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第三章「終幕」
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凄まじい轟音に、ルシーダは身を強張らせた。
暗闇の中、すぐ目の前にベルダナの身体がある。
ベルダナも同じく、身を強張らせて固まっていた。
(何、何が、起こったの)
魔女さまは、と思い当たって、はっとする。
このローブは何者の攻撃も通さない。
けれど、魔女の体格にあわせて作られているので、そう大きくはない。
……では、魔女は?
「魔女さまっ!」
悲鳴に近い声をあげて、ルシーダはローブから顔を出した。
辺りは土煙でいっぱいになっていて、一寸先も見えそうになかった。
しかし魔女の姿はすぐに確認できた。
彼女は、ローブに覆いかぶさるようにして、そこにいた。
「慌てないで。私はまだ、死んだりしていないよ」
いつもと変わらない口調で、魔女はそう言った。
けれど、口の端からは赤い液体が漏れ出していて、彼女の背には、おびただしい数の矢が、突き刺さっていた。
「ま、魔女、さま」
「あんた……」
遅れて、ベルダナもローブから顔を出していた。
そうして、目の前の光景に息をのんだ。
「キミ……ええと、ベルダナ、か。ベルダナは、どうだい。体は自由がきくかい」
「え? あ、う、うん」
「ならよかった。あとでケガも治してあげるからね、もうしばらく我慢してくれ」
しゃべったあと、魔女はゲホゲホと咳き込んだ。
赤い液体を吐いたようだった。
二人は絶句していた。
どうみても、生命として致命傷だった。
こんなにたくさんの矢をうけて、無事なわけがない。
なんともないわけがないのだ。
「今は少し、じっとしていてくれ。この床に敷かれた魔法陣が邪魔でね……うまく魔法を行使できないんだ」
「そんな……」
ルシーダの顔には、絶望の色が少し浮かんでいた。
魔女の魔法が完璧に封じられたとすれば、彼女は今、ただのニンゲンも同然だ。
よくみれば、彼女の背から血が出ているだけではない。
姿の見えなくなった脇腹の傷。
酒場で突き刺された腹の傷。
二つが今更になって顔を見せたかと思うと、どくどくと赤い液体を垂れ流していた。
「ああ、よかった! 伝承通り、『最後の魔女』が『最弱』でうれしいわ!」
かつん。かつん。かつん。
しんと静まり返った空間を裂くように、土煙を押しのけて、一人。
煌びやかなドレスをまとった少女が、にこやかに歩いてきた。
彼女の手には、魔女と同じように杖があった。
けれど魔女の杖のように質素なものではなく、豪華な装飾が施され、クリスタルのかわりに丸い小さな宝石がいくつも散りばめられていた。
「初めまして! 私はミランダ・ルーカス。魔女を食べ尽くし、いずれ『星』に成る者よ」
「……」
魔女は、名乗らなかった。
かわりに、ちらりと振り返って、目線を向けた。
少女、ミランダの全身から、いくつもの『懐かしい』気配がする。
「ふふ。魔法は使えないでしょう? 私、魔法陣かくの得意なのよ。──貴方で最後なの。十三番目の、地底の魔女さん」
魔女が彼女に抱いた印象は、『赤』だった。
彼女の髪。目。爪。唇。すべてが赤だ。
ドレスは赤黒く、黒いリボンがよく似合っていた。
(ああ、まるで血の色だ)
魔女はそんなことを思った。
「……同胞は、全員キミが食べたんだって?」
「ええ、ええ! そうよ! 貴方の同胞は、みーんな、一人残らず食べちゃった!」
無邪気な笑顔で、ミランダは笑った。
「ははは。そいつは凄い。キミが天才なのか、魔女が阿呆なのか。はたまた、豪運の持ち主なのか」
とくに憎しみをあらわにすることも、怒ることもなく。
魔女はそんなことをいって、乾いた笑いをこぼした。
そうしている間にも、魔女の身体からは赤い液体が漏れ出していく。
それは三人の足元に広がる魔法陣をかき消していくかのようだった。
「──『最後の魔女は地の底へ。
姿を消して幻に。
ひとではたどり着けぬ穴の中。
一人も殺せぬ最弱の魔女。』
……っていうから、本当は諦めてたのよ、わたし」
ミランダは、ゆっくりと三人に近づいた。
びく、とルシーダとベルダナは肩を震わせた。
彼女のまとう禍々しさに、二人は気圧されていた。
「だって、ニンゲンだもの。わたし。出てこないんじゃ食べれない」
じゃきん。
彼女の杖から、いくつもの刃物が顔を出す。
それは小さな宝石がいくつも散りばめられた先端から、円を描くようだった。
まるで太陽のようなフォルムになったそれをみて、ルシーダは思わず叫んでいた。
「まて、とまれ! 魔女さまに何かしたら、絶対にゆるさないぞ!」
そうしている間にも、魔女の身体からはやはり、どくどくと液体が出ていく。
彼女が動けそうにないことを、ルシーダは悟っていた。
「あら」
まるで初めて視界に入ったみたいな顔をして、ミランダは微笑んだ。
「ゆるさなかったら、どうするのかしら。ねえ、教えてちょうだい」
ミランダの杖が光る。
赤い光だった。
彼女の真上に、赤い光で象られた矢が浮かぶ。
彼女の何気ないひと振りで、それは魔女に向けて放たれた。
「ベルダナっ!」
「ルシーダ!」
動けない魔女の背に、それが突き刺さることはなかった。
どこからともなく現れた真っ黒な大きいものが盾のようにして、矢を防いでいたのである。
しかし矢がはらはらと落ちると同時に、黒い盾もまた、がらがらと崩れ去った。
「まあ、すごい。今の、二人で協力した魔法なの? あんなに痛めつけたアナタに、まだそんな余力が残っていたなんて」
ミランダの目線が、ベルダナに向く。
「兄弟はやはり揃っていないと意味ないのね。貴方たちは殺しても、殺さなくても、『二人セット』にしてあげるわ」
「ひっ」
震えたベルダナを、ルシーダはぎゅっと抱きしめた。
そうしてその二人を、魔女が、改めて抱きしめた。
「でもどうかしら。次も防ぎ切れるかしら?」
ぶおん、と嫌な音を立てて、ミランダの頭上にはまた矢が浮かび上がる。
その数は先ほどの三倍ほどだ。
そうして矛先は、ベルダナとルシーダのそれぞれに向けられている。
「安心して。アナタたちが防ぎきれないのは、もう目に見えてるわ。……そうしたら、魔女がどうするか。もうわかるでしょう?」
ルシーダはハッとした。
そうだ。彼女は、自分たちを守るために、いや、『二人』だけを守るために。
彼はもぞもぞとローブから逃れようと暴れ出した。
しかし、魔女はそれを許さない。
「ま、魔女さま! 魔女さま! アナタだけでも逃げてっ!」
たまらず声をあげたルシーダを、魔女は悲し気な目で見つめた。
それから、ちゅ、と彼の額にキスを落とす。
あまりに突然のことに、ルシーダはぴたりと固まって、それを呆然とみていたベルダナの額にも、魔女はちゅ、とキスをおとした。
「いったでしょう。私は、キミたちを守る。おいて逃げるなんて、そんなことは絶対にしないよ」
どんどんと冷たくなる一方だった魔女の身体は、不思議なことに、温もりを取り返しつつあった。
ルシーダもベルダナも、その暖かな腕の中で、呆然と魔女を見つめた。
魔女の顔越しには、無数の赤い矢が、今まさに迫っているところだった。
べちゃ、と音を立てて、魔女は自身の血の池と化したそこに立ち上がった。
杖を支えに立ち上がる彼女は、初めて、真正面からミランダと向き合った。
そうして。
ただ、とん、と彼女は杖で床を叩く。
たったそれだけの動作に応じるように、床で魔法陣を覆い隠していた赤黒い液体は群を成して起き上がり、壁のように矢を防いでしまった。
「なっ!」
ミランダは目を丸くした。
誰がどうみても、今のは魔法だった。
あんな満身創痍の状態で、あんな魔法封じの状態で、どうやって。どうやって。どうやって!
ずるりと壁が地面へと戻る。
また、魔女の血で出来た池へと戻っていく。
腹も背もぐちゃぐちゃにした魔女が、やはり平然とそこに立っていた。
「ど、どうして! アナタに使える魔法なんて、もうないでしょう!」
ヒステリックに叫ぶと、ミランダはもう一度杖を振るった。
さっきよりもまたずいぶんと多い赤い矢が浮かび上がる。
「ありえない、ありえない! だって、あなたの魔力は、そこの魔法陣が全部、食べちゃったんだから!」
「何度やっても同じだよ」
とん。
たったそれだけの動作で池の中から再び壁は出来上がり、矢はそれに吸い込まれるように防がれる。
こんなことは初めてだった。
ミランダは、もう勝利を確信していたのだ。
こんなことが起こるとは、思ってもみなかったのだ。
「──私は、何もころさない。何もうばわない。けれど、もう二度とうばわせもしない」
魔女の身体は、ごお、と音を立ててオレンジ色に燃えていた。
それは、彼女の魂の色だった。
彼女は、底をついた魔力の代わりに、『魂』を燃やしていた。
ミランダは、ぞっとしていた。
それがどういうことを意味するのか、同じく魔法を行使するものとして、理解しているつもりだった。
「あ、あなた、そんな。死ぬのよ、そんなことをしたら!」
「死とは常に隣人さ。怖くはない」
「そんな!」
ルシーダはそんなことだめだと叫ぼうとした。
しかし、すぐに魔女の視線に射抜かれて、その口を閉じた。
彼女は、まるで信じて、というように、ルシーダを愛しそうに見つめていた。
「ああ、みんな死んでしまっているものね。私の『魔法』を知らなくても仕方ないさ」
ごぽ。
彼女の足元の血の池が、そんな音を鳴らしだす。
たまらず、ミランダは周囲の兵をかき集めると、矢を向けるように指示を出した。
自身も魔法でありったけの矢を作り出す。
しかし、それもすぐに終わった。
魔女の血の池からは、ずるり、と『何者か』が出てきたのだ。
「私は死と再生の魔女。最後にして最初の魔女。ころすくらいならば『みない』と血の底まで逃げた臆病者」
けれどそれも今日で終わりだ。
魔女はそうつづける。
池からは、ずるずる、ずるずると、死者が出てきていた。
戦火にのまれ死んだ者。
凶刃に倒れた者。
この地で恨み恨まれ死んだ者たち。
魔女は杖で、三回、地面を小突いた。
「──いらっしゃい、地獄の兵たち。
傍観者たる私より報告を。
この国に罪ありき。この者どもに罪ありき。
『世界は終わりを迎えました』! 」
とたんに、彼女の血は大きな門へと変貌した。
死者の奥から、違う、もっと悍ましいものが這い出てくる。
それは死者の国で罪人を追いかけまわす刑吏。
獄卒と呼ばれるものたちだった。
彼らは生者を掴むと、ずるずると門へと引きずっていく。
「いこう」
魔女は、踵を返して二人をローブごと抱え上げると、杖にまたがった。
聞こえてくる阿鼻叫喚が遠ざかる中、ルシーダはむせ返るような血の匂いに震え、ベルダナは、ローブの隙間からその光景が遠ざかっていくのを見つめていた。
暗闇の中、すぐ目の前にベルダナの身体がある。
ベルダナも同じく、身を強張らせて固まっていた。
(何、何が、起こったの)
魔女さまは、と思い当たって、はっとする。
このローブは何者の攻撃も通さない。
けれど、魔女の体格にあわせて作られているので、そう大きくはない。
……では、魔女は?
「魔女さまっ!」
悲鳴に近い声をあげて、ルシーダはローブから顔を出した。
辺りは土煙でいっぱいになっていて、一寸先も見えそうになかった。
しかし魔女の姿はすぐに確認できた。
彼女は、ローブに覆いかぶさるようにして、そこにいた。
「慌てないで。私はまだ、死んだりしていないよ」
いつもと変わらない口調で、魔女はそう言った。
けれど、口の端からは赤い液体が漏れ出していて、彼女の背には、おびただしい数の矢が、突き刺さっていた。
「ま、魔女、さま」
「あんた……」
遅れて、ベルダナもローブから顔を出していた。
そうして、目の前の光景に息をのんだ。
「キミ……ええと、ベルダナ、か。ベルダナは、どうだい。体は自由がきくかい」
「え? あ、う、うん」
「ならよかった。あとでケガも治してあげるからね、もうしばらく我慢してくれ」
しゃべったあと、魔女はゲホゲホと咳き込んだ。
赤い液体を吐いたようだった。
二人は絶句していた。
どうみても、生命として致命傷だった。
こんなにたくさんの矢をうけて、無事なわけがない。
なんともないわけがないのだ。
「今は少し、じっとしていてくれ。この床に敷かれた魔法陣が邪魔でね……うまく魔法を行使できないんだ」
「そんな……」
ルシーダの顔には、絶望の色が少し浮かんでいた。
魔女の魔法が完璧に封じられたとすれば、彼女は今、ただのニンゲンも同然だ。
よくみれば、彼女の背から血が出ているだけではない。
姿の見えなくなった脇腹の傷。
酒場で突き刺された腹の傷。
二つが今更になって顔を見せたかと思うと、どくどくと赤い液体を垂れ流していた。
「ああ、よかった! 伝承通り、『最後の魔女』が『最弱』でうれしいわ!」
かつん。かつん。かつん。
しんと静まり返った空間を裂くように、土煙を押しのけて、一人。
煌びやかなドレスをまとった少女が、にこやかに歩いてきた。
彼女の手には、魔女と同じように杖があった。
けれど魔女の杖のように質素なものではなく、豪華な装飾が施され、クリスタルのかわりに丸い小さな宝石がいくつも散りばめられていた。
「初めまして! 私はミランダ・ルーカス。魔女を食べ尽くし、いずれ『星』に成る者よ」
「……」
魔女は、名乗らなかった。
かわりに、ちらりと振り返って、目線を向けた。
少女、ミランダの全身から、いくつもの『懐かしい』気配がする。
「ふふ。魔法は使えないでしょう? 私、魔法陣かくの得意なのよ。──貴方で最後なの。十三番目の、地底の魔女さん」
魔女が彼女に抱いた印象は、『赤』だった。
彼女の髪。目。爪。唇。すべてが赤だ。
ドレスは赤黒く、黒いリボンがよく似合っていた。
(ああ、まるで血の色だ)
魔女はそんなことを思った。
「……同胞は、全員キミが食べたんだって?」
「ええ、ええ! そうよ! 貴方の同胞は、みーんな、一人残らず食べちゃった!」
無邪気な笑顔で、ミランダは笑った。
「ははは。そいつは凄い。キミが天才なのか、魔女が阿呆なのか。はたまた、豪運の持ち主なのか」
とくに憎しみをあらわにすることも、怒ることもなく。
魔女はそんなことをいって、乾いた笑いをこぼした。
そうしている間にも、魔女の身体からは赤い液体が漏れ出していく。
それは三人の足元に広がる魔法陣をかき消していくかのようだった。
「──『最後の魔女は地の底へ。
姿を消して幻に。
ひとではたどり着けぬ穴の中。
一人も殺せぬ最弱の魔女。』
……っていうから、本当は諦めてたのよ、わたし」
ミランダは、ゆっくりと三人に近づいた。
びく、とルシーダとベルダナは肩を震わせた。
彼女のまとう禍々しさに、二人は気圧されていた。
「だって、ニンゲンだもの。わたし。出てこないんじゃ食べれない」
じゃきん。
彼女の杖から、いくつもの刃物が顔を出す。
それは小さな宝石がいくつも散りばめられた先端から、円を描くようだった。
まるで太陽のようなフォルムになったそれをみて、ルシーダは思わず叫んでいた。
「まて、とまれ! 魔女さまに何かしたら、絶対にゆるさないぞ!」
そうしている間にも、魔女の身体からはやはり、どくどくと液体が出ていく。
彼女が動けそうにないことを、ルシーダは悟っていた。
「あら」
まるで初めて視界に入ったみたいな顔をして、ミランダは微笑んだ。
「ゆるさなかったら、どうするのかしら。ねえ、教えてちょうだい」
ミランダの杖が光る。
赤い光だった。
彼女の真上に、赤い光で象られた矢が浮かぶ。
彼女の何気ないひと振りで、それは魔女に向けて放たれた。
「ベルダナっ!」
「ルシーダ!」
動けない魔女の背に、それが突き刺さることはなかった。
どこからともなく現れた真っ黒な大きいものが盾のようにして、矢を防いでいたのである。
しかし矢がはらはらと落ちると同時に、黒い盾もまた、がらがらと崩れ去った。
「まあ、すごい。今の、二人で協力した魔法なの? あんなに痛めつけたアナタに、まだそんな余力が残っていたなんて」
ミランダの目線が、ベルダナに向く。
「兄弟はやはり揃っていないと意味ないのね。貴方たちは殺しても、殺さなくても、『二人セット』にしてあげるわ」
「ひっ」
震えたベルダナを、ルシーダはぎゅっと抱きしめた。
そうしてその二人を、魔女が、改めて抱きしめた。
「でもどうかしら。次も防ぎ切れるかしら?」
ぶおん、と嫌な音を立てて、ミランダの頭上にはまた矢が浮かび上がる。
その数は先ほどの三倍ほどだ。
そうして矛先は、ベルダナとルシーダのそれぞれに向けられている。
「安心して。アナタたちが防ぎきれないのは、もう目に見えてるわ。……そうしたら、魔女がどうするか。もうわかるでしょう?」
ルシーダはハッとした。
そうだ。彼女は、自分たちを守るために、いや、『二人』だけを守るために。
彼はもぞもぞとローブから逃れようと暴れ出した。
しかし、魔女はそれを許さない。
「ま、魔女さま! 魔女さま! アナタだけでも逃げてっ!」
たまらず声をあげたルシーダを、魔女は悲し気な目で見つめた。
それから、ちゅ、と彼の額にキスを落とす。
あまりに突然のことに、ルシーダはぴたりと固まって、それを呆然とみていたベルダナの額にも、魔女はちゅ、とキスをおとした。
「いったでしょう。私は、キミたちを守る。おいて逃げるなんて、そんなことは絶対にしないよ」
どんどんと冷たくなる一方だった魔女の身体は、不思議なことに、温もりを取り返しつつあった。
ルシーダもベルダナも、その暖かな腕の中で、呆然と魔女を見つめた。
魔女の顔越しには、無数の赤い矢が、今まさに迫っているところだった。
べちゃ、と音を立てて、魔女は自身の血の池と化したそこに立ち上がった。
杖を支えに立ち上がる彼女は、初めて、真正面からミランダと向き合った。
そうして。
ただ、とん、と彼女は杖で床を叩く。
たったそれだけの動作に応じるように、床で魔法陣を覆い隠していた赤黒い液体は群を成して起き上がり、壁のように矢を防いでしまった。
「なっ!」
ミランダは目を丸くした。
誰がどうみても、今のは魔法だった。
あんな満身創痍の状態で、あんな魔法封じの状態で、どうやって。どうやって。どうやって!
ずるりと壁が地面へと戻る。
また、魔女の血で出来た池へと戻っていく。
腹も背もぐちゃぐちゃにした魔女が、やはり平然とそこに立っていた。
「ど、どうして! アナタに使える魔法なんて、もうないでしょう!」
ヒステリックに叫ぶと、ミランダはもう一度杖を振るった。
さっきよりもまたずいぶんと多い赤い矢が浮かび上がる。
「ありえない、ありえない! だって、あなたの魔力は、そこの魔法陣が全部、食べちゃったんだから!」
「何度やっても同じだよ」
とん。
たったそれだけの動作で池の中から再び壁は出来上がり、矢はそれに吸い込まれるように防がれる。
こんなことは初めてだった。
ミランダは、もう勝利を確信していたのだ。
こんなことが起こるとは、思ってもみなかったのだ。
「──私は、何もころさない。何もうばわない。けれど、もう二度とうばわせもしない」
魔女の身体は、ごお、と音を立ててオレンジ色に燃えていた。
それは、彼女の魂の色だった。
彼女は、底をついた魔力の代わりに、『魂』を燃やしていた。
ミランダは、ぞっとしていた。
それがどういうことを意味するのか、同じく魔法を行使するものとして、理解しているつもりだった。
「あ、あなた、そんな。死ぬのよ、そんなことをしたら!」
「死とは常に隣人さ。怖くはない」
「そんな!」
ルシーダはそんなことだめだと叫ぼうとした。
しかし、すぐに魔女の視線に射抜かれて、その口を閉じた。
彼女は、まるで信じて、というように、ルシーダを愛しそうに見つめていた。
「ああ、みんな死んでしまっているものね。私の『魔法』を知らなくても仕方ないさ」
ごぽ。
彼女の足元の血の池が、そんな音を鳴らしだす。
たまらず、ミランダは周囲の兵をかき集めると、矢を向けるように指示を出した。
自身も魔法でありったけの矢を作り出す。
しかし、それもすぐに終わった。
魔女の血の池からは、ずるり、と『何者か』が出てきたのだ。
「私は死と再生の魔女。最後にして最初の魔女。ころすくらいならば『みない』と血の底まで逃げた臆病者」
けれどそれも今日で終わりだ。
魔女はそうつづける。
池からは、ずるずる、ずるずると、死者が出てきていた。
戦火にのまれ死んだ者。
凶刃に倒れた者。
この地で恨み恨まれ死んだ者たち。
魔女は杖で、三回、地面を小突いた。
「──いらっしゃい、地獄の兵たち。
傍観者たる私より報告を。
この国に罪ありき。この者どもに罪ありき。
『世界は終わりを迎えました』! 」
とたんに、彼女の血は大きな門へと変貌した。
死者の奥から、違う、もっと悍ましいものが這い出てくる。
それは死者の国で罪人を追いかけまわす刑吏。
獄卒と呼ばれるものたちだった。
彼らは生者を掴むと、ずるずると門へと引きずっていく。
「いこう」
魔女は、踵を返して二人をローブごと抱え上げると、杖にまたがった。
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