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短大卒業を機に、浮気した彼とは自然消滅。未練を残すこと無く心機一転、美咲は地元の文房具メーカーに就職した。
二度も相手から一方的に去られ、美咲にとって智紀の存在が揺らいでいる今、また新たに他の誰かと付き合ったとしても上手くいくとは思えなかった。
(無意識の内に智君を選んでいるのだとしたら、私も腹を括らないと……)
智紀と喧嘩別れしたその後、いつものように遥斗を通じて智紀の方から謝ってきた。美咲はこれまたいつものように智紀を許した。
社会人となった今現在も仕事の愚痴を言いに相変わらず杉原家を訪れている。
だが其処に恋人同士のような甘い雰囲気等無く、遥斗を交え三兄弟のように穏やかで優しい時間を過ごしていた。
そんな歳月が、大学院の博士課程を修了する智紀に転機が訪れたことを切っ掛けに変わろうとしていた。
地方の大学ではあるが、准教授のポストに空きが出たので、智紀が所属する研究室の教授が智紀を推薦してくれたというのだ。
就職先も決めず、助手として籍を置くしかない智紀にとってこんな良い話は無かった。
(なのに何を躊躇っているんだ、俺は……)
「浮気し返してやれば良い」と軽率な事を言って美咲を傷付けたあの時から、美咲は恋愛相談を持ち掛けなくなった。あれから何となく色恋の話はタブーになってしまって、智紀も地雷を踏まないよう、そういった話題は避けてきた。
(准教授のポストを直ぐに受けなかったのは、俺の中の咲の存在が関係しているのか……?)
生まれ育ったこの街を離れることに躊躇しているのは、美咲との縁が断ち切れることを恐れているからではないかという推測に智紀は戦いた。
バタ――ンッ! 勢い良く智紀の部屋の扉が開いて、恐い顔した美咲が断りなく飛び込んで来た。杉原宅を訪れた美咲が智紀のプライベートな空間にまで押し入って来るのは初めての事だった。
更に、ベッドで寝そべっていた智紀に馬乗りになって胸倉を掴んだ美咲に、「……っ!?」智紀は読んでいた分厚い専門書を胸元に落として、白旗を揚げるように両掌を顔の横に広げて見せた。
「…………。智君……、ここを離れるの?」
逡巡するようにぽつりぽつりと言葉を落とし、入って来た勢いとは裏腹に、その瞳は不安に揺れている。
「……」
智紀は無言のまま、そっと美咲の頬に手を伸ばした。その手を途中で払い除けると、「准教授に推薦して貰ったんでしょっ? 何で私はその話を縒りに縒って諏訪先輩から聞かされなきゃならないの?」くるりと表情を変え逆切れした。
(浮気した元彼に智君との仲を同情されるなんて……、私、惨めじゃんっ!)
「……っ、ご免……」
「――っ」
美咲は暫く智紀を睨み付けていたが、諦めて目を伏せ大きく息を吐くと、「……それで、勿論受けるんだよね?」改めて真剣な眼差しを向けた。
「……迷ってる」
智紀はぽつり吐露するとふいと気まずそうに顔を逸らした。
「……どうして?」
美咲は逃がすまいと人差し指でゆっくりと智紀の顔をこちらに戻した。
「…………」
間合いを詰めてくる美咲に、智紀は唇を噛み締めたままむっつりと黙秘した。
「……心細いなら、傍に居てあげようか?」
美咲は試すように尋ねた。
「……っ」
智紀は心底驚いた様子で、目を瞠り、ぽかんと口を開けた。美咲はその弛緩した口許に人差し指を落とし、「どうしたいのか、智君の口からちゃんと言えたら、考えてあげても良いよ」と飽くまで挑発するように智紀を追い込んでいった。
(結局……、明け渡すしかないんだな……)
傷付くことを恐れて何も望んでこなかった智紀が、唯一譲れないものの為に無防備な心を剝き出しにする覚悟を決めた。
「……これからも、俺の眼に映る世界に、咲が居て欲しい……」
「――っ」
やっと智紀の本心が聞けて、ぼたぼたと不覚にも大粒の涙が零れた。
「ずっと……、智君の傍に居る……」
美咲も真心を明け渡し、智紀の指先を掠めて甘えるようにその肩に顔を埋めた。
「……」
智紀は美咲の背中に腕を回し、ぽんぽんと何度も優しく手を添えた。
(智君にこうしてあやされてると、何だか懐かしくて落ち着く……)
「……」
「……、智君……」
「――っ」
「もしかして……、勃ってる……?」
顔を上げて、少し頬を染めた美咲が徐に尋ねた。
「……っ、仕方ないだろっ。これは生理現象だ」
焦って地雷を踏んだ智紀を冷ややかに一瞥すると、「……そっ。生理現象なら、どうぞトイレで抜いて来たら?」言い捨て、美咲は言葉通り上体を離した。
智紀は逃すまいとその腕を取って、「咲は俺とそういう付き合いは嫌
ってこと?」と真剣な眼差しを向けた。
「そういう付き合いって?」
美咲は惚けたように問い返した。智紀は再び言葉に詰まる。けれど……。
「……、俺は今、咲に触れたいと思っている……。咲の全てが見たい……」
指先でそっと美咲の心に触れるように手を伸ばし、憂いを帯びた瞳で美咲を見つめた。その眼差しを受け、心がドクンと反応した。
「……」
ゴクリと唾を飲み込むと、「……私も智君の全てが見たい……」熱に浮かされたようにそっと智紀の心に手を伸ばした。
この瞬間やっと、二人の母が感じた縁を本人たちの自由意志によって結んだのだった――。
二度も相手から一方的に去られ、美咲にとって智紀の存在が揺らいでいる今、また新たに他の誰かと付き合ったとしても上手くいくとは思えなかった。
(無意識の内に智君を選んでいるのだとしたら、私も腹を括らないと……)
智紀と喧嘩別れしたその後、いつものように遥斗を通じて智紀の方から謝ってきた。美咲はこれまたいつものように智紀を許した。
社会人となった今現在も仕事の愚痴を言いに相変わらず杉原家を訪れている。
だが其処に恋人同士のような甘い雰囲気等無く、遥斗を交え三兄弟のように穏やかで優しい時間を過ごしていた。
そんな歳月が、大学院の博士課程を修了する智紀に転機が訪れたことを切っ掛けに変わろうとしていた。
地方の大学ではあるが、准教授のポストに空きが出たので、智紀が所属する研究室の教授が智紀を推薦してくれたというのだ。
就職先も決めず、助手として籍を置くしかない智紀にとってこんな良い話は無かった。
(なのに何を躊躇っているんだ、俺は……)
「浮気し返してやれば良い」と軽率な事を言って美咲を傷付けたあの時から、美咲は恋愛相談を持ち掛けなくなった。あれから何となく色恋の話はタブーになってしまって、智紀も地雷を踏まないよう、そういった話題は避けてきた。
(准教授のポストを直ぐに受けなかったのは、俺の中の咲の存在が関係しているのか……?)
生まれ育ったこの街を離れることに躊躇しているのは、美咲との縁が断ち切れることを恐れているからではないかという推測に智紀は戦いた。
バタ――ンッ! 勢い良く智紀の部屋の扉が開いて、恐い顔した美咲が断りなく飛び込んで来た。杉原宅を訪れた美咲が智紀のプライベートな空間にまで押し入って来るのは初めての事だった。
更に、ベッドで寝そべっていた智紀に馬乗りになって胸倉を掴んだ美咲に、「……っ!?」智紀は読んでいた分厚い専門書を胸元に落として、白旗を揚げるように両掌を顔の横に広げて見せた。
「…………。智君……、ここを離れるの?」
逡巡するようにぽつりぽつりと言葉を落とし、入って来た勢いとは裏腹に、その瞳は不安に揺れている。
「……」
智紀は無言のまま、そっと美咲の頬に手を伸ばした。その手を途中で払い除けると、「准教授に推薦して貰ったんでしょっ? 何で私はその話を縒りに縒って諏訪先輩から聞かされなきゃならないの?」くるりと表情を変え逆切れした。
(浮気した元彼に智君との仲を同情されるなんて……、私、惨めじゃんっ!)
「……っ、ご免……」
「――っ」
美咲は暫く智紀を睨み付けていたが、諦めて目を伏せ大きく息を吐くと、「……それで、勿論受けるんだよね?」改めて真剣な眼差しを向けた。
「……迷ってる」
智紀はぽつり吐露するとふいと気まずそうに顔を逸らした。
「……どうして?」
美咲は逃がすまいと人差し指でゆっくりと智紀の顔をこちらに戻した。
「…………」
間合いを詰めてくる美咲に、智紀は唇を噛み締めたままむっつりと黙秘した。
「……心細いなら、傍に居てあげようか?」
美咲は試すように尋ねた。
「……っ」
智紀は心底驚いた様子で、目を瞠り、ぽかんと口を開けた。美咲はその弛緩した口許に人差し指を落とし、「どうしたいのか、智君の口からちゃんと言えたら、考えてあげても良いよ」と飽くまで挑発するように智紀を追い込んでいった。
(結局……、明け渡すしかないんだな……)
傷付くことを恐れて何も望んでこなかった智紀が、唯一譲れないものの為に無防備な心を剝き出しにする覚悟を決めた。
「……これからも、俺の眼に映る世界に、咲が居て欲しい……」
「――っ」
やっと智紀の本心が聞けて、ぼたぼたと不覚にも大粒の涙が零れた。
「ずっと……、智君の傍に居る……」
美咲も真心を明け渡し、智紀の指先を掠めて甘えるようにその肩に顔を埋めた。
「……」
智紀は美咲の背中に腕を回し、ぽんぽんと何度も優しく手を添えた。
(智君にこうしてあやされてると、何だか懐かしくて落ち着く……)
「……」
「……、智君……」
「――っ」
「もしかして……、勃ってる……?」
顔を上げて、少し頬を染めた美咲が徐に尋ねた。
「……っ、仕方ないだろっ。これは生理現象だ」
焦って地雷を踏んだ智紀を冷ややかに一瞥すると、「……そっ。生理現象なら、どうぞトイレで抜いて来たら?」言い捨て、美咲は言葉通り上体を離した。
智紀は逃すまいとその腕を取って、「咲は俺とそういう付き合いは嫌
ってこと?」と真剣な眼差しを向けた。
「そういう付き合いって?」
美咲は惚けたように問い返した。智紀は再び言葉に詰まる。けれど……。
「……、俺は今、咲に触れたいと思っている……。咲の全てが見たい……」
指先でそっと美咲の心に触れるように手を伸ばし、憂いを帯びた瞳で美咲を見つめた。その眼差しを受け、心がドクンと反応した。
「……」
ゴクリと唾を飲み込むと、「……私も智君の全てが見たい……」熱に浮かされたようにそっと智紀の心に手を伸ばした。
この瞬間やっと、二人の母が感じた縁を本人たちの自由意志によって結んだのだった――。
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