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大吾さんと2
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ペコっとぼくがお辞儀をする。
大吾さんは頭をかいた。
白髪混じりの短髪、冬の深夜にもかかわらず、彼は先ほどまで怒っていたものだから、湯気がたちそうなくらいおでこが赤い。
「き、聞いてたか?」
「え、ええ」
「すまねぇなぁ。驚かしちまった」
そういう彼の顔は、いつものように穏やかに戻っている。
しょんぼりしている猫耳を見て、ぼくはフォローを思いつく。
「猫が喧嘩しているように見えてました」
「はは! 違ぇねぇや」
大吾さんが豪快な声をあげて、にかっと口角を上げると、猫耳はピンと元気に立った。
よかった。
でも「ニャン」と言いながら招き猫のマネをして見せるのは、うーん、可愛くないというか不気味というかおじさん……。
愛想笑いを浮かべておこう。
「しまった! 集会時間がとっくに過ぎちまってたなぁ……」
「あの用事なら仕方ないですよ」
「すまねぇ」
「いいです。ぼくは今後、この店で買い物をしたくなりました」
「……お? そいつぁ僥倖」
大吾さんの足に黒猫がまとわりつく。
「お前が運んできた幸運ってやつなんかなぁ。ユウレイ。うう……かーちゃああん!」
忙しい人だな!?
大吾さんの背中を押しながら、ぼくたちはとりあえず店の中に入った。
あぐらをかいて、膝の上にユウレイを乗せながら、大吾さんが語る。
「俺ぁ、ずーっとあんな感じで商売をやってきてなぁ。ご先祖さんから受け継いだこの店は、三代目だ。潰しちまうわけにはいかねぇと、不漁の時にも、商店街にお客が少ない時にも、ずっとがむしゃらにやってきた。早朝から夜まで働き通しさ。んでも、店に時間を使ってるってことは、家庭を顧みなかったってことだ。母ちゃんには随分とさみしい思いをさせちまったらしい」
ぼくが持ってきた水筒から、出汁スープを飲みながら、大吾さんは「身に沁みるや」と噛み締めるように言った。
なんでも奥さんの料理の味に似ていたそうだ。
すごいな、奥さん。
これはぼくが今日のために時間をかけて魚介出汁を煮込んだやつなんだけど、それを、家庭の味にしてたって?
毎日、料理を頑張っていたんだろう。
「俺は母ちゃんが作ってくれた飯をかっこむように食べて、いつも家が綺麗なことを日常だと思ってお礼も言わず、記念日も大事にせずに商談入れたり、ただひたすら店のために動いてた」
「ウワア…………あ、すみません」
「いいさ。つーか、それで『こいつぁいけねぇ』って気づけたんなら、自分の今後に役立ててくれぃ」
大吾さんはまた、一口、スープを口に含んでゆっくり味わった。
「それでな、うちの家庭は子どもも持てなかった。俺が忙し過ぎたからだ。そんことで母ちゃんが悩んでたのも気づいてやれなくてなぁ。ある日食台に書き置きが置かれててな、『疲れたのでここを離れます』……だってよ」
なんつー重い話。
大吾さんがズビーッと鼻を啜る音も、黒く日焼けした肌に涙が流れていることも、どう対応したらいいか分からない。
とりあえずハンカチを渡しておく。
女子対応か、と自分に突っ込み入れておいた。
「あんがとよ!……アイロンかかってる」
「かけましたね。あ、気づけたじゃないですか」
大吾さんにスープのおかわりをそそぐ。
水筒の蓋の中で、黄金のスープがとろりと揺れた。
芳醇な香りに誘われたのか、黒猫がふわっと浮かび上がって、水筒の蓋に顔を突っ込み、スープを舐めて、猫舌のため顔をしかめた。
でももう待てないらしく、チロチロと舌先でスープを味わう。
「うおおおおこんな風に一緒にゆっくり飯食えばよかったぁ!」
「んにゃあ!?」
「かあちゃーーん!」
大吾さんが黒猫の背中に頭を突っ込みグリグリするので、不快がった黒猫が毛を逆立てて、頬に猫パンチを食らわせた。
あーあ……。
「話、続けてもいいですか?」
「ん、ああ……」
いてぇ、と言いながら大吾さんが頬をさすっているんだけど、いいことが言えそうだから急いで話そう。
「大吾さん、気づけましたよね。手間かけた出汁が家庭の味だってこと、家が綺麗なのは掃除をしていたからってこと、記念日があるってこと、子どもの悩みのこと。その話し合いを奥さんがしたかった、ってこと。今の大吾さんは、前とは随分と変わっているんじゃないですか? 奥さんの理想の姿になってきていると思います」
「ふあ!?」
彼は目が飛び出さんばかりに刮目して、ぼくを凝視した。
肩を揺さぶられると酔いそうなんですけど……!?
「そ、そう思うか!?」
「ええ。ハンカチのアイロンにも気づけたし、大吾さんの視野は広くなっていますよ」
「そうかぁ……!」
「神谷さんも言ってましたよね。自分のダメだったことが分かってて、直す気もあって、どうしたいって気持ちも固まっているならば、前を向いて行動すればいいって」
大吾さんは顔をくしゃくしゃにして笑った。
うん、この人にはこういう笑顔が似合うなぁ。
「あとは奥さんがどう考えるか次第ですけれど、少なくとも、大吾さんは誠意がある人って思います」
「ありがとなぁ」
大吾さんはよしっ! と気合いを入れるように立ち上がって、拳を天井に突き上げた。
黒猫が迷惑そうに、彼のそばから離れて、ぼくにまとわりつく。
あとで冷めたスープもあげるからな、とそっと撫でておいた。
黒猫はスリスリ、ぼくに頬ずりする。
「大吾さんの願い事、よろしくな」
そっと黒猫に囁くと、金色の目がピカリと光った気がした。
お店の魚をお刺身にしてくれて、それをつまみながら少しだけ腰を落ち着ける。
熟練の包丁さばきで魚が無駄なくおろされていていて、プリプリの身は肉厚で、鮮度抜群だ。
これが大吾さんが守ってきた、お店の味。
商品の品質。
「店が安定してきて、ようやく俺にも考える余裕ができたのかもしれねぇなぁ。それも支えてくれた母ちゃんのおかげだ」
彼の年季が入った惚気を聞いて、ぼくは渋いお茶をすすった。
大吾さんはお茶を入れるのは上手じゃないらしかったが、茶柱は立っていた。
今からまだ夜の散歩だと言うと、大吾さんに「気いつけてなぁ」とオツマミの袋を色々渡される。
そのお礼にと、ぼくからのお土産も渡すと、とても喜ばれた。
連絡先を交換する。
来週の集会には必ずきてくれるって。
「そういえばこの商店街の肉屋の息子が、あの厚人なんだよな」
にんまりした大吾さんから、思いがけず厚人くんの秘密を聞いてしまって、ぼくは目を丸くした。
大吾さんは頭をかいた。
白髪混じりの短髪、冬の深夜にもかかわらず、彼は先ほどまで怒っていたものだから、湯気がたちそうなくらいおでこが赤い。
「き、聞いてたか?」
「え、ええ」
「すまねぇなぁ。驚かしちまった」
そういう彼の顔は、いつものように穏やかに戻っている。
しょんぼりしている猫耳を見て、ぼくはフォローを思いつく。
「猫が喧嘩しているように見えてました」
「はは! 違ぇねぇや」
大吾さんが豪快な声をあげて、にかっと口角を上げると、猫耳はピンと元気に立った。
よかった。
でも「ニャン」と言いながら招き猫のマネをして見せるのは、うーん、可愛くないというか不気味というかおじさん……。
愛想笑いを浮かべておこう。
「しまった! 集会時間がとっくに過ぎちまってたなぁ……」
「あの用事なら仕方ないですよ」
「すまねぇ」
「いいです。ぼくは今後、この店で買い物をしたくなりました」
「……お? そいつぁ僥倖」
大吾さんの足に黒猫がまとわりつく。
「お前が運んできた幸運ってやつなんかなぁ。ユウレイ。うう……かーちゃああん!」
忙しい人だな!?
大吾さんの背中を押しながら、ぼくたちはとりあえず店の中に入った。
あぐらをかいて、膝の上にユウレイを乗せながら、大吾さんが語る。
「俺ぁ、ずーっとあんな感じで商売をやってきてなぁ。ご先祖さんから受け継いだこの店は、三代目だ。潰しちまうわけにはいかねぇと、不漁の時にも、商店街にお客が少ない時にも、ずっとがむしゃらにやってきた。早朝から夜まで働き通しさ。んでも、店に時間を使ってるってことは、家庭を顧みなかったってことだ。母ちゃんには随分とさみしい思いをさせちまったらしい」
ぼくが持ってきた水筒から、出汁スープを飲みながら、大吾さんは「身に沁みるや」と噛み締めるように言った。
なんでも奥さんの料理の味に似ていたそうだ。
すごいな、奥さん。
これはぼくが今日のために時間をかけて魚介出汁を煮込んだやつなんだけど、それを、家庭の味にしてたって?
毎日、料理を頑張っていたんだろう。
「俺は母ちゃんが作ってくれた飯をかっこむように食べて、いつも家が綺麗なことを日常だと思ってお礼も言わず、記念日も大事にせずに商談入れたり、ただひたすら店のために動いてた」
「ウワア…………あ、すみません」
「いいさ。つーか、それで『こいつぁいけねぇ』って気づけたんなら、自分の今後に役立ててくれぃ」
大吾さんはまた、一口、スープを口に含んでゆっくり味わった。
「それでな、うちの家庭は子どもも持てなかった。俺が忙し過ぎたからだ。そんことで母ちゃんが悩んでたのも気づいてやれなくてなぁ。ある日食台に書き置きが置かれててな、『疲れたのでここを離れます』……だってよ」
なんつー重い話。
大吾さんがズビーッと鼻を啜る音も、黒く日焼けした肌に涙が流れていることも、どう対応したらいいか分からない。
とりあえずハンカチを渡しておく。
女子対応か、と自分に突っ込み入れておいた。
「あんがとよ!……アイロンかかってる」
「かけましたね。あ、気づけたじゃないですか」
大吾さんにスープのおかわりをそそぐ。
水筒の蓋の中で、黄金のスープがとろりと揺れた。
芳醇な香りに誘われたのか、黒猫がふわっと浮かび上がって、水筒の蓋に顔を突っ込み、スープを舐めて、猫舌のため顔をしかめた。
でももう待てないらしく、チロチロと舌先でスープを味わう。
「うおおおおこんな風に一緒にゆっくり飯食えばよかったぁ!」
「んにゃあ!?」
「かあちゃーーん!」
大吾さんが黒猫の背中に頭を突っ込みグリグリするので、不快がった黒猫が毛を逆立てて、頬に猫パンチを食らわせた。
あーあ……。
「話、続けてもいいですか?」
「ん、ああ……」
いてぇ、と言いながら大吾さんが頬をさすっているんだけど、いいことが言えそうだから急いで話そう。
「大吾さん、気づけましたよね。手間かけた出汁が家庭の味だってこと、家が綺麗なのは掃除をしていたからってこと、記念日があるってこと、子どもの悩みのこと。その話し合いを奥さんがしたかった、ってこと。今の大吾さんは、前とは随分と変わっているんじゃないですか? 奥さんの理想の姿になってきていると思います」
「ふあ!?」
彼は目が飛び出さんばかりに刮目して、ぼくを凝視した。
肩を揺さぶられると酔いそうなんですけど……!?
「そ、そう思うか!?」
「ええ。ハンカチのアイロンにも気づけたし、大吾さんの視野は広くなっていますよ」
「そうかぁ……!」
「神谷さんも言ってましたよね。自分のダメだったことが分かってて、直す気もあって、どうしたいって気持ちも固まっているならば、前を向いて行動すればいいって」
大吾さんは顔をくしゃくしゃにして笑った。
うん、この人にはこういう笑顔が似合うなぁ。
「あとは奥さんがどう考えるか次第ですけれど、少なくとも、大吾さんは誠意がある人って思います」
「ありがとなぁ」
大吾さんはよしっ! と気合いを入れるように立ち上がって、拳を天井に突き上げた。
黒猫が迷惑そうに、彼のそばから離れて、ぼくにまとわりつく。
あとで冷めたスープもあげるからな、とそっと撫でておいた。
黒猫はスリスリ、ぼくに頬ずりする。
「大吾さんの願い事、よろしくな」
そっと黒猫に囁くと、金色の目がピカリと光った気がした。
お店の魚をお刺身にしてくれて、それをつまみながら少しだけ腰を落ち着ける。
熟練の包丁さばきで魚が無駄なくおろされていていて、プリプリの身は肉厚で、鮮度抜群だ。
これが大吾さんが守ってきた、お店の味。
商品の品質。
「店が安定してきて、ようやく俺にも考える余裕ができたのかもしれねぇなぁ。それも支えてくれた母ちゃんのおかげだ」
彼の年季が入った惚気を聞いて、ぼくは渋いお茶をすすった。
大吾さんはお茶を入れるのは上手じゃないらしかったが、茶柱は立っていた。
今からまだ夜の散歩だと言うと、大吾さんに「気いつけてなぁ」とオツマミの袋を色々渡される。
そのお礼にと、ぼくからのお土産も渡すと、とても喜ばれた。
連絡先を交換する。
来週の集会には必ずきてくれるって。
「そういえばこの商店街の肉屋の息子が、あの厚人なんだよな」
にんまりした大吾さんから、思いがけず厚人くんの秘密を聞いてしまって、ぼくは目を丸くした。
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