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9-1 王女殿下のお忍び旅行①
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早朝、神太郎は走っていた。素早く家を出て、高速で商店街を駆け抜ける。行き交う人々を神業で回避し、迫ってくる馬車は飛び越えてみせた。誰も止めることは出来ない。彼の中に沸々と湧く欲情がその身を駆り立てていたからだ。
やがて、目的地が見えてくる。神太郎は足により力を加え、ラストスパートに入った。だから、停止する時にはとんでもない砂埃が舞い上がってしまう。だが、構わず彼はこう叫んだ。
「おばちゃーん、キダイサンド、一つ!」
路面販売のパン屋に向かって。
「いらっしゃい、神太郎ちゃん。ラッキーね、今日は残ってたわよ。最後の一つが」
店主のおばちゃんも笑顔でそれを差し出す。
「おお! ラストワァーン! 今日はいい日になりそうだぜ」
この日、彼は遂に、毎度買い損ねていたキダイサンドを手に入れたのだ。
お陰で、出勤してきた神太郎は実に上機嫌だった。珍しく真面目に仕事をし、足腰の弱い老人に手を差し伸べ、暴れ馬は優しく宥める。関所で起きた揉め事も寛大な心で収めていた。
そして、そのまま機嫌良く昼食タイムへ。昼休憩に入った神太郎はルメシアの執務室にやってくると、堂々とソファに腰を下ろした。ルメシアに呆れられながら。
「アンタ、ここを休憩室と勘違いしていない?」
愚痴をこぼす上司。当然の反応である。……ただ、
「いいじゃないか。恋人と一緒に昼食を取るだけだろう?」
「こ、恋人……。う、うん、それもそうね」
そう返されれば一転、彼女もまた上機嫌に彼氏のために茶を入れるのだった。
さて、準備万端である。神太郎が例の物を仰々しく手に取ったから、ルメシアもそれに興味が湧く。
「今日の昼食はサンドイッチ?」
「キダイサンドさ。ホットドッグのパンに肉、玉ねぎ、その他不思議なものを挟んである特製サンド。前に偶然食ったとき惚れ込んでな。毎朝毎朝買いに行ってたんだけど、今日やっと手に入れたんだ」
「へー。美味しそうね」
「美味しいよ」
「で、私の分は?」
「……え?」
「え? じゃない。わざわざ執務室で食べるくせに、彼女の分は用意しなかったの?」
「いや……これが最後の一つだったから」
「それでよく私の前に持って来れたわね。女の気持ちを蔑ろにしてハーレムなんて成せると思ってるの?」
神太郎は正論だと思った。実際、ルメシアが欲しがるとは思っていなかったのだが、恋人という関係が彼女に共有感を覚えさせてしまったのかもしれない。一つのグラスの飲み物を二本のストローで飲むという感じか……。
「分かった。少し分けるよ」
「うん、宜しい」
屈する神太郎。これもハーレムのためである。
すると、そこに招かれざる客が……。
「ここが執務室?」
そう言って突然現れたのは、長いもみあげが特徴的なドレス姿の謎の美少女。神太郎らより若い、というより子供のような幼さがあるが、何者も恐れなさそうなその堂々とした立ち振る舞いは、ルメシアやユリーシャ以上の威厳を感じさせている。
その少女が室内を見回し、次いで神太郎らを見つめる。それは、どこか見下したような眼差しだった。
それに対し、慌てて立ち上がったのはルメシア。仰々しく敬礼していたが、彼女のこれほど緊張した面持ちは神太郎も初めて見た。
「このような所にお出でなられるとは。お知らせ頂けたら出迎えましたのに」
「忍びだ。気にするな」
少女はその無礼を許す。
「ただ、北門の評判が良くないのは本当のようね」
ただ、もう一つの無礼は許せず。彼女は下級衛士を見た。未だ座ったままの下級衛士を。
「ちょ、早く立ちなさい!」
ルメシアに促されて立ち上がった神太郎だったが、彼は理解出来ず。それが余計少女の気に障った。
「三好神太郎……。貴方、私のことを覚えている?」
「え?」
「……」
「……」
「……」
「……え?」
「……信じられぬ愚か者だな」
チャンスを与えても呆けた顔を晒す神太郎に、少女はもう呆れ返ってしまった。
「馬鹿、この方はネクスタリア殿下。我が王国の第二王女で有らせられるぞ!」
冷や汗を流しながら叱るルメシア。お陰で、神太郎もやっと思い出す。ただ、知っていることと言えば、妹と同じ十三歳ということぐらいか。
「ああ、前に一度王宮で面会したか」
「なのに忘れていたと?」
「そりゃ、一回だけだからな。生活上、縁はないし」
そう悪びれもなく答える彼に、王女はまた不機嫌さを顔に出してしまった。そして、それに反応するかのように彼らが現れる。
豪壮な鉄鎧の兵士たち、近衛兵団だ。王族を護る王国最強の軍団である。それが威圧するように神太郎を睨んだ。
「近衛兵団……」
つい怯んでしまう北衛長。自分たち門番とは格が違う存在だ。王女の護衛ということならその登場も納得出来るが、その重武装ぶりの理由は分からない。まるで戦争に行くかのよう。いや、もしかして自分たちを罰しに? ルメシアの頭に最悪の状況が過ぎった。
そして、それが現実になるかのようにネクスタリアの怒りは頂点に達する。
「神太郎、本当に礼儀がなっていないな。貴様は既に三度も私を怒らせたぞ」
「え?」
「一つ目は起立しない。二つ目は私を忘れている。そして三つ目は……それだ!」
王女が指差す先。それは……彼がずっと持っているキダイサンド。
「私が現れたというのに、何故、未だそんなものを持っているのだ!」
「だって、昼食中だから……」
神太郎がそう答えようとした時だった。その手が王女によって叩かれ……、
「あっ!?」
キダイサンドは無残にも床にこぼれ落ちてしまった。
「き、キダイサンドォォォ!」
神太郎、絶叫。その信じたくない光景に、彼は膝を着き、脆くも崩れ落ちてしまう。
「何故、何故、こんなことに……。俺はただキダイサンドが食べたかっただけなのに。何故……何故だぁ。うおおおおおおおおお!」
終いには両手を着き、声を上げて嘆いてしまった。午前中の上機嫌さは一瞬で消え、悲しみが彼を包む。その苦しみは彼にしか分からないだろう。
だから、女たちはそれを無視して勝手に話を進める。ルメシアが問う。
「王女、それでこの度はどういったご用件で?」
「うむ、簡単なことだ。ここの門を通して欲しい」
「門を……えっ!? それについて王国からの許可は?」
「あるわけがない。だから、こうやって直接来たのだろう」
ルメシアは返答に困った。王族は普段王宮から出ることは出来ない。時折、こうやって街に忍び出ることもあるが、それは周囲の黙認があって叶うこと。少なくとも国王には知らされない。
だが、今回はそれとは比べられるものではない。城壁を越えるということは、国を出るということ。それはつまり、国家権力の保護がなくなるということだ。その上、城壁の外には魔獣もいる。あまりにも危険過ぎた。
「王女、我々北衛門府は人手が足りていません。十分な護衛を付けることは……」
「何のために近衛兵を連れていると思っている。衛士など端から当てになどしておらん。なに、すぐそこまでだ。日が落ちる前に帰る」
「し、しかし、あまりにも危険です。それに、そのことが陛下に知られれば、王女とて罰を逃れられません」
「融通が利かぬな。バレはしない。安心しろ」
そう言われても安心出来るわけがなかった。もしバレれば、王女は叱責で済むかもしれないが、門の責任者であるルメシアには重罰が下されよう。彼女のケルヴェイン公爵家とて無事では済まないはずだ。その上、外の世界でもしもの事態が起きれば……。ルメシアはこれ以上考えたくはなかった。
そこに、王女のトドメの一言が。
「出来の悪い北門なんだから、そのぐらいの不正はどうってことないだろう?」
「うっ……」
だからここが選ばれたのかと、ルメシアは消沈。こんなことを考える王女である。もし拒否すれば、北門に厄災をもたらそう。選択肢は一つしかなかった。
「では、私もお供します。決して無理はなさらぬように」
「流石、北門だ。話が分かる。優秀な東門では絶対無理だったろうからな」
ユリーシャの東門の名が出て、ルメシアはまた親友のことが羨ましくなった。
そして、ネクスタリアはもう一人を睨み罵倒。
「って、あーうるさい! いつまで泣いてる! 貴様も来い!」
結局、神太郎は最後まで一人嘆き続けていたのであった。
やがて、目的地が見えてくる。神太郎は足により力を加え、ラストスパートに入った。だから、停止する時にはとんでもない砂埃が舞い上がってしまう。だが、構わず彼はこう叫んだ。
「おばちゃーん、キダイサンド、一つ!」
路面販売のパン屋に向かって。
「いらっしゃい、神太郎ちゃん。ラッキーね、今日は残ってたわよ。最後の一つが」
店主のおばちゃんも笑顔でそれを差し出す。
「おお! ラストワァーン! 今日はいい日になりそうだぜ」
この日、彼は遂に、毎度買い損ねていたキダイサンドを手に入れたのだ。
お陰で、出勤してきた神太郎は実に上機嫌だった。珍しく真面目に仕事をし、足腰の弱い老人に手を差し伸べ、暴れ馬は優しく宥める。関所で起きた揉め事も寛大な心で収めていた。
そして、そのまま機嫌良く昼食タイムへ。昼休憩に入った神太郎はルメシアの執務室にやってくると、堂々とソファに腰を下ろした。ルメシアに呆れられながら。
「アンタ、ここを休憩室と勘違いしていない?」
愚痴をこぼす上司。当然の反応である。……ただ、
「いいじゃないか。恋人と一緒に昼食を取るだけだろう?」
「こ、恋人……。う、うん、それもそうね」
そう返されれば一転、彼女もまた上機嫌に彼氏のために茶を入れるのだった。
さて、準備万端である。神太郎が例の物を仰々しく手に取ったから、ルメシアもそれに興味が湧く。
「今日の昼食はサンドイッチ?」
「キダイサンドさ。ホットドッグのパンに肉、玉ねぎ、その他不思議なものを挟んである特製サンド。前に偶然食ったとき惚れ込んでな。毎朝毎朝買いに行ってたんだけど、今日やっと手に入れたんだ」
「へー。美味しそうね」
「美味しいよ」
「で、私の分は?」
「……え?」
「え? じゃない。わざわざ執務室で食べるくせに、彼女の分は用意しなかったの?」
「いや……これが最後の一つだったから」
「それでよく私の前に持って来れたわね。女の気持ちを蔑ろにしてハーレムなんて成せると思ってるの?」
神太郎は正論だと思った。実際、ルメシアが欲しがるとは思っていなかったのだが、恋人という関係が彼女に共有感を覚えさせてしまったのかもしれない。一つのグラスの飲み物を二本のストローで飲むという感じか……。
「分かった。少し分けるよ」
「うん、宜しい」
屈する神太郎。これもハーレムのためである。
すると、そこに招かれざる客が……。
「ここが執務室?」
そう言って突然現れたのは、長いもみあげが特徴的なドレス姿の謎の美少女。神太郎らより若い、というより子供のような幼さがあるが、何者も恐れなさそうなその堂々とした立ち振る舞いは、ルメシアやユリーシャ以上の威厳を感じさせている。
その少女が室内を見回し、次いで神太郎らを見つめる。それは、どこか見下したような眼差しだった。
それに対し、慌てて立ち上がったのはルメシア。仰々しく敬礼していたが、彼女のこれほど緊張した面持ちは神太郎も初めて見た。
「このような所にお出でなられるとは。お知らせ頂けたら出迎えましたのに」
「忍びだ。気にするな」
少女はその無礼を許す。
「ただ、北門の評判が良くないのは本当のようね」
ただ、もう一つの無礼は許せず。彼女は下級衛士を見た。未だ座ったままの下級衛士を。
「ちょ、早く立ちなさい!」
ルメシアに促されて立ち上がった神太郎だったが、彼は理解出来ず。それが余計少女の気に障った。
「三好神太郎……。貴方、私のことを覚えている?」
「え?」
「……」
「……」
「……」
「……え?」
「……信じられぬ愚か者だな」
チャンスを与えても呆けた顔を晒す神太郎に、少女はもう呆れ返ってしまった。
「馬鹿、この方はネクスタリア殿下。我が王国の第二王女で有らせられるぞ!」
冷や汗を流しながら叱るルメシア。お陰で、神太郎もやっと思い出す。ただ、知っていることと言えば、妹と同じ十三歳ということぐらいか。
「ああ、前に一度王宮で面会したか」
「なのに忘れていたと?」
「そりゃ、一回だけだからな。生活上、縁はないし」
そう悪びれもなく答える彼に、王女はまた不機嫌さを顔に出してしまった。そして、それに反応するかのように彼らが現れる。
豪壮な鉄鎧の兵士たち、近衛兵団だ。王族を護る王国最強の軍団である。それが威圧するように神太郎を睨んだ。
「近衛兵団……」
つい怯んでしまう北衛長。自分たち門番とは格が違う存在だ。王女の護衛ということならその登場も納得出来るが、その重武装ぶりの理由は分からない。まるで戦争に行くかのよう。いや、もしかして自分たちを罰しに? ルメシアの頭に最悪の状況が過ぎった。
そして、それが現実になるかのようにネクスタリアの怒りは頂点に達する。
「神太郎、本当に礼儀がなっていないな。貴様は既に三度も私を怒らせたぞ」
「え?」
「一つ目は起立しない。二つ目は私を忘れている。そして三つ目は……それだ!」
王女が指差す先。それは……彼がずっと持っているキダイサンド。
「私が現れたというのに、何故、未だそんなものを持っているのだ!」
「だって、昼食中だから……」
神太郎がそう答えようとした時だった。その手が王女によって叩かれ……、
「あっ!?」
キダイサンドは無残にも床にこぼれ落ちてしまった。
「き、キダイサンドォォォ!」
神太郎、絶叫。その信じたくない光景に、彼は膝を着き、脆くも崩れ落ちてしまう。
「何故、何故、こんなことに……。俺はただキダイサンドが食べたかっただけなのに。何故……何故だぁ。うおおおおおおおおお!」
終いには両手を着き、声を上げて嘆いてしまった。午前中の上機嫌さは一瞬で消え、悲しみが彼を包む。その苦しみは彼にしか分からないだろう。
だから、女たちはそれを無視して勝手に話を進める。ルメシアが問う。
「王女、それでこの度はどういったご用件で?」
「うむ、簡単なことだ。ここの門を通して欲しい」
「門を……えっ!? それについて王国からの許可は?」
「あるわけがない。だから、こうやって直接来たのだろう」
ルメシアは返答に困った。王族は普段王宮から出ることは出来ない。時折、こうやって街に忍び出ることもあるが、それは周囲の黙認があって叶うこと。少なくとも国王には知らされない。
だが、今回はそれとは比べられるものではない。城壁を越えるということは、国を出るということ。それはつまり、国家権力の保護がなくなるということだ。その上、城壁の外には魔獣もいる。あまりにも危険過ぎた。
「王女、我々北衛門府は人手が足りていません。十分な護衛を付けることは……」
「何のために近衛兵を連れていると思っている。衛士など端から当てになどしておらん。なに、すぐそこまでだ。日が落ちる前に帰る」
「し、しかし、あまりにも危険です。それに、そのことが陛下に知られれば、王女とて罰を逃れられません」
「融通が利かぬな。バレはしない。安心しろ」
そう言われても安心出来るわけがなかった。もしバレれば、王女は叱責で済むかもしれないが、門の責任者であるルメシアには重罰が下されよう。彼女のケルヴェイン公爵家とて無事では済まないはずだ。その上、外の世界でもしもの事態が起きれば……。ルメシアはこれ以上考えたくはなかった。
そこに、王女のトドメの一言が。
「出来の悪い北門なんだから、そのぐらいの不正はどうってことないだろう?」
「うっ……」
だからここが選ばれたのかと、ルメシアは消沈。こんなことを考える王女である。もし拒否すれば、北門に厄災をもたらそう。選択肢は一つしかなかった。
「では、私もお供します。決して無理はなさらぬように」
「流石、北門だ。話が分かる。優秀な東門では絶対無理だったろうからな」
ユリーシャの東門の名が出て、ルメシアはまた親友のことが羨ましくなった。
そして、ネクスタリアはもう一人を睨み罵倒。
「って、あーうるさい! いつまで泣いてる! 貴様も来い!」
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