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十一話 理想郷の秘密

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 私の質問を聞いた大魔導師は、悲しげに微笑んでから、ゆっくりと話し出した。
 私には、その楽園追放の神話が、私たちの願いにどう関わってくるのかは、理解が出来ていなかった。

「これは、君の質問への答えになり、彼への答えにもなる。君たちは大地の魔素マナと自らが持つ魔力オドがあるのは知っているだろう? 」

「もちろん知っている。魔術の基礎中の基礎だからな。」

 ウィルが大魔導師がいたずらっぽく尋ねる初歩的な質問に答え、続きを促した。

「……私たちエシュタルの民は魔素マナを積極的に利用することによって、栄華を極めた。」

 大魔導師は、まるで誇るように両手を広げながらそう言う。
 だが、その表情は悲しげだった。

「……だからこそ俺はその技術が知りたい。飢えも格差も病も無く、全ての人々が幸福に暮らせる、その方法を。」

 ウィルは、そんな大魔導師に聞き返す。

 私は、この街に来る前に見た、サデリア村での一件を思い出した。

『冒険者なんて、そんな良いもんじゃないぞ。』

 彼が始めに言ってきた言葉も浮かんできた。
 初めての依頼ですら、私はこの世の中の不条理を目の当たりしたのだ。
 きっとウィルたちは、今までに何度もそんな思いをしたのだろう。

 彼の願いを聞いて、私の背中に震えが走る。
 
「……君は魔素マナを使えば何でも願いが叶うと思っているようだね。ある意味それは間違いではない。ただ……魔素マナとは、方向性を持たない無色な力なんだ。意思によって自由に形を変えられるエネルギーそのものだと言ってもいい。ただ……」

「ただ……なんだ? 」

魔素マナは悪意……怒り憎しみ……妬みそれに恐れ……と言えばいいかな? そう言った感情を持って利用すれば汚れてしまうんだ。そして、汚れた魔素マナに瘴気と呼ばれるものが混ざってしまう。」

「……なんだって……? 」

 その答えを聞いて、ウィルの表情が一気に曇った。
 魔物は、瘴気が濃い場所で産まれる。だから、街も村も瘴気だまりからは離れた場所に作られている。
 もし、ウィルが言うように、魔素マナを自由に使えるようになれば、瘴気が混じってしまう事を避けるのは難しい。

 そうだ。だから私たちは汚れた魔素マナを捨てる場所が必要だった。」

「暗黒大陸のこと……ですか? 」

 瘴気だらけで魔物しか住めないと言われている暗黒大陸の話が、彼の話を聞いてすぐに思い浮かんだ。

「今はそう呼ばれているのか……。私たちは、単に"廃棄場"と言っていたがね。……ただ、それにも限界があった。人は増え、瘴気の溜まりかたも加速度的に増えていった。あと十数年もすれば、世界中が瘴気に覆われてしまう。そんな状況だった。」

「……それで、王は決断をしたんだな。」

 何かに気がついたのか、ウィルが眉根を寄せ、答えあぐねていた大魔導師に言う。

「その通りだ。だからこそ王は自らの汚名を被る覚悟で、エシュタルに関するもの全てから、人を遠ざける事にしたんだ。」

 私もなんとなく理解が出来てきた。
 こんな街で、全て望みが魔術で叶う生活を送っていた者が、いきなり森に放り出されたらどうなるか……。
 答えは確実に訪れる死だ。

「話し合いは出来なかったのですか? 」

 私は、そう言ってから、自分がいかに愚かな質問をしてしまったかに気がついた。

「話し合い? それこそ何度も行われたさ。皆、もうこんな生活を続ける事は不可能だと解っていた。ただ、一部をノ除いて、誰も自ら満たされた暮らしを捨てる事が出来なかった。それに、誰が犠牲になるかを話し合いで決められるはずがない。」

 大魔導師は、愚か者を諭すように、私に答える。

「……その通りですよね……。では……その後はどうなったのですか? 」

 自嘲するような笑いを浮かべる大魔導師に、私も続きを聞きたくなった。
 
 ただ、王の決断と言う言葉の意味はわかり始めて来ていた。
 きっと、その決断こそが、なぜこんな優れた技術を持った国が滅んだのかの答えになるのだろう。

「そうだ。私たちの計算では、人々の七から八割が犠牲になると解っていた。ただ、現状を座視していれば、地上は瘴気に満ち、誰一人として生き残る事は出来なかったろうね。」

「…………。」

 私も、もちろんウィルも、もう何も言えなくなった。

「……さあ。今日は我がエシュタルに帰還を果たした者が来た記念すべき日だ。ささやかだが、歓迎の宴を用意させてもらった。」

 無理に楽しげな声色を作った大魔導師は、私たちを奥に続く扉へと案内した。

 普通の大きさの扉を開けて中に入ると、そこにはたくさんの料理が湯気を上げていた。
 どれも見たことがないほど手が掛かっており、果物に至っても新鮮で、一つ一つ飾り包丁まで入れてあった。

「さて、存分に楽しんでくれたまえ。久しぶりの我が街への客人だ。」

「これは……一体どうやって……。」

「言っただろう? エシュタル我が街には不可能なものはないと……。」

 彼は自分でも理解をしながら、空虚な笑いを漏らしていた。
 その姿があまりにも哀しくて、私たちは何も言えなくなった。

「…………。」

「私は少し片付けなくてはならない仕事があってね。同席出来ないのが残念だが。食事が終わった頃にまた来るよ。」

 ただ立ち尽くしていた私たちに席に着く事を促すと、大魔導師は踵を返して立ち去ろうとする。

「ちょっとだけいいか? 」

 その背中に、ウィルが声を掛けた。

「なんだい? 足りないものでもあったかな? 」

「いや……俺たちは、偶然にここにたどり着いただけなんだ。決して誉められたレベルに達してから来たと言う訳ではない。」

 ウィルは、この歓迎ぶりに気後れを感じたようだった。
 私も同じく最終的な目標は古王国の滅びの理由探しだったが、確かにこれだけの歓待をされるような、誇れるような実績も無い。
 だから、ウィルが先に言ってくれて、ありがたいと思った。

「偶然……どういうことかな? 」

 大魔導師は、怪訝そうな顔をして、半分だけ身体をこちらに向けた。
 もしかしたら、彼の怒りを買うことになるかもしれない。そう思えるほどの気迫はあった。

「俺たちは、サデリア村……ここから南西に60哩(96キロ)ほど離れた村の遺跡を調べていた。マンティコアがそこから出てきたからだ。それで……。」

「いや……それ以上は言わなくても結構だよ。奴は|守護者《ガーディアン
》に追われて必死だったようだね。塔に逃げ込んだ先がたまたま出発デパーチャの階だったんだな……。」

 ウィルが言い掛けた言葉を遮るように、大魔導師は笑顔を浮かべながら答えた。
 あのマンティコアは、恐怖のために、一直線にあの洞窟から逃げていたのだ。
 その先に"たまたま"私が居た。

「だから……俺たちは……。」

 そう。あくまでも偶然の事が重なって、ここまで来られただけなのだ。

「それも心配しなくてもいい。偶然とは、結果として必然になる。君たちがここに来たと言うことには、何らかの意味があるのさ。」

 むしろ楽しげに大魔導師は笑った。
 私たちが、今までに誰も見つけられなかった古王国の街を見つけられるほどの功績を成し遂げた意味の重さを考えると、先の事が不安になる。

 そして、私はふと気がついた。

「では、帰りはあのマンティコアのように転移装置ポータルを使って戻れるのですか? 」

 もしかしたら、出発デパーチャと言う転移装置ポータルを使って、元の場所まで戻る事が出来るかもしれない。

「それは難しいな。守護者ガーディアンが塔の出発デパーチャに常に居ることにしたらしい。」

「連中を止める事は出来ないのか? 」

守護者ガーディアンたちは王命によってのみ動き、そして王命があった時しか活動を止めない。」

「…………。」

「それじゃあ、私たちはここから出られないのですか……? 」

 私とウィルは、顔を見合わせてからため息をついた。
 王などとうにこの世には居ないだろう。

「では、どうやってここを脱出したらいい? 」

「君たちのレベルだと……北に向かうのは止めておいた方がいいな……。」

 大魔導師は、私たちをじっと見ながら言う。

「ああ。俺たちも南に向かいたい。仲間たちが待っているはずだからな。ただ、どうやって街を抜けたら良い? 」

「それに関しては、私に考えがある。君たちは、門に向かって走ってくれたら良い。十分間に合うはずだ。」

「……わかった。」

「それではそろそろ失礼するよ。」

 今度こそ、大魔導師はふいと向きを変えて、出現した時とは反対回しのように、空間に紛れるようにして姿を消した。

*

 食事のあとに、約束通りに訪れた大魔導師と、少しだけ他愛の無い会話をして、私たちは彼に案内されるまま、客室と思しき部屋に通された。

「さて。君たちはここで休むといい。夜は警備装置も動かすから、部屋からは出ないように。」

「この都市の警備装置もまだ生きているのか? 」

「もちろんだ。多少の故障なら自動で修復される。だから気を付けてくれ。」

 彼はそう言い残すと、再び姿を空間に溶け込ませた。
 やはり、遺跡は遺跡なのだと思い知る。

「これは……客間か……。どうやら俺たちは来賓ってことらしいな。」

 そこは、豪華な調度品が並べられた応接間となっており、重厚な木で作られたソファーは、神話を模した刺繍で飾られ、すべての家具も同じ職人の手によるものなのか、統一感があった。

 王宮の客間と言えば、外国からの首脳などの重要人物しか泊まらない。
 大魔導師が自由に出来るのがこの場所しかないのかもしれないが、私たちは来賓として扱われていると、そう理解出来た。

「来賓と言われるには、私たちの格好はちょっとみすぼらしいですね……。」

 私は、いかにも冒険者と言った自分の格好を見て、さすがに失礼だったかなと思う。

「君はその格好でも、十分美しいよ。」

 突然、そんな言葉が掛けられて、私はウィルへと顔を向けた。
 どうやら、彼なりの冗談だったようで、またいつものように、ニヤリと不器用な笑い顔を浮かべていた。

「……あら、そう言っていただけて、光栄ですわ? 」

 私も意趣返しとばかりに、膝だけを折って、見えないスカートをつまみ、令嬢として礼を言う。

「……あ……ああ。とりあえず今日は寝て、明日に備えよう。大魔導師が言うには、この街の全ての警備装置は生きているみたいだからな。」

 なぜかそんな私の姿に、珍しく動揺する姿を見せたウィルは、荷物をソファーの横に置くと、堂々とソファーに掛ける。

 私も同じようにソファーの脇に荷物を下ろすと、ウィルから少しだけ距離を置いて隣に掛けた。
 
「すごい技術ですよね。ただ……。」

 私は、食事のあとに大魔導師から聞いた話を思い出す。

「ああ。人が真に欲望から離れ、ただ幸せに生きることのみを考えられるようになるまで、私はここを守り続ける……だったか。」

 いつまでここを守り続けるつもりかと聞いた私に、大魔導師はそう答えたのだ。

「私たちの世代では無理でしょうね……。」

「ずっと先の俺たちの子孫が、きっとやってくれるさ。」 

 ウィルが、部屋の向こう側、遥か先を眺めながら私に答える。

「私たちの……子孫……ですか……。」

 自分でそう口にして、ウィルと私の子供たちを想像してしまい、慌てて首を振る。

「とりあえず汗は流したい。風呂場は……。なあ、セリナ、本当に調子が悪い訳じゃ無いよな? また顔が真っ赤になってるぞ? 」

 慌ててソファーから立ち上がって、洗面所からつながる部屋を見に行く。

 私の頭の中には、女の子二人と、小さな男の子が遊んでいて、それをウィルが笑顔で眺めている姿が見えていた。
 やっと自分を悩ませていた感情の正体がわかる。私はもう、彼に狂おしいほど惹かれていた。

 煮えた頭のまま、私はウィルに赤い顔を見られたくなくて、洗面所から続く部屋に逃げ込んだ。

「だ……大丈夫ですから! 持病の赤面症が出てるだけですし! こっちがお風呂場みたいですっ! 」

 そこには、一枚の大理石をくりぬいて作った風呂場があり、すでにたっぷりの湯が張ってあった。

「……先に入ってくれ。俺は武器の手入れをしておく。セリナも剣を渡しておいてくれ。」

 私が気持ちを落ち着かせてから部屋に戻ると、ウィルは早速自分の剣の手入れを始めた。

 こちらがこれだけドキマギとさせられているのに、まったく普段通りに振る舞っているように見える彼に、私はちょっと頭に来た。

 ウィルにとっては、私は女ではなく、子供なのだろう。
 確かにテレサさんのようなとびきりの美女を見ていれば、私など目に入らぬだろうなと思う。

「さあ、お風呂に入って、まずは今日の疲れを取るんだ。」

 黙って立ったままの私に、ウィルが再び声を掛けてきた。

「……はい。 」

 私は、彼に言われた通り、風呂に入って、まずは汗と疲れを流す事にする。
 明日からは、魔物の住む森を抜けて、サデリア村まで戻らなくてはならない。

───せめて、彼の足手まといにだけはならないようにしないと。

 私は、そう思いを新たにしながら、脱衣場の扉を閉め、着ていた鎧に手を掛けた。

*

「替えの服を忘れるところが君らしいな。セリナ。」

「ごめんなさい……。」

 私は、出来るだけ身体を洗面所の影に隠すようにして、片手で顔を覆いながら渡そうとしてくるウィルの手から、肌着を受け取った。
  最初は浴衣タオルを巻いて自分の荷物を取りに行こうと思った。

 ただ、丈が短くて、胸か下のどちらかが見えてしまう。
 それで仕方なく、ウィルに言って私の肌着と寝間着を荷物から出してもらったのだ。

「ありがとうございました。」

「……気にするな。」

 なぜかウィルは未だに自分の剣の目釘を調整していた。

「あとは私がやります。」

 このままでは遅くなってしまうと思い、私は自分の剣は自分で調整する事にした。

「……だ、大丈夫か? 」

「ええ。剣の調整は一通り学んでいますので……。ただ……。」

 私は、ウィルに護られるきっかけとなった件を思い出す。
 色々と理由を聞かれてはいたが、何を言っても言い訳になる気がして、全て自分の確認不足だとしか答えていなかった。

「新品の剣がそのまま使えるものだと思ったのだろう? 」

 どう安心して貰おうか考えていた私に、ウィルの言葉が染みた。

「なんで……それを……? 」

「剣の腕前を見ればわかるさ。どれほどの鍛練をして来たのかもな。」

 何も見ていないようで、しっかりと自分の事を見てくれていた。その不器用な優しさに心が震えた。

「ありがとうございます……。」

「それでは、俺も風呂に入らせてもらう。」

 私の涙を見ないようにして、彼は明るく答えるとお風呂場に向かった。

「はい。行ってらっしゃい。」

 私は、その背中に、精一杯の感謝の気持ちを込めて、そう呟くように言った。

 その後、和やかに時は過ぎ、そろそろ寝ようと寝室の扉を二人で開けた。

「女神よ……俺にどれだけの試練を与えると言うのか……。」

 私は、大きなベッドが一つだけ置いてある部屋を前に、ウィルが漏らした言葉の意味を理解することは出来なかった。
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