私が愛した少女

おっちゃん

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第一章 還暦からのスタート

蝋人形の呪い

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 美沙は結局合格発表の時、すぐには挨拶には来なかった。2日教員を連れて報告とこれまでの行動についての謝罪にやってきた。ひとりで来るのは怖かったらしい。しかし、私は美沙と二人で話したかった。なぜなら、私たち二人にしかわからない本当の気持ちを伝え合いたかったからだ。そうすれば私が取り戻して美沙がまたなくしてしまった明るさを、もう一度取り戻すことができたからだ。しかし、美沙は他人を連れてきた。この段階で私は大きく落胆してしまった。結局、美沙は卒業まで明るさを取り戻すことはなかった。私としてはもうどうでも良かった。美沙のためにした様々な努力はなかったことにしたのだ。その代わり紫野の合格に全力を注ぐことが出来たことが嬉しかった。
 しばらくして風の噂で美沙は楽しい高校生活を送っているらしいことか知れたが、紫野の方は違っていた。学校内のトラブルで登校できなくなっていたのたっだ。そして彼女は退学した。そうなるまでに私がどんなに励ましても彼女が学校に行くことはなかった。
 私を自殺未遂から救ってくれた彼女が退学し、私を自殺未遂に追い込んだ美沙は楽しくやっている。こんな事があっていいのかと思う。
 しかし、世の中にはこうしたことはよくあることではないだろうか。
 美沙が高校に行って2ヶ月した6月、美沙からメールが来た。「楽しい。頑張ってます。」という内容だった。美沙の心のわだかまりがとれたかと思い、ついこっちからも励ましのメールを送ってしまった。すると美沙はそれを担任に言いつけて教育委員会を通してセクハラだと訴えて来た。恐ろしいことだ。私たちは美沙に呪われているのだろうか。悪魔のような美沙のやり方に恐ろしさすら感じた。
 自分が美沙にしてきた努力を惜しむ気持ちはさらさら無いが、美沙と過ごしたすべての時間振り返ってみても私のどこに落ち度があったのかまるで見当がつかない。もしかしたら、誰かが言っていたようにただの焼き餅だったのかも知れない。
 つまり、それまで仲良くしていた二人の間にもう一人の女の子が来て、後から来た子に気遣いをしたら焼き餅を焼かれたみたいなことなのだろうか。それにあんなに苦しんだ私はどれほど純粋というか馬鹿だったのと言えよう。
 しかし、二人の関係がどうなろうと、美沙の人生を変えたのは間違いなく私だ。美沙はあの時私と過ごさなければ、合格も無ければ、大学への挑戦すら無いのだ。つまり、今の美沙を作ったのは誰あろう私なのだ。私のあのひたむきな努力があってこそ美沙の今がある。その感謝を忘れれば、美沙は転落の人生に一直線である。人は人のために生まれてきた、だから、私が美沙のために死力を尽くしたことに誤りはない。だから美沙には私以外の誰にでもいいので、私への感謝を行動にして返しなさいと手紙に書いた。
 美沙と会うことは二度と無いだろうが、本当は美沙には私が必要であることは美沙自身が一番良くわかっているはずなのだ。美沙の蘇生の原点は私だからだ。
だから、美沙はそれから逃れるために必死に努力しているのだろう。しかし、その努力のエネルギーの源はやはり私の存在なのだ。
 美沙が卒業するまでは美沙のことで苦しみ続けたが、今は逆に私は美沙の中にいて美沙を睨み続けているようだ。あの時美沙が私にあんな態度をとらなければ私たちは今でも時々会っていただろうし、美沙が私という存在に追われることも無かったはずだ。結局、時が経って見れば、美沙は自分自身に呪いをかけることになってしまったということなのかも知れない。これを自業自得と言うのであろう。
 自然の摂理は「因果」なのだ。意地悪すれば意地悪される。親切にすれば親切にされる。まして、あの時の私にあんなことをして、何も無いはずがない。恩を仇で返した訳なのだから。可愛そうだがどうしようもない。強く生きて行けよと遠くからエールを送るのみである。
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