じじいの青春

おっちゃん

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第一章 ある二つの終わり

切り替えの難しさ

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 3月某日の運転免許の失効を目の前にして、私の視力は障害者の認定を受けられる程悪化していて、眼鏡屋の検査機の奥のランドルト環は最上部さえ見えなくなっていた。だから、クルマを乗り出す際は夜、それも深夜にしか運転はしない。しかも、クルマも人も見かけない、出来るだけ田舎に行って走ることにしていた。
 この日は愛車シエンタでのラストランのつもりで、房総半島の南端にある灯台を目指して走った。一般道をしばらく走り、高速道路に入り、南を目指して走る。深夜とあって交通量はかなり少ない。ナビに任して進路をとると、一時間程で高速の終点に着いた。ここに来るのはかなり久しぶりなため、自分では進路を決められない。ナビのいう通りに進むと、懐かしい景色と思われる場所に出た。しかし、もう20年近く来ていないので、それらしくもそうでないようにも見える。しかも、夜なので大まかにも風景が視認できない。ナビの文字も見えないので、まるで迷子だ。
 とはいえ、ナビは信用出来るので、ともかくナビのいう通りに走り続ける。前に車がいないときは、スピードメーターの数字は80km/h近い。トラックの後ろでは50km/hとなって到着が遅れそうだが、到着時間の目標は無いので、自分の眠気との相談となった。
    しばらく走ると突然視界に横に長く伸びた光線が目に入って来た。灯台の光だ。おそらく洲崎灯台のものだろう。洲崎灯台は海に突き出した場所に立つ灯台なので、光を照射する角度が300度くらいあるので、内陸部の市街地まで光が射し込んで来る。だから、夜になると、これこそ灯台と言った光景が広がるのだ。
 洲崎灯台の光を背に、そのまま走り続けると見慣れたというか、懐かしい場所に出た。まったく変わっていない。ロータリーにはかつて、お昼ご飯を頂いた店も健在だった。本当はクルマをおいて海岸まで歩きたいところだが、真夜中だし3月1日だというのに、風がものすごく冷たい。ここは房総半島の最南端、野島崎灯台である。
 この灯台の光は道路には届かない。光が陸地を照らしそうになるとシェードに隠れて光が消える。街を走る車に当たっても道を歩く人の目に入っても危険だからだろう。洲崎のそれとは立地条件が違う。しばらく、道路脇にクルマを止めて、懐かしい光景を楽しんでから、次の目的地に向かうことにした。それは天津小湊の誕生寺。少年時代の日蓮上人のかわいい石像に最後の別れをいいに行く。それは自分の運転で会いに来ることはもう二度とないからだ。
    野島崎から天津小湊はそれ程遠くない。国道を北上すると、ほどなくして誕生寺の入り口に到着。これまた懐かしい風景が目に飛び込んで来た。道路沿いの風景はまったく変わっていなかった。クルマを降りて、石像に会うために境内に入った。すると、かってはなかった大きな石灯籠がずらりと並んでいて、やや狭苦しさを感じた。いくつかの灯籠をやり過ごすと、いたいた、少年時代の日蓮の像、いかにも賢そうな表情がなんとも言えない。渡シ場この像が大好きだ。しばらくこの像の前で佇んで、これが最後であることを像に伝え、後ろ髪を引かれつつ誕生寺をあとにした。
    最後に目指すのは「海ほたる」そして川崎から横浜の「山下公園」。
 時間は午前3時を回っていた。房総有料を全速力で飛ばして、房総半島を横断し、館山道に入った。あとはアクアラインに入れば海ほたるに着く。
 ところが、間違って富津岬の方角にハンドルをきってしまった。すぐに引き返して時計を見ると午前4時になろうとしていた。まずい。この時間だと、横浜から帰宅しようとすれば、朝日が正面に来て眩しい。私の目では全く運転ができなくなる。道を間違えて良かった。海ほたると山下公園は諦めて、進路を自宅に変更してアクセルを踏んだ。おかげで朝日が登る前に家に帰ることができた。
 ラストランであるはずなのに実感が湧かない。母親が亡くなった時も、まるでドラマを見ているようだった。似ていると言ったらおふくろに叱られるが、クルマに乗れれば便利だ。しかし、無ければ無いでなんとかなるだろう。新しい生活を楽しむのもありだろうと思ってもみる。ただ、今まであまりにも長く多く乗ってきたクルマだけに、無意識にクルマの鍵を手にしてしまいそうだ。それまでの当たり前が、なくなることに感覚がついて行けるだろうか。
 失効2日前、もしかしたら勘でクリアするかもと検査器に行ったが、やはり通らなかった。仕方なくその場で免許を返納した。
 昨日まで当たり前のように出来ていたことが、出来なくなるということがこれほど大きな変化をもたらすとは、想像もできなかった。自分のために乗ることは諦められても、もう娘を迎えに行ってやれないと思うと、ことの重大さが際立って来る。
 今までは、してやる側だったのに、してもらわなくてはならない立場に変わってしまった。私自身そのものは何も変わっていないのだが、私を取り巻く環境がかなり変わるような気がしてならない。
 甘く見ていた面も否めない。また、勘が当たれば検査も通るだろう位にしか考えていなかった。一方、ほぼ盲目に近い状態でハンドルを握ることには強い罪悪感もあった。この状態なら乗れなくなった方が良いのではないかとも考えていた位だ。クルマの運転は出来なくても、それで、人に迷惑をかけることは無い。むしろ、この目で事故を起こすことの方が良くない。
 したがって、今回のことは、私にとっても、私以外の人にとっても正解といえる結果なのではないだろうか。
 ともあれ、私はかなり多くの人よりもクルマを走らせて来たし、運転も決して下手ではなかった。つまりはもう乗るだけ乗ったということだ。
 暫く運転は休んで、目が良くなってまた乗りたくなっなら免許を再取得すればいい。
    人生最大のパートナー、クルマとの別れとなった。
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