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2:死別
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智紀の母が他界したのは智紀がまだ八歳の頃だった。元々腎臓を患っていた香乃子は一度流産を経験しており、今回智紀を無事出産出来たものの、今度は香乃子自身の体調が思うように回復せず、入退院を繰り返していた。
その歳月は、生きたいと願う香乃子の生命力をゆっくりと無情に削ってゆく時間であり、またそれは刻々と近付く別れの準備をする期間でもあった。
香乃子は自分がいない未来を見据え、智紀に生活に係る家事全般を教え込んだ。初めこそ反発していたものの、徐々に弱ってゆく母を見兼ねて智紀は従順に言い付けを守るようになった。
(僕が良い子でいれば、ママは元気になるかもしれない……)
いつしかその願掛けが智紀の原動力になっていた。しかし、どんな努力を前にしても、人の死は無情に降り注ぐ……。
生命の灯が尽きた母を送る為、見知らぬ大人たちが智紀の目の前を忙しなく行き交い、時に智紀に憐憫の眼差しを向け、何か声を掛けたらしいが、当時のことで今も記憶しているのは、美咲とその弟である遥斗の二人が片時も傍を離れず、それは三兄弟に思われる程だった。その二人が触れている肌から伝わってくる温もりだけが智紀に生きている実感を与えていた。病室のベッドサイドで父と二人、母を看取って大泣きしてから、智紀の心は凍り付いたように表情を失っていたからだ。
葬送を終え、二人きりになった家で、智紀はずっと気に懸かっていた事を父に問い質した。
「パパ……。ママが生きられなかったのは、僕の努力が足りなかったから……?」
人形の様だった息子が突然口を開いたので、智明は智紀の正面に回り、膝を付いた。
「僕が良い子じゃなかったから……、ママはここにいられなかったの……?」
涙を湛えた瞳を真っ直ぐ智明に向け、やっと心を吐露し始めた息子をしっかりと抱き留めた。
「智紀……。それは違う。絶対に違うよ……」
香乃子が用意した智紀の礼服にぽたりと智明の涙が落ちた。
「……じゃア、どうしてママはいなくなっちゃったの?」
鼻を啜り、肩を大きく揺らしながら智紀は理由を求めていた。
(香乃……)
智明はゆっくりと瞼を上げ、香乃子が用意してくれた言葉を智紀に伝えた。
「ママが生きられなかったのは、誰の所為でもない。それこそ智紀の所為である訳がない。それは神様とママとの約束事だったんだよ。ママは約束を守るしかなかったんだ……」
智明は智紀の赤く潤んだ瞳を真っ直ぐ見つめて優しく語りかけた。
「神様は意地悪だ……」
はらはらと涙を流しながらも智紀はキッと智明を睨み付けた。
「そうだな……」
智明は困った表情して智紀の涙を拭った。
「ママに会いたいよ……」
か細く呟いて智紀は智明に抱き付いた。
「パパも会いたいよ……」
智明は智紀をしっかりと抱き返し、優しく頭を撫でた。そのまま寝入ってしまった息子をベッドに寝かしつけ、ジャケットを脱がせながら、香乃子がどんな想いで自分の葬式の為に息子の礼服を用意したのか、それを思うと胸が締め付けられた。
(香乃……。俺一人でも智紀をちゃんと育てられるよう、どうか見守っていてくれ……)
すうすうと規則正しい呼吸を聞きながら、智明はそっと智紀の前髪を掻き分けた。赤く腫れた目の縁に触れ、この小さな胸にどれ程の痛みを抱えているのか、これからどう接してやれば良いのか、智明はもう既に手詰まり状態だった。だがこの夜以降、智紀が母恋しさに甘えて泣くことは二度と無かった……。
その後、香乃子の教育の賜物か、男二人所帯でも何とか家事全般上手くこなしていた。何より智紀の成長著しく、小学生にして自活出来るレベルであった。加えて美咲の母の厚意もあって、美咲と遥斗と智紀はそれこそ三兄弟のように芝野家で育った。
体躯の成長と共に喘息症状も鳴りを潜め、一見して元気に日々を過ごしているように見える。しかし、幼くして母を失った事は、智紀の心に癒えることの無い傷を残していた……。
その歳月は、生きたいと願う香乃子の生命力をゆっくりと無情に削ってゆく時間であり、またそれは刻々と近付く別れの準備をする期間でもあった。
香乃子は自分がいない未来を見据え、智紀に生活に係る家事全般を教え込んだ。初めこそ反発していたものの、徐々に弱ってゆく母を見兼ねて智紀は従順に言い付けを守るようになった。
(僕が良い子でいれば、ママは元気になるかもしれない……)
いつしかその願掛けが智紀の原動力になっていた。しかし、どんな努力を前にしても、人の死は無情に降り注ぐ……。
生命の灯が尽きた母を送る為、見知らぬ大人たちが智紀の目の前を忙しなく行き交い、時に智紀に憐憫の眼差しを向け、何か声を掛けたらしいが、当時のことで今も記憶しているのは、美咲とその弟である遥斗の二人が片時も傍を離れず、それは三兄弟に思われる程だった。その二人が触れている肌から伝わってくる温もりだけが智紀に生きている実感を与えていた。病室のベッドサイドで父と二人、母を看取って大泣きしてから、智紀の心は凍り付いたように表情を失っていたからだ。
葬送を終え、二人きりになった家で、智紀はずっと気に懸かっていた事を父に問い質した。
「パパ……。ママが生きられなかったのは、僕の努力が足りなかったから……?」
人形の様だった息子が突然口を開いたので、智明は智紀の正面に回り、膝を付いた。
「僕が良い子じゃなかったから……、ママはここにいられなかったの……?」
涙を湛えた瞳を真っ直ぐ智明に向け、やっと心を吐露し始めた息子をしっかりと抱き留めた。
「智紀……。それは違う。絶対に違うよ……」
香乃子が用意した智紀の礼服にぽたりと智明の涙が落ちた。
「……じゃア、どうしてママはいなくなっちゃったの?」
鼻を啜り、肩を大きく揺らしながら智紀は理由を求めていた。
(香乃……)
智明はゆっくりと瞼を上げ、香乃子が用意してくれた言葉を智紀に伝えた。
「ママが生きられなかったのは、誰の所為でもない。それこそ智紀の所為である訳がない。それは神様とママとの約束事だったんだよ。ママは約束を守るしかなかったんだ……」
智明は智紀の赤く潤んだ瞳を真っ直ぐ見つめて優しく語りかけた。
「神様は意地悪だ……」
はらはらと涙を流しながらも智紀はキッと智明を睨み付けた。
「そうだな……」
智明は困った表情して智紀の涙を拭った。
「ママに会いたいよ……」
か細く呟いて智紀は智明に抱き付いた。
「パパも会いたいよ……」
智明は智紀をしっかりと抱き返し、優しく頭を撫でた。そのまま寝入ってしまった息子をベッドに寝かしつけ、ジャケットを脱がせながら、香乃子がどんな想いで自分の葬式の為に息子の礼服を用意したのか、それを思うと胸が締め付けられた。
(香乃……。俺一人でも智紀をちゃんと育てられるよう、どうか見守っていてくれ……)
すうすうと規則正しい呼吸を聞きながら、智明はそっと智紀の前髪を掻き分けた。赤く腫れた目の縁に触れ、この小さな胸にどれ程の痛みを抱えているのか、これからどう接してやれば良いのか、智明はもう既に手詰まり状態だった。だがこの夜以降、智紀が母恋しさに甘えて泣くことは二度と無かった……。
その後、香乃子の教育の賜物か、男二人所帯でも何とか家事全般上手くこなしていた。何より智紀の成長著しく、小学生にして自活出来るレベルであった。加えて美咲の母の厚意もあって、美咲と遥斗と智紀はそれこそ三兄弟のように芝野家で育った。
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