教室の中の偏執狂

チギラ アキ

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ケース6:橘 美緒

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 何人もの執事やメイド達に囲まれ、何一つ不自由のない暮らしの中で、美緒がまず最初に自覚したのは、自分は一人だということだった。口さがないメイド達の噂話は、美緒が橘家に引き取られた経緯を、そしていずれ義父ちち玩具おもちゃにされる運命を悟るのに充分だった。美緒はよわい三歳にして己の人生を失った。

 感情を映さない人形のような美しさに、同級生は勿論、大人たちまでも遠巻きに距離をった。美緒は存外その中で自分だけの世界を築き、心の安寧を保っていたのだが、例外に出会った。名嘉千鶴との出会いである。

 千鶴は人形を相手に、めげないスピリットを持つ珍獣だった。美緒が何をしてもしなくても、ヘラヘラ締まりのない顔を向け、気付けばいつもそばにいる初めてのわずらわしい存在……、だがいつしか認めざるを得なくなった。

 この世に一人の世界などないことを……。千鶴は美緒が築いた虚像の王国に強引に入り込んできた勇者つわものだった……。





(あれ……?)

 それはまだ美緒が千鶴に出会って間もない頃――。千鶴をくようにして逃げ込んだトイレの中で、鍵が開かなくなってしまい、個室に閉じ込められたことがあった――。

(う~~ん……。誰か人が来るまで出られないよなぁ……)

 美緒は大きく溜息をくと便座に腰掛けた。

「…………」

 遠くで園児らが騒ぐ声がかすかに聞こえていたが、トイレの中はしんと静まり返っていた。

(私がいなくても、誰も気付かないよね……)

 美緒は自嘲気味に口元を歪めた。その時。

「美緒ちゃん……?」

「……っ」

 その時、ドアの外から恐る恐る呼び掛ける幼い声が聞こえた。

りにって……、どうしてあなたなの……)

「美緒ちゃん……? 大丈夫? お願いっ、返事してっ!」

 バカな千鶴が不安げにドアを叩く。

「……」

 美緒はこの時応えることを躊躇っていた。

「美緒ちゃん……、いるんだよね……?」

 しかし観念して、「……、鍵が壊れて、ドアが開かなくなっちゃったから、先生を呼んで来てくれる? 千鶴?」

 美緒はこの時初めて千鶴の名を呼んだ。

「分かったっ!! 直ぐ呼んで来るから、待ってて、美緒ちゃんっ!! 直ぐだからねっ!」

 美緒に頼られて、千鶴は嬉々として飛び出していった――。

 このあと、美緒が無事救出されるとなぜか千鶴が美緒に抱き付いてわんわん泣いた。

「……、なぜあなたが泣くの?」

 美緒は呆れたように抗議した。

「だって……、美緒ちゃん、心細かったでしょ……? ごめんね、一人にして……」

「……」

 美緒は困ったようにふうと溜息をくと、「……千鶴。もう泣かないで……。でないと……」そこまで言って、グイといきなり美緒は千鶴の頬を両手で包むと、「あなたの泣き顔、可笑しいわよ……」茶目っ気たっぷりに千鶴の瞳を覗き込んでクスクス笑い出した。

 美緒のその天使の笑顔に、千鶴は感動して今度は嬉しそうに泣いた……。

 こうして、二人で過ごす歳月は千鶴を掛け替えのない唯一の存在に変えていった――。





「ごめんなさいっっ!!」

 美緒は車椅子生活になって、学園を休学していた。自宅に戻り、誰かの介助を必要とする身体からだの現状に、美緒自身まだ戸惑っていた。そんな状態で好奇の目にさらされるのは、特に「ヲトタチバナ」として耐え難かった。しかし、意外な訪問客に美緒は興味をそそられ、身だしなみをととのえて会うことにした。

 神崎葵からの突然の謝罪の言葉は、美緒にとって寝耳に水の出来事だった。聞けば、葵は照明係として点検作業をしていた際、天井から吊り下げられている照明の一つにロープの摩耗があることに気付いたという。だが、舞台上の千鶴を見て、思わず口をつぐんでしまったと……。

「本当にごめんなさいっっ! まさかあなたが飛び込んでくるなんて、思いもしなかった……。あなたに償いたくて今日ここに来たの。私は何をすれば良い……?」

 葵は膝を付いて告解し、すすり泣いた。だが、葵の懺悔に美緒が心を打たれることはなかった……。

「葵……、私はあなたを許します……。だからもう二度と私と千鶴に近付かないで……」

 美緒の決別の言葉に、葵は泣き崩れ、額を床に付けるような格好になって、何度も何度も謝り続けた――。

(……、葵をこんな風にしてしまったのは、きっと私なんだ……。エースアタッカーである葵を見る千鶴のキラキラした瞳に不安を覚えて、葵を監視する目的で近付いた……。私は自分がこんなにも浅ましい人間だとは思わなかった……。義父ちちに対してだって、そう……。自分の人生を生きてみたくなって……、義父ちちの歪んだ初恋の玩具おもちゃにされる位なら、逆に私から誘惑して義父ちちあやつってやろうと……、結局、千鶴に目撃されていさめられてしまった……。あの時、千鶴に軽蔑されて避けられてしまう位なら、全てをブッ壊してやろうと決意した……)

 そこまで想いを巡らせて、美緒は自嘲気味に微笑んだ……。そして車椅子をくるりと回転させて、葵に背を向けると、「疲れたから、もう帰って……」と最後通告を発した。

(「償いたい……」か……。きっと千鶴も葵と同じ気持ちで、今私の介助の手助けを買って出てくれているんだろうな……。けど、勝手だけど、今は千鶴の心を独占出来て嬉しい……。こんなに幸せなことはない……。でも一方で、逃げ出せなくなった身体からだで、義父ちちの慰み者になる未来に希望はない……)

 想いに行き詰まって、美緒は思わず天を仰いだ。窓の外には、葉を落として冬に備えている木の枝が、荒涼とした空のキャンバスに伸び、世界はこれから絵画になるのだと悟った――。

(私はどうすれば良い……? 助けて……、千鶴……)





(まぁるい空……)

 美緒と千鶴は二人並んで座っていた。

「千鶴……、本当に良いの?」

 美緒は千鶴の顔を見て尋ねた。繋いだ手に自然と力が入る。千鶴の覚悟を聞いた学園の屋上のへりに腰掛け、二人は終わらせる決意をした。

「美緒ちゃんと一緒なら、私はどこでも平気」

 千鶴はそう応えて笑って見せた。それは幼い頃と何一つ変わらない千鶴の無邪気な笑顔だった。

「……」

 美緒は千鶴の頬を引き寄せ、額と額を寄せた。

(その言葉だけで私は充分……。大切なあなたを私から解放してあげたい……。でないと私は自分を許せなくなる……)

 美緒は閉じていた瞼を開き、繋いでいた手を柵の一本に導くと、「千鶴……、あなたにお願いがある……。あなたは生きて、幸せになって欲しい……。約束して……」真っ直ぐ千鶴の瞳を覗き込みながら柵の棒をしっかり握り込ませた。

「美緒ちゃ……」

 千鶴の動きを封じるように、首に伸ばした手に力を込め、千鶴の額にゆっくりと口付けた。そしてそのまま千鶴から離れてゆく……。

「美緒ちゃんっっ!? ……待ってっ!! だっ……!」

 まるで呪いをかけられたように、千鶴は柵に掴まる自身の右手を離すことが出来なかった。地面に頭を叩き付けられた美緒は即死であった。だがその表情はなぜか穏やかであった――。 
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