黒獣ダンジョン殺人事件

Sora jinNai

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パラディーゾ

エピローグ2

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クテラ島南部 21:15 p.m. フランチェスコ

「くそっ、なんでこんな時に限って治療箱がないんだ」
 パラヘルメースは深刻そうな顔でぼやく。腹部に手を添えて矢がどこまで刺さったかを伺っている。

「やっと…やっと分かりました」
「…エーレンフリートを運ぶ。あんたは足の方を持ってくれ」
 こちらを振り向くと彼は思わず言葉を失った。
「な、なぜ」
 目を動かしてフランチェスコの体を値踏みする。

「なぜ泣いているんだ」

 目元が熱い。フランチェスコはごしごしと擦り、小さく鼻をすすった。
「なぜ、なんでしょう」

 手を離れた枝は火が燃え広がり、やがてずぶずぶと灰に還る。三人は月光の元に照らし出され、肌は青白く染まった。

「僕、分かったんですよ。ベアトリーチェ卿を殺した犯人が」
 フランチェスコはうつむいた。

「云ってる場合か。まずはエーレンフリートを」
「犯人はロミーさんじゃないんですよ」

 パラヘルメースが固まる。当惑した表情で唇をかんだ。
「…だとしても。だとしてもだ。まずは救える命を…優先する」
 言葉尻が濁る。言葉とは裏腹に彼はゆっくりとエーレンフリートの肩を離した。

「レアンドロさんとリュディガーを殺したのは間違いなくロミーさんです。でもベアトリーチェ卿は、違う。あの犯行だけは彼女がやったというには納得できない点がありました」
「納得できない点だと」

「ロミーさんは凶器であるナイフを第7階層に捨てに行きました。彼女がベアトリーチェ卿も殺したのなら、死体は同じく第7階層に捨てに行くのではありませんか。井戸に捨てるよりも発見されるリスクが低いはずだ。もし見つかったとしても逃げ出したところをモンスターに捕まってしまったと誤認させることができる。どうして死体は井戸に捨てられたのでしょうか」

 パラヘルメースはしばらく逡巡し口を開いた。
「犯人はノーノさんを殺したはいいものの、見張りがいるせいで上の階に行くことができなかった」
「ということは、犯人は見張り以外の人物ということになります。
 ですがご自分の推理を思い出してください。犯人が第9階層に死体を捨てられなかった理由がありましたよね。ラルフさんを襲ったモンスターがいるため、犯人が死体を移動させるには井戸しかなかった。僕とパラヘルメース、ロミーさんは第7階層に赴いているから分かりますが、石畳から出てもすぐ襲われるわけではない。とはいえ行ったことのない人からすれば、そこは非常に恐ろしい場所に思えるでしょう。犯人は、モンスターと会敵するリスクを異様なまでに恐れているといえます。第9階層が無理なら、もちろん第7階層も犯人にしてみれば恐ろしいわけです。

 これでは犯人像がロミーさんと合致しない。彼女はクロスボウを持っていて、回数が限られるとはいえ一撃必殺の火力を有していました。だからこそナイフを捨てに行くことが出来た」

 パラヘルメースはひゅっと息を吸う。
「犯人からロミーが除外できるがあとはどうする」
「アイディンさんとダミアンさんも除外できます」

「なるほど。ああ、云うな」
 乾いた笑いが彼の口をつく。その言葉の後には「俺が云うから」と続くのだろう。説明せずとも伝わったらしい。

「こういうことだろう。アイディンさんは暗がりの中で何度も足をつんのめって転びかけた。おそらく目があまり良くない。それでもって老けている。実行能力には難ありだ。ダミアンは、部屋割りの関係だな。4時から8時の犯行時刻の間、ダミアンが犯人の場合、どうあがいてもダミアンの部屋の前に人が通る。常に見張りの目にさらされ、やつは実行することが困難である、と」
「そして、残る謎がもう一つ」
「もう一つ?」

 フランチェスコは胸に手を当て、悲しみを押し殺すように拳を握った。痛ましい傷が鮮明に脳裏に浮かぶ。
「胸に開いた、穴です」
「そうか。第8階層で犯行が完結している以上、あの穴ができた理由も…」
「ええ。鋭い突起に胸から飛び込んだとは考えづらいです。僕が思うに、あれは武器によってできたものです」

 パラヘルメースは首をかしげる。
「いやしかし、あんな傷になる武器は」
「ありません。でもこうすると」
 手首をくるくるとひねってみせる。

「相手に刃を刺した後、こうやってひねるんです。すると普通に刺したより深いダメージを与えられます。犯人はこれを何度もやって穴のようになるまで傷口を広げたんです」
「聞いているだけでおぞましい。なぜそんなひどいことを」
「傷口から凶器の特定を恐れたのではないでしょうか」

 そこまで聞いてパラヘルメースは再び考え込んだ。
「リュディガーは前日の夜からかなり顔色が悪かった。それでもってあんたが朝話しかけても起きなかった。事件があったのがその数時間前だから、リュディガーはロングソードを盗まれても気づくことはなかっただろう。ロングソードは誰にでも盗み出すことができた」
「はい。ですがそれだと傷口を広げた意味がありません。ロングソードと分かったところで足は尽きませんから。特定を恐れたということは、それが犯人に結びついてしまう武器だった」

 そこまで云って静寂が二人を包み込む。パラヘルメースはぐっと唇をつぐんだ。
「クロスボウではありません。ロミーさんなら死体を第7階層に捨てに行きます。残る武器はポールアックスだけ。犯行時刻にポールアックスを持つことができ、なおかつモンスターに対抗することができなかった人物」

 2人の視線の先が重なる。はぁはぁと浅く速い呼吸をする目の前の男。

「犯人はエーレンフリート。あなたですね」

 彼は閉じかけの瞳でこちらを見つめていた。やがて眠るように瞼を下すと小さく
「私がやった」

 フランチェスコはいたたまれない気持ちになった。短い期間とはいえ彼のやさしさに触れた。信心深く、人に振りまくやさしさを持つ彼が、ロミーに罪をかぶせた殺人者だったなんて。
「どうして、ですか。なぜベアトリーチェ卿はあなたに」
「彼女もまた、裏切り者だったからだ」

 云い終える前にエーレンフリートは苦しそうに顔を歪ませた。じゅわっと鮮血が溢れ出てくる。死にかけの彼に喋らせることは本来止めるべきだが、二人ともそんな気遣いはつゆほど思わず、彼の言葉に耳をそばだてた。

「レアンドロ様は間違いなく遺跡からの脱出方法を知っていたはずだ。それにも関わらず、彼は一切…私達を先導しようとはしなかった。私はすぐに疑いを持った。その疑いは段々と膨れ上がり、ひとつの結論に至った」
「結論だと」
 パラヘルメースは顔を覗き込んで訊いた。

「これは…。日に日に国力を高めるエンティアはセレーネ帝国をも支配するため、セレーネの傭兵たちを消そうとしているんだ。レアンドロ様とベアトリーチェ卿はそのために送り込まれた。ロミーはレアンドロ様を殺しが、それをベアトリーチェが知ればすぐに戻って報告するだろう。エンティアは格好の理由を手にし意気揚々とセレーネに攻め入るだろう。だから彼女は消さねばならなかった」
「何を馬鹿なことを。そんな世迷い言でノーノさんを手に掛けたというのか。もし本当なら絶対に許さんぞ」
「待ってくださいパラヘルメース。エーレンフリートの云うところは事件の黒幕がエンティアであるということ。それはあながち間違いではないのかもしれません」

 信じられないと云った様子で頭を抱える。「あんたまで何を言い出すんだ」
「ベアトリーチェ卿は捜査に乗り出し、それに僕とパラヘルメースは協力していました。ではなぜ彼女は気付いたことを打ち明けてくれなかったのでしょう。砂時計のズレなんていち早く知らせるべき事実ではありませんか」
「それは……」
 否定する理由が思い当たらず、パラヘルメースは無念そうに閉口した。

「ベアトリーチェ卿が亡くなる前夜、彼女に僕が疑わしい旨を伝えられました。おそらくレアンドロさんが殺されたことから犯人の狙いがエンティアの人間であると考えたのでしょう。彼女には殺される心当たりがあったからこそ事件を捜査し、僕たちに推理を聞かせることもなかった。彼女は僕たちを、利用するだけだった」

「違う。それはあんたの想像だろう。彼女はそんな人じゃなかった。ノーノさんは人殺しになんて加担しない」
「でもパラヘルメース。僕たちが今更どう喚こうと真実がどうであったかはわからない。あるのは可能性だけだ。ベアトリーチェ卿が被害者か加害者か、死んでしまったら確かめようはないんだ」

 フランチェスコの頬をまた一筋、熱い涙が伝った。胸の中がポッカリと空いてしまったような空虚感。自分が何をしても現実が変わらない無情感。何をすることが最善だったのか、とめどない後悔があとをひいた。

 ベアトリーチェ。あなたは何者だったのだ。絶望に満ちたあの世界でたった一人、僕の心に現れた永遠の存在。
 グノートス遺跡、あそこにいた時間は夢だったのだろうか。ベアトリーチェと共にいた時に抱いた気持ち。思い出したいのに思い出せない。全ては空虚な夢だったのか。フランチェスコの意識は霧の立ち込める暗い森へと吸い込まれていく。男と共に下り。女とともに登り。そして見えた光の世界で僕は何を掴んだのだろう。

 何も掴んでいない。光の先は無だった。

 フランチェスコの道はずっと先で途切れている。彼自身はどこで突き当たるかはわからない。霧は深く、暗く、手に持つ明かりは弱くて心もとない。けれど彼には見えるだけ先を見つめながら、足を動かし続けることしか出来ない。いつか突き当たる道の終わりまで。

 気づけばエーレンフリートの呼吸は寝ているように静かになっていた。パラヘルメースは何をするでもなく、彼の寝顔を見つめていた。
「パラヘルメース。これはあなたにしか出来ない決断です」

 おもむろにこちらを振り向く。小さく何かを呟いたが聞き取れなかった。
「エーレンフリートを治療できるのはあなただけです。彼を生かすも殺すも、選択のすべてはあなたに委ねられています」
 パラヘルメースは無表情のまま、眠る彼に目を移した。

 見上げれば空。星々は月の明るさに負けて瞳には届かない。風が吹き、木々がざあざあと葉を揺らす。ふわりと朱色の前髪が宙に舞った。海は波立ち、岸に何度もぶつかっては消える。
 ひときわ大きな水音が起こり、水面は白く濁って波紋を描いた。



<完>
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