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5:浮気の定義
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懐かしい匂いに諏訪喬志は穏やかな目覚めを迎えた。人肌の温もりが心地良い。
(……っ!?)
しかし、その匂いに思い当たると喬志は青ざめ飛び起きた。息を飲む人の気配に顔を上げる。
「……っ美咲……?」
ワンルームマンションの扉の前で彼女が顔を真っ赤にして佇んでいた。目が合った瞬間、弾かれたように彼女は部屋を飛び出した。
「美咲っ! 待て……っ」
咄嗟に追い駆けようとしたが、「う~~ん……」と下着姿で腰に纏わり付いてくる母に気を削がれた。
「……酒臭ェ……」
相変わらず酒癖の悪い母に喬志は深く溜息を吐いた。
「全く……、その無駄な色気、いい加減何とかしろよ……、くそババア……」
毒舌を吐きながらもカールしたシナモン色の艶やかな髪を撫でる手つきは優しかった。
(…………。これで良いのかもしれない。こうでもしないと俺は彼女を手放すことなど出来ない……)
「信じらんないっ! 彼氏に浮気されるなんて……」
成人しても美咲は何か有る度にこうして智紀に愚痴りに来るのは変わらなかった。
智紀は地元の大谷大学に進学し、美咲は其処の短期大学に入学した。
「……咲も浮気してやれば?」
智紀も相変わらず軽口で返す。
「……智君、相手してくれんの?」
智紀の意外な提案に、美咲は真剣な眼差しを向けた。
「……、名前だけな」
智紀の返事に、明らか傷付いた表情を見せた美咲に、二人のやり取りを黙って聞いていた遥斗が堪らず、「もう、そのまま付き合っちゃえば? いい加減ちゃんと向き合いなよ。俺、これからデートだから。行くわ」とうんざりしたように腰を上げた。
二人取り残されたリビングで困ったように顔を見合わせ沈黙する。
「……それで、咲にとって浮気の定義って何?」
智紀は観念したように、今度は真摯的な眼差しで美咲を見た。その清んだ瞳に高鳴る鼓動。動揺した美咲は、「……、エッチすればアウトかな?」と思わず口走っていた。
「じゃあ、するか? 俺と、セックス……」
智紀の色気の無い誘いに、一気に美咲の心は冷やされる。
「……、マック行く? みたいなノリでそういう事言わないでよ」
美咲の軽蔑した眼差しに智紀は焦って口籠もった。そんな智紀を追い詰めるように美咲は大きく溜息を吐くと、「……、智君っていつもそうだよね」構わず続けた。
「いつも相手に合わせて、自分の意思が無い。大体智君は私とエッチしたいの?」
「…………」
智紀は返す言葉も無く、只そっと美咲の頬を伝う涙の粒を拭った。
「……っ!! そういうの、傷付くんだからねっ!」
美咲は智紀を突き放して、そのままリビングを後にした。
(…………。咲の奴、勝手言いやがって……。一体俺にどうしろと言うんだ? 俺は何時だって相手を傷付けないよう配慮してきた。……けど、上手くいかない…………)
智紀はがっくりと深くソファに沈み込んだ。指を組んで額を乗せると、(咲の涙は堪えるな……)項垂れたまま暫く動けなかった……。
「僕と杉原の二人が崖にぶら下がっていたら、美咲はどちらを助けたい?」
高校三年のクリスマス・イブ、ペアの手袋を贈り合った帰り、唐突に思い掛けない事を樹に尋ねられた美咲は当時答えることが出来なかった。
勿論、真っ先に助けるのは樹だ。それは確実だった。けれどそれでもし智紀が転落したら、迷わず美咲は後を追う。それも確実な事だった……。
この答えが正解かどうか分からなくて、当時美咲は何も言えなかった。その事が樹との間に埋めようのない溝を生じたらしく、樹は美咲に何の相談も無く地元を離れた大学に進学を決めた。
自然消滅。美咲自身も、積極的に樹を追い駆けようとはしなかった。
(結局私は智君の傍に居ることを選んだのかなァ……)
樹が離れていった事を機に、今まで意識していなかった智紀の存在が美咲の中で表面化し、無視出来ない程に大きく占めていると気付いた。けれどそれは家族という存在に近いものだと認識していた。だからこそ短大入学を機に入ったサークルで知り合った先輩と新たに交際を始めたのだ。
しかし、短大卒業を前に、先輩の浮気が発覚し、図らずも美咲は再び相手に去られようとしている……。
だから正直智紀に「セックスするか?」と問われたあの時、冷めた心はパニックに陥ってもいた。
家族のような存在だと思っていた相手に突然大人の雄を意識させられ、しかも同情されたという事実。そして愛情の無い虚しいセックスが出来る男……。
「……」
美咲の眼からは自然と涙が零れていた――。
(……っ!?)
しかし、その匂いに思い当たると喬志は青ざめ飛び起きた。息を飲む人の気配に顔を上げる。
「……っ美咲……?」
ワンルームマンションの扉の前で彼女が顔を真っ赤にして佇んでいた。目が合った瞬間、弾かれたように彼女は部屋を飛び出した。
「美咲っ! 待て……っ」
咄嗟に追い駆けようとしたが、「う~~ん……」と下着姿で腰に纏わり付いてくる母に気を削がれた。
「……酒臭ェ……」
相変わらず酒癖の悪い母に喬志は深く溜息を吐いた。
「全く……、その無駄な色気、いい加減何とかしろよ……、くそババア……」
毒舌を吐きながらもカールしたシナモン色の艶やかな髪を撫でる手つきは優しかった。
(…………。これで良いのかもしれない。こうでもしないと俺は彼女を手放すことなど出来ない……)
「信じらんないっ! 彼氏に浮気されるなんて……」
成人しても美咲は何か有る度にこうして智紀に愚痴りに来るのは変わらなかった。
智紀は地元の大谷大学に進学し、美咲は其処の短期大学に入学した。
「……咲も浮気してやれば?」
智紀も相変わらず軽口で返す。
「……智君、相手してくれんの?」
智紀の意外な提案に、美咲は真剣な眼差しを向けた。
「……、名前だけな」
智紀の返事に、明らか傷付いた表情を見せた美咲に、二人のやり取りを黙って聞いていた遥斗が堪らず、「もう、そのまま付き合っちゃえば? いい加減ちゃんと向き合いなよ。俺、これからデートだから。行くわ」とうんざりしたように腰を上げた。
二人取り残されたリビングで困ったように顔を見合わせ沈黙する。
「……それで、咲にとって浮気の定義って何?」
智紀は観念したように、今度は真摯的な眼差しで美咲を見た。その清んだ瞳に高鳴る鼓動。動揺した美咲は、「……、エッチすればアウトかな?」と思わず口走っていた。
「じゃあ、するか? 俺と、セックス……」
智紀の色気の無い誘いに、一気に美咲の心は冷やされる。
「……、マック行く? みたいなノリでそういう事言わないでよ」
美咲の軽蔑した眼差しに智紀は焦って口籠もった。そんな智紀を追い詰めるように美咲は大きく溜息を吐くと、「……、智君っていつもそうだよね」構わず続けた。
「いつも相手に合わせて、自分の意思が無い。大体智君は私とエッチしたいの?」
「…………」
智紀は返す言葉も無く、只そっと美咲の頬を伝う涙の粒を拭った。
「……っ!! そういうの、傷付くんだからねっ!」
美咲は智紀を突き放して、そのままリビングを後にした。
(…………。咲の奴、勝手言いやがって……。一体俺にどうしろと言うんだ? 俺は何時だって相手を傷付けないよう配慮してきた。……けど、上手くいかない…………)
智紀はがっくりと深くソファに沈み込んだ。指を組んで額を乗せると、(咲の涙は堪えるな……)項垂れたまま暫く動けなかった……。
「僕と杉原の二人が崖にぶら下がっていたら、美咲はどちらを助けたい?」
高校三年のクリスマス・イブ、ペアの手袋を贈り合った帰り、唐突に思い掛けない事を樹に尋ねられた美咲は当時答えることが出来なかった。
勿論、真っ先に助けるのは樹だ。それは確実だった。けれどそれでもし智紀が転落したら、迷わず美咲は後を追う。それも確実な事だった……。
この答えが正解かどうか分からなくて、当時美咲は何も言えなかった。その事が樹との間に埋めようのない溝を生じたらしく、樹は美咲に何の相談も無く地元を離れた大学に進学を決めた。
自然消滅。美咲自身も、積極的に樹を追い駆けようとはしなかった。
(結局私は智君の傍に居ることを選んだのかなァ……)
樹が離れていった事を機に、今まで意識していなかった智紀の存在が美咲の中で表面化し、無視出来ない程に大きく占めていると気付いた。けれどそれは家族という存在に近いものだと認識していた。だからこそ短大入学を機に入ったサークルで知り合った先輩と新たに交際を始めたのだ。
しかし、短大卒業を前に、先輩の浮気が発覚し、図らずも美咲は再び相手に去られようとしている……。
だから正直智紀に「セックスするか?」と問われたあの時、冷めた心はパニックに陥ってもいた。
家族のような存在だと思っていた相手に突然大人の雄を意識させられ、しかも同情されたという事実。そして愛情の無い虚しいセックスが出来る男……。
「……」
美咲の眼からは自然と涙が零れていた――。
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