聖者の金杯 〜魔術師の慚愧、魔王の安息〜

雪月黒椿

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2章 コルマトン編

同行依頼

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アルヴィンは1人、地下通路を彷徨っていた。

照明はないので小さな炎を灯している。今のところ息苦しさなどはないが、地下で火など起こして酸欠にならないかと不安で仕方がない。かと言って照明もなしで動けるような優れた感覚など持ち合わせていない。

「やばい……完全に駄目なやつだ……」

アルヴィンは冷や汗を浮かべて呟いた。何故このような状況に陥っているのか、それは今朝受注した仕事のためだ。

朝、門扉を開けたばかりのキャラバンを訪れて、アルヴィンは掲示板の前で依頼書を眺めていた。足を踏み入れたことのない土地の名前や、対峙したことのない魔物の名前が並ぶそれらを、真剣な表情で吟味した。

入団試験に合格したアルヴィンとエルヴィスには銅階級が与えられた。聖火の鏡に集まる依頼は基本的に銅階級以上で、団員も全て銅階級以上だ。

聖火の鏡では階級によって受けられる仕事の制限はない。

入団したばかりの銅階級が上級の仕事をしようとすれば周りに止められることがあるが、それ自体を禁止する規律はない。

このキャラバンにおいて、階級とは他人からの評価だ。それ以上でも以下でもなく、上級だからといって特権があるわけでも、下級だからといって制限があるわけでもない。

そんなわけで、アルヴィンは悩んでいた。

「俺たちの実力ってどの階級なんだ……」

火狼の討伐はたまたま山道に出没したから銀階級になっただけで、砂地などであったらもっと低かっただろう。そもそも倒したのはエルヴィスであって、アルヴィンは魔法を使っていない。

分かったことは、周辺環境によって階級と報酬が上がる仕事ならば、アルヴィンの四大元素を元にした魔法と相性が良いということだ。

ならば、とアルヴィンは思い切って金階級の依頼書に手を伸ばした。内容は「崩落の危険性がある地下通路に出没する牙蟲の討伐」だ。

「ん?」

「あ、すみません」

隣にいた冒険者と手がぶつかって、アルヴィンは反射的に謝り、つい二度見した。

見覚えがあると思ったら、初めて聖火の鏡を訪れた時にぶつかった女性だ。あの時は気に留めていなかったが、女性の冒険者は珍しく、アルヴィンも実際に見たのは初めてだ。

「これ、1人じゃ危ないと思うよー」

「あ、大丈夫です、もう1人いるんで」

「ん? なんて?」

「もう1人いるので、2人なので」

「ふ、た、り? うーん、2人でも危ないと思うよー」

アルヴィンは思わず女性をまじまじと見た。

ゆるく波打つ長い黒髪を高いところでまとめていて、瞳は明るめの茶色。涼しげな目元がやや冷淡な印象だが、それに反して声は間延びしていて、緊張感のない表情だ。

「けどそう言うあなただって1人じゃないんですか? お仲間が待っているようには見えませんけど」

「ふんふふーん」

「え、あの、ちょっと?」

女性はアルヴィンを無視して、鼻歌を歌いながら掲示板から依頼書を抜き取った。

そのまま鼻歌のリズムで歩いてカウンターに向かう彼女を見て、アルヴィンはぽつりと呟いた。

「なんだあれ」

めぼしい依頼書を持っていかれてしまい、アルヴィンは再び掲示板に向き直った。

再びどの依頼にすべきか悩んでいると、エルヴィスが菓子を食べながらやってきた。

「なんかいいのあった?」

「あったんだけど、さっき……何食ってんだお前」

「小鳥豆とリンゴのガレット。コルマトンの名物らしいよ」

「ああそう」

「これ美味しいよ、僕好きかも」

「へえ」

先程女性が仕事を受注している隣で、エルヴィスが事務員の初老の女性に餌付けされる光景が、アルヴィンの視界の端に入っていた。

可愛がられるのは悪いことではないが、貰ったものを簡単に口に入れてしまうのもいかがなものかと、アルヴィンは保護者のような気持ちで空返事をした。

「で、さっき聞いたんだけどね、ここって同行依頼とかもあるんだってさ」

「同行依頼?」

「そう。今さっき、戦神の祝福っていう社会系キャラバンから、誘拐された子どもの捜索の同行依頼がきたんだってさ」

コルマトンには様々なキャラバンがあり、それぞれ専門とする分野がある。そして荒事になる可能性があったり、魔物が出没する場所に赴く場合に同行依頼が出ることが多い。

聖火の鏡だけでなく、大地の盾や他の魔物退治系キャラバンでも同様の依頼がある。相手が人間でも魔物でも、魔物退治を生業とする冒険者が荒事に多少強いのは間違いない。

「で、それを受けようってのか」

「うん、社会系キャラバンって金銭トラブルもほとんどなくて、ちゃんとした額を用意してくれるからオススメなんだって」

「よしきた」

こうして2人の本日の仕事は決定した。

戦神の祝福を訪れ、情報共有と打ち合わせを済ませて現場に向かう。今回のリーダーであるジャンという男と、部下のレックスの4人で仕事を行うことになった。

行きつけの店でいつもオムレツのマッシュルームソースを注文するという調査・開拓系キャラバンからの情報を頼りに、尾行する標的が現れるまで約3時間張り込み、1人ずつ距離をとって着いていく。そうしてたどり着いたのが、数年前に倒産した酒店の地下壕だ。

酒店の建物に鍵はかかっておらず、中にある錆び始めた扉から地下に入れるようになっている。

「あれ、中にいないね。さっき入ってったはずなのに」

「ああ、おそらく地下道に入ったのだろうね」

「地下道?」

「あるんだよ、こういう所から行ける道が。本来は避難のためにあるものだが、悪用されることもあるんだ。レックスは地上に残ってくれ。もし10時間経っても戻らなかったらキャラバンへの報告を頼む」

「了解です」

そうして3人で地下に入ったのだが、しばらく進む内に問題が発生した。新月蜘蛛の群れに遭遇し、対処しているうちにはぐれてしまったのだ。

そんな訳で、アルヴィンは重い溜息をついた。エルヴィスは後衛なのでジャンと一緒に後ろに下がっていた、一緒にいるはずだ。

とは言え視界も悪く隠れる場所もない地下では、射手であるエルヴィスはどうしても不利だ。いくら弓の腕が良いと言っても、エルヴィスは1匹ずつ敵を仕留めるしかない、ただの冒険者だ。魔法を使えるアルヴィンとは違い、ジャンを守りながら複数を相手にするのは難しい。最悪なのは先程のように魔物の群れに遭遇することだ。

「これはやばい……洒落にならない」

アルヴィンは慌てて辺りを見回した。しかし壁も天井もどこもかしこも同じに見える。

アルヴィンは辺りに置いていた石を拾い、壁を叩き始めた。少しでも魔物を自分の方に呼ぶためだ。それにこの音がエルヴィスたちに聴こえるかもしれない。早足で歩きながら、アルヴィンは壁を叩き続けた。

ふと、視線の先にある横道に何かの気配を感じ、アルヴィンは立ち止まった。そのまま様子を窺うが、何者も現れない。灯りがあるのは分かるので、相手は人間だ。

一刻も早くエルヴィスたちを探したい、アルヴィンは痺れを切らして声を張った。

「そこにいるのは誰だ」

声を掛けても誰も現れない。

アルヴィンは魔法で氷の矢と石を出し、身体の後ろに隠して用意した。しかし相手も警戒しているのか顔を姿を現そうとしない。痺れを切らして石でも投げようかと考えた時、1人の男が顔を覗かせた。
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