を引いた。
「あっち! 階段があるぞ!」
「おや。これはまたご丁寧なことだ」
まるで早く地下に行ってほしいと言われているようだ。
とはいえ、城のつくりはそう簡単に変えられるものではない。
数時間前に魔女の存在に気づき、罠をはろうとも、階段の位置ばかりはいじれやしないだろう。
(あとはまあ、『地下階段のある場所』に入口を作り、そこに招かれた──くらいのものか)
そんなことは気づいてもいないのか、ルシーダは無邪気な顔で笑ってローブから飛び出した。
「いこう! 魔女さま! ついに、にーちゃんに会えるかも!」
「……ああ」
笑顔がまぶしいと思った。
まるで、太陽みたいだ。
そうだ。彼は、自分の兄が心配で心配で仕方が無いのだ。
(無事であるといいな)
魔女は階段へ駆け出したルシーダの後を追って、城の地下へと降りていった。
──城の地下は、文字通りの地獄だった。
「ま、じょ、さま?」
その光景が目に入る前に、ルシーダの目を、魔女は手でふさいでしまった。
間一髪のことだった。
地下のこの部屋が薄暗くて助かった、とすら思った。
「みえないよ?」
目をふさがれたまま、ルシーダは魔女の顔があるであろう方を見あげた。
魔女の手は、少しだけ震えている。
その手を、ルシーダは包み込むようにして、自分の手を添えた。
「魔女さま?」
「少しだけ目を瞑っていてくれ」
「う、うん」
改めて、その『地獄』を魔女は見つめた。
ひどいものだった。
異臭はきわまって悪臭となり、そこらかしこに漂っている。
無機質で冷たいコンクリートで全方位を囲まれた部屋の壁には、赤黒い染みがこびりついていた。
手枷と思われる黒い鉄製の輪がその染み一つずつに添えられており、作業台を思わせる木製の机には、ありとあらゆる『道具』が置かれていた。
極めつけは、その机の後ろにある棚だ。
瓶詰めにされた『部位』が、キレイに整列されている。
(吐きそうだ)
どれもこれも、モンスターのものだった。
いや、モンスターばかりではない。
ニンゲン、それも性別と年齢ごとに分けられ、臓器などがいれられた瓶もある。
(とてもじゃないが、見せられない)
魔女は杖の先、クリスタルに明かりをともすと、それを頼りに歩き出した。
むろん、ルシーダの目に手を当てたままだ。
「えっ、あ、歩く、の?」
「キミはそのままだ。私が手をひくから、次の部屋まで、ここは見ないで」
「う……うん」
小首をかしげたルシーダだったが、それ以上駄々をこねたりはしなかった。
魔女はおとなしくなったルシーダの手をくいとひくと、足早にその部屋を後にした。
ここで何が行われていたのか。
はたまた、何を行うつもりだったのか。
そんなことは知りたくも無かった。
考えたくもない。考察したくもなかった。
同胞が『どう』死んだかを聞きたくなかったのと同じだ。
知ってしまえば、『どうでもよかった』ことを『どうでもよい』とは言えなくなる。
けれど知らなければ、見なければ、ないのと同じだ。何も考えなくていい。何も思わなくていいのだ。
彼女は、これについて喋り出されたら、一度かけたら二度と解く手立てのない『沈黙』の魔法をかけてしまうかもしれないと思った。
奥の扉をあけると、町の酒場で見かけたような部屋にかわった。
真ん中に通路、両サイドを牢屋の鉄格子で囲われた部屋だ。
牢屋の中には、赤黒い染みだけが残ったものと、中に傷だらけのモンスターが倒れているものがあった。
「さ、目をあけていいよ。彼らを助けだそうじゃないか」
「ウン!」
魔女が杖を振るうと、がしゃん、と音をたてて次々と牢屋のドアが開いていった。
しかしドアが開いたというのに、モンスターたちは気づいていないのか、まったく動かない。
ルシーダは、説得しようと牢屋の中に足を踏み入れ──
「まて! 危ない、ルシーダ!」
「うわ!」
魔女に手をひかれてよろめいた。
彼が立っていた場所には、鋭い爪でえぐったあとが、鉄格子に刻まれている。
「な、ななな……」
呆然と、ルシーダは目の前のモンスターを見つめた。
鋭い爪を持つ狼型のモンスターだった。
その首につけられた首輪をみて、魔女は「あ」とつぶやいた。
「……首輪だ」
「首輪?」
「どこかの酒場で、モンスターを首輪につけて制御する、と誰かが言っていたよ」
「じゃあ、あの首輪さえ外れれば……?」
とはいえ、首輪になど触れそうにもない。
モンスターはじろりとこちらを睨みつけている。
「参ったな。酒でも持ってくるんだった。そうしたら眠らせる魔法も使えたんだが」
ここには、森もない。月もみえない。星もない。
あるのは血生臭さと、冷たいコンクリート。それから鉄格子だけだ。
「蝶の魔法は使えないの?」
「……すまない。私の魔法は万能ではないんだ。条件がそろわないと使えない」
「そうなんだ……ど、どうしよう!」
ガウ! と吠えるように、彼は再び爪でこちらに襲い掛かった。
ルシーダを抱えて、魔女は飛び跳ねるように牢屋の中を移動する。
みれば、他の牢屋に入っているモンスターたちも、ゆっくりと動き出そうとしていた。
(多勢に無勢どころじゃないな)
今はまだ、鉄格子という区切りがあるので入ってきてはいないが、そのうち全員がここへ入ってくるだろう。
そうなれば避ける場所はない。
避けた攻撃が、ほかのモンスターにあたる可能性だってある。
さて、どうしたものか。
魔女は、杖を構える。
「だ、だめだよ魔女さま! みんなは、みんなは──」
「なに、傷つけたりはしないよ。ただ、キミを守るために防壁を」
魔女の言葉は、突如吹き飛んだ隣の壁に阻まれた。
飛んでくるコンクリートからモンスターたちを守るためにと、魔女はローブを大きく広げてそれを受け止める。
(この壁の向こうは、外壁か土だと思っていたけれど──隠し部屋でもあったか!)
土煙の中。
何かが動いてくるのを、魔女の目がとらえた。
「そうするだろうと彼女は読んでいたよ。さすがミス・ミランダだ」
男の声だった。
(はやい!)
ローブにまとわれていない魔女の腹めがけて、男の剣がひゅるりと煌く。
「う」
かわすためにわずかに身をよじった魔女だったが、かわしきれるわけもなかった。
わずかに軌道がそれて、剣が突き刺さることはなかったものの、ざっくりと脇腹が裂ける。
真っ赤な液体が散る様をみて、ルシーダは息をのんだ。
「ま、魔女さま!」
「ルシーダ! ローブをかぶって離すな!」
「は、はい!」
男は、土煙の中、剣を構えていた。
兵士らのような、薄っぺらい鎧ではない。
豪華な装飾とはためくマントが、彼が『将』であることを告げていた。
「地底の魔女、歓迎する。上でミス・ミランダがお待ちだ」
「おあいにく様、知らない子だな。私は彼女に用がない」
「そうだろう。だが、キミはミス・ミランダの今晩のメインディッシュなんだ。……どうだろう、キミがおとなしく捕縛されてくれれば、この場にいるモンスターたちは私の独断で逃がしてあげてもいい」
「お前!」
異を唱えたのは、ルシーダだった。
「魔女さまを食べるだなんて! 許さないぞ、そんなの!」
「ははは、勇敢な子だな」
じろりと、男がルシーダへ視線を投げる。
その途端に、魔女の杖から放たれた魔力の弾が、男の頬を掠めていた。
「余所見をしている場合かな」
魔女が、真正面から男を睨みつけていた。
男は、背筋にぞくりと冷たいものが駆け上がるのを感じていた。
こんなことは初めてだった。
「恐らくキミが『アラン将軍』とやらだろう。将ともあろうものが、あまり心の狭いことをいうものではないよ」
口は、確かに微笑んでいた。
けれど、目だ。
魔女の目が、一ミリたりとも、笑っていない。
(これは)
最後の魔女にして、『最弱』といわれる魔女。
それと対峙しているとは、到底思えない寒気だった。
けれど男、アランは、そもそも他の魔女を知らない。こんなものか、とこの不安を割り切った。
(剣が刺さる。殺せるということだ。ならば、勝機はいくらでもある!)
アランの顔は自信に満ち溢れていた。
ちゃき。
柄を握りなおす音が、コンクリートで反響する。
「さて。先にキミがあげた提案だが、本当にキミは彼らを逃がすというのかい?」
「魔女さま!」
ルシーダは悲鳴に近い声をあげた。
もしかしたら、魔女は自分と引き換えに皆を助けるかもしれない、と思った。
「貴様が頭を垂れ、私の前に両膝をつき、両手を差し出せばの話だがな」
「ふむ」
「提案を受け入れる気になったか?」
魔女はしばし考えるようなそぶりを見せて、それから一度頷いた。
それをうけて、アランが剣の先を降ろす。
魔女も脱力したように肩の力を抜いて、穏やかに微笑んだ。
ルシーダはダメだ、と言おうと思った。
けれど。
それよりも、早く。
「まさか」
ほんの一瞬の出来事だった。
言葉と同時に、ぴしゃんと雷でも落ちたかのような光が奔った。
光は地面を這い、まるで亀裂のように幾重にも分かれ、真っ直ぐにアランの鎧を貫いた。
「なっ」
魔女殺しの剣を持っていた男と同じく、彼の体はみるみるうちに光の棘に巻き取られていく。
わずか数秒のうちに、彼は指先一つ動かすことができなくなり、からん、と剣を落とした。
「最初から私が目的だった──というなら頷いたのだけれどね」
魔女は、ため息をついて言った。
「これは別に、私を目的に行われたものではない。結果的に私がついてきただけのこと。ルシーダが落ちてこなければ、私は今もあの地底で一人眠っていただろうからね」
「は、はは、つまり、約束は守られない、と思ったと?」
「そもそも出会ったばかりでキミを信頼する材料なんてどこにもないよ」
「では、交渉は決裂だな?」
「そうなるね」
にたり、とアランは顔を歪めて、嗤った。
「ならば遠慮はいらないなァ! いけ、我が奴隷たち!」
「!」
アランの声に、今まで動きを止めていたモンスターたちが、一斉に動き出す。
彼らにはめられた首輪はこれでもかと赤く輝いていた。
魔女は、トン、と床を蹴ってルシーダを抱く。
「魔女さまっ、みんなが……!」
「あの首輪に私の魔法は通じないだろうね。ともすれば、物理的に砕くほかない」
言いながら、魔女は振り下ろされた大きな腕を避けた。
横に薙がれた鋭い爪を避ける。
首輪の赤い光に、魔女はなんだか懐かしいものを感じていた。
いうなれば、同胞の気配というものだ。
(死んだだか、殺されただかいう、誰かの『何か』が使われているんだろうな)
そんなことをぼんやりと思いながら、魔女は身をよじってモンスターの突進をかわした。
魔女がアランに視線を投げると、彼の鎧を他のモンスターたちが砕く様が見て取れた。
(なるほど、たしかに鎧が壊れれば棘の拘束は緩む。そのすきに脱出するつもりか)
次に、彼が壊した壁の奥に、魔女は目をやった。
質素な梯子が、壁材の中に垂れ下がっている。
時間をかければ、彼の部下も投入されるかもしれなかった。
「ルシーダ。目を瞑って、ローブの中に隠れていてくれるかな」
腹をさすりながら、魔女はそう呟いた。
予定よりもだいぶ減ってはいるのだが、まだ、余力はある。
ある程度の被弾を覚悟すれば、なんとか──。
けれどいつものように、ルシーダは頷かなかった。
「ううん、僕もやる」
首を横に振ったのである。
「……なんだって?」
「ぼ、僕の力なら、皆を十秒、いや十五秒くらいは、足止めできる」
抱きかかえられながら、ルシーダは自分の拳を握ったり開いたりしていた。
「いや、まて。だめだよ。力づくでは……」
「ううん、魔女さま。力づくじゃないよ」
それに、とルシーダは魔女の腹をみていった。
そこにあったはずの傷は、やはり、跡形もなくなっている。……ようにみえる。
けれどルシーダには、それが『隠された』だけのことであると感じられた。
なくなってなどない。治ってなどない。
そう、理由はないし説明もできないが、そういう確証があった。
「魔女さま、怪我を隠しているでしょう。本当は大丈夫じゃないのに、大丈夫みたいに振る舞ってる」
「……」
「僕だって、魔女さまを助けたい。だから、だから!」
信じてほしい、とルシーダは魔女の目を見つめる。
その力強い瞳に、今度は魔女が頷く番だった。
「……わかった。危険だと思ったら、この作戦は中断するからね」
「ウン!」
魔女は、杖の柄をくるりと回して構えた。
十五秒。
モンスターは二十ほど。
(一秒もかけられないな)
ふう、と息をつく。
「いつでもやってくれ、ルシーダ」
「オッケー!」
ルシーダの影がふにゃふにゃと揺らいだ。
それからすぐに、その揺らいだ影から、勢いよく黒い線が伸びる。
黒い線は、モンスターたちの影をつぎつぎに貫いていった。
全員の影をつらぬくと、ルシーダが叫んだ。
「魔女さま!」
「任せてくれ」
ルシーダの黒い線に影を貫かれたモンスターたちは、その身の自由を奪われていた。
魔女は、彼らに向かって一直線に飛ぶ。
(もってくれよ、私の身体!)
いち。に。さん。し。ご。ろく。なな。はち。きゅう。じゅう。
じゅういち。じゅうに。じゅうさん。じゅうよん。じゅうご。
じゅうろく。じゅうなな。じゅうはち。じゅうく。……にじゅう!
時間にして、十三秒ほど。
予定の時間を二秒ほど余して、魔女は彼らの首輪を破壊した。
「はっ、はっ」
ぼた、ぼたぼた。ぼた。
彼女の足元に液体が落ちる。
それは腹から漏れ出たものだった。
「はあ、は」
乱れた呼吸を整えるように、魔女は肩を上下させる。
彼女は、杖を握りなおすとゆっくり視界を動かした。
解放され、糸が切れたように倒れていくモンスターたちと、少し遠くで同じく息を切らせながらこちらに手を振るルシーダの姿が目に入る。
──そして。
「隙を見せたな、魔女」
「っ」
こちらに手を振るルシーダの背後。
いつのまにか鎧から解放され、身軽になった男、アランが、その剣を振りかぶっている。
「ルシーダッ!」
ドッと、凄まじい轟音がルシーダの真横を通り過ぎた。
無邪気に手を振っていた彼は、その動きをぴたと止める。
「が、ふ」
彼の背後で、何か液体がぼたぼたと漏れる音がした。
何が起きたのだろうと彼は背後を振り返ろうとして──
「見るな!」
遠くから、魔女の声がした。
きいたこともないほど大きな声だった。
びくりと肩を震わせて、ルシーダは振り返ることをやめ、視線の先にいる魔女を見つめる。
魔女は、よたよたと歩いてきて、ルシーダをぎゅっと抱きしめた。
「……怪我はないかい」
「う、うん」
「そう、よかった」
──魔女の目には、じろり、とアランが映っていた。
彼の腹は、彼女の魔力に吹っ飛ばされる形でその身を壁にめり込ませていた。
「は、はは、は……これだけ、やっても、お前は」
「?」
「やはり、『命を奪う』ことはしないのだな」
口の端から赤を流し、アランはにたりと微笑んだ。
魔女は、今度は笑わなかった。
「奪うことは好かんか、魔女よ。他の魔女は『様々なもの』を奪ったと聞くが」
「……キミたちがどう思おうが、キミたちの勝手だ」
それはハッキリとした拒絶だった。
これ以上、会話をする意思はない、とそう言っているようだった。
「奪うものは奪われる。その覚悟がないものは奪うべきじゃない。──とある魔女が言った言葉だ。魔女、お前には『覚悟』がないのか」
しかしアランは止まらなかった。
口の端から赤を散らしながらでも、魔女に声を荒げた。
魔女は、それを煩わしそうに見つめるだけだ。
「勝手に我々を憐み、『手を下すまでもない』と思っているのか? だとしたら、それは、我々に対する最大の侮辱だ!」
「…………」
「剣をとれ、魔女よ! 眠らせる、気絶させる、などという卑劣な手ではなく! このアランと真っ向から『殺しあえ』!」
「興味ないな」
激昂するアランに、魔女が返した言葉はそんな一言だった。
ルシーダの頭を抱きしめ、やんわりと耳を抑えるようにして、魔女は言う。
「キミたちなんかどうでもいいんだ、私は。ただ、この子が──この子が『助けて』と言ったから。お前たちへの復讐がしたい、とか、同じ目に遭わせてやる、ではなく、『兄を助けて』と言ったから」
「は……?」
「だから私は、あの地底から出てきた。ただそれだけだ。この子は、お前から『奪う』ことを望んでない。だから私も『それを』しない」
彼女に与えられた職能に『奪う』という行為はない。
けれどだからといって、それが出来ないほど制約があるわけでもない。
彼女は魔女である前に、星の欠片である前に、ひとつの生き物だった。
いきものをいきものとして『守りたい』と思う、一つのいきものだった。
「モンスターのくせに、この私を、ニンゲンを、『赦す』などと……そういうのか?」
アランは、今にも体中の体液という体液が煮えくり返りそうだと思った。
怒りで身が熱くなったのは、本当に久しぶりだった。
しかし魔女はなお、ルシーダの頭を撫でつけて、頷く。
「なあ、ルシーダ。お前はニンゲンに復讐したいと思うか?」
「ウウン! だってそれって、『カナシイ』ことだろ! 僕、そういうのやだ!」
声を荒げようとしたアランを、制したのは魔女だった。
「話は以上だ。優しい彼らは私が地の底へ連れていく」
魔女は、ルシーダの手を引いて、倒れたモンスターたちを手当てして回った。
それから彼らを優しく抱き起すと、魔女の魔法で彼らをどこかへ運んだようだった。
……アランは、その光景をじ、と見ていた。
呆然と、見ていた。
信じられなかった。
あれだけ暴力を働いた自分を、モンスターの誰も、みていないのだ。
ただ魔女と、ルシーダを見て、与えられた自由と安息に喜んでいた。
これがもし、立場が逆だったなら?
アランは、自分をそんな目にあわせた存在を絶対に許さないだろう。復讐を誓うだろう。
そも、こうして将軍などというところまで上り詰めたのもそういう感情が元になっていた。
「……そんな、ことは」
モンスターは危険な存在だったはずだ。
ニンゲンを傷つけるものだったはず。
だから、搾取されたって仕方ない。
そう教え込まれた。けれど。いや、そういえば。
そんなことを『教えた』のは、一体誰だったのか。
一番に危険だったのは、『何』なのか。
アランは、壁にめり込まれたまま、かふ、と血を吐いた。
ルシーダと魔女は、手を繋いで、廊下の奥へと進んでいた。
突き当りに、大きな鉄の扉がある。
左右に並ぶ牢屋と少し違うそこを、魔女は、そ、と杖で触れると開錠した。
それから、ゆっくりと重い鉄の扉をひらく。
「……ベルダナッ!」
「えっ……ルシーダ?」
中心で佇むようにしていた、魔女の腰ほどしかないモンスターは驚いて振り返った。
フードを深くかぶった彼は、顔こそよく見えないが、驚いて、喜んでいるようだった。
「ぶ、ぶじ、無事でよかった、ほんとうに、よかった!」
ルシーダは崩れ落ちるように、兄の体を抱きしめた。
ぼろぼろと大きな瞳からはとめどなく涙が流れる。
ベルダナと呼ばれた彼の方は、状況が飲み込めず、その大きな背をさすさすとさすることしかできなかった。
「どうやら、間に合ったようだね」
魔女は、少し遅れて、二人に近づいた。
「ああ、ああ! 魔女さま、ありがとう! にーちゃんに、また会えた!」
「ふふ。私も嬉しいよ。キミで捕らわれていたモンスターは最後のようだし」
す、と魔女は両腕を伸ばして、二人を抱きしめた。
彼女は、改めて兄、ベルダナを見つめた。
彼はルシーダに比べてると背丈の小さいモンスターだった。
かぶったフードの隙間から、小さな角が見える。
それから、彼の真っ黒な肌にはめられた、首輪が目に入った。
モンスターの彼らにはめられていた、あの首輪だ。
「え」
途端に三人を取り囲む景色は変わった。
まるで瞬間移動でもしたかのようだ。あのコンクリートの壁も、床もない。
あるのはただ、煌びやかで高いステンドグラスの天井と、大理石の床。
大理石の床には、赤い魔力で描かれた魔法陣が浮かび上がっていて、その中心に、三人はいた。
(これも罠か。ふふ、用意周到だこと。将軍をコマのひとつにするとは)
魔女は素直に感心していた。
そうして、彼の首輪にそ、と触れると、ぱき、とそれを壊した。
「なに、これ、え、だって、さっきまで」
ルシーダは混乱したように辺りを見渡して呟いた。
どこからともなく湧いた弓兵たちが、三人に向かって矢を構えている。
ルシーダは、はっとしたように、ベルダナをみた。
ベルダナの能力を、ルシーダは知っている。
見知った位置なら、つかんだまま自分とそれ以外を瞬間移動できることを。
「ごめん、ルシーダ」
フードに隠れた目元はみえないが、つう、と頬をきらきらしたものが伝っていくのが見えた。
「にーちゃ……」
「ほんとに、ごめん。このまま、オレと、しんでく」
「少し頭を下げて、じっとしていてね」
向き合って言葉を交わす兄弟を、魔女はローブに押し込めた。
二人の全身を包むとなると、自分が入る分なんて一つもない。
ローブの上から自分の身体を盾にするようにして、魔女は、二人を抱え込んだ。
「放て!」
──無慈悲な号令と、残酷な音が響いたのはそれから間もなくのことだった。
魔法を使うまでもなく警備兵の目を盗んで、魔女はルシーダとローブをかぶったまま、中へ侵入した。
城の内部もまた、人気がない、静かなものだった。
まるで自由に探索してくださいといわんばかりだ。
そんなあからさまな光景をみて、魔女は小さくため息をついた。
(まあ、なんでもいいか)
思ったとおり、城の地下にはごろごろとモンスターの気配がある。
彼女にとっては、そのことのほうがよほど重要なことだった。
それに、彼女には、奥の手があった。
彼女に与えられた観測という職務。
いわば長らくサボっていたそれだが、辞職したわけではない。
魔女の手には、その力がまだ、残っている。
「さて、どうやって地下に降りようか」
魔女があたりを見わたしていると、ルシーダがくいと腕を引いた。
「あっち! 階段があるぞ!」
「おや。これはまたご丁寧なことだ」
まるで早く地下に行ってほしいと言われているようだ。
とはいえ、城のつくりはそう簡単に変えられるものではない。
数時間前に魔女の存在に気づき、罠をはろうとも、階段の位置ばかりはいじれやしないだろう。
(あとはまあ、『地下階段のある場所』に入口を作り、そこに招かれた──くらいのものか)
そんなことは気づいてもいないのか、ルシーダは無邪気な顔で笑ってローブから飛び出した。
「いこう! 魔女さま! ついに、にーちゃんに会えるかも!」
「……ああ」
笑顔がまぶしいと思った。
まるで、太陽みたいだ。
そうだ。彼は、自分の兄が心配で心配で仕方が無いのだ。
(無事であるといいな)
魔女は階段へ駆け出したルシーダの後を追って、城の地下へと降りていった。
──城の地下は、文字通りの地獄だった。
「ま、じょ、さま?」
その光景が目に入る前に、ルシーダの目を、魔女は手でふさいでしまった。
間一髪のことだった。
地下のこの部屋が薄暗くて助かった、とすら思った。
「みえないよ?」
目をふさがれたまま、ルシーダは魔女の顔があるであろう方を見あげた。
魔女の手は、少しだけ震えている。
その手を、ルシーダは包み込むようにして、自分の手を添えた。
「魔女さま?」
「少しだけ目を瞑っていてくれ」
「う、うん」
改めて、その『地獄』を魔女は見つめた。
ひどいものだった。
異臭はきわまって悪臭となり、そこらかしこに漂っている。
無機質で冷たいコンクリートで全方位を囲まれた部屋の壁には、赤黒い染みがこびりついていた。
手枷と思われる黒い鉄製の輪がその染み一つずつに添えられており、作業台を思わせる木製の机には、ありとあらゆる『道具』が置かれていた。
極めつけは、その机の後ろにある棚だ。
瓶詰めにされた『部位』が、キレイに整列されている。
(吐きそうだ)
どれもこれも、モンスターのものだった。
いや、モンスターばかりではない。
ニンゲン、それも性別と年齢ごとに分けられ、臓器などがいれられた瓶もある。
(とてもじゃないが、見せられない)
魔女は杖の先、クリスタルに明かりをともすと、それを頼りに歩き出した。
むろん、ルシーダの目に手を当てたままだ。
「えっ、あ、歩く、の?」
「キミはそのままだ。私が手をひくから、次の部屋まで、ここは見ないで」
「う……うん」
小首をかしげたルシーダだったが、それ以上駄々をこねたりはしなかった。
魔女はおとなしくなったルシーダの手をくいとひくと、足早にその部屋を後にした。
ここで何が行われていたのか。
はたまた、何を行うつもりだったのか。
そんなことは知りたくも無かった。
考えたくもない。考察したくもなかった。
同胞が『どう』死んだかを聞きたくなかったのと同じだ。
知ってしまえば、『どうでもよかった』ことを『どうでもよい』とは言えなくなる。
けれど知らなければ、見なければ、ないのと同じだ。何も考えなくていい。何も思わなくていいのだ。
彼女は、これについて喋り出されたら、一度かけたら二度と解く手立てのない『沈黙』の魔法をかけてしまうかもしれないと思った。
奥の扉をあけると、町の酒場で見かけたような部屋にかわった。
真ん中に通路、両サイドを牢屋の鉄格子で囲われた部屋だ。
牢屋の中には、赤黒い染みだけが残ったものと、中に傷だらけのモンスターが倒れているものがあった。
「さ、目をあけていいよ。彼らを助けだそうじゃないか」
「ウン!」
魔女が杖を振るうと、がしゃん、と音をたてて次々と牢屋のドアが開いていった。
しかしドアが開いたというのに、モンスターたちは気づいていないのか、まったく動かない。
ルシーダは、説得しようと牢屋の中に足を踏み入れ──
「まて! 危ない、ルシーダ!」
「うわ!」
魔女に手をひかれてよろめいた。
彼が立っていた場所には、鋭い爪でえぐったあとが、鉄格子に刻まれている。
「な、ななな……」
呆然と、ルシーダは目の前のモンスターを見つめた。
鋭い爪を持つ狼型のモンスターだった。
その首につけられた首輪をみて、魔女は「あ」とつぶやいた。
「……首輪だ」
「首輪?」
「どこかの酒場で、モンスターを首輪につけて制御する、と誰かが言っていたよ」
「じゃあ、あの首輪さえ外れれば……?」
とはいえ、首輪になど触れそうにもない。
モンスターはじろりとこちらを睨みつけている。
「参ったな。酒でも持ってくるんだった。そうしたら眠らせる魔法も使えたんだが」
ここには、森もない。月もみえない。星もない。
あるのは血生臭さと、冷たいコンクリート。それから鉄格子だけだ。
「蝶の魔法は使えないの?」
「……すまない。私の魔法は万能ではないんだ。条件がそろわないと使えない」
「そうなんだ……ど、どうしよう!」
ガウ! と吠えるように、彼は再び爪でこちらに襲い掛かった。
ルシーダを抱えて、魔女は飛び跳ねるように牢屋の中を移動する。
みれば、他の牢屋に入っているモンスターたちも、ゆっくりと動き出そうとしていた。
(多勢に無勢どころじゃないな)
今はまだ、鉄格子という区切りがあるので入ってきてはいないが、そのうち全員がここへ入ってくるだろう。
そうなれば避ける場所はない。
避けた攻撃が、ほかのモンスターにあたる可能性だってある。
さて、どうしたものか。
魔女は、杖を構える。
「だ、だめだよ魔女さま! みんなは、みんなは──」
「なに、傷つけたりはしないよ。ただ、キミを守るために防壁を」
魔女の言葉は、突如吹き飛んだ隣の壁に阻まれた。
飛んでくるコンクリートからモンスターたちを守るためにと、魔女はローブを大きく広げてそれを受け止める。
(この壁の向こうは、外壁か土だと思っていたけれど──隠し部屋でもあったか!)
土煙の中。
何かが動いてくるのを、魔女の目がとらえた。
「そうするだろうと彼女は読んでいたよ。さすがミス・ミランダだ」
男の声だった。
(はやい!)
ローブにまとわれていない魔女の腹めがけて、男の剣がひゅるりと煌く。
「う」
かわすためにわずかに身をよじった魔女だったが、かわしきれるわけもなかった。
わずかに軌道がそれて、剣が突き刺さることはなかったものの、ざっくりと脇腹が裂ける。
真っ赤な液体が散る様をみて、ルシーダは息をのんだ。
「ま、魔女さま!」
「ルシーダ! ローブをかぶって離すな!」
「は、はい!」
男は、土煙の中、剣を構えていた。
兵士らのような、薄っぺらい鎧ではない。
豪華な装飾とはためくマントが、彼が『将』であることを告げていた。
「地底の魔女、歓迎する。上でミス・ミランダがお待ちだ」
「おあいにく様、知らない子だな。私は彼女に用がない」
「そうだろう。だが、キミはミス・ミランダの今晩のメインディッシュなんだ。……どうだろう、キミがおとなしく捕縛されてくれれば、この場にいるモンスターたちは私の独断で逃がしてあげてもいい」
「お前!」
異を唱えたのは、ルシーダだった。
「魔女さまを食べるだなんて! 許さないぞ、そんなの!」
「ははは、勇敢な子だな」
じろりと、男がルシーダへ視線を投げる。
その途端に、魔女の杖から放たれた魔力の弾が、男の頬を掠めていた。
「余所見をしている場合かな」
魔女が、真正面から男を睨みつけていた。
男は、背筋にぞくりと冷たいものが駆け上がるのを感じていた。
こんなことは初めてだった。
「恐らくキミが『アラン将軍』とやらだろう。将ともあろうものが、あまり心の狭いことをいうものではないよ」
口は、確かに微笑んでいた。
けれど、目だ。
魔女の目が、一ミリたりとも、笑っていない。
(これは)
最後の魔女にして、『最弱』といわれる魔女。
それと対峙しているとは、到底思えない寒気だった。
けれど男、アランは、そもそも他の魔女を知らない。こんなものか、とこの不安を割り切った。
(剣が刺さる。殺せるということだ。ならば、勝機はいくらでもある!)
アランの顔は自信に満ち溢れていた。
ちゃき。
柄を握りなおす音が、コンクリートで反響する。
「さて。先にキミがあげた提案だが、本当にキミは彼らを逃がすというのかい?」
「魔女さま!」
ルシーダは悲鳴に近い声をあげた。
もしかしたら、魔女は自分と引き換えに皆を助けるかもしれない、と思った。
「貴様が頭を垂れ、私の前に両膝をつき、両手を差し出せばの話だがな」
「ふむ」
「提案を受け入れる気になったか?」
魔女はしばし考えるようなそぶりを見せて、それから一度頷いた。
それをうけて、アランが剣の先を降ろす。
魔女も脱力したように肩の力を抜いて、穏やかに微笑んだ。
ルシーダはダメだ、と言おうと思った。
けれど。
それよりも、早く。
「まさか」
ほんの一瞬の出来事だった。
言葉と同時に、ぴしゃんと雷でも落ちたかのような光が奔った。
光は地面を這い、まるで亀裂のように幾重にも分かれ、真っ直ぐにアランの鎧を貫いた。
「なっ」
魔女殺しの剣を持っていた男と同じく、彼の体はみるみるうちに光の棘に巻き取られていく。
わずか数秒のうちに、彼は指先一つ動かすことができなくなり、からん、と剣を落とした。
「最初から私が目的だった──というなら頷いたのだけれどね」
魔女は、ため息をついて言った。
「これは別に、私を目的に行われたものではない。結果的に私がついてきただけのこと。ルシーダが落ちてこなければ、私は今もあの地底で一人眠っていただろうからね」
「は、はは、つまり、約束は守られない、と思ったと?」
「そもそも出会ったばかりでキミを信頼する材料なんてどこにもないよ」
「では、交渉は決裂だな?」
「そうなるね」
にたり、とアランは顔を歪めて、嗤った。
「ならば遠慮はいらないなァ! いけ、我が奴隷たち!」
「!」
アランの声に、今まで動きを止めていたモンスターたちが、一斉に動き出す。
彼らにはめられた首輪はこれでもかと赤く輝いていた。
魔女は、トン、と床を蹴ってルシーダを抱く。
「魔女さまっ、みんなが……!」
「あの首輪に私の魔法は通じないだろうね。ともすれば、物理的に砕くほかない」
言いながら、魔女は振り下ろされた大きな腕を避けた。
横に薙がれた鋭い爪を避ける。
首輪の赤い光に、魔女はなんだか懐かしいものを感じていた。
いうなれば、同胞の気配というものだ。
(死んだだか、殺されただかいう、誰かの『何か』が使われているんだろうな)
そんなことをぼんやりと思いながら、魔女は身をよじってモンスターの突進をかわした。
魔女がアランに視線を投げると、彼の鎧を他のモンスターたちが砕く様が見て取れた。
(なるほど、たしかに鎧が壊れれば棘の拘束は緩む。そのすきに脱出するつもりか)
次に、彼が壊した壁の奥に、魔女は目をやった。
質素な梯子が、壁材の中に垂れ下がっている。
時間をかければ、彼の部下も投入されるかもしれなかった。
「ルシーダ。目を瞑って、ローブの中に隠れていてくれるかな」
腹をさすりながら、魔女はそう呟いた。
予定よりもだいぶ減ってはいるのだが、まだ、余力はある。
ある程度の被弾を覚悟すれば、なんとか──。
けれどいつものように、ルシーダは頷かなかった。
「ううん、僕もやる」
首を横に振ったのである。
「……なんだって?」
「ぼ、僕の力なら、皆を十秒、いや十五秒くらいは、足止めできる」
抱きかかえられながら、ルシーダは自分の拳を握ったり開いたりしていた。
「いや、まて。だめだよ。力づくでは……」
「ううん、魔女さま。力づくじゃないよ」
それに、とルシーダは魔女の腹をみていった。
そこにあったはずの傷は、やはり、跡形もなくなっている。……ようにみえる。
けれどルシーダには、それが『隠された』だけのことであると感じられた。
なくなってなどない。治ってなどない。
そう、理由はないし説明もできないが、そういう確証があった。
「魔女さま、怪我を隠しているでしょう。本当は大丈夫じゃないのに、大丈夫みたいに振る舞ってる」
「……」
「僕だって、魔女さまを助けたい。だから、だから!」
信じてほしい、とルシーダは魔女の目を見つめる。
その力強い瞳に、今度は魔女が頷く番だった。
「……わかった。危険だと思ったら、この作戦は中断するからね」
「ウン!」
魔女は、杖の柄をくるりと回して構えた。
十五秒。
モンスターは二十ほど。
(一秒もかけられないな)
ふう、と息をつく。
「いつでもやってくれ、ルシーダ」
「オッケー!」
ルシーダの影がふにゃふにゃと揺らいだ。
それからすぐに、その揺らいだ影から、勢いよく黒い線が伸びる。
黒い線は、モンスターたちの影をつぎつぎに貫いていった。
全員の影をつらぬくと、ルシーダが叫んだ。
「魔女さま!」
「任せてくれ」
ルシーダの黒い線に影を貫かれたモンスターたちは、その身の自由を奪われていた。
魔女は、彼らに向かって一直線に飛ぶ。
(もってくれよ、私の身体!)
いち。に。さん。し。ご。ろく。なな。はち。きゅう。じゅう。
じゅういち。じゅうに。じゅうさん。じゅうよん。じゅうご。
じゅうろく。じゅうなな。じゅうはち。じゅうく。……にじゅう!
時間にして、十三秒ほど。
予定の時間を二秒ほど余して、魔女は彼らの首輪を破壊した。
「はっ、はっ」
ぼた、ぼたぼた。ぼた。
彼女の足元に液体が落ちる。
それは腹から漏れ出たものだった。
「はあ、は」
乱れた呼吸を整えるように、魔女は肩を上下させる。
彼女は、杖を握りなおすとゆっくり視界を動かした。
解放され、糸が切れたように倒れていくモンスターたちと、少し遠くで同じく息を切らせながらこちらに手を振るルシーダの姿が目に入る。
──そして。
「隙を見せたな、魔女」
「っ」
こちらに手を振るルシーダの背後。
いつのまにか鎧から解放され、身軽になった男、アランが、その剣を振りかぶっている。
「ルシーダッ!」
ドッと、凄まじい轟音がルシーダの真横を通り過ぎた。
無邪気に手を振っていた彼は、その動きをぴたと止める。
「が、ふ」
彼の背後で、何か液体がぼたぼたと漏れる音がした。
何が起きたのだろうと彼は背後を振り返ろうとして──
「見るな!」
遠くから、魔女の声がした。
きいたこともないほど大きな声だった。
びくりと肩を震わせて、ルシーダは振り返ることをやめ、視線の先にいる魔女を見つめる。
魔女は、よたよたと歩いてきて、ルシーダをぎゅっと抱きしめた。
「……怪我はないかい」
「う、うん」
「そう、よかった」
──魔女の目には、じろり、とアランが映っていた。
彼の腹は、彼女の魔力に吹っ飛ばされる形でその身を壁にめり込ませていた。
「は、はは、は……これだけ、やっても、お前は」
「?」
「やはり、『命を奪う』ことはしないのだな」
口の端から赤を流し、アランはにたりと微笑んだ。
魔女は、今度は笑わなかった。
「奪うことは好かんか、魔女よ。他の魔女は『様々なもの』を奪ったと聞くが」
「……キミたちがどう思おうが、キミたちの勝手だ」
それはハッキリとした拒絶だった。
これ以上、会話をする意思はない、とそう言っているようだった。
「奪うものは奪われる。その覚悟がないものは奪うべきじゃない。──とある魔女が言った言葉だ。魔女、お前には『覚悟』がないのか」
しかしアランは止まらなかった。
口の端から赤を散らしながらでも、魔女に声を荒げた。
魔女は、それを煩わしそうに見つめるだけだ。
「勝手に我々を憐み、『手を下すまでもない』と思っているのか? だとしたら、それは、我々に対する最大の侮辱だ!」
「…………」
「剣をとれ、魔女よ! 眠らせる、気絶させる、などという卑劣な手ではなく! このアランと真っ向から『殺しあえ』!」
「興味ないな」
激昂するアランに、魔女が返した言葉はそんな一言だった。
ルシーダの頭を抱きしめ、やんわりと耳を抑えるようにして、魔女は言う。
「キミたちなんかどうでもいいんだ、私は。ただ、この子が──この子が『助けて』と言ったから。お前たちへの復讐がしたい、とか、同じ目に遭わせてやる、ではなく、『兄を助けて』と言ったから」
「は……?」
「だから私は、あの地底から出てきた。ただそれだけだ。この子は、お前から『奪う』ことを望んでない。だから私も『それを』しない」
彼女に与えられた職能に『奪う』という行為はない。
けれどだからといって、それが出来ないほど制約があるわけでもない。
彼女は魔女である前に、星の欠片である前に、ひとつの生き物だった。
いきものをいきものとして『守りたい』と思う、一つのいきものだった。
「モンスターのくせに、この私を、ニンゲンを、『赦す』などと……そういうのか?」
アランは、今にも体中の体液という体液が煮えくり返りそうだと思った。
怒りで身が熱くなったのは、本当に久しぶりだった。
しかし魔女はなお、ルシーダの頭を撫でつけて、頷く。
「なあ、ルシーダ。お前はニンゲンに復讐したいと思うか?」
「ウウン! だってそれって、『カナシイ』ことだろ! 僕、そういうのやだ!」
声を荒げようとしたアランを、制したのは魔女だった。
「話は以上だ。優しい彼らは私が地の底へ連れていく」
魔女は、ルシーダの手を引いて、倒れたモンスターたちを手当てして回った。
それから彼らを優しく抱き起すと、魔女の魔法で彼らをどこかへ運んだようだった。
……アランは、その光景をじ、と見ていた。
呆然と、見ていた。
信じられなかった。
あれだけ暴力を働いた自分を、モンスターの誰も、みていないのだ。
ただ魔女と、ルシーダを見て、与えられた自由と安息に喜んでいた。
これがもし、立場が逆だったなら?
アランは、自分をそんな目にあわせた存在を絶対に許さないだろう。復讐を誓うだろう。
そも、こうして将軍などというところまで上り詰めたのもそういう感情が元になっていた。
「……そんな、ことは」
モンスターは危険な存在だったはずだ。
ニンゲンを傷つけるものだったはず。
だから、搾取されたって仕方ない。
そう教え込まれた。けれど。いや、そういえば。
そんなことを『教えた』のは、一体誰だったのか。
一番に危険だったのは、『何』なのか。
アランは、壁にめり込まれたまま、かふ、と血を吐いた。
ルシーダと魔女は、手を繋いで、廊下の奥へと進んでいた。
突き当りに、大きな鉄の扉がある。
左右に並ぶ牢屋と少し違うそこを、魔女は、そ、と杖で触れると開錠した。
それから、ゆっくりと重い鉄の扉をひらく。
「……ベルダナッ!」
「えっ……ルシーダ?」
中心で佇むようにしていた、魔女の腰ほどしかないモンスターは驚いて振り返った。
フードを深くかぶった彼は、顔こそよく見えないが、驚いて、喜んでいるようだった。
「ぶ、ぶじ、無事でよかった、ほんとうに、よかった!」
ルシーダは崩れ落ちるように、兄の体を抱きしめた。
ぼろぼろと大きな瞳からはとめどなく涙が流れる。
ベルダナと呼ばれた彼の方は、状況が飲み込めず、その大きな背をさすさすとさすることしかできなかった。
「どうやら、間に合ったようだね」
魔女は、少し遅れて、二人に近づいた。
「ああ、ああ! 魔女さま、ありがとう! にーちゃんに、また会えた!」
「ふふ。私も嬉しいよ。キミで捕らわれていたモンスターは最後のようだし」
す、と魔女は両腕を伸ばして、二人を抱きしめた。
彼女は、改めて兄、ベルダナを見つめた。
彼はルシーダに比べてると背丈の小さいモンスターだった。
かぶったフードの隙間から、小さな角が見える。
それから、彼の真っ黒な肌にはめられた、首輪が目に入った。
モンスターの彼らにはめられていた、あの首輪だ。
「え」
途端に三人を取り囲む景色は変わった。
まるで瞬間移動でもしたかのようだ。あのコンクリートの壁も、床もない。
あるのはただ、煌びやかで高いステンドグラスの天井と、大理石の床。
大理石の床には、赤い魔力で描かれた魔法陣が浮かび上がっていて、その中心に、三人はいた。
(これも罠か。ふふ、用意周到だこと。将軍をコマのひとつにするとは)
魔女は素直に感心していた。
そうして、彼の首輪にそ、と触れると、ぱき、とそれを壊した。
「なに、これ、え、だって、さっきまで」
ルシーダは混乱したように辺りを見渡して呟いた。
どこからともなく湧いた弓兵たちが、三人に向かって矢を構えている。
ルシーダは、はっとしたように、ベルダナをみた。
ベルダナの能力を、ルシーダは知っている。
見知った位置なら、つかんだまま自分とそれ以外を瞬間移動できることを。
「ごめん、ルシーダ」
フードに隠れた目元はみえないが、つう、と頬をきらきらしたものが伝っていくのが見えた。
「にーちゃ……」
「ほんとに、ごめん。このまま、オレと、しんでく」
「少し頭を下げて、じっとしていてね」
向き合って言葉を交わす兄弟を、魔女はローブに押し込めた。
二人の全身を包むとなると、自分が入る分なんて一つもない。
ローブの上から自分の身体を盾にするようにして、魔女は、二人を抱え込んだ。
「放て!」
──無慈悲な号令と、残酷な音が響いたのはそれから間もなくのことだった。
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