私が愛した少女

おっちゃん

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第二章 濁流の教員生活

チーム○○!

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 最初に赴任した学校は酷かった。何か行事がある度に何か起こった。朝、出勤すると校舎のガラスが真っ赤に塗られていたり、渡り板で焚き火をされていたり、準備を終えた式場の椅子をすべてどかしてバスケットをされていたりと数えればきりがないほどいろいろとやられた。
 しかし、そんな学校ではあったが、一つだけいい思い出がある。学校というところは、経験があろうがなかろうが有無を言わさず部活を押し付けられる。私はその年顧問が不在になった女子バレー部をもたされた。バレーボールなんか触ったこともないし、ルールすら知らなかった。しかも、前任者はかなり優秀な指導者だったようで生徒の落胆は大きいに違いなかった。
 案の定である。「先生は何故私たちにバレーボールを教えてくれないんですか」と来た。教えないんじゃなくて、教えられないのだ。気の小さい私にとっては部活の時間が悪夢の時間になった。とはいえこのままだとやられっぱなしなのて、持ち前の努力でバレーボールの勉強をしまくった。10冊以上の本を読み、練習試合の相手校の顧問からいろいろと教えてもらった。
 しかし、女子バレー部員とは最後まで心が通い合わなかった。次の年、男子バレー部の顧問が転出することになり、女子バレー部には全国大会経験者の顧問が転入して来ることになり、私はスライドで女子から男子に移動させられた。本当は自分のクラスの女子が私を慕って入部していたのて、そのまま続けたい気持ちも無かったわけではない。しかし、前にも書いたが、学校というところはトップダウンで有無を言わせないのだ。
 男子は女子とは違って心が広い。だから、私がバレーボールを知らないからといってそれを問題にはしない。むしろ毎日きちんと部活にいる私を信頼してくれるようになった。その年の3年生は前任者がきちんと教え込んでいたので当たり前のように、地区予選を勝ち上がって県大会に進んだ。つまり、いきなり県大会出場校の監督になってしまった訳だ。
 バレーボールにも一年生大会というのが一番寒い1月後半に開催される。この子たちは私からバレーボールを初めて習う子たちだった。教えるといっても、実際に教えているのは先輩達で、私は細かいことはわからない。
 迎えた大会当日、第1試合私のチームは一人目がサーブを打ったが、相手にスパイクを決められてサーブ権が相手に移ってからはサーブはとれない、たまたまとれても相手にチャンスボールを返すのがやっと。終わってみると2対30の大敗。「先生、俺この試合でボール触っていません。」という生徒がいるほどだった。
 つい数ヶ月前は県大会出場監督だったのに。それでも、その後の選手権大会と総体では先輩達が県大会に進んだので面目は保たれた。
 その子たちが引退していよいよあの大敗チームが主役となる夏休みがやってきた。私は「今まで通り」というのが大嫌いなので、このチームからは私のやり方に変えることにした。それまで中学校のバレーボールといえば表裏のエースが豪快にスパイクを決めるオープン攻撃が当たり前だった。確かに、長身の選手がいればそれでいい。しかし、170cmそこそこの選手ばかりでは、すべてブロックされて終わりだ。そこで、相手のブロックを外して打つにはどうすればいいかを考え抜いた。その結果がコンビネーションバレー。私は子供の頃「ミュンヘンへの道」という全日本の男子バレーがミュンヘンで金メダルをとったときのマンガが好きだった。それを思い出したのだ。そこで、本当はエースとして使いたい選手にセッターに転向することを持ちかけた。やはり少し抵抗があったが、私の考えを理解してくれてセッターになってくれた。何故そうしたかというと、隣の女子バレーの先生がとてもいい先生で、私が相談すると常に明確な回答が帰って来る。バレーボールを知り尽くした方だった。その先生から「一番うまい子をセッターにした方がいいよ」と教えてもらっていたからだ。そして、毎晩寝床でフォーメーションの研究をした。そして考え出したのがダブルAクイック、ダブルBクイック、更にAとC、BとC、AとD、BとDそれにバックアタックの組み合わせだ。彼らはバレーボールは初心者だったが、運動能力は低くなかったので、一つ一つの練習ではかなり上達して行った。しかし、試合形式になるとカットがセッターに上手く返らず、セッターが走り回らなくてはならない。そのためサインで決めた攻撃ができないのだ。そこで、とにかくサーブカットの練習をした。私も5種類のサーブが打てるようになった。左右に曲がるサーブ、落ちるサーブや伸びるサーブ、そして揺れるサーブ。毎回300本を超えるサーブを打ったと思う。部活数の多い学校だったので、体育館を使えるのは週に2回半だった。仕方がなくある曜日だけ夕方の6時に市民体育館に集めて10時まで練習することにした。(今では考えられないことだが)夏休み中の練習試合ではすべてボロ負け。コンビが合わない。そのうち「あの学校はもう終わりだ」と陰口を囁かれるようになってしまう有り様。この時も隣の女子バレー部の先生に「やっぱり私が間違っているんでしょうか」と聞くと、先生は「いいんじやない。」というのだ。私はその言葉を信じた。地道な練習を重ねて行き季節はもう秋になっていただろうか。その頃から練習試合てセットが取れるようになってきたのだ。そして12月に入ると「先生、俺たちどことやったら負けますか」という言葉が選手から出るようになった。その頃は市内の学校とは全く練習試合を組まずに、市外の学校としかやらなかった。何故かといえばもちろん私のバレーボールを秘密にしておきたかったからだ。迎えた2月の地区大会28校が集まる大会では予選を難なく勝ち上がり、遂に決勝にまでやってきた。相手は優勝を重ねる宿敵H中学校だ。
 試合が始まると動きがおかしい。堅くなっているらしいのだ。タイムを取ってリラックスさせようとしても堅さがとれない。結局第一セットをとられてしまった。ところが、これが逆にいい影響を与えてくれた。「今まで勝ったことがないチームなんだから当たり前」と開き直ることができた。そこからはコンビが爆発。すべての攻撃が面白いように決まって大勝。いよいよ最終セット。まだ若かった私は「いいか、必ずおまえたちが勝つ。それを絶対に疑うな!」と言い聞かせて送り出した。結局最終セットも危なげなく取って優勝。顧問の集まるステージのどこからか「○○中の時代が来たね」と囁く声が聞こえた。半年前には「あの学校は終わりだ」といわれていたのだが。
 最下位のチームが半年で優勝したのだ。この時中学生の底知れぬ可能性を垣間見た気がした。
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