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こんにちは異世界
05 水鏡
しおりを挟む異世界三日目の朝、ネロは朝の散歩に、ぼくは裏の泉に頭を洗いに向かった。
泉のほとりに腰をおろし、水面に顔をよせる。風が凪いで、水鏡に自分の顔が映った。
「あれ?」
昨日あれだけもしゃもしゃだった髪は、さらさらのまっすぐな髪に戻っていた。
一晩寝るとリセットされるのかな。
まあいいや、へんてこ異世界ルールどんとこいだよ。
久しぶりに自分の顔を見た気がする。父は北方系イタリア人で、ぼくはその遺伝を強く受けたらしい。肌は真っ白、瞳は明るい緑、髪は麦わらのような薄茶色──色素が薄く、どこか儚げな顔立ちに、如何にも西洋の血が入ってますって感じのハーフで、細面の女顔だった。
子どもの頃から、人に注目されることが多く、変な大人に付きまとわれたことで、引っ込み思案な性格に人間不信が加わり、友達もできないまま、学生時代を送った。
やさしくしてくれる人はいた。でも、下心を持って近づいてくる人のほうが多かった。ぼくの中性的な顔立ちは、女性だけでなく、男性も惹き付ける。友達になれそうだと好意を抱いていた男性に、襲われそうになったこともあった。悲しかったのは、彼がぼくの容姿しか好きじゃなかったこと。揉めたときに、この陰気な性格を全否定され、友だちとしての好きすら木っ端微塵になった。
ぼくは、陰気で思い込みの激しい空っぽ人間ですよーだ。
卒業間近で、両親が事故死して、ひとりになったぼくは、頼る存在を亡くし、世の中の全てが怖かった。髪を黒く染め、焦げ茶色のカラーコンタクトを装着し、大きな黒縁メガネをかけて、本当の姿を隠して生きた。
そこまでして、ようやくほっとできたんだ。
だから、自分の顔はあまり好きじゃない。
異世界に転移したことで、オリーブグリーンに変わった髪を摘まむ。苔みたいな色、落ち着いた静かな色で好きだ。この世界には、他にはどんな髪色の人がいるのかな。猫はいるのかな?もしかして全ての猫がネロサイズ?
目の色も肌の色も薄いままだけど、いつか村か街に行って、この世界の人と交流してみたいと思った。もちろんネロと一緒に。
そんなことを考えながら、もう一度泉をのぞきこむ。
水に映ったぼくは、はっとするような明るい表情をしていた。照れくさくなって、ばしゃばしゃ顔を洗って立ち上がる。さあ、一日の始まりだ。
***
朝食用にりんごの皮をむいていると、ネロが帰ってきた。
「お帰り、ネロ。今朝はなにか見つけた?」
「がう!」
「へー、見つけたんだ。後でつれてってくれるかな?」
「がう!」
ぼくは、りんごをしゃりしゃり食べながら、ネロの口の中にも放り込む。このりんごは、あのつむじ風──ぼくの加護から生まれたりんご。すごく美味しいんだけど……、気のせいかな?途中で食べる用に少し持っていこう。
支度をして家を出ると、今日のネロは昨日の沼地とは反対に進んだ。
なんとなく覚えてる。そっちには、崖があったはず。どんな景色が見えるのか、期待してしまう。
森を抜けると、視界が一気に広がった。雲一つない青空と、ぼくが最初にいた草原があった。
ネロが走り出したので、つられてぼくも追いかける。全力で走ったのなんて何年ぶりだろう、わは!向かい風を体いっぱいに受けて、全身の筋肉を使って前に進む。心臓がどくんどくんと音をたてる。息があがっても、ぼくたちはどこまでも走れる気がした。
前方のネロが立ち止まり、ぼくも止まる。草原の端は崖になっていて、眼下にはまだ見ぬ景色が広がっていた。ぶわっと下から勢いよく風が吹き上げる。
点在する家々、小さな村や大きな街、それらをつなぐ広い街道、たなびく煙、人々の営み──
地平線の彼方には、光る海が見えた。
「わぁ、すごい!」
すごいとしか言えなかった。
ぼくたち以外の存在をまじまじとリアルに感じたし、それが想像より遥かに大きなスケールなことや、視界から入る情報の濁流に、ぼくは戸惑い、少し怖くなってしまった。この世界の人の前に出る勇気が、すこしだけ揺らいでしまった。
だって、そうでしょう。
住人がほんの一握りの小さな村がぽつぽつあって、穏やかに暮らしているのを想像していたのに、目につくのは、きちんと文化が発達した、勢いのある大きな村や街なんだから。
いきなり人の多い場所に行くのは、ハードルが高すぎる。
小さい村を選んで、地味な交流から始めよう。
どんな人がいるかもわからないから、まずは人に合わずに周りからうかがうだけにして、様子を見よう。
「ネロ、ぼくはこの世界の人となかよくできるかな?
少し……いや、ほんとうは、すごく怖い。でも、ここで立ち止まったら、昔と同じだ。
せっかく新しい世界に来たんだから、もう少し冒険してみたいんだ」
「がう……」
ネロが、ぼくの横にぴたりと寄り添って、長いしっぽを巻き付けてくれる。
ぼくは自分の鼻とネロの鼻をこつんと合わせて、金色の目を見つめた。
そうだよね、今は君がついてくれている。
ずっと一緒にいてなんて言えないよ、ネロは猫だもん。いつか可愛い猫と恋をするだろうし、お嫁さんが出来てどこかに行っちゃうかもしれない。
それまでぼくは頑張って、ひとりでもこの世界で生きていけるように準備をするよ。
もともと、ひとりで生きていくつもりだったんだから。
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