私が愛した少女

おっちゃん

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第二章 濁流の教員生活

払拭されない疑問

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 私はある塾の社員から転職して教員になった。その塾では、勤めて2年目には1教室を任され、専任が二人、事務も二人、アルバイトも10人程働いていた。小4~中3まで約500人の子供が通っていた。
 中3の受験生を教えることは決して簡単なことではなかった。ある時、一番上のクラスの生徒が「先生、これ解けますか?」と明らかに質問ではなく、こっちの力量を確かめに来た。確か、当時のI高校の数学の問題だったと記憶している。この高校の数学は決して難しい訳ではないが、解答のプロセスが複雑で途中でミスをすると正解しないという類の問題が多かった。
「これか!」と言ってみんなの目の前で解き始めた。
 中学生に出題される問題に答えられないはずがないと自分に言い聞かせて、慎重に解いて行った。10分程かかってしまったが「これであってる?」と聞くと「はい!」といって「さすが室長ですね!」などといって嬉しそう帰って行った。その子は県立の最上位クラスの高校に進学し京都大学に入ったものの、勉強がつまらないといって、翌年東大に入り直した。
 生徒に教える以上、解けない問題があってはならないので、暇さえあれば全国の入試問題を解いて遊んでいたものだ。
 ある日、面白いことがあった。私の塾では授業の前に「5分間テスト」というプリントをやらせていた。いつものように、テストを配って生徒が解き始めた。担当教師も同時に解いて解答、解説をする事になっている。この日は某国立大学の医学部の学生がほとんどの教室を担当していたのだが、あちこちの教室から「室長、これどう解くんですか?」戻って来るのだ。問題を見ると、だった2問。そのうちの1問が解けないというのだ。どれどれと私も解いてみると、確かに簡単な問題ではなかった。
 とはいえ、5分間テストの問題で、そんな難問は無いはずと信じて解き始めてから3分、解法がひらめいた。「これでいいんじゃないかな」と講師たちに見せると、みんな驚いていた。彼らはすぐに教室に戻って解説をすることができた。
 講師の面目を守ってやることが出来た。
 そんな塾に転機が訪れた。経営陣と雇用側の対立が激化してしまい、有名講師たちが次々と独立してしまうようになった。塾は名前だけではもたない!そこにどれだけカリスマ的な講師がいるかが命である。
 私は続けたかったが、会社自体が存続の危機にたたされてしまったため、私も転職せざるを得なくなったのだ。
 塾にいたとき、「先生、学校つまんない!塾だけでいいのに!」と言っていた生徒がいた。それを思い出して、「学校ってそんなにつまらないところなら、俺が行って面白くしてやろう」などと驕り高ぶった考えで教員採用試験を受けた。一次試験は毎日生徒に教えていることが出たので、ほぼ満点だった。しかし、面接が問題である。集団面接で「部活、部活といって、夏休みに毎日学校に呼び出すのはとういうことだ」という親からの問い合わせにどう答えますかと聞かれた。
 他の人たちは、子供の成長のためになるというような回答をしていたが、私は「それは当然でしょう。旅行や塾にいきたい子だっているはずです」と答えてしまった。今なら「正解」となるこの答えは当時は❌なのだ。荒れた学校を部活で目的を持たせて立て直すことが当たり前の時代だったからだ。従って、私の評価は❌となり。その年の採用は無いだろうと思っていた。ところが、3月30日に突然電話があった。「君。今から来れるか?」といわれ、行ってみると「君を使うことにした」とのことだった。既に決まっていた人が民間企業に逃れたかららしい。理由はどうであれこれで無職ではなくなるとホッとした。
 最初の赴任地はI市だった。ここは東京に近いからか、先生達の考え方も行動も都会的だった。今思えば画期的だったと思うが、当時の教務主任は毎日、定時で帰宅していた。7時頃まで部活をしているのは私だけで、私が学校の鍵を掛けて帰っていた。それが、地元に戻ると大違いだった。7時に帰る私が一番速い帰宅。何か悪いことでもしているような気持ちになった。しかも、こっちでは前任校と違い、「共通理解」「同一歩調」と言うのが合い言葉で、生徒も先生も「おてて繋いでイチニッサン」先に行っても遅れてもダメなのだ。まるで、電気製品の工場のようなのだ。何かオリジナルなことをするときは、学年主任に許可をもらわなくてはならない。
 ある学校でこんなことがあった。荒れ果てた部活を誰も持ちたくないので、転入予定の私に持たせることになっていたのだ。確かにその部活は酷かった。坊主頭なのに、赤や緑のメッシュが入っていたり、すぐに座り込んで唾を吐き出す。練習には嫌々出てくる。何のために部活にいるのかわからないような奴らばかりだった。しかし、私はこいつらにも何か訳があるに違いないと考え、なんとか部活が面白いと思わせようと考えた。
 そこでまず、話し合った。私は地元出身なので、生徒の名前を聞いただけで住んでいる場所を大まかに当てられた。「お前の家の近くに○○という店があるだろう!」などと言うと「先生、何で知ってるんですか?」と驚く。それだけでも良かったのだが、とどめに地元の歴史について少し語ってやった。これだけで田舎の子はいうことを聞くようになる。
 そして練習ではもう少しで捕れそうなボールを打ってやると、悔しいから「もう一丁」と必ず言ってくる。この繰り返しで頭の毛の色は黒くなった。暇を持て余していた日曜日も練習を入れてやると益々やる気を出して来た。
 ところがである。こともあろうか、生徒指導担当から横やりが入った。「日曜日の練習をやめて欲しい」と言うのだ。訳を聞くと、私がやると他の先生もやらざるを得なくなるからだという。私は耳を疑った。まるで子供の世界だ。大人の世界なら「うちはうち」「よそはよそ」とはっきりというだろう。何故それができないのだ。そういって私は休日の練習をやり続けた。その結果、あのどうしようもなかった生徒達が礼儀正しい生徒に変わって行ったのだ。さらに、その後輩たちは県大会にまで勝ち進んだのだ。
 だから、学校は私のような教師は困るらしい。学校では「おてて繋いで」を嫌がる奴は問題児とされる。私は「おててつないで」が大嫌いなのだ。
 また、ある学校である教員が規則を守らない生徒に「ここは学校なんだぞ!」と叱りつけていた。私はここでも耳を疑った。あの生徒が「ここは学校なんだぞ」といわれてわかるのだろうか。それで言うことを聞くのだろうかと。それで言うことをきくくらいなら最初からしていないだろうと思った。よほど賢くなければ「学校なんだぞ」といわれて「はい、わかりました」とはならないだろうとも思った。
 どうしてあの教員は生徒の間違いをきちんと説明しなかったのか理解できない。それに規則を破る生徒には必ず何か理由があるだろう。それを聞いて、そこから価値観の違いを埋めて行く作業が生徒指導ではないのか。
 一方的に教師の価値観を押しつけるだけでは、生徒の判断力は育たないだろう。問題を起こした時こそ価値観を育てるチャンスではないのか。
 何か違う。私が間違っているのか、学校が間違っているのかわからなくなった。わかっていることは、学校にとって私のような教師は邪魔だということ。
 このままだと、その時だけうまく合わせてその場をやり過ごす要領のいい人間ばかりが増えてしまうような気がしてならない。
 ともあれ、学校という職場は自分に最も合わない職場であることが、やめる今頃になってわかった。
    
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