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首都
23 さよなら世界
しおりを挟むぼくが、その会話を耳にしたのは、偶然のことだった。
聖堂での礼拝を終えた後、通りかかった廊下で聞こえてきた会話に、ぼくは思わず足を止め、物陰に身を潜めた。
「教皇様、聖水の備蓄が底をつきそうです。もう神の泉には行けないのでしょうか」
「あのウサギの代わりに、泉まで案内する者が必要よのう……そうじゃ神子を使えばいい。あれも首輪を着けておるんじゃ、逆らいはしないだろう」
「それはいい考えですね。隷属の首輪でしつければ抗うことは出来ないでしょう。
それにしても実に皮肉ですね。獣人だけでなく、神子さえも服従させる隷属の首輪に、神から賜った聖水が使われているなんて。
獣人たちを奴隷化し、人間がその上に立つ、この社会の仕組みは、まさに神の意志なのでしょう」
「そうじゃな。……あの泉がある限り、この国の栄光は揺るがん。すべては神の思し召しよのう」
笑い合う教皇と司祭、。その内容にショックを受けたぼくは、しばらくその場を動けなかった。
獣人たちの悲しみや苦しみの元、彼らを支配する隷属の首輪が、神様の意志だなんて……そんなこと、あるはずがないよね……。
でも、なにが正しくて、なにが間違いなんだろう。この世界では、ぼくのほうがおかしいんだろうか。
その日から、ぼくは頭の中の声がうるさくて、完全に眠れなくなってしまった。
ネロがいたら、ぼくが眠れるまであたたかいもふもふの体で抱きしめてくれるだろう。不安なときはざりざりの舌でずっと甘やかしてくれるだろう。ネロ……君がいない世界はとても寒い……
少しずつぼくの体は弱っていった。ライとレフ――精霊たちがいなかったら、とうに気がふれていただろう。
ある日、司祭の一人がぼくを訪ねてきた。前々からいやらしい目付きでぼくを見る男だ。なにかと体に触れようとするのも嫌だった。
その時、ぼくの部屋には、世話係の獣人女性二人もいたので、安心して部屋に通してしまった。
「神子様。最近お痩せになりましたね。青白い肌にやつれた姿が、はぁ……凄絶に美しいです。一度くらい、私にいい思いをさせていただけませんか?」
「いい思いって、どういう意味ですか?性的なものはお断りします」
「はっ、なに純情ぶってんだよ。ヤらせろって意味だよ。わかるだろ?」
いきなり口調を変え豹変した司祭は、血走った目をぼくに向け、腕を掴んでベッドに放り投げた。弱っていたぼくは、そのまま力なく倒れこんでしまう。その上から、彼は覆い被さるようにして両手を掴み、ぼくの自由を奪った。
「やめてくださいっ!やだっ!やっ!」
「ほぅ、逆らうのか。いい度胸だな。――首輪よ、締まれ!」
その声で。隷属の首輪がぐぐっとぼくの喉を締め上げる。狭くなった喉から、ひゅーひゅーと喘鳴が漏れる。身体中の力が抜けていく。
「うぅ……っ」
「知ってるか?首が締まった状態でヤるととても気持ちがいいらしいぜ。さあ、脱がしてやるよ」
されるがままに服を剥がされたぼくに、上着を脱いでのしかかる司祭。突然――部屋の隅で震えていたはずの獣人女性が、彼に飛びかかった。
「神子様を汚すなぁっ!」
女性はすぐにはね飛ばされた。もう一人の獣人女性も、ぼくを助けようと司祭に歯向かった。
「はっ!獣人は馬鹿だな。おまえたちの首についてるものが何かわかってるだろ。首輪よ、締まれ!」
首が締まり苦しみのたうつ二人を、ベッドから降りた司祭は楽しそうに蹴りあげ始めた。
ぼくのために、ぼくのせいで、苦しむ姿をもう見ていられなかった。こんな世界が神様の意志だなんてあるはずがない、そうだよね。
自由になった両手を合わせ、ライとレフを呼ぶ。
「ねぇ、ライ、レフ、神様は知ってるの?
泉の聖水で隷属の首輪が作られて、たくさんの獣人が苦しんでるの、知ってるの?
それはほんとうに神様の意志なの?
ねえ、お願い、ぼくの加護、全部使って!
ぼくの心も体も全部あげるから――
神様、隷属の首輪をこの世界からなくして――お願いします!」
二人の精霊は、ぼくの言葉に深く頷いて、力強い笑みを浮かべた。
そして、手をつなぎ風となり回り出す。そのつむじ風はどんどんふくらんで勢いをつけ、この部屋の窓をばりんと破り、空いっぱいに大きく大きく広がって――はじけるようにふっと消えた。花びらみたいな無数の光のかけらが、きらきらと世界中に降り注ぐのが見えた。
パキッ――
ぼくの首輪が砕け落ちた。倒れている獣人女性の首輪も床に落ちていた。隷属の首輪が壊れたんだ――
「は!おまえ、何をした!今、何を祈ったんだ!首輪が壊れただと?っ、どうしてくれるんだ!」
激高した司祭は、ぼくの顔を強い力で殴った。ぼくはさっき自分の全てを捧げて願いを叶えてもらったのだから、この体も命も、もう自分のものではないと思った。もう何をされてもかまわない。願いが叶ったのだから。
血が飛び散った。
骨が折れる音がした。
どこか遠い世界で起きてることみたいだった。
殴られながら、ぼくは神様に感謝した。
(ありがとうございます)
痛みの中、部屋に踊り込んだ獣人男性が司祭を殴って、ぼくから引き剥がすのを見た。
倒れたぼくを抱き起こしてくれた彼の目から、涙がいっぱいあふれているのを見た。やさしい人だなと思った。
最後にネロに会いたかったな――
もう目が見えないや……さよなら世界――
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