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第三章 美しすぎる海と湖
知床五湖
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いよいよ、「知床の岬に~」の知床だ。弟子屈から知床は約120kmの道のり。斜里からはオホーツク海を左に見ながらの快適なドライブ。2時間程で知床五湖の駐車場に着いた。ヒグマの活動期は過ぎていたが、五湖を巡るには注意が必要なようで、ガイドが伴った。
五湖をすべて巡るのに約90分を要したが、青い空をバックにした知床連山も湖面に映る景色も、時折遠くで聞こえるコノハズクの鳴き声も、更に「知床」を強く感じさせてくれた。ただ、一つだけ大変な思いをしたのは、太陽。五湖巡りでは、日陰がほとんどなかった。真夏の太陽が容赦なく降り注いだ。五湖巡りを終えてクルマに戻ってエアコンを入れてしばらく休まなければ動く気になれなかった。
今は知床横断道路が出来て簡単に羅臼に行けるが、当時は羅臼に抜ける知床横断道路はなかった。したがって、羅臼に行くには来た道を戻って反対側の道路を使って行かなくてはならない。
羅臼に何故行きたかったのかよく覚えていないが、羅臼行きにこだわった。斜里に戻って反対側の羅臼に着いた頃はもう真っ暗だった。これから戻っても、羅臼にいても今夜の車中泊が変わることはなかった。しかも、急に土砂降りの雨が降って来た。食料と飲み物は十分用意しておいたので大丈夫たが、知床半島の羅臼町で土砂降りの雨の中の車中泊は紫野がとても可哀想だった。でも、この時も紫野は「先生、スリル満点でいいですよ!」という。「先生、でも手をつないでいいですか?」といった。私は一晩中紫野の手を離さなかった。
羅臼の朝は早かった。雨もすっかりあがり、4時過ぎには空が明るくなった。紫野はまだよく眠っている。私もこのまま静かにもう少し眠ることにした。
7時、太陽の照りつけで目が覚めた。車内はすでに暑くなってきた。お腹が好いているのに気づいて、昨夜の残りのパンを二人でかじった。紫野に「先生、ところで羅臼で何が見たかったんですか?」と聞かれた。「何もなかったね」「え、何か目的があった訳じゃないんですか?」と言われ「とにかく羅臼ってどんなところか来て見たかったんだよ」と言うと、「でも、スリルがあって面白かったです」と言ってくれた。「先生、次はどこに行くんですか」と言われ、「野付半島だよ」と答えた。
「野付半島っていうのは知床半島と根室半島の間にある砂嘴(さし)だよ。砂嘴とは、岸沿いに流れる海水によって運ばれた土砂が堆積してできた、海上に長く突き出た地形のことなんだ。トドワラといって、トドマツの立ち枯れが有名なんだよ。」「立ち枯れって何ですか。」「かつては立派に葉を茂らせていた樹木か立ったまま枯れているんだよ」「だから立ち枯れって言うんだ」「それが半島のいたるところで見られるんだよ」標津から左に折れると野付半島に至る。「先生、あれですか。」と紫野はいち早くトドワラを見つけたようだ。一本の長い道路の両脇にたくさんの枯れた木が立ち並んでいる。確かに異様な光景だ。群馬県の赤城山の木が酸性雨のために立ち枯れしたのとよく似ている。一体何故こんなことになったのかと考えて見た。立ち枯れする前は立派なトドマツが生えていた訳だから、この辺りは樹木が生息できる環境であった訳だ。それが立ち枯れしてしまうほどの環境の変化とは一体どんなものだったのだろうか。野付半島は徐々に面積が小さくなっているらしい。海面の上昇によるものか、海流によるものかはわからないが、いずれは半島が島になってしまうともいわれている。となるとトドマツが枯れたのは土壌に海水がしみこんできたことによるもと考えるのが妥当だろう。ただ、地球温暖化は平成に入った頃から大きく問題視されるようになったことであり、トドワラはそれよりずっと以前に作られたものなので、やはりトドワラの成因が何なのか知りたいと思った。
野付半島を出て私たちは風蓮湖の横を通って根室半島の突端、納沙布岬に向かった。ここも、何か特別な目的があったわけではないが知床半島と違って、半島の先端部まで車で行けるので、行ってみたくなった。肉眼では見えなかったが海の向こうに歯舞群島があるはず。岬のいたるところに「北方領土」の文字が刻まれていた。相互不可侵条約を破って侵攻してきたソ連がここを返還する日は絶対に来ないだろうと思った。
そんな思いを岬の見晴らし台に残して、納沙布岬をあとにした。
五湖をすべて巡るのに約90分を要したが、青い空をバックにした知床連山も湖面に映る景色も、時折遠くで聞こえるコノハズクの鳴き声も、更に「知床」を強く感じさせてくれた。ただ、一つだけ大変な思いをしたのは、太陽。五湖巡りでは、日陰がほとんどなかった。真夏の太陽が容赦なく降り注いだ。五湖巡りを終えてクルマに戻ってエアコンを入れてしばらく休まなければ動く気になれなかった。
今は知床横断道路が出来て簡単に羅臼に行けるが、当時は羅臼に抜ける知床横断道路はなかった。したがって、羅臼に行くには来た道を戻って反対側の道路を使って行かなくてはならない。
羅臼に何故行きたかったのかよく覚えていないが、羅臼行きにこだわった。斜里に戻って反対側の羅臼に着いた頃はもう真っ暗だった。これから戻っても、羅臼にいても今夜の車中泊が変わることはなかった。しかも、急に土砂降りの雨が降って来た。食料と飲み物は十分用意しておいたので大丈夫たが、知床半島の羅臼町で土砂降りの雨の中の車中泊は紫野がとても可哀想だった。でも、この時も紫野は「先生、スリル満点でいいですよ!」という。「先生、でも手をつないでいいですか?」といった。私は一晩中紫野の手を離さなかった。
羅臼の朝は早かった。雨もすっかりあがり、4時過ぎには空が明るくなった。紫野はまだよく眠っている。私もこのまま静かにもう少し眠ることにした。
7時、太陽の照りつけで目が覚めた。車内はすでに暑くなってきた。お腹が好いているのに気づいて、昨夜の残りのパンを二人でかじった。紫野に「先生、ところで羅臼で何が見たかったんですか?」と聞かれた。「何もなかったね」「え、何か目的があった訳じゃないんですか?」と言われ「とにかく羅臼ってどんなところか来て見たかったんだよ」と言うと、「でも、スリルがあって面白かったです」と言ってくれた。「先生、次はどこに行くんですか」と言われ、「野付半島だよ」と答えた。
「野付半島っていうのは知床半島と根室半島の間にある砂嘴(さし)だよ。砂嘴とは、岸沿いに流れる海水によって運ばれた土砂が堆積してできた、海上に長く突き出た地形のことなんだ。トドワラといって、トドマツの立ち枯れが有名なんだよ。」「立ち枯れって何ですか。」「かつては立派に葉を茂らせていた樹木か立ったまま枯れているんだよ」「だから立ち枯れって言うんだ」「それが半島のいたるところで見られるんだよ」標津から左に折れると野付半島に至る。「先生、あれですか。」と紫野はいち早くトドワラを見つけたようだ。一本の長い道路の両脇にたくさんの枯れた木が立ち並んでいる。確かに異様な光景だ。群馬県の赤城山の木が酸性雨のために立ち枯れしたのとよく似ている。一体何故こんなことになったのかと考えて見た。立ち枯れする前は立派なトドマツが生えていた訳だから、この辺りは樹木が生息できる環境であった訳だ。それが立ち枯れしてしまうほどの環境の変化とは一体どんなものだったのだろうか。野付半島は徐々に面積が小さくなっているらしい。海面の上昇によるものか、海流によるものかはわからないが、いずれは半島が島になってしまうともいわれている。となるとトドマツが枯れたのは土壌に海水がしみこんできたことによるもと考えるのが妥当だろう。ただ、地球温暖化は平成に入った頃から大きく問題視されるようになったことであり、トドワラはそれよりずっと以前に作られたものなので、やはりトドワラの成因が何なのか知りたいと思った。
野付半島を出て私たちは風蓮湖の横を通って根室半島の突端、納沙布岬に向かった。ここも、何か特別な目的があったわけではないが知床半島と違って、半島の先端部まで車で行けるので、行ってみたくなった。肉眼では見えなかったが海の向こうに歯舞群島があるはず。岬のいたるところに「北方領土」の文字が刻まれていた。相互不可侵条約を破って侵攻してきたソ連がここを返還する日は絶対に来ないだろうと思った。
そんな思いを岬の見晴らし台に残して、納沙布岬をあとにした。
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