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こんにちは異世界
01 はじまり
しおりを挟む──ネロの夢を見ていた。
土砂降りの雨の夜に拾った、小さな黒猫。捨てられた段ボール箱の中、びしょ濡れで声も出せずに弱っていた消えそうな命。
連日深夜まで仕事が終わらないブラック企業勤めのぼくは、雨の中ふらふらと家への道を歩いていた。そして、よろけて躓いた先に段ボール箱があり、中にいた黒猫と目が合ってしまった。
物音に驚いたのか、金色の目が一瞬見開かれる──が、力無く閉じた。不運続きで人生をあきらめかけているぼくと似ているような気がして、抱き上げずにはいられなかった。
スーツの胸元に入れると、よほど寒かったのだろう、ぴったりとぼくにくっついて眠ってしまう。おいおい、いきなり懐きすぎだよ。
家族も友達もいないぼくは、自分を必要としてくれる、この儚い存在に愛しさがこみあげてしまい、その夜から黒猫はぼくの家族になった。
亡き父の国の言葉、イタリア語で黒――ネロと名付けたその猫は、その後めきめきと回復した。
小さくてやせっぽちだけど、少し長めのふさふさの毛並みに、立派なしっぽ。青みがかった金色の目を持つ、美しい黒猫だった。
ネロは、なにかにつけてぼくを噛んだ。
ぼくがお風呂から出ると「さみしかった」と噛んだし、仕事から帰ってきても「ひとりぼっちが嫌だった」と噛んだ。
おなかがいっぱいのときも、ぼくの親指の付け根をカプカプと甘噛みしたし、ネロに噛まれない日はなかった。
でも、ぼくが眠ったふりをすると、ざりざりした舌で、そっと顔をなめてくる。
ネロになめられない日も、なかった。
抱きしめようとすれば、ぷいと腕から逃げ出してツンとするのに、朝起きると、ぴたりとぼくの体にくっついて眠っている。
──素直に甘えればいいのに。
眠っているネロを撫でると、喉をゴロゴロと鳴らしてすり寄ってくる。……こういうのをツンデレっていうのかな。
天涯孤独のぼくとネロ。一人と一匹の家族で、きっとこんな平和な日が、ずっと続くんだと思ってた。
***
ぼくは、あたたかい水の中でふんわりとたゆたっていた。
──そろそろ起きなさい──
誰かの声に引かれるように、意識が浮上していく。
目を開けると、まぶしいくらいに真っ白な世界が広がっていた。
上下左右、どちらを見ても何もない。ただ柔らかな光に満ちている。ぼくしかいない空間。
「っ、なんで?……ここはどこ?」
その問いに答える声はなかった。
最後に覚えているのは、交差点に突っ込むトラックのヘッドライトの光。驚いて動けない、ランドセルを背負った女の子たち。ぼくは、彼女たちをかばって、それから自分が砕ける音を聞いた。
じゃあ、ぼく、死んだんだ……ここは天国の入口?
自分が死んだことに、特に感傷はなかった。事故で家族を亡くしてから、ぼくは生きることにそれほど前向きになれなかったから――
――あ、ちょっと待って!そうだ!ネロがぼくの帰りを待ってる!
ネロは、鍵のかかったあの部屋から、自力では出られない。誰かに見つけてもらえないと、あのままでは餓死してしまう。
どうすればいいんだろう。ほんとにぼくは死んでしまったの?もうネロのそばに戻れない?
涙が頬をつたう。死んでも死にきれないとは、こういうことかもしれない。
子供のように泣きじゃくり、顔をぐしゃぐしゃにしたぼくの前に、どこからともなく、一人の老人が現れた。
雪のように白い髪とひげをたくわえ、ふっくらとした体に白いローブ。どこかサンタクロースを思わせる風貌だけれど、その目は深く澄んでいて、言葉にせずとも心の奥まで見透かされるようだった。
その人のまとう空気は、陽だまりのようにやわらかく、けれど、こちらが背筋を伸ばしたくなるような、不思議な威厳があった。
「ずいぶん泣くんだなあ、神木周くん」
「うぅっ……なぜぼくの名前を?
あなたは誰ですか?……もしかして……神様?」
「うむ、人はわしをそう呼ぶ。
気づいているかもしれないが、あの世界での神木周という人間は、もう死んでしまった。
君は、交差点に突っ込んだトラックから二人の小学生をかばって死んだのじゃ。
今の君は魂だけの存在。その涙の理由──なにか心残りがあるなら話してみなさい」
「……ありがとうございます。
あの……ネロを、ぼくの猫を、部屋から出してあげてもらえませんか。
……出来たら、やさしい飼い主に出会えるといいし、幸せに長生きしてほしい。大事な子なんです」
神様はうんうんと頷いて、こう言った。
「猫のこと、承知した。
君の魂は、この後違う世界に転生することになる。もともとは君はあの事故で死ぬ運命ではなかったので、本来の寿命がまだ残っているんじゃ。このままの姿で転移し、あちらで残りの人生を送ってもらう。
なにか希望はあるかね?」
「うーん、なにも思いつきません。別にもう人生終わりでよかったんです。
人付き合いが苦手なので、田舎みたいなところでゆっくり暮らせれば……」
「それだけか?魔法とか、強い力や知恵は要らんのか?
今までの人間は、そういうものを欲しがったんじゃが……」
「ぼくにはそういうものは、分不相応なので。
そうですね、読書が好きなので、本とそれを読む時間があったらうれしいです」
「こほん……君は無欲すぎて、神として張り合いがないな。今世の不運が、君をそうしてしまったのかな。
よし、おまけで加護をつけておくぞい」
「おまけ?……ふふっ、ありがとうございます。
神様、ネロのこと、どうかよろしくお願いします」
神様との対話が終わると、ぼくは再び、水のような、ふんわりとした流れにのみこまれていった。
この中には、無数の命が溶けている。あらゆる世界を包みながら流れ、必要な場所に命を授け、世界全体のバランスを保っているのだという。
ぼくは、いったいどこに運ばれていくのだろう──
やがて、まぶた越しに光が差し込んでくるのがわかった。
風が頬をくすぐる。土の匂い、森の匂い、水の流れる音──五感が少しずつ戻ってくる。
新しい肉体が、構成されていく。
自分の体の重みを感じ、胸いっぱいに息を吸い込んで、目を開こうとしたとき――ずん!と胸の上になにがが乗っかった。
ガブッ!
そして、鼻先に懐かしい痛みを感じた。
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