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1:同じ穴の狢(むじな)
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この広い世界で隣の住まいに育ち、生まれは溯ること同年同月同日、同じ病院。芝野美咲と杉原智紀はそれだけで深い縁を感じさせる間柄であったが、二人の母とは違い、当の本人たちにその意識は無く、それぞれの自由意志に従って行動していた――。
「智く~~ん! 虫取り行こ~よ~♪」
虫取り網と虫籠を持って、リボンの付いた帽子を被った美咲が、勝手知ったる庭先から智紀に声を掛けた。
「嫌だ」
この即答もいつものお決まり。美咲はその返事に怯むことなく縁側からリビングに上がり込んだ。
「また虫の絵見てるゥ~。それより本物を捕まえに行こ~よォ……」
「……」
お気に入りの図鑑から目を逸らさず無視を決め込む智紀に美咲は強硬手段に出た。
「おばさ――ん。智君と一緒に裏山に行ってくるねェ―」
「おいっ!」
智紀は堪らず顔を上げた。
「あんまり森の奥に入っちゃ駄目よ――」
キッチンから智紀の母の間延びした声が承諾する。
「……」
ニヤリと口元を緩める美咲を智紀は憤慨を表わすようにギロリと睨み付けた。
(何で僕まで……。大体咲ちゃんに捕まるような昆虫はいないでしょ……)
智紀は心の中で悪態をつきながら美咲の後を渋々付いて行った。
御劔神社の敷地内でもある裏山は一般にも開放された遊歩道が敷かれ、この辺りの子供たちの遊び場にもなっていた。
「……、咲ちゃん! 道からそんなに離れちゃ危ないよ!」
「だって甲虫は木にいるんでしょ?」
(……、甲虫を狙ってるの!? 何でまた甲虫? 絶対無理だと思う!)
木立の中を躊躇なく進む美咲にうんざりしながらも、仕方なく智紀も従って遊歩道から外れた。
「大っきな木……」
樹齢百年を越える立派な楡の木に見惚れ、見上げたまま後ずさる美咲。その後方が窪地になっていることに気付いた智紀は、「……っ咲ちゃんっ!! 危なっ――!」思わず飛び込んでいた。
「へっ――!?」
グキッ! ズザザザザァ――。
(痛て……!?)
美咲が振り返った為、智紀は目測を誤り、墜ちる際に足を挫いたようだが、縁に沿って滑り落ちた為、肌を晒した箇所は擦り傷だらけになったが、大きな外傷には至らなかった。
(……ほら、咲ちゃんと一緒に居ると何か僕だけ痛い思いする……)
智紀は軽い発作を感じながら一人ゴチた。
(自力じゃ上がれそうにないな……)
智紀は痛めた足を放り投げ、斜面を見上げながらポケットの中の吸入器に手を伸ばした。
(……っ!? 無いっ!? どうして……?)
智紀の表情が見る見る蒼白になってゆく。焦りから更に呼吸が浅くなる。
「智く~~ん! 大丈―夫――?」
(……イラッ)
窪の底で辺りを見回しながら再び美咲を無視した。探し物は見当たらず、諦めて呼吸を整えていると……、ズザザザザァ――!!
(……っ!?)
「はいっ!」
降りて来た美咲が智紀の吸入薬を差し出した。
「な……、んで……」
「上に落ちてた……。智君、探してたでしょ?」
(いやいやいやいや、違う違う……。咲ちゃんは降りて来ちゃ駄目でしょ……)
ヒューヒューと言葉にならず、智紀は仕方なく受け取った吸入薬を吸い込んだ。
「何で咲ちゃんまで降りて来ちゃったの? 咲ちゃんにはママたちを呼びに行ってもらいたかったのに……」
「駄目だよっ! 智君を一人置いては行けないよっ」
「……」
確かに、美咲一人では迷子になるかもしれない……そう思い直し、ここで親たちが二人を探しに来るのを待つことにした……。
「お腹空いた……」
美咲のその言葉に智紀は空を振り仰いだ。
「……」
天を覆う枝葉から茜色の空が覗いていた。
「……、咲ちゃん。どうして甲虫を捕まえたいの?」
気を紛らわそうと智紀はふと疑問を口にした。
「……」
美咲は押し黙ったまま不機嫌な表情になって、「だって、ヒロ君……、智君のこと馬鹿にするんだもん……」と渋々白状して気まずそうにプイとそっぽを向いた。
「え……?」
美咲の意外な返答に智紀は驚いた。ヒロ君は同じ園の餓鬼大将で法螺吹きだ。奴の言うことなんか皆本気で聞いちゃいない。それと今、青葉幼稚園生の間で甲虫が人気で、甲虫を自力で捕まえようものなら園の英雄にだってなれるという背景を鑑み、今回の美咲の行動を理解して智紀は思わず吹き出した。
「……っ!? 何で智君が笑うの?」
美咲は何がそんなに可笑しいのか理解出来ない様子で、只々茫然と智紀を見つめ続けた。
智紀は一頻り笑った後、「……、ありがとう……。咲ちゃん」とぽつり礼を述べた。
「……っう、智君にありがとうって言われるようなことは……、フゥッ……、何もしてないィ……」
突然、糸が切れたように美咲は泣き出した。
「……ヒッ、今だって智君に怪我させて……、ここから出られないし……」
「……!?」
ぽろぽろと涙を零す美咲を目の当たりにして、智紀は不意に焦燥感に襲われ、思わず美咲に抱き付いた。
突然抱き付かれた美咲は驚いて、「智君……、寒いの……?」涙は引っ込んだ様子で、鼻を啜りながら美咲は尋ねた。
「ゥン……」
自分の行動に上手く説明を付けられず、智紀は以前母がしてくれたように、ぽんぽんと何度も美咲の背中に優しく手を添えた。
「……」
美咲も智紀の真似をして、その内二人は互いの体温に安心したのか、その日の夜、町内会の消防団によって救出されるまで身を寄せ合ったまま眠りこけていた。
この一件により、二人が裏山に入ることを禁止されたのは言うまでもない。加えて智紀にとって煩わしいだけの存在だった美咲が、個として尊重される切っ掛けになった出来事だということもまた定かである――。
「智く~~ん! 虫取り行こ~よ~♪」
虫取り網と虫籠を持って、リボンの付いた帽子を被った美咲が、勝手知ったる庭先から智紀に声を掛けた。
「嫌だ」
この即答もいつものお決まり。美咲はその返事に怯むことなく縁側からリビングに上がり込んだ。
「また虫の絵見てるゥ~。それより本物を捕まえに行こ~よォ……」
「……」
お気に入りの図鑑から目を逸らさず無視を決め込む智紀に美咲は強硬手段に出た。
「おばさ――ん。智君と一緒に裏山に行ってくるねェ―」
「おいっ!」
智紀は堪らず顔を上げた。
「あんまり森の奥に入っちゃ駄目よ――」
キッチンから智紀の母の間延びした声が承諾する。
「……」
ニヤリと口元を緩める美咲を智紀は憤慨を表わすようにギロリと睨み付けた。
(何で僕まで……。大体咲ちゃんに捕まるような昆虫はいないでしょ……)
智紀は心の中で悪態をつきながら美咲の後を渋々付いて行った。
御劔神社の敷地内でもある裏山は一般にも開放された遊歩道が敷かれ、この辺りの子供たちの遊び場にもなっていた。
「……、咲ちゃん! 道からそんなに離れちゃ危ないよ!」
「だって甲虫は木にいるんでしょ?」
(……、甲虫を狙ってるの!? 何でまた甲虫? 絶対無理だと思う!)
木立の中を躊躇なく進む美咲にうんざりしながらも、仕方なく智紀も従って遊歩道から外れた。
「大っきな木……」
樹齢百年を越える立派な楡の木に見惚れ、見上げたまま後ずさる美咲。その後方が窪地になっていることに気付いた智紀は、「……っ咲ちゃんっ!! 危なっ――!」思わず飛び込んでいた。
「へっ――!?」
グキッ! ズザザザザァ――。
(痛て……!?)
美咲が振り返った為、智紀は目測を誤り、墜ちる際に足を挫いたようだが、縁に沿って滑り落ちた為、肌を晒した箇所は擦り傷だらけになったが、大きな外傷には至らなかった。
(……ほら、咲ちゃんと一緒に居ると何か僕だけ痛い思いする……)
智紀は軽い発作を感じながら一人ゴチた。
(自力じゃ上がれそうにないな……)
智紀は痛めた足を放り投げ、斜面を見上げながらポケットの中の吸入器に手を伸ばした。
(……っ!? 無いっ!? どうして……?)
智紀の表情が見る見る蒼白になってゆく。焦りから更に呼吸が浅くなる。
「智く~~ん! 大丈―夫――?」
(……イラッ)
窪の底で辺りを見回しながら再び美咲を無視した。探し物は見当たらず、諦めて呼吸を整えていると……、ズザザザザァ――!!
(……っ!?)
「はいっ!」
降りて来た美咲が智紀の吸入薬を差し出した。
「な……、んで……」
「上に落ちてた……。智君、探してたでしょ?」
(いやいやいやいや、違う違う……。咲ちゃんは降りて来ちゃ駄目でしょ……)
ヒューヒューと言葉にならず、智紀は仕方なく受け取った吸入薬を吸い込んだ。
「何で咲ちゃんまで降りて来ちゃったの? 咲ちゃんにはママたちを呼びに行ってもらいたかったのに……」
「駄目だよっ! 智君を一人置いては行けないよっ」
「……」
確かに、美咲一人では迷子になるかもしれない……そう思い直し、ここで親たちが二人を探しに来るのを待つことにした……。
「お腹空いた……」
美咲のその言葉に智紀は空を振り仰いだ。
「……」
天を覆う枝葉から茜色の空が覗いていた。
「……、咲ちゃん。どうして甲虫を捕まえたいの?」
気を紛らわそうと智紀はふと疑問を口にした。
「……」
美咲は押し黙ったまま不機嫌な表情になって、「だって、ヒロ君……、智君のこと馬鹿にするんだもん……」と渋々白状して気まずそうにプイとそっぽを向いた。
「え……?」
美咲の意外な返答に智紀は驚いた。ヒロ君は同じ園の餓鬼大将で法螺吹きだ。奴の言うことなんか皆本気で聞いちゃいない。それと今、青葉幼稚園生の間で甲虫が人気で、甲虫を自力で捕まえようものなら園の英雄にだってなれるという背景を鑑み、今回の美咲の行動を理解して智紀は思わず吹き出した。
「……っ!? 何で智君が笑うの?」
美咲は何がそんなに可笑しいのか理解出来ない様子で、只々茫然と智紀を見つめ続けた。
智紀は一頻り笑った後、「……、ありがとう……。咲ちゃん」とぽつり礼を述べた。
「……っう、智君にありがとうって言われるようなことは……、フゥッ……、何もしてないィ……」
突然、糸が切れたように美咲は泣き出した。
「……ヒッ、今だって智君に怪我させて……、ここから出られないし……」
「……!?」
ぽろぽろと涙を零す美咲を目の当たりにして、智紀は不意に焦燥感に襲われ、思わず美咲に抱き付いた。
突然抱き付かれた美咲は驚いて、「智君……、寒いの……?」涙は引っ込んだ様子で、鼻を啜りながら美咲は尋ねた。
「ゥン……」
自分の行動に上手く説明を付けられず、智紀は以前母がしてくれたように、ぽんぽんと何度も美咲の背中に優しく手を添えた。
「……」
美咲も智紀の真似をして、その内二人は互いの体温に安心したのか、その日の夜、町内会の消防団によって救出されるまで身を寄せ合ったまま眠りこけていた。
この一件により、二人が裏山に入ることを禁止されたのは言うまでもない。加えて智紀にとって煩わしいだけの存在だった美咲が、個として尊重される切っ掛けになった出来事だということもまた定かである――。
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