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十二話 死の街からの脱出

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「……ん……。」

 私は寝てしばらくしてから目を覚ましてしまった。
 柔らかいベッドは、私の部屋にあるものよりもずっと上質で、まるで空の上に浮かんでいるようだった。
 掛け布団も軽いので、寝苦しさを感じることも無い。

 ふと隣を見れば、ウィルがすうすうと寝息を立てていた。

 二人でベッドに入るまでは、本当に大変だった。
 お互いに、どちらがベッドで寝るかを譲り合ってしまい、話し合いが平行線のまま膠着してしまったからだ。

 レディファーストだからと譲らないウィルに、私も明日からはウィルが染料の中心になるのだからと譲らない。
 私の言い分を理解をしてくれない彼に、業を煮やし、ベッドに押し倒してそのまま布団を掛けてやろうとしたが、結局もつれ合うようにして、二人でベッドに倒れこんだ。

 お互いに何をやっているのかと可笑しくなり、ひとしきり笑ったあと、ウィルに一緒に寝ようかと言われ、私が頷き、結局、そのまま二人で布団へと入った。

 色々な事がありすぎて、思った以上に疲れていたのか、私の記憶はその辺りでふっつりと切れていた。

 私は身体をゆっくりと起こして、ウィルの寝顔を眺める。
 普段は不機嫌そうな表情を崩さない顔は、今はなんだか少年のようなあどけなさを感じた。
 胸の奥が、急にじんわりと暖かくなる。

 身じろぎをした彼の顔に、さらりと金色の前髪が垂れた。
 私は、その顔を見ていたくて、人差し指で垂れた前髪を掬って耳に掛けた。

「……起きていたのか? 」

 急にぱちりと目が開いて、ウィルの青い目が私を見つめる。

「……ごめんなさい……起こしちゃって……。」

 私は、自分のせいで起こしてしまったことを謝る。
 少しだけだと、いたずら心を起こしてしまった事を後悔した。

「大丈夫だ。俺が神経質なだけだからな。ほら……夜は冷えるぞ。眠れないのか? 」

 ウィルは大きく伸びをしてから、枕に肘をついて私を見る。
 肩を出していた私に、布団を優しく掛けなおしてくれた。

「いえ、ちょっと目が覚めてしまっただけで……。」

「そうか。明日からは結構大変だからな。早く寝るといい。」

「はい……。そうします。」

 私は、布団を顔の半分ほどまでかぶり、なんとか寝ようと目蓋を閉じる。

 ウィルには、私がずっと寝顔を見ていた事は気が付かれてしまったはずだ。
 そう思うと、恥ずかしさで顔から火が出てしまいそうだった。

 眠れないまま、時間だけが過ぎて行く。
 羊を数えてみたり、お気に入りの景色を思い出してみたり、目蓋を強く閉じてみたり……。

「……ぷっ。」

 目を開けてみれば、ウィルは身を起こしていた。
 彼は、枕に肘を突き、口元を緩めながらこちらを見ている。

───待て、私は起きていたのに、ウィルが動いた事には気が付かなかった。

「…………。」

───もしかしたら、ずっと私が眠ろうとしていた姿を見られていた……?

「人の寝顔を見ていたお返しだ。それじゃ、おやすみ。」

 いつものニヤリとした笑いを浮かべるとウィルは布団に潜り込み、さっさと反対側を向いてしまう。

 もう恥ずかしくて何かに抱きついて顔を隠したくなった私は、ちょうど目の前に良いものがある事に気がついた。

「これもお返しです! 」

「お……おい……。」

 私は、腹立ち紛れに、ウィルの背中にがっしりと抱きついた。
 人の暖かさが、とても心地良い。
 彼の心臓の音まで聞こえるような気がした。
 確か、私のメイドのアンに、男を虜にするには、ベッドで抱きつく事だと聞いた覚えがある。
 ふうんと聞き流さずに、もっとちゃんと聞いておけば良かった。

───このまま、溶けて混ざってしまいたい。

 そんな事を考えているうちに、私の意識は再び眠りへと落ちて行った。

*

 朝、目が覚めると、既にウィルは起きて準備を始めていた。

「おはようございます。」

「ああ。おはよう。ゆっくり眠れたか? 」

 布団から半分だけ顔を出した私に、ウィルは笑顔で答える。
 父や兄を除けば、初めての一夜だ。
 それが気恥ずかしくて、まともに顔を見る事が出来ない。

「ええ。素敵な抱き枕があったので。起きたら無くなってしまっていて、悲しかったですけど。」

 私は、顔を横に向けたまま答えた。
 せめて、起きたのなら一緒に起こしてくれたら良かったのにと思う。
 それならお茶の準備くらい出来たのに。

「俺を抱き枕呼ばわりするのは、セリナくらいだな。」

 楽しげに笑いながら、ウィルが答える。

「……他にそう言う方はいないんですか? 」

 私は、聞いてしまってから、もし答えが自分の望むものではなかったらどうしようかと慌てた。
 だが、出してしまった言葉を取り消すなんてことは出来ない。
 
「そうだな……一緒に寝た事があるのは二人ほどいるぞ? 」

「……そう……ですよね。」

 私は、予想はしていたとは言え、その言葉に、大きなショックを受けた。
 涙がじわりと滲んで来たのを悟られたくなくて、布団の中に潜り込んだ。

「母と姉だったかな。さ、準備を始めてくれ。」

 布団から顔を出せば、ウィルがこちらを、意地の悪いニヤリとした笑顔を浮かべて私を見ていた。

 安心すると、今度はふつふつと怒りが沸いて来た。
 聞いた私も悪いが、私がどれほど悲しかったかと、まだニヤニヤとしているウィルにぶつけたくなる。

「な……っ! そうやってまた子供扱いして! 」

 私は布団から跳ね起きると、逃げ始めた彼を追いかける。

「……うわ……っ、止めろっ! 」

「……あの……そろそろ……。」

 まだ笑いながら逃げる彼との追いかけっこは、私が、朝食に呼びに来た大魔導師に気がつくまで続いた。

*

「少し眠そうだね? 大丈夫かい? 若いからと言って、限度はわきまえなくてはね。 」

 出発の準備を済ませた私たちを、大魔導師は妙ににこやかに迎えた。
 ニヤニヤと言っても良いくらいだ。

「大魔導師殿とは、一度、生殺しと言うものについて、じっくりと話し合いたいものだな。」

「これは……これは。もう二人はそう言う仲かと思っていたが? 」

 大魔導師は、さらに愉しげに笑う。

「生殺しって……何ですか? 」

「…………。」

 苦々しく大魔導師に言うウィルに、小声で尋ねるが、彼は私の顔を残念そうに眺めるだけだ。
 なんだか蚊帳の外に置かれているようで悲しくなる。

「さて、それでは準備の方も済ませてある。いつでも大丈夫だよ。君たちは南に抜けるんだったね。」

 朝食のあと、打ち合わせは済ませてあった。
 私たちは、強い魔物が数多く出る北の森林地帯を避け、街の背後に聳える山脈の谷間を抜けるルートを通る事にしていた。
 南側を抜けた方が、人里までは遠くなるが、戻らなければならないカーマインの街までは近くなる。
 何より、心配をしているだろうテレサさんとマークスさんに、一刻も早く無事を伝えたい。

「助かる。俺たちは南門に向かって、ひたすら走れば良いんだな。」

 手筈としては、大魔導師が北門の辺りに魔物を発生させ、私たちはその間に南門から外に出る。
 一旦外に出てしまえば、守護者ガーディアンたちは一切手を出してこない。

「そのとおり。ただ、それも僅かな時間稼ぎにしかならない。守護者ガーディアンたちに追い付かれれば終わりだ。彼らは侵入者を絶対に許さないから。」

「あとは、俺たち次第って事か。……大魔導師殿は、ここを離れるつもりは無いのか?」

「そうですね。ご一緒出来たら私も嬉しいです。」

 私も昨日からの一連の話で、この大魔導師を気に入っていた。
 それに、この誰もいない街にたった一人で残る彼を、このまま一人にさせていて良いのかとの疑問もあった。

「私は……ここを離れる事は出来ない。この都市の装置があっての存在だからね……。君たちと会えて嬉しかった。ありがとう。」

 悲しげな顔をして、大魔導師は礼をする。

「そうか。色々ありがとう。あなたには、是非俺たちの国を見て貰いたかったんだがな。」

「私にとっては、あなたたちの国は、縁もゆかりも無い……今さら見ても何の意味も無いさ。」

 何かを諦めたような大魔導師の表情が、私にはとても寂しげに映る。

「……大魔導師殿、ちょっと耳を貸してもらえるか? 」

「なんだい……? 」

「…………。」

 大魔導師の耳許で、ウィルが何事かを囁く。
 また私は仲間はずれにされた気がして、思わず頬を膨らませた。

「はーっはっは! そういうことか! 私は一生、誰のことも信じる事が出来ないのだろうと思っていたのだがね。……いや、聞かせてくれて、本当にありがとう……。」

 ウィルの話を聞き終えた大魔導師の大笑いに、私は少し驚いた。
 ただ、さっきまで顔に差していた影は、綺麗さっぱり消えていた。

「そういう事だ、大魔導師殿。きっとこの街にまた戻って来る。それまで俺たちの事を忘れないでくれ。」

「……そうですね。ウィルが来ると言うのなら、私も必ずご一緒します。」

 ウィルの言葉に合わせて、私も大魔導師に告げる。
 横で彼は驚いた顔をしていたが、知った事ではない。

「今度も二人で来るのだね。もっと歓迎が出来るよう、私も色々と考えておくよ。」

 そう言って楽しげに笑う大魔導師に、私たちはまた礼を返した。

「では……セリナは大丈夫か? 」

「大丈夫です。走る時も、私を置いてきぼりにしないで下さいね! 」

 何か言いたげなウィルに、少しだけ頬を膨らませて返した。

「そう拗ねるな。向こうに帰れば全てわかる。」

 笑いながら答えるウィルから、私は顔を逸らす。
 結局、子供のように拗ねているのは私だ。

「そうそう。言い忘れていた事がある。」

「なんだろうか? 」

 私たち二人を眺めていた大魔導師が、真面目な顔をして、ウィルに話し出した。

「魔物から採れる魔石は知っているだろう? あれを使えば、魔素マナを汚さずに、かなり私たちに近い事が出来るようになる。これが、あなたの質問への答えだ。 」

「…………ありがとう。大魔導師殿。あとは俺たちで頑張ってみるよ。」

 ウィルは、一瞬驚いた顔をして、少しだけ考えたあと、大魔導師に礼を言った。

「さ、ここは死者しか居ない街です。生者の皆さんが居るべきところではありません。どうか二人ともお元気で。」

「ありがとうございました。大魔導師さま。」

 私も名残惜しいとは思いながら、大魔導師に礼をする。

「いえ……私も君たち光の巫女に再び会えて、本当に嬉しい……。どうか幸せになっておくれ。……そうだ、あと君たちはこれから三日間は、思い切り戦うと良い。」

「思い切り戦う……ですか? 」

「ああ。今の君たちは、この街に住んでいた者たちと変わらない能力が付与されている。戦ってみれば、それが解るさ。」

「わかった。セリナ。荷物を。」

「お願いします。」

 もし、はぐれてしまった時の事を考えて、一通りの荷物は自分で持つ事にしていた。
 だが、これから人里に出るまでは、ウィルのアイテムボックスに荷物を預かってもらう事にして、私は彼に着いていく事に集中した方が良いと、相談の結果、決めていた。

「もうすぐ北門で騒ぎが始まる……。よし! 行くがいい! 」

 私たちは大魔導師の号令に頷くと、息を合わせて駆け出した。
 その時、ちらりと見えた大魔導師の悲しいような、寂しいような表情を私は一生忘れないだろう。

「慌てるな! まだ距離がある。魔力のコントロールに集中しろ! 」

 走り出してから少しして、私たちの耳に魔法の炸裂音が響くころ、ウィルが叫ぶように言う。
 音が聞こえたことで、魔力を足に籠めてしまうところだった。

 まだ南門までは三マイル近くある。
 焦って体力を切らせてしまえば、そこで終わりだ。

 大魔導師の計算によると、私たちが南門に一度も休まずに着くのと、守護者ガーディアンたちが戻ってくるタイミングはほぼ同じで、僅かに私たちの方が早いと聞いていた。

 呼吸を整えて、魔力を一定量に絞って使う。
 私が小さなころ、父から教わった魔力コントロールの練習方法と一緒だ。
 ただ、命が掛かっているとなると、どうしても気が逸ってしまう。

「俺にペースを合わせろ。」

 隣を掛けているウィルが、私のペースを見ながら歩幅を合わせる。
 おかげでずいぶん楽になった。
 それに、なんだかペースもずいぶん早い気がする。
 身体の中を流れる魔力も、普段よりもずっと大きく感じられた。

「振り返るなよ! あいつらは、俺たちじゃ手も足も出ないからな! 残りは全力で走れ! 」

 魔法陣が、至近距離で展開され、慌てて身体を横に飛ばす。
 もう、だいぶん追い付かれてしまっているようだ。少なくとも、私たちの姿は守護者ガーディアンに見つかっているらしい。

 あと少しで南門だ。
 振り返って位置を確認したいが、その一瞬が生死の分かれ目になる。

「そろそろ"鍵"を出してくれ! 」

「……は……はい……っ! 」

 手のひらの上に、また光の矢を浮かばせると、矢の先が私の方を向いていた。
 目の前まで来ていた南門が、私の矢に反応して、ガタンと音を立てて開きはじめた。

 目の前に魔法陣が展開され、危うく触れてしまいそうになる。
 慌てて真横に飛んで、魔法陣の斜め下をくぐるようにして躱す。

 もし触れてしまえば、昨日見た鷲獅子グリフォンのように、一瞬で灰になってしまうだろう。
 

「もう少しだ!! 」

 ウィルの絶叫するような声が響く。
 あと門を出るまで、ほんの少しだ。

 後ろが気になって、心臓がせりあがって来そうな感じがする。

「あっ……っ!! 」

 後ろを振り返りかけて、門の石畳が少しだけ高くなっていたのに気がつかなかった私は、思い切りつまづきそうになる。

「伏せろ! 」

 門の上半分が覆われるほどの魔法陣が展開される。
 つまづいた態勢のまま、四つん這いになって、魔法陣の下を潜り抜けた。

「ぐっ……っ! 」

 勢いを殺し切れなかった私は、そのまま開いた門から、外の芝生へと転がった。
 身体が何回転もするのが分かり、私は頭を護るように腕を顔の横に組んで、衝撃に耐えた。

「大丈夫か!? 」

「……いたた……。なんとか大丈夫です……。」

 やっと止まった私に、ウィルが駆け寄って来るのが見える。

「……もう大丈夫だ。」

 息を切らせながら、私の身体を抱え上げるようにしたウィルが言う。
  その言葉に、私も頭を擦りながら出て来た門を見れば、守護者ガーディアンたちが、こちらをじっと見ているのがわかった。
 ただ、街の外に出た私たちに何もするつもりは無いようで、ただ並んでこちらを見ているだけだった。

 そのまま門が閉まっていき、守護者ガーディアンたちの姿を隠して行く。
 ガタンと音を立てて扉が閉まると、周りの木々と門の姿が同化し、目の前にあるはずの城壁も、見た目にはまったくわからなくなった。

「これじゃ、誰も見つけられないはずだ……。」

「……もうまったくわからないですもんね。」

 ウィルの言葉に、私も相づちを打つくらいしか出来ない。

「さあ。帰ろうか。生者の街へ」

「はい! 」

 私は、ウィルに返事をすると、森へと足を踏み入れた彼の後を追った。
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