私が愛した少女

おっちゃん

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第一章 還暦からのスタート

再会

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 学校というところは、役に立たないと思う教師に対しては、学校の運営上影響の無い仕事をさせておくのが常套手段だ。私もその一人だったようで、私は適応指導教室「ひまわり」という部屋の担当になった。その部屋には3年の男子一人と女子一人が通ってきていた。
 実を言えばこうした教室の担当になるのは3校目だ。最初は体調を壊して担任を外され、たまたまあった校内適応教室の補助の仕事をすることになった。その時は一体何をどうすればいいのか何も分からない。とりあえず、仲良くなって塾時代に身につけたノウハウで勉強でも鍛えてやるかと考えた。すると、徐々に成績が上がり始め、それと共に私への信頼を持つようになって来た。結局その教室から卒業した子はすべて進学先で好成績の取ってくれた。ある男の子は入学して最初のテストの成績が学年4位だった。それを報告してくれた子に私は「なんで4位なの?」と言ったら、その後は卒業まで1位の成績であった。あとで聞くと彼は私の期待に応えるために努力したとのことだった。
 この学校でこの教室は担当することになった理由は良く覚えていないが、新しく校内適応教室を設置するので、経験のある私にということらしかった。たいてい、この種の教室の担当は授業が下手であるとか、生徒から好かれていないとか、その学校のお荷物的存在の先生が担当することが多い。私もどちらかと言えばお荷物的存在なので、この話が来た時は二つ返事で引き受けた。とはいえ、私はこの仕事には自信と誇りを持っていた。中3なら必ず合格させるし、それ以外なら必ずしばらくして通常学級に戻す自信があった。
 さてこの教室には明梨という女子と勇気という男子の三年生が二人と二人の三年生がいた。明梨は部活の部員だったのでやりやすい。勇気は難病を患っていたが、高校進学に希望を持っていた。明梨はこの部屋に来るまでは部活にだけ来て帰るという生徒だったが、私がこの校内適応教室の担当になることを知って今年からは登校することになった。明梨はとてもチャーミングな子なのだが、人見知りでほとんど会話をしない。今思えば明梨は「境界性パーソナリティ障害」だったと思う。ある日、私と二人で勉強をしていた時、突然トイレに駆け込みそのまま帰ってしまったことがあった。私にはその時何が理由か全く見当がつかず当惑したが、後から考えると明梨は熱心に根気よく教えてくれる私に少なからず好意を持ってしまい、そうした自分をどうしていいのかわからなくなってあのような突発的な行動をとったようだ。私が何故そう思ったかというと、入学試験を1ヶ月後に控えた頃私は明梨のことをある高校の顧問に入学後のことを頼んであった。そのため、放課後明梨を呼んで実技の指導をしたのだが、その時の明梨の楽しそうな表情からそんな気がしたのだ。しかし「境界性パーソナリティ障害」の特徴を知ったのはこの後この教室で経験する壮絶な出来事のためであることは、後述することとする。
 明梨は三年生になって見違えるように登校するようになり、成績もぐんぐんと良くなり、9月の実力テストで320点も取ってしまった。そして定期テストが近づいたある日私が「さあ、明日からは定期テストに向けて頑張ろう!」 と話すと明梨は「頑張って下さい。」と変なことを言った。まるで他人事だ。すると翌日、教室に明梨の姿がない。どうしたのかと心配しつつ登校を待っていると、明梨の教室の担任が
やってきて、「先生、明梨が教室にいるんですけどどうしたんでかね?」と言った。この時私は昨日の明梨の言葉の意味を初めて理解できた。そこで、ここまでのいきさつを担任に話して明梨の様子を見てやって欲しいとこの後の明梨を担任に任せた。
 もうひとりの三年生、勇気は難病のためなかなか思うような登校は出来なかったが、彼が希望する高校へは何としても合格させたかったので、指導計画を何度も練り直しながら集中的に指導していった結果、勇気も志望校に合格した。しかし、残念なことに勇気は二年生に進級することなく若い命を失った。
 明梨の学校へは何度となく練習試合に行ったので、高校で頑張る明梨の様子を知ることが出来た。
 この教室二年目は三年生の亜紀と勇太郎、それに一年生の遥の三人どなった。
 亜紀はやはり私の部活にいた子で、部活内のトラブルから不登校になったということだったが、実際は他に理由があったことはあとで知った。亜紀も明梨と同じく、私が担当する教室ならということで三年生から登校することになった。しかし、修学旅行のあとからすっかり登校しなくなってしまった。何度、家を訪問しても会えない。お母さんを「行きたくないと行っていますので」と答えるしかない状況だった。
 一方、勇太郎の方は遅刻して来て早退するとはいえ、毎日来るようになった。彼は彼が二年生の時、夜なら来れるというので、生徒がすべて下校した時間に来てもらって夜8時まで勉強を教えたことがあった。そうした経緯で勇太郎もこの教室に来ることになったのだ。
 勇太郎は数学に高い能力を持っていることがわかっていたので、まずは数学を得意にしてやることにした。これが上手く行き、彼はどんどん数学の成績を上げていって、数学だけなら上の教室の子たちに負けない力をつけてくれた。次は英語。これも言葉の決まりを理解させたらどんどんと成績がよくなって行った。彼は「英語も数学と同じですね!」などと言っていた。
 亜紀はやはり登校しない。12月が近くなると勇太郎の方は志望校合格ラインを越えてきた。もう安心である。すると、休んでいた女子が三者面談にやってきて、担任から同席を求められた私は亜紀から「まだ間に合いますか?」と聞かれすぐに「間に合うよ」と言答えた。私は過去に何人もこうした生徒を合格させてきた実績があるのでそれ程不安はなかったが、やはりたった2ヶ月で合格させなければならないので、過去問を精査し最低点であっても合格すればいいと思い学習内容を精選して集中的に教えることにした。私もかなり努力したが、彼女もそれによくついて来てくれた。そして、驚くべきことに彼女も合格してしまったのだ。しかも、彼女は入学直後のテストでは最下位だったのが卒業時には学年トップ5であった。
 年度が変わって「ひまわり」に新しいメンバーがやってきた。全く笑わない美沙と暗い表情の紫野だった。笑わない美沙は3時頃の登校が普通、紫野は2日来たら2日休むといった感じ。
 この子たちを高校に入れることが出来るのだろうかとやや不安を抱きながらのスタートとなった。
 ところで紫野は一年生の時に私の部活にいたあの紫野である。しかし、紫野は家庭の事情でまた6月から登校しなくなってしまった。
 美沙は二年生の頃私の教室に突然現れて、以来毎日私のところに来るようになった子である。この頃の美沙には表情というものがなかった。気持ちや感情を表に出す勇気が無かったのだと思う。これを変えたのが、一年生の波音である。彼女はやはり不登校で私の教室に来ていた。しかし、彼女は他の子と少し違っていた。ひとりで何時間も自習が出来る子だった。しかも、放課後になると、私を仲間に引き入れてトランプゲームをした。そして、私が勝つと「大人気ない!」といって、私が負けるまでゲームが続き、私が負けるとゲームが終了した。そんな様子を見ながら一緒にゲームに参加していた美沙がいつの間にか笑うようになっていた。この頃、美沙の笑う顔を見たのは私と波音だけだと思う。美沙はこの頃から急激に変化を遂げていくことになる。
 美沙が明るくなった訳はカードゲームのせいだけではない。ゲームがいくら楽しいからといって不登校の自信喪失が簡単に変わる訳がない。美沙が明るくなった最大の要因は学力の向上にある。わからなかったことがどんどんわかるようになり、テストの成績も上がれば、それまで自分を劣等生だと思い込んでいた彼女が自分の変化に気づき、認めざるを得なくなったのだ。
 とにかく、不登校の持つ最大のコンプレックスは学力なのだ。「休んでいて勉強が遅れている」これが彼らの最大の悩みなのだ。だから、学力をつけてやれば不登校は大きく変わる。
 ただ、「学校に行かなくてもいい」と言うだけではだめなのだ。「じゃあどうやって勉強を出来るようにすればいいの?」という不安を取り除かなくては不登校は立ち直れない。
 私の不登校蘇生プログラムはこうだ。
①始めは丁寧な態度で応対しながら、その子が苦手だという教科の学習を始める。(大抵は数学または英語)
②学習を進めていくと必ず、どこかにキラリと光る才能を見せるので、その時は大袈裟に誉める。というか本気で誉める。(いい加減なほめ方は絶対にだめ)
③解き方を理解したと感じたら、その子が解ける問題を出して、解けたら「凄いね!」といって、少しだけ難度を上げた問題を出す。
④もし、解けないようならヒントを出してやる。すると必ず解けるので、ここでも「さすがだね!」といって誉める。これを何度も繰り返す。
⑤そうしていくと、生徒との精神的な距離がかなり縮まって来る。ここで、自分のことを話すようにする。内容は過去の失敗。その失敗からたくさんのことを学んだと話す。生徒が反応を示さなくてもいいから、とにかく一生懸命語る。(生徒は話の内容より、こちらの熱心さが印象に残る)
⑥ここまで生徒と過ごして気づいた生徒の良いところを伝える。例えば字がうまいとか、君は何々が得意なんだねとか、いつも黒板をきれいにしてくれてありがとうとか、生徒がこちらの熱心さに応えようと努力している部分を見つけて誉める。(生徒の努力を理解する事が大切)
⑦この辺りから生徒はこちらに絶対的信頼と期待を持つようになるので、将来の希望について話し合う。どんなことでも何か希望があれば、「それはいいね」と手放しで認める。ここで「それには、こうしないと」などと余計な指導を絶対にしてはならない。生徒は自分でわかっている。たから「私も出来る限りのことをして応援するよ」と言えばいい。
⑧この段階で生徒と先生は同じ方向を向けたので、これからは生徒を後押ししたり引っ張ったりして鍛える作業に取りかかる。もうどんなに厳しいことを言っても生徒はついて来る。しかし、否定的な言い方は厳禁。叱るときは「君のような賢い子がどうしたの。」と誉めながら叱る。
⑨社会生活に適応出来るようにするために、外部との接触を増やして行く。担当の先生との関係だけでなく、様々な大人との接点を作り、まず大人とのコミュニケーションを取れるようにしてやる。
⑩最後の難関は同年代。クラスの子たちに協力してもらい、休み時間や昼休みに接する時間を多くしてもらう。ストレスが大きいので、段階的に人数や時間を多くして行く。こうすると、不登校は教室に戻りやすくなる。後は担当者が「~さんが教室に行けるといいね。」とこちらもそれを望んでいることを伝えてやる。
 だいたいこれくらい手を尽くせば、不登校は教室に戻ってしまう。とはいえ、1年は覚悟して取り組まなくてはいけない。
 ということで、いろいろあったが美沙は合格後教室に戻って行った。そこで、残されたのが紫野である。美沙が思いがけない行動をとるようになったのは12月、その頃から受験生は紫野だけになった。私は彼女を鍛えた。彼女も必死について来た。しかし、紫野は思いの外病弱で、体調不良を訴えることが多かった。頭痛がするといってソファーに横になることも多かった。主な原因は家庭にあった。家でのストレスで学校に登校するエネルギーを失っていた。それを自分に鞭打って統合して来るので、教室ではぐったりとしていた。当時の私は紫野が何故それ程体調不良を訴えるのかわからなかったので、横になる紫野の脇で紫野の手を握りながら「大丈夫だよ」と声をかけ続けていた。こんなことが何度かあって、「心配だ」という意味を超えて紫野の存在が私の中で大きくなっていったのではないだろうか。

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