診察室の午後<菜の花の丘編>その1

スピカナ

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第12章 夏デビューへ

220話 夏のボーカルレッスン

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 その日、昼食に帰宅すると夏がいなかった。

「夏はどこに行ったの?」

「知らない。帰ったらもういなかったよ」

食事を終えてゆっくりしていると、夏が帰って来た。

荷物をいっぱい抱えている。

「何を買ったの?」
「キーボードと吸入器だよ」
「キーボードをどうするの?」

「発声の練習にいるんだよ。家で毎日練習するように言われたんだ。お兄さんの寝室でやってもいい?」

「うん、いいよ。その前にご飯を食べたら?」
「う~ん、あんまり食欲がないんだよねえ」

「夏、しっかり食べないと、お腹から声を出せないよ。声帯に悪いし、ちゃんと喉を温めたり潤わせた方がいいよ」
「はい、わかりました」

素直にダイニングに行ってお弁当を食べ始めた。

「お茶よりお湯の方がいいね。用意するよ」

なんだか夏は心ここにあらずだ。

”見えないゴールに向かっている”そんな不安は伝わって来た。

「歌の練習はしたの?」
「う~ん……というか、声の出し方を習っただけなんだよ」
「へえ~そうなんだ」

「じゃあ、防音室があって良かったね。思いっきり練習できるよ」

「ホント、マジでそれは一番ありがたいと思ったよ」
「外に行く時は、乾燥や埃よけにマスクはしないとダメだよ」
「うん、わかった」

莉子が肘をついて、俺たちのことをじーっと見ていた。

莉子「ステージママってのは聞くけど、春ちゃんの場合はなんていうのかしらねえ?」

「そうだねえ、なんていうんだろうねえ? そうだ、喉を潤わせながら練習するといいよ。だからどんどん水分を取ってね。ついでに蒸しタオルで首のまわりを温めて、血行を良くしてね」

「うん。わかった」

……もう言うことがなくなった。つまんない。

俺も莉子のように肘をついて、ぼーっと夏を眺めていた。

「夏、ダンスのレッスンはしたの?」
「うん、したよ。というか、準備運動かな? あとは基本的なことと、フォーメーションの確認かな?」
「ふ~ん」と莉子と顔を見合わせた。
聞いても分からないな。

なんだか、見るものすべてが色褪せたように見える。
こっちも気持ちが中途半端。
夏の焦りが伝わってきて、何を見ても集中できない気がする。
なんだろう? これ……。

昼休みが終わって仕事に出た。

とりあえず、桐生さんに夏の状態を話して、6月は仕事ができないと伝えておいた。

さて、これといって急ぎの仕事もないから、テラスの様子を見に行くことにした。

何か手伝えることがあれば、手伝おうと思った。

着いたら、ちょうどインテリア関係の会社の人が、カーテンの取り付けの真っ最中だった。

植村さんは引っ越したばかりで、家の中の整理が大変そうだった。

「要らない段ボールは片付けるから、廊下に出していいよ。あと、荷物を出すものはあるかな?」

植村「すみませ~ん。お手伝いしていただいちゃって~。できれば食器があるので、それを出していただいてもいい
ですか? キッチンに置きたいんですよ」

「はいはい、OK。何でも手伝うから言ってね」

植村さんの部屋にはキッチンやバストイレが付いている。
それに寮生の部屋よりも1部屋多い。

あ~そうだ。多分、最初は夫婦の管理人を採用しようかって話をしていたからだね。

管理室も小さいけど、ちゃんとあるしね。

段ボールからパッキンに包まれた食器類をどんどん出した。

あとはごみ処理だ。パッキンは1個の段ボールにまとめておこう。
やることがあるのは最高だね。エプロンを持ってくればよかった。

「あのね、悪いけどエプロンあったら貸してくれる?」

「はい、ありますよ」

なんか荷物をごそごそして出してくれた。グリーンのサロンエプロンだった。

ちょうどいいわ。そんな感じで手伝っていたら、業者の人が次々に点検にやって来た。

俺がいる意味があるじゃん。

その調子でずっと片付け物をやっていたら、看護部長から電話があった。

「院長、まだテラスですか? もう終わりますよ」

「ああ~そうか、もうそんな時間なんだ。どうしようかな? まだ終わらないんだけど……でも、わかりました。こ
っちは段ボールがいっぱいあるから、それをまとめたら戻りますね。他に何かありますか?」

「いえ、特にはないです」

「じゃあ、終わったら皆さん上がってください。こっちももうすぐ上がりますから」

「はい、わかりました。お疲れさまでした」

でもバタバタする仕事ってなんだかいいよね。

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