黒獣ダンジョン殺人事件

Sora jinNai

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パラディーゾ

水の天と名声を欲す者

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グノートス遺跡 第8階層 09:10 a.m.(推定) フランチェスコ

 ダミアンを先頭にフランチェスコとパラヘルメースはリュディガーの部屋へ向かっていた。
 パラヘルメースが走りながら肩を組み、ダミアンに聞こえぬよう耳打ちする。

「ナイフのことは黙っておけ。何も見つからなかったとしらを切るんだ」
「……そうですね」
 フランチェスコは深く考えず賛同の意を表した。

 リュディガーの部屋に着くと部屋には生存者たちがそろっていた。アイディン、ロミー、エーレンフリート。彼らはフランチェスコたちの生還に歓喜し、安堵の表情を浮かべた。その様子を目の当たりにし、改めてフランチェスコは心持穏やかではいられなかった。

「ベアトリーチェ卿は見つからなかったようですね」
 アイディンは残念そうに言った。
「はい。終いにはクロウル・ドラゴンにも出くわして命からがらといったところです」
「君たちだけでも生きて帰ってこれて本当に良かった」

 第7階層に落ちていた凶器のペティナイフ。これが落ちていたということはその場所に犯人は行ったということ。フランチェスコたちに凶器を発見されてしまう可能性があるのだから、犯人は気が気ではいられなかっただろう。それこそ不安を顔に出すかもしれない。そう分かりやすければよかったのだが、誰一人として不安そうな様子を見せず、むしろ喜びを露わにした。ここにいる全員が嘘をついているかもしれないと、フランチェスコは疑心暗鬼に苛まれた。

「それで、リュディガーは……」
 パラヘルメースはそこで言葉を切った。
 リュディガーは部屋の中央で上半身をひん剥かれた姿で横たわっていた。
 血の気を失った青白い肌に黒いまだら模様が浮きあがっている。すぐに黒獣病の症状であると理解した。

「息は浅いが死んではいない。黒獣病。それもかなり感染が進んでる。とにかく診察だ」

 死んではいない。だが感染してしまった以上もう助からないことを暗に示していた。
 パラヘルメースは落ち着いた様子で自分の部屋からかばんを持ってくると、てきぱきと荷物をほどいた。紙に患者の情報や病気の進行を記録していく。

「あんたを診察するつもりはさらさらなかったが、いざとなると心が痛むものだな。主よ、この者に安らかなる眠りをお与えください」
 冷たい眼で死体を見下ろすと、さっと顔の前で十字を切る。リュディガーにも十字を切るとこちらに向き直った。

「進行から見てかなり経過している。黒獣病は生きてるものが感染すれば初期症状に10時間、死ぬまでは20時間かかるから、大体昨日の昼以降に感染したと思われる。奇妙なのは感染経路になった傷が見当たらないことだな」

 パラヘルメースは下半身の鎧と服も脱がせ、頭から足先に至るまでじっくり観察した。だが感染経路と思われる傷は見つからなかった。彼が首を傾げているとアイディンが云った。

「おそらく感染経路はこれでしょう」
 アイディンは部屋の隅に置かれていた瓶を拾い上げた。

「それは確か、リュディガーが飲んでいたワインだったな」
「はい、間違いありません」
 エーレンフリートがきっぱりと云った。アイディンからワインボトルを受け取るとコルクの封を開けた。
 もわっと異臭が漂ってくる。部屋にいたものは皆顔をしかめた。それにしても嗅いだことのあるような気がしてならない。

 そうだ、血だ。血の生臭くも鉄っぽい香りに似ているのだ。フランチェスコが指摘するとエーレンフリートが頷く。
「おそらくモンスターの血でしょう。これを口径摂取したことで体内から感染したと思われます」
「こんな臭いものを口径摂取なんて……普通は飲む前に気付くと思うのだが」
 ダミアンは鼻をつまんで上ずった声で云う。エーレンフリートは悲しそうな顔でかぶりを振った。

「リュディガー様は、嗅覚がまったく利かないのです」
「そんなことありえるんですか」
 フランチェスコの質問にはパラヘルメースが反応した。
「頭、特に額に強い衝撃を受けたことで嗅覚に異常が出た症例がある。リュディガーは騎士の身で肉体を酷使することもあるだろうから、よほど当たり所が悪かったのだろう。意外と大変だったんだなあんたも」
 パラヘルメースはリュディガーに服を着せ、再び十字をきった。

「話を戻すが、リュディガーは血液入りワインを飲んで黒獣病に感染した。ワインボトルにモンスターの血が混ざるなんてこと間違いはありえないし、これは間違いなく人によるものだ」
 一同に緊張が走る。

「犯人は、なぜこの状況で殺人なんて起こそうとしたのだろう」
 ダミアンが珍しく疑問を呈した。フランチェスコはベアトリーチェに云われたことを思い出す。

 ——あなたが何かの気の迷いで父親の仇を取ろうと殺したのかもしれない。彼女はそう云って突き放したのだ。フランチェスコ自身にはまったく的外れな推理だと思うが、ほかに人からすれば十分脅威になるのかもしれない。
 毒を盛られたリュディガーにしたってそうだ。フランチェスコはリュディガーに母親を人質に取られていた。恨みを晴らすために彼を殺そうと推理することだってできる。
 もしかして自分は非常に危うい立場にいるのではないか。フランチェスコは内心焦り始めた。何しろ被害者二人に対して動機と呼べそうなものを持っている人物が自分しかいないのだ。

「リュディガーの毒殺も一大事だが、俺としては先にノーノさんを見つけたい」
 パラヘルメースが話の腰を折る。フランチェスコは思わず額の冷や汗を拭った。
 彼の言うことも最もだ。ベアトリーチェが第9階層にいることは間違いない。いち早く彼女に会って、なぜ失踪したのか経緯を聞こう。

 フランチェスコたちは足跡から彼女が上階へ逃げたわけではないこと、彼女が階下になんらかの方法で降りたことを説明した。

 石畳の上から荷物をどかし、持ち上げる。もわっと湿気の強い空気が漂ってくる。
「本当に行って大丈夫なの。ベアトリーチェ卿が下の階にいく理由がないでしょう。ラルフが無理矢理連れて行ったとかも考えられるんじゃない。物陰からいきなり攻撃してくるかも」
 ロミーは怯えた様子を見せる。

「襲ってきたなら迷わず斬り捨てればいいだろう。あんたも傭兵ならそのへん弁えてやってくれよ」
 苛立たし気にそう言うとパラヘルメースはずんずん階段を下りていく。一同は彼に続いて9階層へ向かった。

 階下は静まりかえっていた。薪のはじける音も聞こえない。暖炉の火は焚かれていないようだ。ラルフは寝てしまったのだろうか。フランチェスコはラルフの名を呼ぼうとした。
「しっ。全員音を立てるな」
 エーレンフリートが人差し指を立てて言う。耳を澄ますとごくわずかだが音が聞こえる。どこから響いてくるのだろう。

 スッスッ。

 軽くこするような音だ。か細く、ゆっくりと等間隔に聞こえる。
 フランチェスコは暖炉のある部屋をのぞきこむ。この部屋にはラルフがいたはずだ。彼は食料やらなんやらをまとめてここに置いていたから、ここからいなくなるはずはないだろう。
 そう思ったのだが当てが外れた。部屋には荷物だけが残され、ラルフの姿はどこにも見えなかった。

「そんなラルフさんまでいなくなるなんて」
 フランチェスコは目を見開いて愕然とした。
「一体何があったというんだ」

 スッスッ。音は止まない。ロミーは耳を傾け、
「この音、石室の方から聞こえない?」
 そう言って足早に角を曲がる。フランチェスコたちも続こうとしたとき、前方から「あっ」と声が上がった。

「何かあったのか」
 叫びながら曲がりくねった通路を走る。そこでフランチェスコたちの前に現れたのは、ぴっちりと閉じられた石室の扉だった。
 表面はところどころ削られていて、真っ赤な爪痕が刻まれている。
「そんな。これは初日と同じ」
 フランチェスコがそこまで言いかけて、またしてもパラヘルメースが制する。

 スッスッ。

 音は扉に開いた穴から聞こえていた。部屋の中に何かがいる。
 まさか、クロウル・ドラゴンがここにも来ていたのか。
 しかしどうやって。上の階から侵入すればすぐに見張りが気づくはず。まさか煙突から侵入したのか。あれは上階に繋がっているし、人一人入れるほど幅もある。

 だがすぐにフランチェスコは違和感に気付く。
 石室の扉はぴったりと閉じられているではないか。いかにクロウル・ドラゴンがこの階にやってきたとして、この部屋に入って扉を閉めるなんてことはできるはずがない。
 ではどうやってこの扉は閉まったのか。

 全身から汗が吹き出し、にじんだ手汗を服で拭う。
 フランチェスコは一歩一歩慎重に近づき、震える手で穴に手をかけた。ぐっと腰で引っ張るとゆっくりと扉は動き出す。
 半分ほど開けるとダミアンが先行して入っていった。次の瞬間には彼の驚きの声が漏れ、一同はなだれ込むように石室へ押し入った。

 薄暗い部屋にはレアンドロの死体が変わらず横たわっている。ふと左を向くと手前の壁の傍に何かがいる。
 ろうそくの灯りを向けるとそれが誰か分かった。

「ラ、ラルフさん……」
 そこには虚ろな目で壁にもたれかかるラルフの姿があった。

 スッスッとか細く鼻で呼吸し、目は泣きはらして真っ赤になっている。腕の内側に傷を負っていて、血の流れたすじが赤黒く乾燥して固まっていた。よく見ると頬にはうっすらと黒い湿疹が浮かび上がっている。黒獣病だ。

「ラルフ!しっかりしろ!」
 ダミアンが駆け寄って肩をゆする。ラルフはうめくように声を漏らした。まだ死んではいないようだ。しかし——
「もう助からん」
 パラヘルメースは無慈悲に言った。取り囲う者を払ってラルフの傷を見ていく。
「応急処置が遅れた。病が体中に回ってしまって手の施しようがない」
 誰も何も言わなかった。助けたいと思っても医者の彼がさじを投げたことでそれもただ虚しく、悲しみにくれるほかなかった。
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