罅割れた月

朝日奈徹

文字の大きさ
上 下
5 / 6

警察-保釈◆「権利条項なんか、このあたりの警察は知ったこっちゃないからな」

しおりを挟む
 警察の車からばらばらと警官が飛び出してきたかと思うと、ガッシュは荒々しく腕をつかまれた。息つく間もなく、フロントガラスが割れた車体に押しつけられ、両手首を後ろで拘束された。
「リドリ! レゴンだ!」
 それだけ叫ぶのが精一杯だった。
 必死に振り向いた視界の隅に、バイクから滑り降りたリドリが、するりと警察車両の間を抜けて、人混みに消えて行くのが見えた。
 リドリはわかってくれただろうか?
 レゴンというのは、馴染みの弁護士の名前だ。
 家に帰れば、事務室の机の上に、電話とアドレスブックがある。その中の、一番最初の頁にレゴンの名前と事務所の電話番号が書いてある。
 うまくやってくれればいいが……。
 警察車両に引き立てられながら、ガッシュは思った。

「ガッシュ。今度こそ観念するんだな」
 取調室でようやくガッシュは拘束を解かれたが、両側を固める警官に、乱暴に折りたたみ椅子に座らされた。
 目の前に腰掛けた刑事は、バースという。
 これまた顔なじみだが、遭っても嬉しいと思ったことなど一度もない。
「殺人、傷害、器物破損……今度こそくらいこむぞ」
「最初からそれかよ。頭から俺が悪いと決めてかかっているのかよ」
「ああ、そうだ。目撃者だって何人もいる。おまえはいきなり車に銃弾を叩き込んだ。ああ、その銃弾だってちゃんと回収済みだ。暗黒弾じゃあなくて、個体弾だ。そんなもんを使うやつはこの界隈でおまえしかいないだろうが」
「個体弾の方が、いざって時に役に立つんだよ」
 今回みたいにな、とガッシュは内心付け加えた。
「重たいだろ?」
 銃弾は、火薬や薬莢を含めた実包ひとつが、そもそもそれなりの重量だ。鉄の塊である銃にそんなものを七発も詰め込んだ日には、馬鹿にならない重量になる。
 それは、事実だ。
 薬莢の中に暗黒力を詰め込んだ暗黒弾なら、ずっと軽くする事ができる。暗黒弾の重量は、事実上、薬莢の重さしかないのだから。
 ガッシュは肩をすくめた。
「まあ、それはいい。で? なんで殺したんだ? え?」
「それは……」
 そこに、上等な仕立ての背広を引っかけた、栗色の髪の男が飛び込んできた。後ろから何人か走ってくる足音がするところをみると、制止する警官を振り切って押し入ってきたに違いない。
「レゴン!」
 ほっとしたようにガッシュが声をあげると、弁護士はふんと鼻先で笑い、掌をガッシュに向けた。
「それ以上何もしゃべるな、ガッシュ」
 得たりとばかりに、ガッシュは口をつぐんだ。
 バース刑事が鼻白んで、じろりとレゴンを見た。
「またあんたか」
「私の依頼人の権利を守るのが、私の仕事なんだ」
 取調室の古い机に、ばん、とレゴンは片手をついた。
「バース刑事。あなたは、私の依頼人ガッシュに、権利を読み上げましたか?」
「あん?」
 バース刑事がたじろいだ。
 この男は、何かと手続きを省略したがる癖がある。まあそういうことはガッシュも普段、さほど気にしない。だが、確かに、逮捕された時も、取調室に入れられた時も、格別何かを言われた記憶はないな。
 レゴンがガッシュを見る。
 ガッシュは内心機器としてかぶりを振った。
「読み上げていないんですね?」
「……あー。もしかすると、そうかもしれん」
「であるならば、今までにガッシュが口にした事の全ては裁判で証拠として採用する事はできません」
 どうせ大した事はしゃべっちゃいない。
 バース刑事はうんざりした顔で、被疑者としてのガッシュの権利を読み上げた。これは決まり文句なのだが、この界隈の警察は、バース刑事に限らず、この権利条項の読み上げを省略する傾向にあった。
 鬼人の血を引く者が多い警官の頭では、憶えていられないのかもしれない。
「ところで、バース刑事。ガッシュは発砲する前、明らかに被害者の車両に追跡され、かつ被害者から何度も銃撃を受けていたという証言が幾つもあります」
 そのあたりは既に調査されているのでしょうね。
 もちろんだ。
 はなから、バース刑事は押されている。完全にレゴンのペースだ。
「すなわち、ガッシュの発砲は正当防衛であったと言えます。では、こちらを」
 内ポケットから出した一枚の紙をレゴンは広げて、机の上に置いた。
 裁判所の保釈許可証だ。
 なんと手の早い。
「私の依頼人ガッシュは、警察または裁判所から許可のあるまでこの町からは出ず、いつでも出頭命令に応じますが、全ての連絡は私を通してするようにして下さい」
 レゴンは名刺を一枚、書類の上に付け加えた。
 バース刑事は、いやなものでも見るように、そのふたつを見た。
 刑事の机には、いったい何枚、レゴンの名刺が放り込まれているのだろう。
「さあ、行くぞガッシュ」
 ガッシュはいそいそと立ち上がり、レゴンの後について取調室を出た。
「超特急だったなあ」
「私の携帯に、リドリという子から電話が入った時、たまたま裁判所にいたんだ」
 まあ、弁護士が裁判所にいるのは普通の事だ。
「事情を聞いて、すぐに保釈を取り付け、ここに向かった」
「ありがたい」
「請求書は月末に送る」
 ありがたくない。
「あのリドリという子に感謝しろよ。事務所でなく携帯に電話してきたし、事情説明もわかりやすくてきぱきしていた。子供にしては優秀だ」
 おまえよりも、と目が語っている。
「家まで送って行こう」
「これも請求書に含まれるのか?」
「いや、これは個人的なサービスだ」
 レゴンがこれだけのことをしてくれるのは、高校時代からの親友だったからだ。
 体格も良く、高校の推薦状もあったガッシュは軍に入り、当時から成績優秀だったレゴンは大学へ進んで弁護士になったのだ。
 レゴンの操る高級セダンは、静かに警察署を出ると、大した時間もかけずに、ガッシュの家の前に止まった。
しおりを挟む

処理中です...