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続章【逢魔】九日目③
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「……お前に憑く“魔”は全部消させてもらう。さあ五年前の続きをやろうか。
この日をどんなに待ち望んだ事か」
鏡介は白杖を吽狛に向かい、振り下ろす。
吽狛は咄嗟に避けようとしたが────まるで何かに囚われたように動かない。
白杖は吽狛を直撃し、叩き潰された。
「吽狛……!?」
直撃を喰らった吽狛は苦しそうにのたうち廻る。
そこに更にもう一撃が加えられようとした。
────寸でのところを傘化けで制する。
『ぬお!? この杖……ただの杖ではないな!』
「特別な洗礼を施した────破魔の杖だ」
白杖は傘化けを押し切り、吽狛を叩きつける。
そのまま投げ捨てるように────振るい上げた。
吽狛は力無く石段を滑り落ちて行った。
『何をしている!? 動け、修一郎!!』
「動かない……体が……動かないんだ! 吽狛……逃げろッ!」
吽狛に逃げるように思念を働きかけるが、うまく伝わらない。
────吽狛は心から産み出された分身の様な存在だ。
精神状態に同調しているのか、吽狛は……ひどく弱々しかった。
『しっかりしろ修一郎! くそ……一体何が起こってると言うのだ!』
体の自由が、どんどん奪われていく。
突如、襟首を掴まれ引き起こされた。
「その程度の事でうろたえるとはな……俺をなめるなよ。いつまで化けの皮を被っているつもりだ?」
背中ごと、鳥居の柱に叩きつけられる。
────抵抗する気力が起こらなかった。
吽狛で人を傷付け、死に追いやろうとした事実が────何も出来なくさせていた。
「紗都梨はずっと苦しんできた。俺が真実に近付くと『自分に悪魔が憑いている』と言い、『事件を引き起こしたのは全て自分が原因だ』と主張していた。謎が解けたよ……全ては────お前の罪を代わりに受ける為だったんだ!」
「そ、そんな……」
「俺を貶めて……、紗都梨に罪を受けさせ……お前は都合良く記憶を失っていただと? ふざけた話だ」
白杖の先端が右目の前に向けられる。
「お前も俺と同じく────その“魔”の見える眼も奪ってやろうか」
白銀の様に、その先端は光り、突き立てられようとした。
その瞬間、白杖は弾かれる。
『修一郎!! #阿呆__あほう_#かお前は!! 今のこやつは……本気でやりかねんぞ!!』
傘化けが間に入り、一喝した。
『楓も危険だと言う事を忘れるな! 動け、修一郎!!』
────……その言葉で我に返る。
そうだ、今は皆が危険な状況なんだ。
更に白杖が襲い掛かる。
懸命に身体の動く部分を駆使し、傘化けで受け止めた。
鍔迫り合い状態のまま、束縛の原因を探す。
渾身の力で弾き飛ばし、体勢を整えた。
「吽狛……来い!」
石段の下の吽狛が立ち上がり、こちらに向かってくる。
だが再び────動きが止まった。
それと同時に、自分の身体の束縛が解けた。
吽狛は、まるで見えない何かに襲われる様に四肢を引っ張られ、呻き声をあげる。
『さっきから……一体何が起こってると言うのだ!?』
姿の見えない……もう一つの敵がいる?
吽狛の身体は、今にも千切られそうだ。
吽狛の側に寄り、見えない何かから引き剥がそうとした。
だが、その動きは鏡介によって、遮られる。
そしてそのまま白杖で胸を突かれた。
「う……ッ!?」
バランスを崩したまま石段の下まで転がった。
あちこちを石段にぶつけ、束縛の代わりに激痛が身体を支配する。
「……見えているか? お前に憑く悪魔は、俺が祓ってやろう」
鏡介は石段の上から、吽狛の前に白杖を突き立てる。
「止めろ……止めてくれ!」
「俺自身も“魔”に対抗出来るだけの力は身に付けている」
────鏡介は不敵に笑った。
────その刹那、白杖で吽狛の身体を貫いた。
吽狛は咆哮を上げ、苦悶の表情を見せた。
そしてそのまま、目の前に投げ捨てる様に吽狛を放り投げた。
胸に穴が空く、致命的な傷を負った吽狛は、微かにしか動かなくなった。
『な……何と言う事だ』
「う……吽狛」
息も絶えそうな自分の分身の側に寄り、しがみ付く。
吽狛の声はか細く、今にも消え入りそうだった。
「さあ、次はお前の……その眼だな」
見上げた瞬間、相手は微動だにしていないのにも関わらず、自分の影にもうひとつの影が入り込んで来た。
「────……影が動いた?」
次の瞬間、右腕が動かなくなった。
そして、影のような黒いものは────まるで蛇の鎌首のように鋭い形へと変貌し、襲いかかって来た。
「……!?」
身をよじり避けたが────影は軌道を変える。
腕に衝撃が走った。
左手に傘化けを持ち替え、影に向かって払う。
影はまた姿を変え、闇の中へと姿をくらました。
すると今度は背後から影が襲い掛かって来る。
まるで逃げ道を塞ぐかのように、背後を影が覆った。
「…………!」
吽狛を拾い上げ、石段を駆け上がり────その影の攻撃を避けた。
◇
だが、鳥居の前には鏡介がいる。
脇をすり抜けた瞬間、白杖を水平に振り払ってきた。
「…………うぅッ!?」
傘化けごと石畳の地面に叩きつけられ、額に激痛が走った。
「ふん、てっきり逃げ出すかと思ったが……わざわざ戻って来るとはな」
「く……ッ! あ、あの影は何だ?」
「影……ああ、あれは俺の血を分けた妹だよ。俺を助けてくれているのさ」
「い……────妹!?」
妹……? 聞き間違いなのか?
ま……まさか……そんなッ!
あれは妖だ────……すると影は目の前で再び形を変えていった。
……影の形は、人のようなものに姿を変えていく。
人の形に近付いた影は、うっすらとその表情を見せる。
……────女だ。
影は女の姿へとその身を変えた。
その姿には見覚えがあった。
木葉が異界に旅立った後、祭壇で見た────女の姿をした妖だ。
『……“影女”だと? それにしても妹とは……? それはつまり……?』
傘化けも驚きの余り、それ以上の言葉を失っていた。
だが……影女の顔に、御堂の面影はなかった。
────まるで別人の顔をしている。
表情は凍りついたように冷たく、じっとこちらを見下ろしていた。
御堂鏡介の妹は……御堂紗都梨でしかない。
聞き間違いでなければ、この影女の妖は……御堂だと言うのか……?
まるで悪夢の様な光景に、思考は完全に停止していた。
影女は再び影となり、身体を束縛し────自由を奪った。
「残るお前の“魔”は……その右目だ。その右目を潰せば……俺の復讐は完成する」
そうして白杖の先端を、瞳の上に突き立てた。
◇
「止めてええ!!」
鳥居の向こうから、叫び声とともに、人影が走りながら近付いてきた。
そのまま鏡介の背後にしがみ付き、動きを抑える。
「────!?」
「何故此処に来た!? ……お前は車内で待っていろと言った筈だ……────紗都梨!!」「み、御堂……?」
人影は御堂だった。
懸命に鏡介にしがみつき、白杖を抑えている。
「義兄さん! 悪いのは私だって……何度も言ったじゃない!! 修一郎君は……トシゾーは悪くない!!」
「……もう遅い、俺は真実を知った。お前はこいつを庇う為にずっと嘘を吐き続けていた! “魔”に憑かれたこいつがお前を襲い、俺を死の寸前まで追い込んだ! こいつは……償わなければいけないんだ!」
「……違う! 私を襲ったのは……トシゾーじゃない!!」
「もう、嘘は沢山だ。だが、こいつが俺を襲ったのは紛れも無い真実だ!」
「────ああ!?」
その時、御堂の身体を影が縛り付けた。
御堂は苦しそうに身悶えする。
「止めろ……鏡花!! 手荒な真似をするな!」
だが、影女の動きは止まらない。
影の全身で御堂を覆い、埋め尽くしていく。
「……御堂!!」
逆に自身にかかっている束縛が解けた。
御堂に覆う影を引き剥がそうと掴んだ。
だが……────影は大きな手のようなものに姿を変えていく。
巨大な手の塊のようになったそれは────凄まじい力で身体を吹き飛ばした。
「……うわッ!?」
吽狛や傘化けと共に十メートル程、吹き飛ばされた。
その時────身体が天地逆転するように、上昇した。
上空には石垣が広がる地面があった。
石垣に、頭部を激しく打ちつけ、一瞬目の前が真っ暗になる。
◆
「う……うぅ」
痛む身体を押さえつけ、起き上がる。
額から流れる血で視界がぼやけていた。
だが────視界がはっきりして行くと……近くにいるはずの二人と、影女の姿はなかった。
「────誰も……居ない!? 御堂ッ!!」
『居ないだと!? 今度は一体何が起こったと言うのだ!!』
目の前には、誰も居ない境内の空間が広がっていた。
「ちょっと修一郎! 一体何処から出てきたのよ!?」
「え……?」
聞き覚えのある楓姉の声で振り返る。
背後の神門には楓姉が立っていた。
門の先には先程には居なかった妖が蠢いていた。
「アァー!!」
阿狛が叫び声をあげて瀕死の吽狛に擦り寄って来た。
「……吽狛!? ちょ、ちょっとこれは……酷いわ!! 凶悪な妖にでも遭ったの……!?」
阿狛は吽狛にすがり付き、傷口を舐める。
「あんたも怪我してるし……一体何が……」
質問には答えず、鳥居に向かってふらふらと歩き出す。だが……いくら歩いても鳥居は見えてこない。
動揺する楓姉以上に、自身も動揺していた。
背後から楓姉が追って来た。
「こらあ!! 何が遭ったのか話なさいよ!! ……ん?」
その時ようやく、楓姉は異変に気が付いたようだ。
「鳥居まで……こんなに距離があったかしら?」
楓姉は、鳥居の方まで走って行った。
いつの間にか周囲は、朱に染まっていた。
うっすらと霧が立ち込め、気付きにくかったが……良く眼を凝らしてみると、微妙にいつもの神社と雰囲気が違う。
────ふと、石畳を見やる。
台風の目に入り、雨は止んでいる。
……とはいえ、雨に濡れていた筈の石畳が……乾いている。
石畳に、自分の血が滴り落ちる。
背後を振り返ると、自分の血の痕が残っていた。
しかし……自分が居たはずの前方には血の痕は無い。
まるで先程の事がなかったかの様に────何もなかった。
「……何なの? いくら進んでも出口まで辿り着けない。まるで、空間に閉じ込められているみたい」
楓姉が、諦めて引き返して来た。
「…………」
目の前が真っ暗になり、その場に崩れ落ちた。
────全部悪い夢だったら良いと思った。
だが、記憶は鮮明に残っている。
────御堂鏡介が話した真実。
……────人を殺した。
運が良く……生きていただけだ。
俺は間違いなく……自分の意思で……人を。
思考が渦の様になって、溢れ出て止まらない。
眼の前にあったのは……キョウスケの怯えた顔。
俺は手を伸ばし────……突き落とした。
「……ちょっと! しっかりしなさい!! 何があったのか話すのよ!!」
楓姉の問いかけに答える気力が無かった。
色々何かを話しているが、耳は入らない。
これは……夢だ。
悪い夢だ。
眉間から血が零れ落ちる。
この傷は……現実だ。
……でも、違う。
悪い……夢なんだ。
御堂が襲われていたと言う事実も、なかった事にするかのように────見たもの全てを否定し続けた。
その時────楓姉の背後から、阿狛に連れらた吽狛が、よろよろと近づいて来た。
傷ついた吽狛の姿は気枯れ……歪んでいる。
軽く唸り声をあげると────突如、こちらに向かって襲いかかって来た。
「────ッ!?」
吽狛はそのまま覆い被さり、喉元に喰らいつこうとする。
その刹那────阿狛が吽狛を突き飛ばした。
「な……何やってんの! 止めなさい! 吽狛!!」
吽狛は絞り出すような雄叫びを上げて、阿狛を押し退けようともがく。
「う……うぅ……」
────……体の震えが止まらない。
阿狛に押さえつけられた吽狛は憎悪の表情でこちらを見る。
絶対服従するはずの守護霊獣が……命令を聞かない。
吽狛は、阿狛を押し退け、再びこちらに向かい、襲いかかって来た。
「このぉ……止めろってのッ!!」
楓姉が手にした箒神を思いっきり振り上げる。
そして、押さえつけようとした阿狛とともに、吽狛を遠くに吹き飛ばた。
……自分自身は、体の震えが止まらず、身動きが取れないでいた。
背筋が凍り付き、恐怖が体を支配した。
もう、何も考えられない……。
何も出来ない……身動きが取れない。
そんな自分自身に、ひたすら嫌気がさした。
────突如、左頬に強烈な衝撃が走った。
「…………ッ!!」
思考が止まった。
楓姉は思いっきり張り手をしてきたらしい。
今度は右頬を叩かれる。
ぱあん、と軽快な音が響いた。
「────目ぇ覚ませ!! 修一郎!!」
肩を掴まれ、ぐいっと引き寄せられた。
「もう何があったかはもう聞かないわ。全てが終わった後、思いっ切り悩みなさい!とにかく、今は全部忘れて、此処から出る事を考えるのよ!!」
そう言って、楓姉は自分の包帯を少し切り裂き、額の止血の作業に入った。
「…………」
頬がじんじん痛む。
その痛みは、深くに潜り込んだ意識を引き摺り出させた。
遠い昔にも、同じような痛みを感じた事がある。
『同じ事が、以前もあったな』
背後から、傘化けの小さな声が聞こえた。
『吽狛が荒れ狂い、お前を押さえつけるのに、楓は必死だった。原因は……あいつか』
楓姉に聞こえない程の小さな声だ。
原因を……真実を、楓姉に話せるだろうか。
残っていたのは、叩かれた記憶だけだった。
空白の記憶は────未だ、霧に包まれている。
「………………ごめん」
気の利いた言葉が見つからなかった。
吽狛を負ぶった状態で、阿狛もやって来た。
吽狛はすっかり大人しくなり、息も絶え絶えになっていた。
◇
その時、神門の向こう側で叫び声がした。
────八橋の声だ。
近付いて門の中を見ると、気絶した八橋が大量の妖に囲まれていた。
そのまま気絶した八橋に向かい、妖の腕が伸びて来る。
「……八橋!?」
思わず叫んだ。
その声に反応したのか、数匹の妖達がこちらを向いた。
また別の場所から発砲音がした。
聞き覚えのある音だ。
妖達の注意はその音の場所に向かう。
音は茂みの中から聞こえた。
妖達は茂みの方に集まり、様子を伺う。
妖が全て集まった瞬間────人影が飛び出し、八橋の元へ向かう。
────飛び出して来たのは、猫柳だ。
「……美生ッ!!」
猫柳は全速力で八橋の元に駆け寄った。
すかさず妖達が猫柳を追おうとするが、どの妖も猫柳に追いつけない。
八橋の元まで辿り着いた猫柳は、追って来る妖を発砲音で威嚇した。
陸上競技用のライカンピストルだ。
妖はその音に怯み、二人から距離を取った。
「────猫柳!!」
「あ、ああ!? 修一郎か!? な、何だよこの化け物共は!!」
猫柳は足をがくがくと震わせながらも、気絶した八橋を抱き起こした。
「二人ともその子を連れて早くこっちに来なさい!!」
楓姉が門の外から合図を送る。
八橋を二人で抱え、走り出した。
────背後から妖が追って来る。
立ち止っている暇は無い。
脇目も振らず、ひたすら門に向かって走った。
襲い掛かる妖の手を背中に感じた。
「はあ、はあ……美生のやつ……重いなッ! うわっ!」
妖の爪が猫柳の肩目掛けて振り下ろされた。
「猫柳ッ!」
だが、猫柳はその爪が追いつかないよう八橋を抱えたまま、速度をあげた。
「────……追い着かせるかよッ!!」
妖の爪は空振りし、生じた隙を傘化けで急所に打ち込んだ。
────もう、ついて来れる妖は居ない。
そのまま神門を越えた。
◇
「ひとーつ!」
門を越えた時点で、楓姉が一匹目の妖を箒神で思いっ切り叩き付けた。
阿狛も次々と妖達を打ち倒して行く。
おー、おー、あんたら! この前は良くもやってくれたわね!」
「3倍返しにしてやろうじゃないの!!」
「ふたーつ!!」
上空に振り上げられた二匹目の妖が神門に叩きつけられた。
「みっつ!!」
楓姉は、次から次へと襲い掛かる妖達を薙ぎ払う。
阿狛は、次から次へと追い打ちをかけていった。
そして箒神を軸に妖達に蹴りを入れ────神門の奥へと追いやった。
終いには箒神で、思いっきり吹き飛ばした。
「門を閉じて!!」
「猫柳……門を閉じるぞ!!」
「お、おう!」
二人で必死に左右から門を押し、ゆっくりと閉じていく。
最後に襲い掛かって来た妖達を。阿狛と箒神で追い払った。
門は完全に閉まり、安堵のため息をついた。
八橋の無事を確認し、猫柳は混乱した状態を落ち着けるのに必死だった。
「な、何なんだよあの化け物どもは一体……!」
猫柳は落ち着かない様子で、説明を求めてきた。
「な、何だよこの豚?」
「ぐえっ!」
阿狛は、猫柳にヘッドバッドを喰らわせた。
「……阿狛に豚は禁句よ」
八橋も猫柳も妖を見る事が出来ていた。
その事が────此処自体が異質な空間である事を物語っていた。
「う、ううーん……むにゃむにゃ」
猫柳に介抱されていた八橋が目を覚ました。
「う……しゅ、修ちゃん……?」
「残念だったな、俺だ。美生」
「あ……なんだあ……猫ちゃんかあ。うぅ……怖い夢みちゃったよぉ」
「……ああ、確かにこりゃ悪夢だぜ……夢だから安心しな」
「ふわあ……でも何で猫ちゃんに抱きかかえられてる夢なのよぉ……」
「そりゃあ、お前……俺様に惚れてるんだよ」
「やだ! 猫ちゃんスケベだもん! その辺直せば考えてあげても……でも、やっぱりあたしは……修ちゃんが好きだし……」
「…………え?」
「────あ! 何だあ、夢の中にはちゃんと修ちゃんもいるんじゃない!」
「……だとよ、修一郎。此処の状況も異常だがよ……お前、さっきから何でそんな死にそうな顔してんだよ」
「…………そう……見えるか」
「修ちゃん大丈夫? 何だか可哀想……入学したての修ちゃんに戻ったみたい」
「八橋……さっきの言葉……」
「え、え? うう……夢とは言え、照れるなあ……」
「…………どうして?」
「────どうして? うーん……。理由なんてないよ!」
「俺も……八橋のこと……好きだよ。一緒にいると明るくて、楽しくて……。猫柳も……何で……俺の友達になってくれたのか、わからなかった」
「おいおい……そこで何で俺の名前が出て来るんだよ。今更何言ってんだ、あほらしい」
「えっと……それってOKってこと……? あはは、そんな訳ないか。修ちゃんが好きなのはさっちゃんだもんね」
「…………御堂……」
「あ……あはは。はあ……全く、妬けちゃうな。きっとさっちゃんもね、修ちゃんの事が好きだよ。でも、あたしも負けないくらい好きだからね!」
「…………俺は……俺は……他人に……好かれて良い人間じゃないんだ」
「ど、どうしたの? 泣いてるの……? 修ちゃん」
「…………俺は……人殺し……なんだよ」
「ええ!?」
「はあ!?」
「だからもう……皆とは、一緒に入れない……」
「ちょ、ちょっと待ちなさいよ! 修一郎! ……どういう事?」
◇
事情をありのままに淡々と話した。
ちぐはぐの記憶の中の真実は────……未だ霧の中だ。
だが、人を突き落とした記憶は……鮮明に残っていた。
「……そういう事だったの。鏡介は……あんたが……。そして……あの時も」
楓姉は横目で吽狛を見る。
吽狛は今にも消えてなくなりそうだった。
「な、何だ……まだ相手は生きてるのか、だが……そうか……うーん……」
猫柳は言葉が見つからず、頭を掻いている。
「き、きっと何か理由があったんだよ……。相手だって……悪かったのかもしれないし」「……どんな理由があろうと、許される事じゃないわ。わたしの知っている限り……あいつは────理不尽な暴力は振るわないはずよ。とにかく……犯した罪の償いをするにせよ、真実をつきとめるにせよ────先ずはこの奇妙な空間からの脱出が最優先よ!」
「……そうだ! ……もしかしたら四ノ原も此処に迷い込んでるかもしれねえ! 俺達は……神社に入って行く四ノ原を追いかけて此処に来たんだよ!」
「────……四ノ原が?」
「何ですって!? まだ……誰か中に迷い込んでいるの!?」
楓姉は門の方に行き、中の様子を覗こうとする。
だが、門は楓姉が近付く前に────独りでに開いていった。
神門の隙間から見える向こう側は妖で充満していた。
「ひ……お……オバ……オバ……」
「……キュウ」
八橋は再び気絶した。
その扉の向こうから────……ひと際強力な妖の気配がした。
それは妖の先頭に立って、こちらに近付いてくる。
「!!……二人ともッ! その子を連れて逃げるのよ!! この感じは……やばいわ!! 大妖よ!!」
「駄目だ! 此処から先に行っても……脱出する事は出来ない!!」
「……何だってもう、こうも次から次へと!!」
楓姉は開きかけの門の間に、箒神を渾身の力を篭めて振り下ろした。
突風が巻き上がり、門を開く妖を吹き飛ばそうとする。
────しかし、妖は巻き起こしたその風に怯むことなく、悠然とこちらに近付いてくる。
むしろ────妖に対して風が味方に付くように、向かい風が吹いた。
「……こうなったらッ!」
更に直接、門を開く主に対して箒神を叩きつけに行ったが、逆に弾き返された。
「な、何だとおぉ!?」
「楓姉ッ!!」
弾き飛ばされた楓姉の元に走り込む。
傘化けを手に取り、門の向こう側を見た。
◇
だが……扉を開いて出て来たのは────強面の妖ではなく、小柄な人の形をしていた。
手には錫杖を持ち……その背中には翼が生えていた。
そしてその肩には……また別の人間が負ぶさっている。
負ぶさっているのは制服を着た女生徒────四ノ原志穂だ。
『やれやれ……何事じゃ、騒々しい』
少年のような外見に関わらず、老獪な声で喋る。
────……木葉勇だった。
「き、木葉!?」
「な、何で木葉の野郎がこんな所に……!? って何だ、その羽は!!」
猫柳も木葉の登場に驚いていた。
だが……今の木葉は、妖が前面に出ている状態だと言う事がわかった。
『ほれ、受け取れ。祭壇の中を迷い込んでおったわ。……女臭くて敵わぬ』
そう言って、木葉の姿をしたそれは四ノ原を軽々しく受け渡す。
受け取った四ノ原は、ずっしりと人並の体重で重たかった。
……かなりの怪力だ。
『かか、まさか修の字だけでなく楓の字も居るとはの」
「先程の……なかなかに芯を捕らえた一撃だったぞ?』
木葉は錫杖を楓姉に向ける。
「修の字? まさかお前は……」
その呼び名には馴染みがあった。
「…天狗か!?」
「天狗────三鬼坊ね? 何なのその姿は……一体何の冗談よ?」
『これか? 儂の身体は、また遠くに在る。昔……あそこの異界の狭間で死にかけてたのを拾ってな』
『それからしばしば憑人として使っておる。人にしか出来ぬ事があるからな』
そう言って天狗は、門の向こう側の本殿を指差した。
────そこは木葉と数日前、異界に向かった場所と、ほぼ同一の形状をしていた。
「し、死にかけてたって……どうして?」
『空気が巧く吸えぬ病らしくてな、こちら側で鍛えてやったのよ』
……ソウシは動悸が激しかった。
五年前、連中に追われていた時に────あそこに隠れ、追い詰められた緊張感で生死の境を彷徨っていたのかもしれない。
「異界には……何の為に行ったんだ?」
『────此処こそまさに異界よ。知らぬ内に迷い込んだか?』
「ええ!? やっぱりそうだったんだ……。ちょっとお、元の世界に戻しなさいよ!!」
『戯け。本来はそうそう容易に行き来出来るものではない。だが……条件は揃っておるようじゃな。────ついて来い』
木葉の姿をした天狗は身をひるがえす。
その翼の生えた背中は、二度と会えないと思っていた師匠の背中だった。
《九日目③終了 九日目④に続く》
この日をどんなに待ち望んだ事か」
鏡介は白杖を吽狛に向かい、振り下ろす。
吽狛は咄嗟に避けようとしたが────まるで何かに囚われたように動かない。
白杖は吽狛を直撃し、叩き潰された。
「吽狛……!?」
直撃を喰らった吽狛は苦しそうにのたうち廻る。
そこに更にもう一撃が加えられようとした。
────寸でのところを傘化けで制する。
『ぬお!? この杖……ただの杖ではないな!』
「特別な洗礼を施した────破魔の杖だ」
白杖は傘化けを押し切り、吽狛を叩きつける。
そのまま投げ捨てるように────振るい上げた。
吽狛は力無く石段を滑り落ちて行った。
『何をしている!? 動け、修一郎!!』
「動かない……体が……動かないんだ! 吽狛……逃げろッ!」
吽狛に逃げるように思念を働きかけるが、うまく伝わらない。
────吽狛は心から産み出された分身の様な存在だ。
精神状態に同調しているのか、吽狛は……ひどく弱々しかった。
『しっかりしろ修一郎! くそ……一体何が起こってると言うのだ!』
体の自由が、どんどん奪われていく。
突如、襟首を掴まれ引き起こされた。
「その程度の事でうろたえるとはな……俺をなめるなよ。いつまで化けの皮を被っているつもりだ?」
背中ごと、鳥居の柱に叩きつけられる。
────抵抗する気力が起こらなかった。
吽狛で人を傷付け、死に追いやろうとした事実が────何も出来なくさせていた。
「紗都梨はずっと苦しんできた。俺が真実に近付くと『自分に悪魔が憑いている』と言い、『事件を引き起こしたのは全て自分が原因だ』と主張していた。謎が解けたよ……全ては────お前の罪を代わりに受ける為だったんだ!」
「そ、そんな……」
「俺を貶めて……、紗都梨に罪を受けさせ……お前は都合良く記憶を失っていただと? ふざけた話だ」
白杖の先端が右目の前に向けられる。
「お前も俺と同じく────その“魔”の見える眼も奪ってやろうか」
白銀の様に、その先端は光り、突き立てられようとした。
その瞬間、白杖は弾かれる。
『修一郎!! #阿呆__あほう_#かお前は!! 今のこやつは……本気でやりかねんぞ!!』
傘化けが間に入り、一喝した。
『楓も危険だと言う事を忘れるな! 動け、修一郎!!』
────……その言葉で我に返る。
そうだ、今は皆が危険な状況なんだ。
更に白杖が襲い掛かる。
懸命に身体の動く部分を駆使し、傘化けで受け止めた。
鍔迫り合い状態のまま、束縛の原因を探す。
渾身の力で弾き飛ばし、体勢を整えた。
「吽狛……来い!」
石段の下の吽狛が立ち上がり、こちらに向かってくる。
だが再び────動きが止まった。
それと同時に、自分の身体の束縛が解けた。
吽狛は、まるで見えない何かに襲われる様に四肢を引っ張られ、呻き声をあげる。
『さっきから……一体何が起こってると言うのだ!?』
姿の見えない……もう一つの敵がいる?
吽狛の身体は、今にも千切られそうだ。
吽狛の側に寄り、見えない何かから引き剥がそうとした。
だが、その動きは鏡介によって、遮られる。
そしてそのまま白杖で胸を突かれた。
「う……ッ!?」
バランスを崩したまま石段の下まで転がった。
あちこちを石段にぶつけ、束縛の代わりに激痛が身体を支配する。
「……見えているか? お前に憑く悪魔は、俺が祓ってやろう」
鏡介は石段の上から、吽狛の前に白杖を突き立てる。
「止めろ……止めてくれ!」
「俺自身も“魔”に対抗出来るだけの力は身に付けている」
────鏡介は不敵に笑った。
────その刹那、白杖で吽狛の身体を貫いた。
吽狛は咆哮を上げ、苦悶の表情を見せた。
そしてそのまま、目の前に投げ捨てる様に吽狛を放り投げた。
胸に穴が空く、致命的な傷を負った吽狛は、微かにしか動かなくなった。
『な……何と言う事だ』
「う……吽狛」
息も絶えそうな自分の分身の側に寄り、しがみ付く。
吽狛の声はか細く、今にも消え入りそうだった。
「さあ、次はお前の……その眼だな」
見上げた瞬間、相手は微動だにしていないのにも関わらず、自分の影にもうひとつの影が入り込んで来た。
「────……影が動いた?」
次の瞬間、右腕が動かなくなった。
そして、影のような黒いものは────まるで蛇の鎌首のように鋭い形へと変貌し、襲いかかって来た。
「……!?」
身をよじり避けたが────影は軌道を変える。
腕に衝撃が走った。
左手に傘化けを持ち替え、影に向かって払う。
影はまた姿を変え、闇の中へと姿をくらました。
すると今度は背後から影が襲い掛かって来る。
まるで逃げ道を塞ぐかのように、背後を影が覆った。
「…………!」
吽狛を拾い上げ、石段を駆け上がり────その影の攻撃を避けた。
◇
だが、鳥居の前には鏡介がいる。
脇をすり抜けた瞬間、白杖を水平に振り払ってきた。
「…………うぅッ!?」
傘化けごと石畳の地面に叩きつけられ、額に激痛が走った。
「ふん、てっきり逃げ出すかと思ったが……わざわざ戻って来るとはな」
「く……ッ! あ、あの影は何だ?」
「影……ああ、あれは俺の血を分けた妹だよ。俺を助けてくれているのさ」
「い……────妹!?」
妹……? 聞き間違いなのか?
ま……まさか……そんなッ!
あれは妖だ────……すると影は目の前で再び形を変えていった。
……影の形は、人のようなものに姿を変えていく。
人の形に近付いた影は、うっすらとその表情を見せる。
……────女だ。
影は女の姿へとその身を変えた。
その姿には見覚えがあった。
木葉が異界に旅立った後、祭壇で見た────女の姿をした妖だ。
『……“影女”だと? それにしても妹とは……? それはつまり……?』
傘化けも驚きの余り、それ以上の言葉を失っていた。
だが……影女の顔に、御堂の面影はなかった。
────まるで別人の顔をしている。
表情は凍りついたように冷たく、じっとこちらを見下ろしていた。
御堂鏡介の妹は……御堂紗都梨でしかない。
聞き間違いでなければ、この影女の妖は……御堂だと言うのか……?
まるで悪夢の様な光景に、思考は完全に停止していた。
影女は再び影となり、身体を束縛し────自由を奪った。
「残るお前の“魔”は……その右目だ。その右目を潰せば……俺の復讐は完成する」
そうして白杖の先端を、瞳の上に突き立てた。
◇
「止めてええ!!」
鳥居の向こうから、叫び声とともに、人影が走りながら近付いてきた。
そのまま鏡介の背後にしがみ付き、動きを抑える。
「────!?」
「何故此処に来た!? ……お前は車内で待っていろと言った筈だ……────紗都梨!!」「み、御堂……?」
人影は御堂だった。
懸命に鏡介にしがみつき、白杖を抑えている。
「義兄さん! 悪いのは私だって……何度も言ったじゃない!! 修一郎君は……トシゾーは悪くない!!」
「……もう遅い、俺は真実を知った。お前はこいつを庇う為にずっと嘘を吐き続けていた! “魔”に憑かれたこいつがお前を襲い、俺を死の寸前まで追い込んだ! こいつは……償わなければいけないんだ!」
「……違う! 私を襲ったのは……トシゾーじゃない!!」
「もう、嘘は沢山だ。だが、こいつが俺を襲ったのは紛れも無い真実だ!」
「────ああ!?」
その時、御堂の身体を影が縛り付けた。
御堂は苦しそうに身悶えする。
「止めろ……鏡花!! 手荒な真似をするな!」
だが、影女の動きは止まらない。
影の全身で御堂を覆い、埋め尽くしていく。
「……御堂!!」
逆に自身にかかっている束縛が解けた。
御堂に覆う影を引き剥がそうと掴んだ。
だが……────影は大きな手のようなものに姿を変えていく。
巨大な手の塊のようになったそれは────凄まじい力で身体を吹き飛ばした。
「……うわッ!?」
吽狛や傘化けと共に十メートル程、吹き飛ばされた。
その時────身体が天地逆転するように、上昇した。
上空には石垣が広がる地面があった。
石垣に、頭部を激しく打ちつけ、一瞬目の前が真っ暗になる。
◆
「う……うぅ」
痛む身体を押さえつけ、起き上がる。
額から流れる血で視界がぼやけていた。
だが────視界がはっきりして行くと……近くにいるはずの二人と、影女の姿はなかった。
「────誰も……居ない!? 御堂ッ!!」
『居ないだと!? 今度は一体何が起こったと言うのだ!!』
目の前には、誰も居ない境内の空間が広がっていた。
「ちょっと修一郎! 一体何処から出てきたのよ!?」
「え……?」
聞き覚えのある楓姉の声で振り返る。
背後の神門には楓姉が立っていた。
門の先には先程には居なかった妖が蠢いていた。
「アァー!!」
阿狛が叫び声をあげて瀕死の吽狛に擦り寄って来た。
「……吽狛!? ちょ、ちょっとこれは……酷いわ!! 凶悪な妖にでも遭ったの……!?」
阿狛は吽狛にすがり付き、傷口を舐める。
「あんたも怪我してるし……一体何が……」
質問には答えず、鳥居に向かってふらふらと歩き出す。だが……いくら歩いても鳥居は見えてこない。
動揺する楓姉以上に、自身も動揺していた。
背後から楓姉が追って来た。
「こらあ!! 何が遭ったのか話なさいよ!! ……ん?」
その時ようやく、楓姉は異変に気が付いたようだ。
「鳥居まで……こんなに距離があったかしら?」
楓姉は、鳥居の方まで走って行った。
いつの間にか周囲は、朱に染まっていた。
うっすらと霧が立ち込め、気付きにくかったが……良く眼を凝らしてみると、微妙にいつもの神社と雰囲気が違う。
────ふと、石畳を見やる。
台風の目に入り、雨は止んでいる。
……とはいえ、雨に濡れていた筈の石畳が……乾いている。
石畳に、自分の血が滴り落ちる。
背後を振り返ると、自分の血の痕が残っていた。
しかし……自分が居たはずの前方には血の痕は無い。
まるで先程の事がなかったかの様に────何もなかった。
「……何なの? いくら進んでも出口まで辿り着けない。まるで、空間に閉じ込められているみたい」
楓姉が、諦めて引き返して来た。
「…………」
目の前が真っ暗になり、その場に崩れ落ちた。
────全部悪い夢だったら良いと思った。
だが、記憶は鮮明に残っている。
────御堂鏡介が話した真実。
……────人を殺した。
運が良く……生きていただけだ。
俺は間違いなく……自分の意思で……人を。
思考が渦の様になって、溢れ出て止まらない。
眼の前にあったのは……キョウスケの怯えた顔。
俺は手を伸ばし────……突き落とした。
「……ちょっと! しっかりしなさい!! 何があったのか話すのよ!!」
楓姉の問いかけに答える気力が無かった。
色々何かを話しているが、耳は入らない。
これは……夢だ。
悪い夢だ。
眉間から血が零れ落ちる。
この傷は……現実だ。
……でも、違う。
悪い……夢なんだ。
御堂が襲われていたと言う事実も、なかった事にするかのように────見たもの全てを否定し続けた。
その時────楓姉の背後から、阿狛に連れらた吽狛が、よろよろと近づいて来た。
傷ついた吽狛の姿は気枯れ……歪んでいる。
軽く唸り声をあげると────突如、こちらに向かって襲いかかって来た。
「────ッ!?」
吽狛はそのまま覆い被さり、喉元に喰らいつこうとする。
その刹那────阿狛が吽狛を突き飛ばした。
「な……何やってんの! 止めなさい! 吽狛!!」
吽狛は絞り出すような雄叫びを上げて、阿狛を押し退けようともがく。
「う……うぅ……」
────……体の震えが止まらない。
阿狛に押さえつけられた吽狛は憎悪の表情でこちらを見る。
絶対服従するはずの守護霊獣が……命令を聞かない。
吽狛は、阿狛を押し退け、再びこちらに向かい、襲いかかって来た。
「このぉ……止めろってのッ!!」
楓姉が手にした箒神を思いっきり振り上げる。
そして、押さえつけようとした阿狛とともに、吽狛を遠くに吹き飛ばた。
……自分自身は、体の震えが止まらず、身動きが取れないでいた。
背筋が凍り付き、恐怖が体を支配した。
もう、何も考えられない……。
何も出来ない……身動きが取れない。
そんな自分自身に、ひたすら嫌気がさした。
────突如、左頬に強烈な衝撃が走った。
「…………ッ!!」
思考が止まった。
楓姉は思いっきり張り手をしてきたらしい。
今度は右頬を叩かれる。
ぱあん、と軽快な音が響いた。
「────目ぇ覚ませ!! 修一郎!!」
肩を掴まれ、ぐいっと引き寄せられた。
「もう何があったかはもう聞かないわ。全てが終わった後、思いっ切り悩みなさい!とにかく、今は全部忘れて、此処から出る事を考えるのよ!!」
そう言って、楓姉は自分の包帯を少し切り裂き、額の止血の作業に入った。
「…………」
頬がじんじん痛む。
その痛みは、深くに潜り込んだ意識を引き摺り出させた。
遠い昔にも、同じような痛みを感じた事がある。
『同じ事が、以前もあったな』
背後から、傘化けの小さな声が聞こえた。
『吽狛が荒れ狂い、お前を押さえつけるのに、楓は必死だった。原因は……あいつか』
楓姉に聞こえない程の小さな声だ。
原因を……真実を、楓姉に話せるだろうか。
残っていたのは、叩かれた記憶だけだった。
空白の記憶は────未だ、霧に包まれている。
「………………ごめん」
気の利いた言葉が見つからなかった。
吽狛を負ぶった状態で、阿狛もやって来た。
吽狛はすっかり大人しくなり、息も絶え絶えになっていた。
◇
その時、神門の向こう側で叫び声がした。
────八橋の声だ。
近付いて門の中を見ると、気絶した八橋が大量の妖に囲まれていた。
そのまま気絶した八橋に向かい、妖の腕が伸びて来る。
「……八橋!?」
思わず叫んだ。
その声に反応したのか、数匹の妖達がこちらを向いた。
また別の場所から発砲音がした。
聞き覚えのある音だ。
妖達の注意はその音の場所に向かう。
音は茂みの中から聞こえた。
妖達は茂みの方に集まり、様子を伺う。
妖が全て集まった瞬間────人影が飛び出し、八橋の元へ向かう。
────飛び出して来たのは、猫柳だ。
「……美生ッ!!」
猫柳は全速力で八橋の元に駆け寄った。
すかさず妖達が猫柳を追おうとするが、どの妖も猫柳に追いつけない。
八橋の元まで辿り着いた猫柳は、追って来る妖を発砲音で威嚇した。
陸上競技用のライカンピストルだ。
妖はその音に怯み、二人から距離を取った。
「────猫柳!!」
「あ、ああ!? 修一郎か!? な、何だよこの化け物共は!!」
猫柳は足をがくがくと震わせながらも、気絶した八橋を抱き起こした。
「二人ともその子を連れて早くこっちに来なさい!!」
楓姉が門の外から合図を送る。
八橋を二人で抱え、走り出した。
────背後から妖が追って来る。
立ち止っている暇は無い。
脇目も振らず、ひたすら門に向かって走った。
襲い掛かる妖の手を背中に感じた。
「はあ、はあ……美生のやつ……重いなッ! うわっ!」
妖の爪が猫柳の肩目掛けて振り下ろされた。
「猫柳ッ!」
だが、猫柳はその爪が追いつかないよう八橋を抱えたまま、速度をあげた。
「────……追い着かせるかよッ!!」
妖の爪は空振りし、生じた隙を傘化けで急所に打ち込んだ。
────もう、ついて来れる妖は居ない。
そのまま神門を越えた。
◇
「ひとーつ!」
門を越えた時点で、楓姉が一匹目の妖を箒神で思いっ切り叩き付けた。
阿狛も次々と妖達を打ち倒して行く。
おー、おー、あんたら! この前は良くもやってくれたわね!」
「3倍返しにしてやろうじゃないの!!」
「ふたーつ!!」
上空に振り上げられた二匹目の妖が神門に叩きつけられた。
「みっつ!!」
楓姉は、次から次へと襲い掛かる妖達を薙ぎ払う。
阿狛は、次から次へと追い打ちをかけていった。
そして箒神を軸に妖達に蹴りを入れ────神門の奥へと追いやった。
終いには箒神で、思いっきり吹き飛ばした。
「門を閉じて!!」
「猫柳……門を閉じるぞ!!」
「お、おう!」
二人で必死に左右から門を押し、ゆっくりと閉じていく。
最後に襲い掛かって来た妖達を。阿狛と箒神で追い払った。
門は完全に閉まり、安堵のため息をついた。
八橋の無事を確認し、猫柳は混乱した状態を落ち着けるのに必死だった。
「な、何なんだよあの化け物どもは一体……!」
猫柳は落ち着かない様子で、説明を求めてきた。
「な、何だよこの豚?」
「ぐえっ!」
阿狛は、猫柳にヘッドバッドを喰らわせた。
「……阿狛に豚は禁句よ」
八橋も猫柳も妖を見る事が出来ていた。
その事が────此処自体が異質な空間である事を物語っていた。
「う、ううーん……むにゃむにゃ」
猫柳に介抱されていた八橋が目を覚ました。
「う……しゅ、修ちゃん……?」
「残念だったな、俺だ。美生」
「あ……なんだあ……猫ちゃんかあ。うぅ……怖い夢みちゃったよぉ」
「……ああ、確かにこりゃ悪夢だぜ……夢だから安心しな」
「ふわあ……でも何で猫ちゃんに抱きかかえられてる夢なのよぉ……」
「そりゃあ、お前……俺様に惚れてるんだよ」
「やだ! 猫ちゃんスケベだもん! その辺直せば考えてあげても……でも、やっぱりあたしは……修ちゃんが好きだし……」
「…………え?」
「────あ! 何だあ、夢の中にはちゃんと修ちゃんもいるんじゃない!」
「……だとよ、修一郎。此処の状況も異常だがよ……お前、さっきから何でそんな死にそうな顔してんだよ」
「…………そう……見えるか」
「修ちゃん大丈夫? 何だか可哀想……入学したての修ちゃんに戻ったみたい」
「八橋……さっきの言葉……」
「え、え? うう……夢とは言え、照れるなあ……」
「…………どうして?」
「────どうして? うーん……。理由なんてないよ!」
「俺も……八橋のこと……好きだよ。一緒にいると明るくて、楽しくて……。猫柳も……何で……俺の友達になってくれたのか、わからなかった」
「おいおい……そこで何で俺の名前が出て来るんだよ。今更何言ってんだ、あほらしい」
「えっと……それってOKってこと……? あはは、そんな訳ないか。修ちゃんが好きなのはさっちゃんだもんね」
「…………御堂……」
「あ……あはは。はあ……全く、妬けちゃうな。きっとさっちゃんもね、修ちゃんの事が好きだよ。でも、あたしも負けないくらい好きだからね!」
「…………俺は……俺は……他人に……好かれて良い人間じゃないんだ」
「ど、どうしたの? 泣いてるの……? 修ちゃん」
「…………俺は……人殺し……なんだよ」
「ええ!?」
「はあ!?」
「だからもう……皆とは、一緒に入れない……」
「ちょ、ちょっと待ちなさいよ! 修一郎! ……どういう事?」
◇
事情をありのままに淡々と話した。
ちぐはぐの記憶の中の真実は────……未だ霧の中だ。
だが、人を突き落とした記憶は……鮮明に残っていた。
「……そういう事だったの。鏡介は……あんたが……。そして……あの時も」
楓姉は横目で吽狛を見る。
吽狛は今にも消えてなくなりそうだった。
「な、何だ……まだ相手は生きてるのか、だが……そうか……うーん……」
猫柳は言葉が見つからず、頭を掻いている。
「き、きっと何か理由があったんだよ……。相手だって……悪かったのかもしれないし」「……どんな理由があろうと、許される事じゃないわ。わたしの知っている限り……あいつは────理不尽な暴力は振るわないはずよ。とにかく……犯した罪の償いをするにせよ、真実をつきとめるにせよ────先ずはこの奇妙な空間からの脱出が最優先よ!」
「……そうだ! ……もしかしたら四ノ原も此処に迷い込んでるかもしれねえ! 俺達は……神社に入って行く四ノ原を追いかけて此処に来たんだよ!」
「────……四ノ原が?」
「何ですって!? まだ……誰か中に迷い込んでいるの!?」
楓姉は門の方に行き、中の様子を覗こうとする。
だが、門は楓姉が近付く前に────独りでに開いていった。
神門の隙間から見える向こう側は妖で充満していた。
「ひ……お……オバ……オバ……」
「……キュウ」
八橋は再び気絶した。
その扉の向こうから────……ひと際強力な妖の気配がした。
それは妖の先頭に立って、こちらに近付いてくる。
「!!……二人ともッ! その子を連れて逃げるのよ!! この感じは……やばいわ!! 大妖よ!!」
「駄目だ! 此処から先に行っても……脱出する事は出来ない!!」
「……何だってもう、こうも次から次へと!!」
楓姉は開きかけの門の間に、箒神を渾身の力を篭めて振り下ろした。
突風が巻き上がり、門を開く妖を吹き飛ばそうとする。
────しかし、妖は巻き起こしたその風に怯むことなく、悠然とこちらに近付いてくる。
むしろ────妖に対して風が味方に付くように、向かい風が吹いた。
「……こうなったらッ!」
更に直接、門を開く主に対して箒神を叩きつけに行ったが、逆に弾き返された。
「な、何だとおぉ!?」
「楓姉ッ!!」
弾き飛ばされた楓姉の元に走り込む。
傘化けを手に取り、門の向こう側を見た。
◇
だが……扉を開いて出て来たのは────強面の妖ではなく、小柄な人の形をしていた。
手には錫杖を持ち……その背中には翼が生えていた。
そしてその肩には……また別の人間が負ぶさっている。
負ぶさっているのは制服を着た女生徒────四ノ原志穂だ。
『やれやれ……何事じゃ、騒々しい』
少年のような外見に関わらず、老獪な声で喋る。
────……木葉勇だった。
「き、木葉!?」
「な、何で木葉の野郎がこんな所に……!? って何だ、その羽は!!」
猫柳も木葉の登場に驚いていた。
だが……今の木葉は、妖が前面に出ている状態だと言う事がわかった。
『ほれ、受け取れ。祭壇の中を迷い込んでおったわ。……女臭くて敵わぬ』
そう言って、木葉の姿をしたそれは四ノ原を軽々しく受け渡す。
受け取った四ノ原は、ずっしりと人並の体重で重たかった。
……かなりの怪力だ。
『かか、まさか修の字だけでなく楓の字も居るとはの」
「先程の……なかなかに芯を捕らえた一撃だったぞ?』
木葉は錫杖を楓姉に向ける。
「修の字? まさかお前は……」
その呼び名には馴染みがあった。
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そう言って天狗は、門の向こう側の本殿を指差した。
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「ええ!? やっぱりそうだったんだ……。ちょっとお、元の世界に戻しなさいよ!!」
『戯け。本来はそうそう容易に行き来出来るものではない。だが……条件は揃っておるようじゃな。────ついて来い』
木葉の姿をした天狗は身をひるがえす。
その翼の生えた背中は、二度と会えないと思っていた師匠の背中だった。
《九日目③終了 九日目④に続く》
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