転生したらダンジョンの中だった!出れないので最下層を目指します。

魔人

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出口は拒まれて

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 腹の奥に、まだネズミの生臭さが残っている。
 飲み込んだときは「生き延びるためだ」と押し切れたのに、今は違うざらつきが喉の奥に貼り付いていた。
 ――とはいえ、立ち止まっていても何も変わらない。地上へ戻る。まず、それだ。

 光苔が洞窟の輪郭をぼんやりと浮かび上がらせる。湿った石の匂い、金属のような味、遠くで水滴が岩を叩く音。
 耳はないのに、全身の鱗で空気の揺れを拾っている感覚がある。人間だった頃の体とは、入力の仕方が根本から違う。

(この体、もっと使いこなさないと)
 腹を床に密着させ、左右へゆるい波を作る。鱗が岩肌を噛み、摩擦が推進力に変わる。
 右、左、右。曲面の上でも進路がぶれない。
 速度を上げると、後ろに小石が跳ね、舌先に乾いた粉の味が乗った。

 次は壁だ。腹をぴたりと貼りつけ、鱗の先端を小さな凹みにかけて重心を上へ。
 三歩目、支点が逃げた。
 ずる――ッ、と尾から落下。「シャーッ!」と情けない音が漏れる。痛い。が、折れてはいない。

 さっき落ちる直前、反射で尾を横へ振っていた。
(バランス棒、いける)
 再挑戦。今度は尾をわずかに振って姿勢を制御しながら登る。十数呼吸。岩の出っ張りに首が届く。
 下りでは、尾を床に軽く叩きつけると速度が殺せると分かった。制動も、武器も、尾しだいだ。

 試しに“攻撃”も。尾をしならせ、前の小石へ一閃。
 ビュッ――パキン。小石が弾丸みたいに飛んで、奥の壁に乾いた音。
「……悪くない」
 蛇ボディ、想像よりハイスペックだ。少しだけ心強くなる。

 その時、天井の高みに淡い白が覗いた。
 裂け目。そこから乾いた空気が細く流れ込んでいる。湿った洞窟とは“匂い”の質が違う。
(出口……だよな)
 胸――の代わりにどこかが軽くなる。俺は壁を這い、裂け目の縁まで登った。

 頭を突き出す――その瞬間。

 ――ドン。

 柔らかいのに、確かに“ある”。見えない何かがぐにゃりと沈み、次の瞬間、押し返してきた。
 角度を変えて、力を足して、胴ごとねじ込む。
 沈む、が、抜けない。膜が水面みたいに波打つだけで、一歩も外へ出られない。

「……ラップフィルムですか?」
 自嘲まじりに、尾で小石をはじいてみる。
 ――すっ。石は抵抗なく膜を抜け、外の光に消えた。

「俺はアウトで、小石はセーフ」
 生き物だけ弾く、“選別の門”。
 まるでダンジョンそのものが「まだ戻るな」と囁いているみたいだ。
 背筋にひやりとしたものが走る。出口があるのに、出られない。ここは檻だ。意志を持った檻。

 しばらく試して諦めた。無駄に体力を削るだけだ。
 裂け目から身を離し、空気の流れを舌で探る。――下から、冷たい風。
 通路の奥に、暗い下り坂が口を開けている。そこだけ岩肌が磨かれたように滑らかで、光苔がほとんど生えていない。

「……下に行け、ってことだな」
 外は拒まれた。なら、潜る。選べるのは、それしかない。

 下り坂へ向かう途中、床の質感が変わった。腹の下がぬるりと滑る。
 目を凝らすと、岩の表面に透明な膜。小さな泡の粒がぷくぷく膨らんでは消えている。
 舌で空気を味わう。酸っぱい匂い。嫌な予感しかしない。

 尾で軽く突く。
 ぷしゅっ――白い霧が床から吹き出した。慌てて下がる。霧の縁に触れた鱗がじりりと痺れた。
「やっぱり罠か」
 見た目はただの床。実際は触れるとガスを吐く苔の層。天然のトラップ。洞窟そのものが侵入者を振い落そうとしている。

 別の場所。目立たない細い亀裂。表面は固いのに、尾で軽く叩くと「コツン」と空洞の音。
 落ちれば、底は見えない。ここは“足場を読む”場所だ。
 俺は胴を長く伸ばし、壁と床、尾で三点を作って慎重に渡る。
 バランスが流れたら、尾を真横に振る。ヒュッ――体が中立位置に戻る。
 息――は分からないが、意識の拍動をゆっくりに保つ。焦れば落ちる。

 さらに進むと、通路が急に狭くなった。天井からつらら状の石が垂れ、床には砕けた欠片が散らばっている。
 くぐろうとした瞬間、天井の奥でパキ……と乾いた音。
 反射で体をひねり、尾で床を弾いて横へ飛ぶ。直後、鋭い石片が雨のように降った。
 遅れて岩の軋みが腹に響く。
「……完全に試験だな」
 ここはゲームじゃない。命を測る“現実のテスト”。合格点を下回れば、死ぬだけだ。

 罠の帯を抜ける。暗い下り坂の入口に立つ。風がひゅう、と鳴った。
 俺は胴を長く伸ばし、暗い下り坂へ体を滑り込ませる。
 岩肌は磨かれたように滑らかで、ところどころに埋まった鉱石が青白く光る。
 その反射が鱗を流れ、まるで地下の星空の中を滑っていくみたいだった。

 降りながら、蛇としての“操縦”を改めて確認する。
 くねり――波の強さで速度が変わる。
 壁を這う――腹を面で密着、鱗を点で噛ませる。
 尾でバランス――前後左右の揺れを即座に補正。
 尾で攻撃――腰を軸にしならせ、狙いを絞る。
 人間だった頃の足運びは不要。今は「面」と「点」と「線」の組み合わせで進む生き物だ。
 用途ごとに体の一部の“意味”が変わる。学習は速い。――本能が、ちゃんと手伝ってくれている。

 坂はやがて緩やかになり、空間が開けた。
 天井が高い。鎖のように連なる鉱石が淡い光を放ち、地面には水たまりが点在している。
 薄い霧が膝……ではなく腹の高さまで漂い、冷えた匂いが舌に触れた。
 水たまりの縁には黒い粉。舌先が「苦い」と告げる。――飲まないほうがいい。

 耳の代わりの皮膚感覚が、わずかな風の乱れを拾った。
 広間の奥。霧の向こう。何かが、ゆっくり動いた。

 ――キィィ。

 甲高い鳴き声。反響で距離は掴みにくいが、軽い。複数いるかもしれない。
 俺は尾をわずかに持ち上げ、体を低く構える。
 砂塵が欲しい。手近な小石を尾で弾き、床に叩きつけて粉を上げる。
 視界の下半分が白く濁る瞬間、壁を走って位置をずらす。
 影が飛び出した。牙の白、細い脚――蜘蛛? いや、違う。もっと細長く、棘が多い。

 すれ違いざま、尾を薙ぐ。
 ヒュッ――パシン。かすめただけだが、相手は驚いて距離を取る。
 影は霧の縁に留まり、こちらの間合いを測っている。正面からは来ない。賢い。

(いいさ。俺も正面からはやらない)
 床の微かな傾き、霧の密度、石の散らばり方。
 尾でコツ、コツ、と前の床を叩き、空洞がないことを確かめる。
 体をくねらせて前へ。相手が動いた瞬間、横へ滑って死角に入る。
 角度と間合いで勝つ。蛇の戦い方は、真正面の殴り合いではない。

 ――と、背後で別の音。コツン。
 反射で跳ぶ。足元に細い穴。さっき叩いた時には無かった。
 霧で見えなかった“息穴”が、沈降で口を開けたのか。
 落ちてから気づく罠、上等じゃないか。
 俺は壁に腹を吸いつけ、尾で反対側を叩いて体を支える。
 穴の底から、冷たい風が細く鳴いた。

 影は一向に仕掛けてこない。こちらの“蛇行”に合わせて距離を保ち、時折威嚇の鳴き声を上げる。
 ――いい判断だ。今の俺にとっても、無駄な消耗は避けたい。
 この広間は、通過すべき場所。戦場じゃない。

 俺はゆっくりと横歩き――いや横くねりで、広間の縁へ移動した。
 霧は薄く、風は下へ流れている。
 舌先に、わずかな甘い匂い。卵殻のときの“甘さ”に似ているが、あれほど純粋ではない。
(……魔石の呼吸、ってやつか)
 ダンジョンのどこかで、大きな“心臓”が脈を打っている。空気が、岩が、床の苔が、それに呼応して微かに膨らんだり縮んだりしている――そんな錯覚。

 広間の先に、再び暗い下り坂が口を開けていた。
 俺は一度だけ振り返る。
 霧の向こう、さっきの影がこちらをじっと見ている。追っては来ない。
 なら、こちらも無用な殺しはしない。必要な時にだけ牙を使う。
 俺は頭を前に向け、坂へ身を滑らせた。

 降りながら、脳裏に出口の膜が浮かぶ。
 小石は通す。俺は通さない。
 “生きているもの”を拒む扉。資格が要るのか、鍵が要るのか、あるいは――俺自身が、まだ“外へ出るべき存在”ではないと裁かれたのか。

(なら答えは一つ。強くなる。鍵を見つける。ここのルールを、俺の側に引き寄せる)
 心の中でそう言うと、不思議と尾の先まで熱が流れた。
 怖さは消えない。でも、足――いや、胴は進む。
 生きて帰る。そのために、下へ潜る。

 坂の勾配がきつくなる。床の一部がぬめり、別の場所はざらつく。
 舌で風の温度を測り、尾で前を叩き、危うい箇所を避ける。
 蛇としての体が、もう“借り物”ではなくなってきた。
 くねり、壁を這い、尾で均衡を取り、必要なら尾で障害を砕く――それが、今の俺の“歩き方”だ。

 やがて、風が変わった。
 冷たい。深い。
 どこかで大きな空洞が口を開けている匂い。
 その手前で、通路の床がわずかに盛り上がっているのに気づいた。
 尾で軽く叩く。やわい。もう一度、強く。
 ――ぱか、と石の皮が割れて、下に水が走る音がした。
 もし勢いのまま突っ込んでいたら、薄皮一枚の上で足――いや腹を滑らせ、闇へ落ちていただろう。

「危なかった」
 シャー音で漏れる独り言。
 俺は壁沿いに身を寄せ、岩の“筋”を丹念になぞるように進む。
 身体が長いことに、初めて心から感謝した。支点を分散できる。道がなければ、作ればいい。

 前方の闇が、さらに深くなる。
 そして――遠く、遠くで、別の鳴き声がした。さっきのものより低い、湿った声。
 空気がわずかに重くなる。皮膚感覚が、見えない何かの“圧”を伝えてきた。

(行こう)
 俺は舌を出し、匂いと湿りを味わい、体を一度だけ低く沈めた。
 暗い下り坂の先――新しい階層の気配へ、静かに滑り込んでいく。

 外は拒まれた。
 なら、俺がやることはひとつだ。
 下へ潜り、強くなり、鍵を掴む。
 蛇として、生きて帰るために。
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