罅割れた月

朝日奈徹

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逃走-銃撃◆「馬鹿野郎、探偵がただ働きするのは小説の中だけだ」

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 リドリが金を持ってきたのは、一週間と少し、たってからの事だった。
 新札ではない、皺のよった紙幣を、事務室の机にぶちまける。
「これで足りる?」
「は?」
「ガッシュを雇うお金!」
「ああ……」
 そんな事を言っていたな、と思い出したガッシュは、遠慮なく机の上の金を数え始めた。かなりの金額だ。
「ええと、おまえを守る料金に、この家に住んでいる家賃、そして諸経費か。う~ん。そうだな、ま、こんなところだな」
 紙幣をクリップで留め、内ポケットにしまいながら、ガッシュはリドリを見やった。
 本当は何歳なのか知らないが、どう見ても見かけは十四歳程度だ。いったいどうやってこんな金を稼いできたのだろう。
「おまえ。この金どうやって稼いだんだ?」
「仕事をみつけてきたんだ」
「おまえが? どんな?」
「近くにキャバレーがあるじゃない。あそこでダンサーとして雇ってもらったんだよ」
「……あの店か」
 大きな店で、飲み代も高いが、いろいろなショーを提供している事はガッシュも知っている。
 今は古着屋で買ったぶかぶかの服を着ているが、これがきわどい衣裳をつけて、客の前で踊っているのか。たぶん、さっきの金のほとんどは、衣裳に挟まれた客からのチップなんだろう。
「お金できたんだから、買物に行こうよ」
「またかっ?」
「またって……そろそろ食糧ないんだよ。買わないと」
「外で食べればいいじゃないか」
「いつもいつも同じダイナーで飽きないの?」
「別に」
「ぼくは絶対にやだ。だから買物行こうよ。美味しいもの作ってあげるよ」
 確かに、リドリの料理は上手かった。ガッシュは体よく懐柔され、買物に行くはめになった。

 ところが、少し家から離れた大きな雑貨屋であれこれ選んでいる最中の事だ。
「おまえ、月光族だな」
 いきなり、低い声をかけてきた者がある。
「は?」
 ガッシュは返しながら、リドリを横目で見やった。
 リドリは身を固くしている。
「こいつは俺の遠縁のガキだ。月光族? 冗談じゃねえ」
 ガッシュは凄む。
「調べたい。譲ってほしい」
「だから。奴隷じゃねえ。譲る譲らないの話じゃない」
 相手はどう見ても、鬼人か、鬼人の血が混じっている。この手の奴は荒事向きで、頭を使ったりはしないはずだ。
 問答無用で、ガッシュはリドリの腕をつかむと、雑貨屋の外に出た。追ってきているのがわかる。
「こっちだ!」
 リドリを引きずって、ガッシュは走った。
 月光族は、この国でまともに生きる権利がない。つまり、何をしてもいい、ということになる。
 ……まあ、そういう事態からリドリを守ると契約した事になるのだ。
 うまい具合に、バイク屋の店先に、キーのささったバイクがあった。ちょうど売買の交渉中だったようだが、店員と客の間にガッシュは割って入った。
「悪い、もらうぜ」
 バイクに跨がり、リドリを腰につかまらせた。
 リドリがバイク屋を振り返る。
「ごめん、後で払うからー!」
 その時には既にエンジンを始動させていた。両脚の間に、たのもしい震動が伝わってくる。バイク屋から走り出してすぐに、追っ手が車を出すのが見えた。ガッシュは素早くギアを切り替えた。

 良い加速だ。
 しかし、追っ手の車も相当ハイパワーのようだ。
 リドリの細い体を背中で感じながら、ガッシュはバイクを操った。
 大通りを抜けて行く間に、だんだんと追い迫られているのがわかる。バックミラーに、窓から拳銃を握った手が突き出されるのが見えた。
 ガッシュはリドリごと、バイクの上に身を伏せた
 蛇行して走り、他の車を盾にする。
 あちこちから怒号が飛んだ。
 それとともに、銃弾も飛んだ。
 それは路上で火花を散らし、あるいは他の車にあたって、悲鳴や怒号をあげさせている。
 一発は、ガッシュの腕をぎりぎりでかすめた。一瞬、腕がちりっと熱く痛むが、銃弾が当たったわけではない。経験で、ガッシュにはそれがわかる。でも、シャツの袖は切り裂かれたし、皮膚も軽い火傷くらいはしたかもしれない。
 なんとかこいつらを処理しなければ。
 細い路地とか川岸にでもつきあたれば、車のまきようはあるのだが、残念ながら、そのチャンスがない。いや、もう少し行けば、ば、川につきあたったはずだ。
 そう気付いたガッシュは、膝が路面にこすれるほど車体を倒しながら蛇行運転を続けた。
 ちらっと視線が充電計をかすめる。
 まずい。バッテリーがもうあまりもたない。
 店先に展示してあったバイクだから、試乗用にまにあうくらいの充電しかしていなかったとみえる。
 ガッシュは大きく舌打ちした。
 一気にスピードをあげた。
 もう、前方に川が見えて来る。
 顔に酷く風があたり、ガッシュは目を細めていた。
 またしても銃声。
 しかし、大きく弾道ははずれていた。
 バックミラーの中で、追っ手の車が追いすがってきているのがわかった。
 ここは、引きつけておかなくては。
 その分銃弾をよけるのも大変なのだが。
 次の射撃はかわせたが、一発がまずいことに、左のバックミラーに当たった。これではもう背後が見えない。
 しかし、川はすぐそこだった。
 そら。ここだ。
 つきあたりのすぐ下が川なのだ。
 ガッシュとリドリを乗せたバイクは、土手を乗り越え、大きく跳んだ。土手に着地すると、下顎が上顎にぶつかり、歯ががちっと鳴った。
 そのまま弾みながら土手を駆け下りる。
 車もそのまま着いてきていた。
 あともう少しで水際、というところで、ガッシュは思いきりブレーキをかけながら、ギアを替え、バイクの前輪を大きく跳ね上げた。ロックされた後輪はそのままに、体重を振って、強引に車体を反転させる。
 同時に、ガッシュは背中のホルスターから拳銃を抜き出し、車にむけて三点射した。
 どうっどうっどうっ。
 頼もしい反動が掌から腕まで伝わる。
 三射目で、フロント硝子が砕けた。
 ガッシュはにやりと笑った。
 暗黒弾用のコーティングはしてあるようだが、ガッシュが使うのはただの個体弾だ。今では珍しいのだが、おかげで今回のように、相手の防備を破る事ができるのもしばしばだった。
 助手席の扉が開き、黒いソフト帽の男が現れた。
 左腕に赤い染みができている。
 どうやら、三点射の最後の一発はこの男に当たったらしい。
 しかし、フロントガラス越しに、運転していた男はハンドルに突っ伏しているのが見える。
「なんでこいつを狙う?」
 ソフト帽の男は唇を歪めた。
「それはおまえには関係ない」
「とんでもない。おおありだ」
「なら自分で調べるんだな、おまえは探偵なんだろ」
 ガッシュの銃口はまっすぐその男を向いている。
「甘えんじゃねえよ。俺に調べてほしいなら、探偵料を払え」
 その時、誰かが通報したのだろう、警察の車がたてるサイレンの音が、幾つもこちらに向かっているのが聞こえてきた。
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